明治の向こう   作:畳廿畳

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56話 白猫跋扈 其の肆

 

 

 

 

 

 

それは、木の棒から生じる音にしてはあまりに大きく轟いた。

 

 

いったいどれ程の力を込めた速度でもってすれば、斯様な音が奏でられるのかと思うほどに。

事実、十徳の挙動は誰も視認できなかった。

ただ有無を言わさない圧倒的かつ瞬間的な一撃により、一人の大男が白目を剥いて崩れ落ちた光景が、見る者の肝を一瞬にして縮み上がらせた。

 

 

どっと地に落ちた五兵衛に意識を向けず、警棒を振り抜いた姿勢を保つこと数秒。

十徳は体勢を戻すと折れた警棒を無造作に捨てた。

 

そして、今度は先程まで薫が持っていた木刀を床から拾い上げる。

 

だが構えることはなく、彼はただ佇むだけだった。

光の灯らない瞳が虚ろげに眼前の空を眺め、ただただ停滞を示す。

 

誰も気付いていない。

彼は肩も胸も、微かなりとも上下させていないことに。

瞬きも、呼吸も、鼓動の何一つとて、彼はしていない。

待ち構えているのではない、ただそこに()()だけのよう。

 

幸か不幸か、本来人間がする動作をしないことに誰一人気付いていない。

だが、得も言われぬ不気味さは全員が感じ取っていたようで、自分達のリーダー二人が呆気なく沈められたことも手伝って、皆が動けなかった。

 

薫もその一人だった。

突然の事態に最初は目を丸くし、涙で霞む視界に映った大男が倒れた瞬間は、文字通り我が目を疑ったほど。

 

微かに耳に入った“狩生十徳”という単語から、彼が噂の青年なのだろう。

 

流れる白銀の髪と白い肌が幽鬼を連想させた。

蒼い瞳が冷たさと鋭さを感じさせた。

そして、大男を一瞬で沈めた常軌を逸する強さが、瞳に焼き付いた。

 

恐怖で動かなかった身体が震えている。

だが、その原因はもはや恐怖ではないことを、しかし薫はまだ気付かなかった。

 

 

一方で、ならず者たち全員が感じた不気味さは不安へと移り変わり、それは恐怖へと昇華した。

やがて蔓延した恐怖心は、彼らを暴力という行動に突き動かした。

 

 

「うわあああ!」

 

 

取り囲んでいた大勢が得物を振りかぶり、十徳に殺到した。

恐怖と焦燥に顔を歪め、精一杯の力を振り絞り――そして一人、また一人と落ちていく。

 

 

「がッ……!」

 

「ぐ、はぁ……!」

 

 

躱すことは、ついぞしなかった。

 

向かってくる得物ともども、人の域を越えた膂力でもって男たちを潰していく。

自分の身に届くより先に、相手の動きより速く、足と身体と腕を機敏に動かし、木刀を叩きつける。

 

技術もへったくれもない、力任せの乱暴な一閃。

 

それ故に響く音は猛々しく、吹き飛ぶ者は壁にまで叩き付けられる。

刀や短刀、木刀は木っ端に砕け、それどころか得物を持っていた手や腕をも砕くほど。

 

 

それは、まるで台風だ。

近付く者を例外なく吹き飛ばす災害だった。

 

 

蹂躙劇は、それほど長く続かなかった。

最後の一人の横っ腹に轟音とともに木刀が叩き付けられ、その場に崩れ落ちると、道場内に響くは呻き声のみとなっていた。

 

全員が叩き潰され、地に伏したのだ。

 

 

「…………」

 

「ッ、…!」

 

 

一連の戦いを見ていた薫は息を飲んだまま呼吸を忘れ、由太郎は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

いきなりの展開に薫は頭が着いていけず、どうすればいいのか、どう声を掛けたらいいのか分からないのだ。

由太郎もまた、自分の声を無視し続ける憎き相手に対し、どう言葉を発すればいいのか分からないでいた。

 

そんな薫と由太郎が何も言えずにいると、再び道場の入り口から人が入ってきた。

 

 

「師と同じ骨格を土台とし、筋肉、脂肪、筋繊維を模して肉体を作り、師と同じように動かしたのだが……もう身体にガタが来ているな。腕や足の骨など一部にヒビが入っているのではないか?」

 

 

何事かを呟きながら入ってきたのは、蒼い短い髪と眠たげというか死んだ魚のような黒い目が特徴的な、小柄な女性だった。

指を忙しなく動かし、二人には理解できない事を言っている。

 

 

「手術中に採ったでーたに誤りがあるのか。それとも根本的な何かが不足しているのか……もしくは、師の身体は常に斯様な負荷を背負っているということか」

 

 

そう言うと、くつくつと堪えるように笑い出した。

師のことだから最後の可能性の方が高い気がする、と呟きながら。

 

 

「……あな、たは……?」

 

 

今の今まで動くことなく佇んでいた十徳に近づき、舐め回すように身体を見ていた女性に対し、薫が漸く口を開いた。

 

雰囲気から大男の手下ではなさそうだが、もちろん見たこともない人のため、この事態の中では警戒心を向けてしまう。

だが、問われた女性はどこ吹く風。

 

今気付きましたとばかりに薫を見て、答えた。

 

 

「これは失礼。師から保護対象者だと念を押されていたのに、失念していたとは。私は外印、警視本署特捜部の外印だ。まずは君の容態を診なければな」

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

その後、薫と由太郎の容態を診、簡単な応急手当てをした外印は、軽い感じで十徳の正体が人形であることを明かした。

自らの指から伸びる斬鋼線により操作する機巧(からくり)で、自分は機巧芸術家であることも。

 

無論、二人は目を丸くして驚いたが、驚いたのは二人だけではなかった。

 

 

「これ……ホントに人形?」

 

「すごいです。本当に狩生さんにそっくりです」

 

 

冴子ら女学生三人と、勇子の合わせて四人もまじまじと十徳人形を見ていた。

彼女たちは、薫に誘いを断られて以降も薫の身を案じ、少しでも力になれたらと思って神谷道場に来たのだ。

 

もう少し道場に訪れるタイミングが早かったら、と考えると彼女たちの行動は誉められたものではないが、ともあれ薫の事を慮ったが故の行動は、頭ごなしの否定は出来ないだろう。

 

 

「でも、う~ん……なんか冷たい感じがするわね。何というか、熱が無いというか」

 

「あ~分かる分かる。儚げ、て言うのかな。これはこれで良いけど、なんか物足りないよね」

 

「ほお?乙葉と晴子だったか?興味深い、詳しく話してくれ」

 

 

ならず者たちと比留間兄弟を斬鋼線で縛り上げ、部屋の隅に押し遣った外印が、二人にずいと近寄り促す。

少しだけ鬼気迫る感じの外印にたじろぐ二人だったが、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「えっと……直感的で観念的な話なんですが、熱意というか本気度というか、そういったものが感じられないんです。この人形、本当に精巧で、遠目から見たらきっと狩生さんと見間違うとは思うんですが、多分本当の狩生さんと並ぶと、一目瞭然な気がするんです」

 

「乙葉、前行った油絵茶屋で似たようなこと言ってたね。一生懸命描かれた絵には、見る者に伝える何かがあるって。それと似たようなことでしょ?」

 

「私は絵について何も知らない素人だし、芸術のなんたるかも欠片も分かりません。そんな私が何かを言うなんて烏滸がましいことです……スミマセン」

 

「否!そんなことはない!」

 

 

さらにずいと身を寄せる外印。

心なしか色を失っていた瞳に光彩が差し、文字通り鼻息が荒くなっていた。

 

 

「君たちの着眼点は素晴らしい。この人形は、確かに少し手を抜いて作り上げた作品だ。なぜなら、どうしても真剣に作り上げた人形は不気味に出来上がってしまうのだ。だが、少し手を抜けば何故か目には不気味に映らず、本物に近いものができる。つまり君たちの例えに則って言うならば、敢えて熱意を込めずに作ったんだ。だが、それが君たちには分かったんだな?素晴らしい!」

 

「えと……あの」

 

「君たちは将来有望だ。うん、今度時間を作って是非話をしよう。人形に心を込めて、本物と瓜二つの物を作り上げるため、もしかしたら君たちの知恵と感想が必要になるかもしれないからな」

 

「それ、は……構いませんよ?」

 

「ふふ、ありがとう。本当なら今すぐにでも話を深めていきたいのだが、生憎と師からの指示を先に完遂しなくてはならないからな。師に物理的に近付けるのは良かったが、組織の枠組みに囚われてこんな貴重な機会を先伸ばしにされる事になるとは、なんとも歯痒いものだ」

 

 

そう言って外印は立ち上がると、人形を手繰って横を歩かせる。

捕縛した他のならず者らは後程駆けつけてくる警官たちに任せる手筈となっているが、比留間兄弟は外印自らが本署に持っていく事となっている。

もっとも、署に持っていく前に寄る所があるのだが。

 

外印が比留間兄弟に近付こうとすると、ふと薫の横顔が目に入った。

比留間兄弟を、正確に言うと兄の喜兵衛を見ていたのだ。

 

その目は悲しみに暮れ、顔は見るからに消沈している。

 

信頼していた老人に裏切られた。

口で言うのは簡単だが、そのダメージは果たしてどれほどのものか。

それは当人にしか分かるべくもなかろう。

 

 

「外印さん……喜兵衛は、」

 

 

傷心、というものは外印にとって無縁のものである。

 

むしろ心が傷つくとはどういうものなのか、知りたいという気持ちが芽生えてさえくる。

師のような心でも傷というものはつくのだろうか、と。

 

事実、今どんな気持ちだ、教えてくれ、つまびらかに語ってくれ、との言葉が喉までせり上がってきている。

が、その感情を必死の思いで押し止める。

 

十徳に釘を刺されているのだ。

きっと今回の件で傷付くであろう薫嬢にはむやみやたらと己の欲をぶつけないこと、と。

師の言いつけを蔑ろにできない外印にとって、胸中を荒れ狂う欲望は精神を総動員してでも止めなければならない大敵となっているのだ。

 

 

「っ……~ッ、んん。現職の警官を襲うよう弟に指示し、実際に死者も出しているのだ。弟もろとも死罪になるのが妥当ではないか?」

 

「……っ、」

 

「我欲にまみれた犯行目的の為に、警察を襲うという大胆な犯行計画を練る。狡猾でありながら無鉄砲さも際立ち、周到な準備をしているというのに、やってることが自分の首を締めるようなもの。度を越した阿呆か或いは気違いか、それとも……」

 

 

悲しむ、というのがどういうものかは流石の外印にも分かる。

だが、それでもこういうときに何と言うべきかは分からなかった。

 

ただ淡々と、ただ粛々と自分の感想を述べるだけだった。

 

 

「時期も時期だからな。師が警戒していたのも頷けるし、私に任せたのも理解できる……おっと、また話が逸れたか……まあそうだな。不運だったな、としか言えんよ、私には。人も組織も裏切りは世の常だ」

 

「……」

 

「神谷薫、考えてもみろ。裏切る者が悪なら、裏切られる者は善か?それとも裏切らない事が是か?極端な例えだが、裏切りによって救われた命は非か?信じていた者が自分を殺そうとして、その者から逃げようとする裏切りは不義か?それとも正義か?否、そうではないだろう。裏切りに善も悪もない。そんな二元論は意味を成さない。意味を成すのは、その後の行動だけなのだ」

 

「行、動……?」

 

「私も、周りの者も、皆大なり小なり何かを裏切って師の傍にいる。私たちはそうしたいと思ったから裏切ったのだ。悪だ善だと言われようと、罵られようと、“私”の行動は“私”が決める。私の主眼は裏切りの後の行動にしかない。そこにこそ意味があるからだ。裏切りそのものに然して意味はない。故に、した本人がそうなのだから、された本人もそうすればよかろう」

 

 

胡乱気な瞳で薫を見ていた外印は、話し終えると用は済んだとばかりに視線を切り、比留間兄弟を連れて道場から出ていった。

 

 

あまりと言えばあまりな物言いだ。

要するに、裏切った本人は目的の為にした行為であり、そんなに気にしていないのだから君も気にするな、と言っているのだ。

 

無論、そんな慰めとも言えない言葉に薫は眉をしかめるだけ。

 

そも気にならない程度なら、それは裏切りとは言えないだろう。

信じていたからこそ、その信頼が厚いほど心が傷つく。

だから裏切りなのであって、気にならないとすれば、それは即ち然して信じていなかったということ。

 

 

「薫さん…」

 

「心中、お察しします……」

 

 

冴子と乙葉が静かに語りかけるも、薫は返事をすることなく、ただただ外印が出ていった方向を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

二人を連れ出した外印は、途中から道を外れて木藪の中を進んでいた。

 

外印の横を十徳人形が歩いていて、更にその後ろに比留間兄弟が大人しく歩いている。

比留間兄弟は身体に残る痛みと、目の前の存在の不気味さに顔をしかめながら、ゆっくりと従っている。

 

 

「さて、と……」

 

 

やがて完全に人の気配が無くなったことを確認すると、外印は一言呟いて振り返った。

それにつられて十徳人形もまた振り返り、生気のない瞳で二人を射抜く。

 

その姿に恐怖を感じ、比留間兄弟は息を飲んだ。

 

十徳人形に対してではない。

人形の暖かみのない瞳は、なるほど人形だと理解できさえすれば、おぞましさは覚えない。

二人の恐怖とは、その横で人間でありながら人形以上の冷たさを持つ瞳を向けてくる女性に対してだ。

 

 

「先ずは語ってもらおうか。この時期に警察相手に騒ぎを起こした理由を」

 

 

外印の顔は端正で、美醜を問われれば十人中十人は醜ではないと答えるだろう。

 

そう。

 

醜ではないが、美とも言えない。

化粧をする必要がないほどに整っていて、ある程度着飾れば多くの人が振り返るぐらいには見目麗しいだろう。

 

だが、美しいかと問われれば、縦に振る首はきっと途中で止まる。

何故ならその瞳が、その目付きだけが、或いは醜悪と言っても過言ではないのだから。

 

眼光が鋭いとか、射抜くような視線とかではない。

ただただ気味が悪い。

胡乱気で、腐敗を連想させる濁った色彩。

光彩は欠片も無く、目に映る全てが等しく無価値なものだと言わしめるほどに、色も輝きもない。

 

臓腑の底から嫌悪感が込み上げてくるほどの、死んだ魚の目のようで、あまりに気色が悪かった。

 

 

 

 

「組織を離れた身ゆえ、私はその動向を把握していない。だが、身を置いていたが故にある程度の推測も出来る。彼らが必死になって東京一帯の情報と混乱を求め、明治政府の弱体化を狙っているということも。その為ならば、今は取れる手段はすべて取るということも」

 

 

 

 

 

 

 

 

「無論。誰かに唆されたわけではないと囀ずるのなら、それはそれで結構。私としても、一度は()()()()()を人形にしたいと思っていたところなのでな。語る時間が不要ならば、楽しめる時間が増えるというもの……さぁ。囀ずり永らえるか、黙して加工されるか、好きな方を選べ。ただし、私は師に関すること以外については我慢出来ないクチなのでな」

 

 

 

 

 

 

そんな瞳が、二人を絡め取って離さないでいる。

 

 

 

 

 

 










十徳本人ではありません

十徳たちは戦争中です
色々と戦略を立てて行動していますので悪しからず

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