指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第二十三話

 キョロキョロと辺りを見回し落ち着かない弟子を連れて将棋会館へ向かう。小さな公園を横切り路地を出てなにわ筋に沿って歩くこと数分。1階にレストランが併設されたビルを前に2人は立ち止まった。

 

「壁に大きく将棋会館って書いてあります!」

 

 通い慣れた建物をわざわざ見上げることも少ない為久しくその字を見た八一。初めてここに来た時は自分も心が踊っていたと昔を思い出し懐かしむ。強者との対局にうずうずしていた彼と新天地に舞い上がる彼女を一緒くたにしていいのかは不明だ。

 ガラス扉を開け建物に入ると右に位置する売店を見たあいが歓声を上げた。

 

「わあ。将棋の本がいっぱい!師匠!扇子!扇子です!!」

「まあな」

「こうそく、しょしん、たいし。これは何て読むのでしょう?」

「涓滴岩を穿つのけんてき。わずかな水の滴も続けば岩に穴をあける…小さな努力でも怠るなってことだ。」

「ほえー。師匠の扇子はどれですか?」

「嬉しいことに売り切れている」

「そうですか…流石です師匠!」

 

 売店のおばちゃんに微笑ましく見送られ3階へ。何時ぞやの様に事務所に入り顔見知りの職員へ挨拶する。

 

「こんにちは」

「こ、こんにちは!」

「はいこんにちは。話は清滝先生から聞いていますよ」

「よろしくお願いします」

「やい、九頭竜先生の紹介なら間違いないでしょう。天衣ちゃんなんてもうD2でしょ?」

「生意気言っていませんか?」

「周りが騒いでいても静かですよ」

「そうですか…」

 

 職員から一番弟子の躍進振りを聞かされつつ弟子登録を含めた研修会試験の申込を進める。そして姉のすました顔を妹が崩してくれることを信じて判を押し書類を仕上げた。

 

 

 

 

「八一さんここ空いてますよ」 

「ありがとう創多」

「今日は鏡洲さんが東京行っちゃって暇してたんです」

 

 子供達に囲まれる騒動があったものの何とかあいを2階の道場に預けて棋士室に顔を出した八一。彼を駒と時計の音の響く部屋の奥から手を振って迎えたのは椚だった。小さな体なので手前の若手棋士に隠れて動く手しか見えない。聞けば鏡洲は盤王戦予選の為に東京へ行ってしまい折角の学校休みをもて余すところだったらしい。

 

「研究場所を取り上げてしまったからな。これくらいは」

「元々皆が押しかけてただけですし。でも八一さんの内弟子かあ。いいなあ」

「創多の師匠にはなりたくないな。大変そうだ」

「えー、酷いですよ八一さん」 

 

 急に真顔になった椚に首を傾げつつ駒を並べていく。目の前の10歳は奨励会に入って3級まで負け無し。現在27連勝中の恐るべき実力の持ち主である。やっておいて何だが八一は恩返しなど当分されたくないので彼の師匠役は御免被る。

 

「矢倉ですか?」

「どうだろうな。嘘かもしれん」

「いやいや隠す気ないでしょ。なら、こうです」

 

 駒落ちなどつまらないと平手で駒を振った両者。先手を取った八一が矢倉の構えを見せたところで椚が問う。早速急戦を仕掛けんと銀を進める椚だが即座にけん制されその進撃は止まった。八一は折角作った囲いに玉を入れる素振りも見せず鮮やかに飛車先の歩を交換する。

 己が披露した作戦の対策など最優先課題なのだ。

 

「あ、やっぱりそうしますよね」

「元々居玉は好きなんだ」

 

 更に角を突っ込ませた八一。椚は歩を打ち込むも下がった角は間接的に飛車を睨み相手の駒組みを邪魔する。そのまま駒組みで優位に立った八一はソフトを思わせる精密な寄せから玉を防ぎきり勝利した。

 

「やっぱり難しいですこの戦法」

「だからこそ面白い」

「そうですよねー」

 

 日々更新される戦法の先を行かねば蹴落とされる。そうした厳しい環境で前進する原動力は将棋を好きな心から来るちょっとした遊び心。綱渡りは視線は遠く常に先を見る者こそ前に進めるのだ。

 

「あそこで8三飛としてみるか」

「角を上げて飛車を抑える、と。うっわぁ行動範囲が狭い狭い」

「では対策だ」

 

 まだまだ研究が進んでいない戦法ゆえ変化は次々現れ盤上の駒は加速する。一見後手の攻めが細く今にも途切れそうに見えて止まらない。並の使い手では奈落へ一直線と思わせる道を一歩ずつ確実に前進するそれは勝負師の心を揺する。

 

「一手損なんて指しこなす八一さんにピッタリですねこれ」

「いや読みの深い創多の方が合うだろう。元々ソフトが好む戦法だ」

 

 周りから言わせてもらえばどっちもどっちである。

 

 

 

 

「ではお弟子さんによろしくです。顔はそのうち合わせるでしょ」

「ああ」

 

 棋士である以上何処かで会うだろうと席を立つ八一だが存外直ぐにその機会は早かったりする。昼前となり棋士室を出た八一は道場へ向かいサインをせがむ子供達に混じり突撃して来るあいを迎えた。彼女が見せてくる緑色の手合いカードには白星がズラリと並んでいる。

 

「師匠!見て下さい!!」

「全勝か。よくやった」

「はい!あと仲の良い子も出来ました!みおちゃんとあやのちゃんとシャオちゃんです!」

「ほう。祝いに昼はトゥエルブでとるか。普段は弁当だからな」

「わーいがいしょくですー!…だいなまいとって何です?」

「…大人しくランチセットにしておけ」

 

 ちらほらと見える棋士や奨励会員に挨拶してテーブル席に着くとそれぞれ海老フライセット、カニクリームコロッケセットを頼んで黙々と食べる。2人共食事時に会話が無くても特段苦にしないタイプなのだ。

 

「カニは好きなのでうれしいです」

「石川の魚介類は特に美味いしな。竜王戦ではお世話になった」

 

 空となった皿を前に互いの成果を報告し合う。八一の言で二段として道場に挑んだあいは同年代との対局に戸惑いながらも白一色を守り切ったらしい。棋譜を暗記していると言うので一から言わせてみれば相手のミスを容赦無く突く彼女の姿が目に浮かんだ。何人かいい筋の相手もいたが途中から崩れている。恐らく時間が切れたのだろう。突然思い切った攻撃をしかけあいに逆撃されていた。

 

「将棋は減点式のゲームだ。いかに持ち点を減らさずに相手の点数を減らすか。盤の向かいには相手がいるということを覚えておけ」

「むずかしいです」

「今は何にでも全力で当たればいい。壊せない壁に当たった時考えるんだ」 

「はい!」

 

 行き当たりばったりにも見えるが人間痛い目にあってこそ真に学ぶ。期限こそあるがあいに舗装して看板を付けた道を進ませるつもりは無い。何故そうすると良いのかを考えて行動選択して欲しいのだ。

 そうした思いを込め子を谷に突き落として戦わせるのも師の務めと首を傾げる弟子に助言を贈る。基本的に事前準備をしっかりする癖に最後は精神論でどうにかすると考えている八一らしい選択である。

 

「師匠!午後はどうしましょう」

「VSがあるんでな。相手はしてやれんぞ」

「うー、道場で指しておきます。師匠のだら…」

「終わったら迎えに行く」

 

 不平を言う弟子を道場まで送り2階から外を見ると見慣れた日傘が目に入った。少しずつ回っているそれを見るに彼女の機嫌は良いらしい。八一は少し急ぎ足で階段へと歩を進めた。

 


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