自宅ドアの前でじっとうずくまる少女。会館での大惨事から1時間と経たずに再来した異常事態に八一も固まる。少女も少女でじっと黙り込む八一におろおろしはじめた。自分の顔が相手に誤解を与えることは良く知っている。無理矢理身体を動かしてまずはと家に上げることにした。竜王戦での一場面を思い出して口を開く八一。
「確かあいちゃん、だったか」
「雛鶴あいともうします!竜王戦の時お会いして前にはお手紙も出させていただきました」
「ああ、相掛かりの」
「はい!それで…1回、1回だけでいいので直接見て弟子入りを考えていただけませんか?」
「なるほど」
目の前の少女。文面のみでは納得出来ず実際に見てもらおうとここに来たのだ。八一もその点は共感する。どころか過去に類似した行動をとっていた。
そこではたと彼女が持ってきたランドセルと手提げ袋が頭に引っかかった。世に疎い自分でもあれは片道3時間の旅に適したバッグではないと分かる。はち切れんばかりに膨らんだそれの隙間から衣類が覗いているあたり宿泊も視野に入れているのだろうがそれならば尚更である。
「ところで学校はどうしたんだ?」
「今日終業式でした。明日から春休みです」
「…」
どうも怪しい。自分には判断し難い事が多すぎると世間を知る大人に頼ることにした八一である。我が道を行く八一とて警察沙汰は勘弁してほしいのだ。
「少し行くところができた」
「はい?」
一刻の後、八一と師匠はばつが悪い顔をして机を挟み向かい合っていた。少女を連れて電車で一駅野田の清滝宅を訪ねた八一が目にしたのは娘からトイレの再教育を受ける師匠。大惨事から1時間少しで顔を合わせると思っていなかった両者。流石の八一も頭を抱える。
「ほんでひな鶴の娘さんが…昔の八一と銀子そっくりやな」
(あの、この方達は?)
(師匠の清滝鋼介、その娘の桂香さん、姉弟子の空銀子)
「小童と一緒にしないでください」
「お宅訪問を続けた4歳児に普及先で度々待ち構えているガキんちょどっこいどっこいや」
「…」
隣に座る姉弟子は過去師匠宅突撃を繰り返した手前口を閉ざし逆隣では押しかけ少女が縮こまっている。八一が師匠達に相談するとお前のパターンじゃあるまいし十中八九家出との判断が下され何やかんや今につながる。
「さてあいちゃん。いくら将棋が指したいからって家出するのはよくないで。連絡したら上を下への大騒ぎや。親御さんも心配しとったよ」
「…はい」
「電話かけたのは八一君だけどね」
「し、仕方ないやろ。儂はあの女将さんに相当睨まれとるんや」
全て身から出た錆。一刀両断された前竜王を思い出した八一は師匠が口撃で沈む姿を幻視した。あの一件は噂レベルで広まる程度で済んだものの女将さんにはきっちり把握されているのだ。
「小童。親が心配しているわよ。弟子入りなんて止めなさい」
「銀子の内弟子は親御さんが心配したのもあるんやで」
「…」
「あいちゃん。何でご両親に相談せんかったんや?」
「言ってもぜったい反対されるから」
姉弟子が撃沈する中話は進む。両親は将棋が嫌いで家は自由に指せる環境に無かったと少女は続けた。深く息を吐いた八一は重い口を開く。
「ご両親を説得して近場の道場に通うのは…」
「いやです!わたしはくじゅりゅう先生の弟子になりたいんです!」
「はっは。八一にとは見る目がある」
「笑い事じゃないです師匠!」
八一の両隣から声があがった。左側からは苛立たし気に扇子を弄る音がし始め右の声音には水気が混じる。八一はすわりが悪くなって正座を組み直した。
「…八一の手を煩わせることもない。今から私と指せばいい」
「いやいや銀子。お前指導下手やん」
「待て。姉弟子は」
「わ、分かりました。先生!見ててください」
バキっと何かが折れる音が机の下から響いた。無残に折れた百折不撓の扇子が姉弟子の手からぶらぶら揺れている。
「それもいいけど。まずご飯ね。勿論八一君とあいちゃんも」
一触即発の事態を止めたのは桂香。姉弟子も何処か凄みを感じる言葉に大人しく引き下がる。一家の台所を預かる彼女に逆らっては生きていけないのだ。
八一は食事時に押しかけてしまったことを思い出した。同時にくぅと家出少女の腹が鳴る。頬を染めて俯く少女はもごもごと緊張で昼も取り忘れていたと言った。八一と少女は清滝家のご相伴に預かることになる。
一同の腹も膨れてゆったりした空気が戻った部屋。食事中に少女の将棋歴が3ヵ月でしかないこと、将棋図巧を全て解いたことなどが会話に上がり一門が驚く場面もあったが普段通り賑やかな食卓だった。腹を満たすと騒がしい議論の再開である。
「そんだけ将来性があるなら天衣ちゃんのライバルになるんちゃう?ウォーズで初段なら八一が弟子入りした時とそう変わらん」
「ライバル?」
「八一にはもう弟子がおるんよ。名前も天衣ちゃん。同じやな」
「一番じゃ、なかったんだ…」
「師匠!この小童の師匠が八一である必要はありません。その内誰の下にでも行けます」
「でもあいちゃんは八一君に教わりたいのよね?」
「はい!」
「桂香さん!」
「八一はどう考えとるんや?」
ずっと黙っていた八一に師匠が振る。一文字に閉じられた口が開き行動の一言が発せられた。
「石川に行きます。どう転んでも親の許しは必要でしょう」
「でもお母さんは」
「親も説得させられない実力で棋士になれると思っているのか?」
少女は俯いて震えている。話を聞くにとても厳しい親なのだろう。だが彼女が本気で棋士を目指すなら一度深く話す必要があるのだ。金銭面は勿論学校のこともある。
「才能は十分あると太鼓判を押そう」
「ぁ、はい!」
「自信持ってええで。竜王のお墨付きや」
「ふふ、良かったわねあいちゃん」
「チッ」
ほいで八一のどこがそんなに格好良かったんと師匠が続けると少女の口から出るわ出るわ。八一すら苦笑いする外から見た評価。すると何故か姉弟子が対抗して身内しか知らないことを暴露し始める。偶に師匠と桂香からちゃちゃを入れられ居間から笑いが絶えることは無かった。
「すみません姉弟子。明日のVS、後日に回させてください」
「八一は小童の味方なの?」
「前から天衣に競い合う相手が必要だとは思っていたんです。自分と姉弟子の様に将棋を指してくれれば、と」
「ふん。ヒルトンのアフタヌーンティーセット」
「分かりました」
このまま清滝邸に泊まることにした八一とあい。就寝まで八一の盤の対面を巡って争いが勃発したのは言うまでも無い。八一との対局権をかけて駒落ちで何度タコ殴りにされても姉弟子に挑むあい。ついには姉弟子の将棋を前に僅かながら抵抗して見せた彼女に八一は目を見張った。
翌日朝、家出少女を連れて大阪を発った八一。昼時に到着した3ヵ月振りの石川は以前と違い雪が消え緑が顔を出していた。八一がロータリーで冬と全く異なる装いを見せる七尾の風景を眺めていると旅館の関係者に囲まれハイヤーに乗せられる。そして気づけばあの決戦の部屋であいの両親と向かい合っていた。
「雛鶴隆です。この度は娘が大変ご迷惑をお掛けしお詫びの言葉もございません。それと迅速な対応に感謝します」
「雛鶴亜希奈でございます。竜王戦では大変お世話になりました」
「九頭竜八一です」
相手のホームで先手を取られた。八一は隣に座る少女を一見、気を取り直して前を向く。相手は自分では及ばない人生経験を積んだ大人2人。分の悪い盤外の戦いに臨む八一はズボンの裾を握り口を開いた。
改めて感想評価誤字報告に感謝です
月曜投稿が多いのは週の始まりを皆さんの反応で乗り切るためです(これはわりとホント