指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第十三話

 京都の曇天に反撃の狼煙は消えた。

 

 竜王戦七番勝負第1局2日目。九頭竜七段の封じ手は持ち駒を切った9二角。信濃竜王はその顎を開けて攻撃を待ち構えるも九頭竜は構わず2枚目の角を投入。休憩明け最後まで取っていた銀も盤上に打ちつけ総力戦を挑んだ。

 しかし竜王の2四飛が常に睨みを利かせ九頭竜の大反攻を許さない。攻防で押し負け玉の頭に成銀を指されると九頭竜の守りは崩壊した。重い腰を上げた飛車、寝返った角を前に薄い守りはずたずたにされる。自陣で敵龍が二匹暴れ回る事態を前に九頭竜は長い沈黙の後投了した。

 

 

 

 

 序盤の読み合いに負け開戦を強制させられた。どうしようもなく追い詰められてからの反攻。自分が最も忌避する将棋を指した事に怒りが湧く。窮鼠や背水の状況へ受動的に追い詰められてからの反撃は逃げの攻撃。そんなものは後ろの脅威から前へ逃げているだけだ。心が逃げていてどうして相手に勝てるだろうか。

 状勢に関わらずいつでも決死の一撃で喰らい付く。それが自分の定めた受け将棋。だと言うのにこの2日間の将棋は何だ?

 

「っ負けました。」

 

 すぐに押しかけた記者達に囲まれ主催会社の記者を先頭に観戦記者達の質問が始まる。

 

「次の対局へ向けての心意気を教えてください。」

「気を抜かずに戦います。九頭竜君は恐いですから。」

「竜王防衛へ好発進ですがファンの皆さんに一言お願いします。」

「皆さんが楽しめる対局にしたいですね。」

 

 自分にも何か質問されたと思うが怒りを抑えるのに必死で何と答えたのかも分からない。悔しい。情けない。師匠の衣を羽織って挑んだ対局での無様な敗北。それもただの敗北ではない。こうあれと決めた自らの心柱を傷つけられた。

 目の前の竜王を見る。軽薄に見える態度の中でその目が一瞬だけ此方を捕えていた。明らかに此方の状況を観察している。そしてようやく相手が最初からこれを狙っていたと理解した。

 その後は感想戦どころか大阪駅に着くまでの記憶がない。

 

「…。」

 

 自宅にたどり着き盤に向かって考える。時間がない。対局前の自分なら迷うことなく相掛かりで復讐するはずなのだが徹底的に自分を見ている竜王相手にそれで良いのか。まず間違いなく読まれているだろう。

 思考の冷徹な部分が今は耐えて2局目は復調に当てろと諭し燃え盛る怒りが相掛かりを主張する。そして己の選択に疑問を持った第三の自分が振り飛車で奇襲をと囁く。以前の自分ならどれを選んでいたかも分からない。

 

 

 

 

 神奈川箱根で行われた竜王戦第2局。前局同様相居飛車が決定した時点で相掛かりだと確信した筆者は首を傾げることとなった。九頭竜七段は選択を信濃竜王に委ね選ばれた戦型はノーマル角換わり。前局の反省か序盤から積極的に攻め立てる九頭竜。昼食休憩を挟んだ33手目早々飛車を切る九頭竜に控室はどよめきが広がる。

 一日目で終わらせる。そんな声すら聞こえてくる速攻を竜王は冷静に玉を動かし対処し逆に5筋を咎める。その後角道を塞いだ九頭竜の一手に竜王が長考に入りそのまま一日目は終了した。

 

 

 

 

 夜が明け信濃竜王の封じ手が開かれた第2局2日目。九頭竜の攻勢はまたも飛車に止められた。これが竜王だと言わん一手であっけなく龍と成るや九頭竜玉を睨む。対して何かに憑かれたかの様に攻撃を止めない九頭竜。信濃竜王は反撃を防ぐと余裕を持って寄せに入った。

 対局終了時間は午後1時58分。8時間の持ち時間を3時間以上余して投了した九頭竜に彼を知る者は一様に口を噤んだ。

 

 

 

 

「八一!」

 

 遅遅として湧かない戦意に将棋盤に向かう気が失せるなどという人生初の事態に呆然としているといつの間にか目の前に姉弟子がいる。最後に顔を見たのは何時だったか。恐らく心地良い時間だったような気がする。

 

「姉弟子?」

「っち、近くに来たから寄っただけ。」

「そうですか。」

 

 十年続いた慣習が自然と盤を挟んで会話させていた。そうすると手が寂しくなるのでどちらからともなく指し始める。先程まであった将棋盤への拒否感は何処かに消えていた。

 互いに一言も発さずそれでいて居心地は悪くない。何故だろうか?ずっと一緒にいて隣にいるのが当たり前になっていたからか。 

 

「これ。桂香さんから。身体を大事にって。」

 

 ゆっくり一局を指し終わると姉弟子が脇に抱えた紙袋を突き出してくる。中にはまだ暖かい料理の入ったタッパーが複数。朝から何も食べていなかったことに気づく。約束を破ってしまった。 

 

「いらないなら捨てる。」

「いえ、頂きます。」 

「あと師匠から言伝。」 

 

 その言葉にピクリと体が跳ねる。師匠には顔を合わせるのも恐くなって和服も返していない。とんでもない無礼を働いてしまっている。

 

「聞きます。」

「儂の服は一敗が目立つ程度の汚れちゃう。関西将棋の泥臭さを忘れたか?いけ好かないイケメンを血祭りにあげて来い。だって。」

「…師匠。」

「私も本気で女流玉座守るから。一緒にタイトルを贈ろう?」

 

 心の奥底で消えたと思っていた火が燃えだす。師匠とて今季の順位戦は相当苦しいはず。それでも身を割いてタイトル戦の戦い方を教えてくれた。その大恩を少しでも返したい。その思いを忘れていた?

 自分の矜持が傷つけられたから何だ。全て師匠から与えられた物でないか。それをコケにされてこのまま消えるのか?

 情けない自分だがこれ以上師匠に心配をかけない為に。清滝一門が健在だと世に知らしめる為に。その教えを次世代に受け継ぐ為に。

 分かりやすすぎる答えが目の前にある。ここまでお膳立てされて前に進めないなど嘘だろう。

 

「はぃ…はい!!」

 

 清滝一門は卵焼きの好みが醤油派2人砂糖派1人ソース過激派1人。姉弟子は桂香さんが作った料理を捨てるなど嘘でも言わない。不格好な卵焼きが塩辛いのは塩のせいか頬を伝う滴のせいか。夜誰もいないキッチンで八一は黙々と口を動かし続ける。

 

 

 

 

 11月初旬に行われた竜王戦第3局福岡二日市対局。天才武将ゆかりの地で若武者は竜王を相手に初めての軍配を上げる。この対局で九頭竜の手が作り出したのはどこか彼の師匠を思わせる矢倉囲い。その守りは穴がある様に見えて玉への最後の一手を通さない。築城の名手が憑依でもしたのか守りを得た九頭竜は更に踏み込んだ攻撃を繰り返す。

 ここ九州の地に九頭竜は完全復活した。

 




 8巻出ましたよ(ボソッ
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