指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第二十四話

 会館5階にある対局室に小学生から大人まで40人の棋士達が詰める。その中で弟子と対峙する少女が呆然とした表情で頭を下げた。何が起こったのか分からず気づけば負けていた。眼鏡をかけた大人しそうな顔にはそういった表情が浮かんでいる。

 

「ありません…負けましたです」

「あ、ありがとう、ございますっ」

 

 頬を赤くした弟子も息を切らして勢い良く頭を下げた。盤上に広がる戦闘の跡は一方のみに集中している。あいが初っ端相手の隙を突いて強引に攻め続けた結果僅か34手の短期戦となったのだ。

 

「あいちゃん強すぎるですー」

「でも、あの、私暴発気味で」

 

 今日はあいの研修会試験当日。様子見の3局のうち1局目が今終わった。あいは相手からの賛辞を謙遜しつつほっとしたのか息を整えている。

 並べられた将棋盤を周って対局を見ていた幹事が八一の隣に来た。

 

「また面白い子を連れて来ましたね竜王。いっそ幹事になりませんか?」

「自分では力不足ですよ。代わりに先生がしっかり揉んでください」

「ほう、では遠慮なく。次は私がやります」

 

 実際のところ八一が講師役などできるはずもなく冗談である。結構な頻度で棋士室にいたり足が軽いので忘れられがちだが八段タイトル保持者の時点で出張稽古料金表には横線が付く。ちなみに連盟を通して詰将棋の作成を一題頼むと諭吉が6枚以上必要だったりする。

 今日の研修会幹事は久留野義経七段。順位戦B級1組に所属する振り飛車党。捌きが際立つ彼等の中で金銀が前進する特異な彼の棋風は泥臭い面も併せ持ち多くの棋士を長丁場の末喰っている。その彼が入会してもいない小学生と指すとあって背後に集まった奨励会員や観戦記者がざわめいた。ギャラリーの中から1人の記者が八一に話しかけてくる。

 久留野が香車2枚を抜かずに一礼。一丁半どころかスーツの上着を脱ぎ半袖シャツとなり本気と見て思わずといったところか。

 

「2枚落ち。そこまでですかあいさんは」

「見ていれば分かりますよ」

「あの子に続く弟子と思えばそうなのでしょうけど…」

 

 端の方で相手を圧倒している竜王の一番弟子を見て記者は呟く。淡々と優位を維持する姿は先程のあいと対照的。既に相手の力量を見切って必要分の力だけを割いている。迫る敗北に焦った相手が強引な一手を指した瞬間天衣の駒が舞った。虚を突かれた相手は崩れだした戦線を再構築出来ず玉を詰まされる。感想戦を済ませさっさと待機場所に戻る彼女がちらりと見てきたので頷くもぷいと顔を逸らされた。

 

「相変わらず小学生の指す将棋には見えないですね。もしかして普段の言動も計算からくるトラッシュトークですか?」

「いえ、あれは素です。ですが優秀すぎて自分には勿体ない子です」

「あ、やっぱりですか。でも天衣さんを御せる時点で師匠してますよ。っと動きましたね」

「なるほど。これはどうです?」

 

 久留野が定跡から外れた変化を示し最善手から外れた為にあいは少し戸惑う。しかしあいはすぐに体を揺らし頷くと久留野の手を否定し殴り合いに飛び込む決断を下した。背後からはやるなぁなど賛辞の声が聞こえる。2局目にして既に弟子は認められつつある様だ。

 

「ん…!」

 

 久留野が脱いだ上着を再び羽織ると自陣に幾重もの罠を張り巡らし始めた。しかしあいは陣の完成を待たず銀を突撃させ相手玉に迫る。それを見て測り違えたと手の平でアイアンクローの如く顔を覆う仕草をした久留野は長考に入った。

 

「こう、こう、こう、こう…うん!」

 

 あいの頭は回転し続ける。この盤面、状態の弟子から勝ちを拾うのは難しい。それを当に分かっている久留野の一手はあいの玉を攻める勝負手だった。しかしあいは自陣を少し見ただけで攻撃を再開。相手が詰みを完全に読み切っていると判断した久留野は投了した。

 

「強い。彼女は文句無しで合格ですよ」

「まだもう1局あります」

「ん、どちらが試験官か分かりませんね。私としてはぜひとも育ててみたいのですが。次の相手は強いですよ。ではお願いします」

「次は…ってあの子ですか!?」

「創多か。何がそのうちだあいつめ」

 

 弟子の前にちょんと座ったのは中性的な少年。ニコニコと笑ってあいに話しかけるが八一は彼の口調にどこか棘を感じとった。あいの表情は久留野が読み上げた角落ちの手合いを聞いて顔を強張らせる。

 

「あなたが八一さんのお弟子さんですね?僕は椚創多。よろしくおねがいします」

「よ、よろしくおねがいします」

 

 初手から定跡を外す椚に対し序盤から持ち時間を使い切る勢いで長考するあい。しかし椚はあいの持ち時間で十分に読んだのかノータイムで返してしまう。そして終盤に生じる圧倒的なタイムアドバンテージ。八一をも認める読みの正確さを誇る椚にとって攻めが途切れ精細さの欠いた指し回しの間隙を突くにそれは十分な時間であった。対するあいは勝負を投げずに序盤の優位で得た手駒を投入し続ける。

 

「くぅぅう、師匠と目標を立てたんです!私は勝たないと…」

「悪いけど僕も君には負けたくないんですよ」

 

 結果から言うとあいは椚に全ての面で上を行かれ蹴散らされた。奨励会で連勝中の椚の実力は在籍する級位と遥かにかけ離れたレベルにあるからだ。八一は勝敗より圧倒的な強敵に対峙した弟子の反応を見ていた。小さな声で投了を告げたあいの目には涙が浮かんでいるが再起する気概はあるようだ。感想戦でも椚の読みに先を行かれているがそれでも必死に喰らい付く様は好感を持てる。

 

「じじょー、すみばせん。負けてしまいました」

「最後まで戦えたのならば良し」

「ぐすっ」

 

 泣きだす弟子に顔を上げるよう促す。研修会員からは賞賛と関心を含んだ視線が送られ認められていることは明白。また感想戦中にあいが椚に再戦を誓っていたので創多にとっても横の繋がりが広まったいい機会だったのかもしれない。

 

「僕も褒めてくださいよ八一さん」

「弟子を可愛がってくれた創多には今度お返しをしよう」

「やったー」

「あーー!ずるいですー。私もごほうびをしょもうします!」

「ちょっと!私にはなにもないわけ?」

「…串カツでも食べに行くか?」

「はい!」 

「ふん!」

 

 あいは入会試験に文句なしで合格し次の例会からF1クラスで参加が決定。天衣は今日の例会で4人目の奨励会員にも辛勝、連勝記録を27に伸ばしD1クラスに昇級した。弟子が躍進すると師として自身も嬉しく思い始めたこの頃。16にして2人の子を持ってしまった八一の明日は何処だろうか。

 




 山城桜花戦が近くなると現れる鵠さん

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