明治の向こう   作:畳廿畳

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散切(ザンギリ)頭を叩いてみれば、原作崩壊の音がする









58話 白猫跋扈 其の陸

 

 

 

 

 

 

 

陸軍省人事局局長室

 

 

 

 

 

二つの向かい合う長ソファーに腰掛ける、二人の人物。

 

一人は長身痩躯の軍服を着た初老の男。

立派な髭をたくわえ、厳めしい顔を更に威厳のあるものにしているが、しかし今は好好爺のように相好を崩して柔和な笑みを見せている。

 

目の前に座る青年をこの部屋に迎え入れてからずっとこの調子だ。

出会えたことを本心から喜んでいるのだろう。

 

 

「探せど探せど見つからなかったお前が、自分から会いに来てくれるとはな。どういう風の吹き回しだ?」

 

 

人事局の局長は他にいるが、今は空けてもらっている。

 

ここの局長だけではない。

陸軍省の各局トップに席を外すよう言えるのは、この人しかいないだろう。

 

 

「いやいや、野暮なことを聞くのは止そう。こうして戻ってきてくれたのだ。先ずはこの再会を祝さねばな」

 

 

そう言う初老の男性は、陸軍卿山県有朋。

日本陸軍の産みの親にして現陸軍のトップである。

 

彼はソファーの間のテーブルの上に置いてある酒瓶を勧めた。

だが青年、左頬に十字傷のある青年──緋村剣心──は視線を転じることなく、ずっと有朋を見ている。

 

 

それに気付いた有朋は、ばつの悪い顔をしてから瓶を置き、苦笑した。

 

 

「変わらぬな。昔から前置きと迂遠な言い回しは毛嫌いしていたことを思い出したぞ……んん!ならば率直に聞こう。お前になら如何なる椅子も用意できる。どこがいい?」

 

「……」

 

「お前は俺の命の恩人であり、明治政府の立役者にして最大の功労者だ。なんなら俺の卿の席を譲る……のは難しいな。お勧めは改設される参謀本部か、新設される監軍本部の長官席かな?元々この人事局には、その二つの本部に移す人員を選定するために来たのだが……」

 

「山県さん」

 

 

有朋の話を止めた剣心は、その鋭い瞳を彼の目に向ける。

 

 

()()()も言いましたが、人殺しで掴んだ栄職に就くつもりはないでござる。この気持ちは今も、そしてこれからも変えるつもりはありません」

 

「緋村……」

 

 

剣心の心情は、有朋とて知っている。

 

新政府が設立された時、長州藩士の多くが官職に就いたが、その中に剣心の姿は無かった。

 

姿を消す直前に有朋が剣心を見つけられたのは奇跡だっただろう。

彼の肩に手を置き、一緒に来るよう言った。

だが今言われたような内容を言われたのだ。

 

 

“人殺しは所詮人殺し。仕方のない事と言えど、良し悪しで言えば悪以外のなにものでもない。そこに栄光など、あり得るべきではないんだ”

 

 

(本当に変わらぬな。優しすぎるのだ、お前は)

 

 

有朋は過去の光景を思い起こし、懐かしさと共に寂寥も思い出した。

 

見たこともない新時代の到来を前に、身体と心が震えたこと。

これからが日本にとって本当の戦いとなるのだと、己に喝を入れたこと。

そのときに抱いた感情と、胸に刻まれた情景が鮮明に思い浮かんだ。

 

だが、直ぐに己を切り替えた。

 

私人であれば剣心の優しさに同意しよう、賛美もしよう。

しかし今の有朋は公人。

甘さも優しさも不要なのだ。

 

 

「緋村。今さら説得できぬのは承知の上だ。だが俺とて信念がある。故に俺も、あの時と同じように応えよう」

 

 

澄んだ剣心の瞳に応えるは、頑とした巌のような瞳。

 

 

「時代の変革に人死にはつきものだ。それを悪と断じて行動を怖じるようであれば世は変わらない。あの腐った幕政が永劫続いたやも知れぬ。或いは欧米人の奴隷となっていたやも知れぬ。そうしない為には悪であれ善であれ、成した我々が責任をもって全うするべきなのだ!」

 

 

有朋も剣心に負けず劣らずの修羅場をくぐり抜けた益荒男だ。

己にも曲げられない信念があり、絶対の御旗がある。

 

甘さも優しさも一刀のもとに斬り伏せる覚悟があるのだ。

 

だが、その覚悟を表した鬼のような表情も一瞬だけだった。

苦笑し、そして肩から力を抜いて言った。

 

 

「ま。それを承知の上での、お前の考えなのだろう」

 

「無論です。たとえそれが真実であったとしても、拙者の考えは変わらないでござる」

 

「であるか。ならば重ねて聞こう。此度はいったい何用かな?まさか久闊を叙するために来たわけではあるまい。そんなマメな男ではなかったと記憶しているからな」

 

「拙者は変わらないですよ。今も昔も、拙者は誰かを助けたいという思いで動いてきました。とどのつまり維新もそうであったし、これからもそうでござる」

 

「……」

 

「山県さん。拙者には今、助けたい人がいます。けれど個人の力では如何ともし難い。だから数の力がほしい、組織の力がほしい。役職は要りません。この時限りの一時的なものでも……」

 

 

 

 

 

「ふざけるな緋村!!」

 

 

 

 

 

空気を震わす有朋の一喝が、剣心の声を遮った。

 

剣心を迎えた時の好好爺然とした雰囲気は見る影もない。

先程一瞬だけ見せた鬼のような表情が、今はありありと顔に浮かんでいた。

 

 

「言ったハズだ、責任を全うするのが元長州藩士の役目だと!お前の言う通り、維新を果たす過程で多くの命が散っていった。だからこそ、それを無駄にしないため我々は国家に尽くしている。民に報いようと身を粉にしている!」

 

「……」

 

「それをお前はなんだ?己の助けたい人が為だけに官職に就くと?力を求めると?大概にしろ!それは亡くなった命に対する、そして今ある多くの命に対する侮辱である!」

 

 

官職に就くならば喜んで斡旋しよう。

維新で最も多くの骨を折ってくれたのだ、それ相応の役職に就けるよう進んで手を回そう。

 

だがそれは、ただの私的感情故ではない。

 

国のために働いてほしいから。

日本を思うが故の行動なのだ。

 

一個人を助けたいがために就く、などと世迷い言を言うのなら話は別だった。

 

 

「見損なったぞ緋村。甘さと優しさを持っているのは知っていたがそこまで堕落したとは。国政に私情を持ち込もうなどと笑止千万。何に感化されたのかは知らんが、国家の意思と個人の願いは相容れぬものと知れ」

 

「山県さん」

 

「お前の望みは可能な限り叶えようと思っていた。だがその考えもたった今捨てよう。今のお前の考えは危険に肥大化されている。公私混同されては国家運営など出来ようハズもない。今のお前では()()()()には働けない!」

 

「山県さん!」

 

 

次いで響いた一喝は、剣心によるものだった。

 

研ぎ澄まされた刃の如く、鋭利な瞳が有朋の瞳を貫く。

 

ブレてはいない。

有朋に如何に言われようと、剣心の心に波は一つも立っていなかった。

 

 

「拙者が助けたいと思う人は、身を粉にして国に尽くしています。民に応えています。それを支えることは、翻って国の為になるハズでござる」 

 

「……ほお」

 

 

剣心の揺るぎないその瞳を見て、有朋は思った。

もしかしたら彼は堕落していないのかもしれない。

 

大局を見据えた上での先ほどの要望ならば、聞く価値はあるかもしれない。

そしてその助けたい人物とは、状況から類推できた。

 

 

「国に尽くしている、か。その者は……警官か」

 

 

有朋の呟きに、剣心は無言で答える。

 

剣心が有朋を訪ねて来たこのタイミング。

それは東京警視本署の摂津鉱山討伐隊が壊滅した直後だ。

 

それを考えれば、なるほど剣心の目的もうっすらと分かる。

 

 

「ならば尚のことお門違いだ。警視本署に力を貸したいというのなら内務省か本署に直接行くんだな。この件で陸軍が手を貸すことはない」

 

()()()を野放しにすると?」

 

 

剣心の発言を受け、しかし有朋に驚きはなかった。

 

 

「政府の意思だ。これ以上陸軍が動員を掛ければ、国内の治安が定まっていないと海外に喧伝することと同義である。邦人保護のため、欧米諸国に介入の口実を与えることになる」

 

「結果として多くの血が流れます。否、事実として多くの人が死にました」

 

「討伐に行った以上は討伐される覚悟を持つ。そんなこと、川路とて認識していることだ」

 

「志々雄は長州が生みました。ならば、此度の騒動には長州藩で上層部が固められた軍部にも責任があるハズでござる」

 

「痛いとこを突いてきたな。だが、何と言われようと陸軍は部隊一つも兵員一人も絶対に動かさん。国権の発動も無しに軍隊が動くなど、そんなこと有ってはならないのだからな」

 

 

軍隊は頑として動かさない、とその瞳が如実に語っていた。

それを読み取った剣心は、しかし落胆の色を見せなかった。

 

そして己の唇を小さく舐める。

 

これは、かつての自分なら絶対に取らなかった手段だ。

誰かを守るためならその諸悪を捕まえ、周りに被害が出ないようにするのが考えの根底にあった。

間違っても誰かを巻き込むことなどするハズも無かったし、それは己の信念に反している。

 

一度曲げてしまった信念だからこそ、もう二度と曲げない。

()と交わした約束を守るため、()の信頼と願いを守るため。

 

 

「山県さん。拙者が助けたいと思う人は、誰にも知られず、誰にも感謝されず、それでも文字通り身を削りなからずっと志々雄らと戦ってきました。恐らく政府側の人間としては唯一にして絶対の、志々雄の理解者とも言えるでござる」

 

「……ほお?」

 

 

そんな人物は知らない。

警察は常に志々雄に遅れを取っていると考えていた。

 

だが、さりとて剣心を疑うことはしない。

川路から伝えられていないことを鑑みて、徹底的に存在を秘匿している可能性があるか。

そう考え、続きを促す。

 

 

「半年前と先月の横浜倉庫街の炎上事件。どちらも彼が志々雄一派と死闘を演じたが故のものです。彼は、政府の誰も知り得ない情報を必死に集め、そして横浜で一派を迎え撃った。繰り返しますが、どちらも誰にも知られていない成果でござる」

 

「……そんな人物が居たとはな。そこだけを聞くと、警察の対志々雄戦は安泰のようにも思えるが?何ゆえ前回の討伐隊は壊滅した?」

 

「そこに加わっていなかったからです。横浜での死闘は彼に凄まじい傷を負わせたため、間に合わなかった。だがそんな彼が、最前線に身を置きながら俯瞰的な視野を持つあの男が、言っていたでござる」

 

「聞こうか」

 

 

 

 

「『志々雄一派は俺たちの正体を掴めていない。どころか、恐らく緋村抜刀斎と誤認している可能性がある。けど、いくら伝説の剣客といえど個人の力量では手段も限られる。必ず支持母体があると考え、探すはず』」

 

 

 

 

 

 

 

「『討伐隊の返り討ちに成功した今、本庁警察は弱体化した。故に次は陸軍が狙われる。ともすれば、緋村抜刀斎もろともに』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がたり、とソファーから腰を浮かし掛けた。

 

背中から嫌な汗が吹き出、一際大きく心臓が跳ねた。

 

 

志々雄は国家の存亡を脅かす恐ろしい敵である。

その事は知っていたし、現に警視本署選りすぐりの討伐隊が壊滅したのだ。

東京の武力的治安維持機能は麻痺し、刀もろくに扱えない者が大半を占めることになっただろう。

 

だが、そうなっても。

有朋はどこか対岸の火事としてしか認識していなかった。

 

小さな反乱程度ならいずれ警察が鎮圧するだろう。

 

そうでなくとも、一度(ひとたび)国権が発動し、軍隊が動員されれば国内の大小問わない如何なる反政府勢力も駆逐できる。

日ノ本最強と言われたあの薩摩隼人の薩州軍ですら、遂には打倒できたのだから。

 

 

だが、軍隊の準備が出来ていない今、その軍隊を狙われたらどうなる?

 

しかも此度の敵は薩摩と違い、その勢力が明確化されていない、どこに潜んでいるのかも分からない地下武装勢力なのだ。

 

そんな相手と事を構えたら?

 

 

 

最悪だ。

 

 

奴等の手口は要人暗殺や破壊工作に偏るだろうが、それらを()()()()()()()ことすら此方はできない。

 

況してや有朋は強い縁故を緋村抜刀斎と持っている。

その“要人”に自分が筆頭となる可能性が高かった。

 

 

「日本の軍隊は……いや、警察も含め、世界中の武装組織は“見える敵”を相手に戦うことを前提としています。“見えない敵”を相手にするなど、できません。討伐隊がやられたのがいい例でござる。相手にすることすらできない、戦争にすらならない。陸軍とて、きっと……」

 

 

暴れ出そうとする心臓を鋼の意思で押し留める。

焦燥と幾ばくかの恐怖を押さえつけ、取れる手段を瞬時に思索する。

 

つい今しがたまで考えていたが、軍隊の動員をすれば?

考えるまでもない。

今まさに自分が絶対にしないと言ったばかりではないか。

 

それに、仮にしたとしても剣心の言うように戦いになるとは到底思えない。

 

本来、戦争とは入念な調査や軍備の調整、人員の編成、及び戦闘計画等を立てる必要がある。

 

戦闘計画、つまり勝つための道筋と手順を明らかにし、それを実行に移すのだが、そのためには長期間の下準備を経なければならない。

軍隊は平時からその準備をしているし、明治日本にだって他国と戦争になった場合、その可能性の大小や勝敗など関係なしに、それぞれ戦争大綱を作成してある。

 

逆に言えば、その計画の無い国との戦争は“想定外”と言える。

国軍としてはあり得ざる無能っぷりだ。

どの国とて、もし隣国が突然攻め込んできたらと想定しているのだから。

 

だが、殊にテロリストとの戦争はその“想定外”が当たり前になってしまう。

戦争計画は無いし、勝利条件も分からない。

敵の情報も不確かで、まともに戦うことすら出来ず、いいように削られていく未来しか見えない。

 

 

ならば警察に頼る?……失笑ものだ。

武力を誇る陸軍が警察に身辺警護を依頼するなど、それこそ示しがつかない。

諸外国に日本の弱さを露呈するようなものだ。

 

ましてや武力に長ける東京警視本署の抜刀隊は壊滅したばかり。

よしんば頼んだとしても、まず受け入れられないだろう。

 

しからば、どうする?

 

誰かに頼むしかない現状、誰に頼めば良い?

 

軍人ではない、されどきちんとした戦力として確立し得る存在。

諸国の介入の口実にならない、小さいけれど立派な武力を有する組織。

 

そして、この()()()()()()()()()()()を遂行できる味方。

 

 

そんな都合のいいものなど……!

 

 

と。

 

 

目の前のソファーから注がれる視線に気づき、有朋は苦渋の声を出した。

 

 

「緋村……」

 

 

そして、その言葉を受けた剣心は苦笑し、つと視線を下ろした。

 

見つめる先は己の掌。

広げられた自分の両の手を見ている剣心が何を思っているか、さしもの有朋にも分からなかった。

 

 

「掌の上で転がされている気分ですか?生憎と拙者こそがそう感じています。けど、それはつまり、もう無関係では居られないということ。拙者も覚悟を決めたからこそ、こうしてお願いしに参ったでござる」

 

 

開いていた手をぐっと閉じ、更に力強く握る。

 

 

 

 

志々雄の存命を告げられたとき。

彼らの存在事由を教えられたとき。

 

そして、彼らが如何なる覚悟を持って戦っているかを知ったとき。

 

剣心の胸には、言葉では言い尽くせない様々な感情が芽生えた。

 

 

驚きがあった。怒りがあった。

 

嘆きがあった。感嘆があった。

 

焦燥があった。混乱があった。

 

懐疑があった。得心があった。

 

 

そして何より、願望があった。

 

 

自分と同じようで違う彼の在り方を見て、聞いて、知って、分かって。

 

彼の行く末を見たいと思った、見続けたいと思った。

 

 

その過程で、彼を助けたいと、手伝いたいと思ったのだ。

 

 

「山県さん。此度の志々雄が巻き起こす騒動は、あまりに異質にして異常でござる。何もかもが不鮮明で、どう戦えばいいのかも分からない、不明瞭なことが多い。それは、拙者とて同じです。だからこそ、分かる人に助力を乞うのは当然のことです」

 

「……」

 

「もう拙者はる――」

 

 

剣心の言葉は続かなかった。

 

二人の頭上から爆音が轟いたのだ。

 

省舎の屋根が爆散した音が天井と壁を伝って省内を駆け巡る。

 

それも一度ではない。

二度、三度と立て続けに建物が震えるほどの激震。

どこかで何かが崩れ落ちる音と、大勢の人たちの悲鳴と怒号が二人の耳を貫いた。

 

 

「な、なにがッーー?!」

 

「! まさか……!」

 

 

剣心がソファに立て掛けていた刀を手に取り、急ぎ窓辺に駆け寄った。

窓ガラスを開け放ち、外を確認すると、省舎から飛び散ってきた火の粉や建材が目についた。

 

 

「襲撃か!」

 

「緋村!」

 

 

剣心の横に来た有朋が声を荒げて言った。

 

 

 

「聞きたいことは色々ある。お前が来たこの瞬間に何者かの襲撃とは出来すぎているし、お前の嘆願に密接過ぎる。だが、それは後回しだ。今はこの非常事態……どうにかできるのだろう?!」

 

 

混乱のただ中にあっても優先事項を見失わない。

そして不明な点も多いなか、ピンポイントで事態の解決に向けて素早く判断する。

 

死山血河の維新を生き抜いた豪傑の本領発揮だ。

 

 

「無論でござる。そのために拙者と、そして()()が居るのですから」

 

「件の男か?ふん、こうも当て付けの様に示されれば考慮せぬわけにはいかん。事が落ち着いたら纏め上げよう。私は舎内で指揮を取って皆を避難させる。故にこの襲撃、任せるぞ?」

 

「全力を尽くします」

 

 

力強い頷きをした後、剣心は窓から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













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