指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第十二話

 10月中旬。普段のスーツとは異なり紺のシングルで京都駅へ降り立った八一。隣には信濃介一竜王。竜王登場回数2、獲得2期、全日本プロトーナメントをはじめ多くの優勝経験を持つ対局相手。前には案内の連盟関係者、供御飯さんもいる。

 今から行われるのは対局室の検分。棋具や照明の具合など対局に関することを事前に確認する。バスで30分ほどの対局場に着くと既に立会人、解説、記録係が既に座っていた。

 盤と駒の確認が済み対局者の目は室内に向けられる。黙々と駒を触って感触を掴む八一の周りでは大人達が忙しなく動いていた。

 

「少し机が近いです。照明は少し暗くお願いします」

「このくらい、ですか?これ以上はちょっと…」

「今ちょうど良いです」

 

 ピンと張り詰めた空気の中次々と要望を出し自分に合った空間に作り変える竜王に対し八一は無言。気を利かせたのか立会人が何かないかと聞いてくれたので何もないことを伝え礼を述べておく。

 

「九頭竜先生の字は上達しましたかな?」

「まだ勉強中です」

「はっは」

 

 検分の後色紙や駒箱に揮毫する場面。笑みもこぼれる和らいだ空気の中八一が書いた文字は勇気。竜王戦にあたって八一が増やしたレパートリーだ。バランスも上手さも並だが勢いで持たせたそれに頷く連盟のお偉方。名前は相変わらず力の入れすぎで不格好だが以前の八一を知る者は大満足である。

 八一と信濃が食事のメニューや封じ手についての確認と供御飯さんのインタビューを終えると一同は部屋を後にした。

 

 

 

 

 夕方京都中京区に門を構える老舗ホテルの宴会会場。中心市街地で頭一つ飛び出たこの建物に将棋関係者、来賓、ファンが続々集結する。200人を越える老若男女はこれから行われる竜王戦前夜祭に参加する幸運な人達である。

 司会者が連絡を受けマイクを手にとり時間を告げる。隣と雑談していた人達は口を閉じ主役の登場を待つのだ。

 

「さあ九頭竜君も前に出なよ。若い子の目当ては君だろ」

「はぁ」

 

 30代にして甘いフェイスを持つ信濃はこちらの背を押してくる。八一はここまでの観察で良くも悪くも己のペースを貫く人物だと判断した。このタイプは歩夢への対応で慣れている為大きな問題はない。

 そうして広間への入口を潜った自分と目の前の男は万来の拍手で迎えられた。主催会社社長、月光会長、京都市長とあいさつが済み乾杯。自由に歓談する時間となる。

 

「九頭竜先生!対局頑張ってください!」

「先生、一緒に写真を撮ってもらえますか?」 

「奨励会の時からファンでした。お会いできて嬉しいです」

 

 挨拶回りを終え少し時間ができるや否や次から次へと着飾ったファンに詰めかけられる八一。一人一人丁寧に対応するも遠巻きにタイミングを伺う人は増える一方。その間を縫ってちらほらと棋士が声をかけてくれる。

 

「お疲れの様だね八一君」

「…鏡洲さん」

 

 鏡洲飛馬新四段である。9月まで行われた三段リーグは1局残して二位争いが11勝が5人並ぶ大混戦となった。鏡洲さんは最終局で白星をあげるも12勝は4人。成績を加味した順位順で二位を落としてしまう。

 だがここで鏡洲さんの積み上げてきた物が光った。順位が上の二人が昇段、敗退したことで次点を獲得したのだ。他者が得ても悔しさを助長させる物でしかないが彼にとってのそれは2回目。フリークラス編入の資格となる。

 権利を行使した鏡洲さんは10月付けでプロになったのだ。

 

「啖呵を切っておいて格好良く一位抜けはできなかった。けどこれもまた俺らしい。より出口は狭くなったけどまだまだ戦う。そのうち君とも対局したい」

「…はい!」

 

 彼は次に10年の期限でプロを相手取って好成績を収めなければならない。それは歴代で片手の指で足りる程度の前例しかない狭き門。だが八一は鏡洲さんならやるだろうと思えた。

 

「じゃあまた。あまり人気者を取っちゃ恨まれる」

「昇段おめでとうございます」

「よせよ。ここは君が主役だってのに」

 

 手を振って人だかりに消える彼を見送る。少し心が熱くなったところで飲み物を探して歩いていると乱暴な言葉に止められた。

 

「ようクズ大人気じゃねえか。良かったなあ」

「お久しぶりです月夜見坂さん」

 

 関東から来てくれたのか月夜見坂燎が全く似合わないスーツを纏って現れた。幼い頃からの付き合いである彼女はまれに関西の棋士室に来ては供御飯さんと将棋を指す仲でもある。

 

「じょ、女流玉将、九頭竜先生とお知り合いだったんですか?早く紹介してくださいよ!」

「面倒くせえ。勝手にしろよ」

「初めまして第1局でニコニコ動画の聞き手をさせて頂きます鹿路庭です。お話は山刀伐先生からよく聞いてます。デビュー時から尊敬していました」

「九頭竜八一です。よろしくお願いします」

「鹿路庭お前いつもの☆酷いですよー☆的な反応はどうした。猫々かぶりかぁ?」

「黙ってて下さい。これでいいんです」

 

 女流棋士も色々あるのだろう。天衣のこともあるし伝手を持っておいて損はないかと八一は考える。しかし目の前の女性は何か苦手だ。

 

「先生を注視している若手は多いんですよ?年下に負けるかって気持ちもあって皆無関心を装いますけど」

「はあ」

「竜王戦応援していますね。あ、それと挑決1局の45手目なんですけど…」

「おら向こう行くぞ鹿路庭。クズはそろそろ棋士紹介がある。それに視線がそろそろヤバい」

「ちょ、あと少しだけ」

「お前、今度殺されるぞ」

「ええ!」

 

 月夜見坂さんが鹿路庭さんを引っ張って人混みに消えると入れ替わりに見慣れた制服姿が目に入った。その左手は魚料理をのせた皿を持っている。

 

「ほとんど食べてないでしょ」

「すみません姉弟子」

「断って食べないからよお人好し」

「まあ立食パーティーですし。部屋で何か頼みますよ」

 

 姉弟子のチョイスは八一の好みで固められている。渡されたカツオの刺身を頬張ると戻り鰹特有の脂が舌でとろけ頬が緩む。お茶を一口欲しいと思えば烏龍茶が入ったグラスを突き出される。そっけなさの中にある気遣いが頬を更に緩める。最も外見上の変化は僅かなのだが。

 

「ふん、早く行きなさい」

「ありがとうございます」

 

 次のプログラムの為に八一は壇上へ向かうのであった。

 

 

 

 

 翌日行われた竜王戦七番勝負第1局遠州寺対局は振り駒の結果九頭竜八一七段が後手となった。午前9時2六歩8四歩で開始された対局は二度のおやつと昼食休憩を挟んで九頭竜の封じ手で中断する。

 戦型は相掛かり。居玉を貫く九頭竜に対し信濃介一竜王はじわじわと形勢を傾けるに止め大攻勢に打って出ない。時間を使った九頭竜の反撃も上手く刺さらずついには形勢の天秤が信濃に傾いてしまった。明日は九頭竜の持ち駒を使った大攻勢が見られるはずだ。

 


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