明治の向こう   作:畳廿畳

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大分空いてしまってスミマセン


とりあえず、どうぞ









61話 白猫跋扈 其の玖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の医術の発展にしか目が行ってなかった。

 

 

 

 

 

阿片は五感を、特に触覚神経を麻痺させる。

 

極少量の摂取ならば依存性の無い急激な睡魔に襲われ、そして深い眠りに落ちる。

また、血管を通して身体の一部に投与すれば、そこだけ神経が麻痺する。

 

これは、痛みを伴うのが当たり前の手術医療に大きな光明をもたらす。

だが、副作用として頭痛、嘔吐、目眩、排尿障害、呼吸困難といったものがあり、しかも麻痺や睡魔等医療に期待できる面は遅効性という難点もある。

 

故に、阿片からとある成分を取り出して、その成分のみを医療に用いれれば人にも優しい医薬品ができるハズだ。

 

先は長いだろうが、この阿片を用いた新たな医術が出来上がれば、きっと怪我に苦しむ多くの人を救うことができると信じ、私は頑張ってきた。

 

 

だから、夢の見すぎで足元が疎かだったと言われればそれまでだ。

 

 

検証済みの阿片を流用されていたなど、全く知らなかった。

 

 

 

 

 

阿片は魔薬だ。

 

摂取すれば幸福感や浮遊感といった好的なものがある一方で、目眩や頭痛、嘔吐、痙攣などの悪的なものがあり、此方は最悪死に至ることすらある。

 

しかも質の悪いことに阿片は恒常性があり、一度摂取した人間は多くが二度と阿片を手放せなくなってしまう。

死に至るまでに多量に摂取するようになり、そうなると幻覚や強迫観念等に襲われ、およそ人として生きていくことが不可能になる。

 

治療は不可能。

阿片への依存は如何なる方法でもってしても断つことはできない。

 

ひとたび阿片が蔓延してしまえば、国すら腐敗して、やがては堕落する。

それは、海を隔てた大国の清が良い例だ。

 

そんなこと、知っていたハズなのに。

 

阿片を扱う者として常識のハズだったのに。

 

 

何故私は管理を怠ったのだろうか。

何故私は観柳の甘い言葉を信じてしまったのだろうか。

 

観柳は、無償で私の医学の発展のための実験検証を全面的に補佐すると言った。

衣食住の保証もし、必要な設備も費用も一切を負担すると言った。

 

今さらだが、その言葉を少しは疑うべきだった。

 

いや、そうでなくともケシの実の管理は徹底すべきだった。

不用心に阿片を精製すべきではなかった。

 

その後に、例え何十人に囲まれて肉体的に脅されても従うべきではなかった。

 

 

本当に、悔いても悔やみきれない。

 

 

自分の小さな望みのせいと、醜い保身の気持ちのせいで多くの人間が廃人になってしまった。

今になって後悔しても、それでも脅されては従うしかない自分の浅ましい気持ちが、本当に嫌になる。

 

 

何度、心が壊れかけたことか。

 

 

何度、自ら作り出した阿片に逃げようと思ったことか。

 

 

 

 

この閉じられた部屋のみが、私にとっての世界だった。

外に逃げることも叶わず、常に浪人たちの下卑た笑みと舐め回すような視線に犯され、ただただ耐えることしかしてこなかった。

 

いえ、違う。

私は心を閉ざして、まるで人形のように言いなりになっていた。

耐えるではなく、そうあるものとして受け入れて、心を殺してきた。

 

この部屋で、最初は阿片からの医学の発展を望み、そして今ではそれを拠り所として、言い訳として、自分の行いにすがってきた。

 

 

阿片を精製することでしか自分を保てなかった。

 

 

だから、部屋に一人の青年を招いただけで、私の見える世界は急激に変わった。

 

 

次に彼が訪れてくれるときを夢見て、部屋の彩りを変えてみたり。

かんざしを付けてみたり、(べに)の色を変えてみたり。

 

 

 

 

できることならもう一度、あの青年に会いたかった。

 

 

 

できることならもう一度、あの白銀の青年の笑った顔が見たかった。

 

 

けれどーー

 

 

「それももう……できそうにないわね」

 

 

自室の窓から見下ろす景色が、己の最期が近いと知らせる。

 

観柳が飼っている浪人たちが屋敷に雪崩れ込んで来たのだ。

何を契機としたのかは分からないが、奴等はじきにこの部屋にも押し入ってくるだろう。

 

そうなれば、自分の身に何が起きるかは火を見るより明らかだ。

人としての尊厳を踏みにじられ、女として生きていく事を不可能にされ、やがてボロ雑巾のように捨てられる。

 

今までは観柳という歯止めがあったが、どういうわけかそれももう機能していないようだ。

ならばもう、本当に今日でおしまいなのだろう。

 

 

あまりに呆気なくて、不甲斐なくて、腹立たしい。

 

 

でも、これが阿片を作ってきた報いだというのなら。

 

 

「受け入れるのが、私の宿命……」

 

 

後悔はある。ありすぎる。

 

けれど、文字通りに後に悔いるからこその後悔。

ならば今さら四の五の言っても意味がない。

 

だから、ここで大人しく自らの命を絶とう。

そう思って、一つの小さな小刀を引き出しから取り出して、手首の脈に当てる。

 

 

身体を好き勝手弄ばれるぐらいなら、いっそここで死んだ方がましだ。

死んだ後の身体を凌辱されるのは想像するだけで気持ち悪いが、意識があるより断然いい。

 

末期に見る景色がこの部屋なのは歯痒いが、彼を考えて彩飾した部屋と考えれば少しは気も晴れる。

 

 

 

どうか叶うことなら、彼を考えて飾ったこの静謐を保つ部屋を、何者にも侵されることなく心に焼き付けて死ねれば―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっっっと待ったーーー!」

 

 

 

 

突然の言葉とともに、破砕音が室内に轟いた。

 

いきなりの事に身が強ばり、硬直していると部屋の扉が身を掠めて正面の窓壁にぶつかった。

 

いきなりの事に身が竦み、それでも、ああもう浪人達が来たのか、と諦観の思いに支配された身体はゆっくりと動いてくれた。

 

脈に押し当ててる小刀を引くより先に、そういえばさっきの声は随分と高かったような、と思って振り向いた。

 

そして、驚愕した。

 

その人物は、扉を壊した瞬間の所作を保ったまま、微動だにせずにいた。

通路の真ん中で拳を突き出した姿勢のまま、息を深く吐いていた。

 

 

その人は、あまりに美しかった。

 

 

女性として華のように可憐で、それでいて力強さを醸し出す凛とした佇まい。

焦ったような表情をしていながら、むしろそれが端正に整った顔立ちを一層際立たせている。

 

 

知らない人だ。

屋敷に女性は私しか居ないから、始めて見る人であることは確かだ。

 

だが、なら誰?

 

 

「あっぶな~!危うく死なれるところだった。こんなところでヘマしたらジッ君に見捨てられるわ……まぁなんとか間に合って良かったけど、貴女が高荷恵ね?」

 

「え、えぇ。貴女は……?」

 

「悪いけど自己紹介は後。話したら色々と質問攻めに会いそうだし。だから取り敢えず私に与えられた任務を教えておくわ。『この混乱に乗じて高荷恵を救出すること』。さ、とっとと行くわよ」

 

「……っえ?」

 

 

任務?私を無事に逃がす?

 

わけが分からない。

私は誰かに助けてもらえるような人間じゃない。

阿片で多くの人の人生を台無しにした人でなしなのに、そんな女に救いの手を差し伸べる人なんて……

 

 

「ほら、ぼさっとしてないで。此処にも浪人どもが──!」

 

 

呆然とする私の手を掴んで部屋の外へと引っ張り出した女性は、廊下に出て直ぐにその足を止めた。

 

つられて私も足を止めて廊下を見ると、彼女が足を止めた理由が嫌でも分かった。

既に多くの浪人たちが廊下の向こうから我先にと走ってきているのだ。

 

そして、私たちを視認すると目の色を変えた。

遠目からでも分かる。

 

あまりにおぞましい、情欲だ。

 

 

「あ~あ、式ちゃんは間に合わなかったか。ま、それはそれでいいんだけどね」

 

 

数秒後にあの汚ならしい男らが自分たちを犯すのは誰でも分かることのハズなのに、前に立つ女性はどこ吹く風。

まるで自分は無関係のように呑気に呟いていた。

 

 

「貴女、何を呑気に……」

 

「大丈夫大丈夫。取り敢えず予定を変更して此処で迎え撃つわ。離れられると厄介だから後ろにいて。絶対よ。いい?フリじゃないから本当に離れないでね?」

 

 

この期に及んで何を言っているのか分からない女性は、嘘か真か此処で彼らと戦うと言った。

 

気でも触れたのかと本気で思い、されど心配の感情は一欠片も芽生えず、さりとて呑気な態度に怒気が芽生えたわけでもない。

 

彼女は本気で私を連れ出そうとしたのかも知れないが、あの男どもに凌辱されて最後に殺されるのが自分の宿命なのだと受け入れた私にとって、もはや全てがどうでもよかったのだ。

 

目の前の女性が本当は向こうの側にいるのだとしても、或いは本当に気が触れたのだとしても、もうどうでもよかった。

 

なんであっても、もう……

 

 

「ッ、え……?」

 

 

だから、何が起きても驚きはしないつもりだった。

身ぐるみを剥がれて組伏せられたとしても、そうなるべくしてなるのだと受け入れるつもりだった。

 

だというのに。

 

目の前の女性が、迫り来る男の一人を小さな動作で沈めた瞬間を見たときは、本当に驚いた。

度肝を抜かれた。

 

何が起きたのかは正直よく分からない。

女性の肩が微かに動いた瞬間には、ぱき、と軽快な音とともに男の身が崩れ落ちているのだ。

 

続く二人目、三人目も同様に沈めていく。

どさ、と痛快な音が廊下に響けば一人の男が確実に落ちている。

何人もが束になって襲い掛かってきても、女性はものともせずに冷静に、確実に処理していっている。

 

 

「ジッ君の助言を基に昇華させたこの拳法。容易く破れると思わないことね、このゴロツキども!」

 

 

何が起きているのか本気で分からない。

ただ、女性の前には何人もの気絶した男らの身が積み重なっていることだけは、よく分かっている。

 

手に様々な武器を持っている男らを文字通り鎧袖一触にしている女性。

あまりの現実離れした光景に呼吸することを忘れ、ただただ呆然としていた。

 

だがそれでも、この状況をどうにかできるわけではないということは、戦いに疎い私でも分かる。

相手の数が多すぎる。

 

人だかりは増すばかり。

男らの怒号と咆哮はなお廊下に響き、身を貫いてくる。

 

ダメだ。

女性はかなり頼りになる強さだけど、この数を全員相手にできるとは到底思えない。

 

私を助けようとしてくれるのは分かった。

でもその努力の甲斐は……と、心に暗澹たる思いが再び出てきたときだった。

男らの人だかりの向こうが俄に騒然としてきたことに気が付いた。

 

 

「……ッ?!」

 

「あ、やっと来た。式ちゃん遅~い!」

 

 

また一人、今度は足を振り回して壁に男の顔面を叩きつけて黙らせた女性は、相も変わらず飄々とした様子で呟き、大声で叫んだ。

その声は人だかりの向こうに掛けたようで、向こうからも返事があった。

 

 

「悪い!此処まで来る間に想定以上の浪人どもと出会(でくわ)したんだ!」

 

「無事に来れたならそれでいいわ!直ぐにそっちに行くわよ!」

 

「おうよ!」

 

 

男らの存在を歯牙にも掛けず、向こうにいるであろう人と女性は男らを挟んで会話をした。

そして事前に定めていたのだろうか、簡単な意思疎通をすると女性は有無を言わさず私を背負った。

 

 

「え、ちょッ……?!」

 

「舌噛むからしっかり閉じてなさい。揺れるわよ!」

 

 

私が状況を理解するより先に、女性は私を背負いながら屈み、そして駆け出した。

 

壁に向かって。

 

 

生足が見えるほどの深いスリット(切れ込み)の入った服を翻しながら、壁を蹴り続ける。

途中、何度か壁から離れて男らの肩や顔、頭を足場にして再び壁に戻って駆け抜ける。

 

 

「ぶへ……!」

 

「くそッ、逃がすな!」

 

「ありがとうございます!」

 

 

背後から聞こえる怒声と感謝(?)の言葉を尻目に、やがて人だかりを越えて降りると、そこには庭番の式尉がいた。

流麗とはほど遠い、豪快な動きで拳、或いは蹴足でもって男らを沈めていた。

 

 

「なんッ……で?!」

 

「あん?鎌足、事情は話していないのか?」

 

「私が来たときにはほとんどご覧の有り様だったからね~。説明は後回しにしてるわ」

 

「む……まあ賢明か。なら、引き続き説明は後回しとしよう。とっとと此処からずらかるぞ!」

 

「合点承知!」

 

 

もうダメだ、頭がおかしかなりそうだ。

 

いきなり観柳の飼っていた浪人らが反乱を起こしたかと思えば知らない女性に助けられて。

その女性は男顔負け、否、並みの武術家すら顔負けの強さを見せて、あまつさえ協力者が観柳お抱えの暗殺集団、御庭番衆の一人ときた。

 

本当に何が起きているというのだろうか。

 

そんな私の混乱を余所に、私を背負いながら女性はどんどん進んでいき、時たま邪魔になる男を足だけで潰す。

後ろを式尉が私たちを守るように着いてきて、時々迫る男らを蹴散らしていく。

 

二人の頼りになる様を見て、このままなら本当にこの屋敷から逃げ出せるのかと思った時、ふと鼻につく臭いに気が付いた。

 

 

「ね、ねえ!何か匂わない?!何かが燃えている?!」

 

「浪人どもが火を放ったのよ。じきにこの屋敷は燃え落ちる。安心おし、それも手筈の内よ」

 

「な……それも、貴女に指示をした人が?」

 

「さあ、どうかしらね。でも、燃えてくれたら此方としても都合が良いのは確かね!」

 

 

なんとも思わせ振りな言い方。

 

けど、それならいよいよもって、彼女達がどこの所属の人なのか分からなくなる。

 

 

三階から一気に階段を駆け下り、一階から再び廊下を走ったところ、女性が言い出した。

 

 

「ここら辺かな……そ~れ!」

 

 

そして、何の前触れもなく女性は廊下の窓ガラスを蹴り割った。

そこから出て、続いて式尉が出る。

 

 

「……あ、」

 

 

つと、外の空気と陽の光りを全身に浴びて、声が漏れてしまった。

 

別に外を眺められなかったわけではないし、陽光を浴びれなかったわけではない。

それでも部屋からの陽光よりも、外に出てのそれは格段に意味も度合いも違う。

 

 

見上げる太陽は今までと同じように燦々と輝いているハズなのに、それでも、いつもより強く在るかのように中空に座しているように見えて、自分は本当に外に出られたと実感を持てて。

 

 

なんてことはない。

 

こんなにも簡単に外に出られた。

こんなにも簡単に自分の殻から抜け出せた。

 

こんな簡単なものなのかと、あまりの拍子抜けに私は一つ溜め息を吐き出した直後。

 

 

 

 

 

窓ガラスが割れた音と、そして悲鳴とともに何かが地に落ちた音が背に響いた。

 

 

 

 

 

「……ッ、え?」

 

 

 

 

 

 

頭だけを振り向くと、そこには盛大な泣きべそを掻いている観柳が踞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















私事ですが、昨日試合で負けました

ものすごく悔しいです
悔しくて、悲しくて、何度後悔してもしきれません

プレーの一つ一つが未だ頭にこびりついて離れません



「敗北」というのは、こんなにも辛くて飲み込めないものなんですね






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