前日よく眠れずぼんやりした頭で地球儀のモニュメントを背後に行列に並ぶ。隣には白シャツとスラックスをシンプルに着用し野球キャップと眼鏡で変装した八一。一見無表情だが平日朝早くからゲート前に集う人の列に驚いているのが分かる。
ところが問題はそこではなく我が身にある。始まりは桂香さんの一言だった。
「ところで銀子ちゃん。当日の服装はどうするの?」
「え、制服を着ていくけど」
「確実に身バレして騒ぎになるわよ」
「むぐぐ…」
ぽやぽやした脳裏に連鎖して八一の身も判明し彼が女性に集られる様が浮かんだ。かなり頭にくる光景である。ということで私服なのだ。年がら年中冬服を着てきた私には一世一代の判断。苦労して用意した帽子にニット、キュロット、タイツは肌を出す服装でこそないがまず落ち着かない。野田で待ち合わせた八一が一言似合っていると言ってきたことも一因だ。
「どうも開園が早まったみたいですね。早く来て良かった」
「走ってる」
後ろを見ると長蛇の列。そして前方には入場ゲートを潜り目当てのアトラクションに向けてダッシュする客の姿。一部からは闘志すら感じるガチっぷりに2人して気圧される。
「そう言えば新しいアトラクションが目当てでしたか。そろそろ教えてくださいよ」
「最初にトリリオンパークでその後ワンダーエリアその次にハリエットの魔法エリア。最後にドラゲキンハント・ザ・リアル。パスで時間指定してるからゆっくり周っても夕方には帰れる」
将棋一筋だった私達にとって元となった作品を知っているエリアは皆無。よって明らかな絶叫型コースターだけ私が倒れかねないので除外して後は第一印象で決めた。普通の遊園地に行けという文句は受け付けない。
話している間にゲートが目の前に来る。
「走る」
「え…大丈夫ですか?」
「開園直後は予約出来ないの。早く来たのに後ろに追い越されるなんて腹立つでしょ」
「はあ」
歩こうとする八一の手を取り走る勢いでぐいぐい引っ張るとすぐに抵抗は無くなり逆にリードされる。これはなかなかいいものだ。
だが目的地は敷地の奥に位置する。次々と後ろから追い抜かれむきになって完走した私の息は途切れ途切れ。待ち時間300分を記録したアトラクションを最初に狙う考えの人はそこそこいるらしい。
「けほ、ほら、そんなに並んでない」
「水です」
繋いでいた手を離して鞄から水筒を取り出す八一。受け取って冷えた水で喉を潤すもコップを返して気づいた。このまま惰性で離さないつもりの手を放してしまった。私は未練がましく八一の綺麗な手を見てしまう。
「ありがと」
「自愛してください」
「えっ」
注意と共に望んでいた物を差し出されて困惑する。
「無茶しないようにです」
「うん…」
順番が来たアトラクションは夢見心地だったと言っていい。後々振り返っても手の熱さ以外何も覚えていないのだから。
普段なら仏頂面で眺めていること間違いなしのストリートショーも今なら楽しめた。キャラクターとパフォーマーがコミカルに跳ねる。人を楽しませることを一心に非日常を作る彼等は尊敬に値する。
「トリリオンと一緒に写真を撮りたい人は前へどうぞー」
「行きませんか?」
少し惹かれたがそんな柄でもないと立ち去ろうとして八一に止められる。そして戸惑っているうちにあれよあれよと手を引かれ着ぐるみの前に連れて来られた。
「やっぱりいい」
「まあまあ。弟の我が儘も偶には聞いて下さいよ」
「ご姉弟…ですか?カッコいい弟さんですね!笑って笑って―。はい、バナナ!」
「あ…」
恐らく俯いてはにかむ私が映っただろう。こればかりはいつもの私だ。
遊園地で定番らしいティーカップや回転遊具を巡る。どの遊具も生まれてこの方乗ったことが無い故におっかなびっくりだ。聞けば八一も初体験だと言う。小さなことで嬉しくなれる。
「これこっちの操作で上下するらしいです。良く出来てますね」
「私が動かす」
「はいはい」
「あの赤毛むくじゃら。頓死させる」
「キャラに怒らないでください」
「これは、取り敢えず回せばいいんでしょ」
「どうぞ」
「…何か悪手の気がするからやめとく。八一、何か知ってたでしょ」
「気のせいです」
「口端が動いた。吐け」
家族連れに混じって本気で遊んだ密度の濃い時間だった。人気のイタリアンレストランでピザを食み振り返る。歩き回って少し疲れた足を休めるに落ち着いた雰囲気の店内は丁度良い。加えてテーマパーク内ゆえ割高だが普通に料理が美味しい。驚きである。
「しかしイタリアンなんて久々に食べました」
「そう?探せば会館周りにもある」
「ほとんど弁当だから目に入らないんですかね」
八一は歳の割に早起きだし朝に時間もある。雑とは本人談で桂香さん直伝の家事スキルは主婦並に高く外食の必要性を感じていなかったのだろう。最近は小童と出かける様で…。
「ふん」
「どうしました?」
「別に。次外食に行く時は誘って」
「分かりました」
魔法をテーマにしたエリアで杖を振り菓子を摘まむ。もう最初の受け身な姿勢は抑えて主体的に楽しむことに決めた。斜に構えて下らないとするに八一と過ごすこの時間は楽しすぎる。幸いテーマパークとはそんなものだ。そうすると時間はあっというまに過ぎ最後のアトラクションが来てしまった。
「竜王を狩るんですか。またなんとも歩夢が喜びそうな設定だことで」
「職業は騎士ね」
どうもコントローラを振って画面上の敵を倒す体験型らしい。アトラクション前には子供から大人まで広い世代の客が列をなしている。勝負事とあればやることは明白。
「いやでも、流石に前衛のみはまずいですよ」
「何が?」
「あの、バランス、ですかね?普通に負けもあるそうですし今からでも自分が僧侶に」
「回復職の竜王とか認められるわけないでしょ。いいからやられる前にやるの」
そして最後に出てきた竜王の強烈な一撃を受けて負けた。しっかりと防御をしなければいけないらしい。
「…もう一回」
「…自分もそう思っていました」
音声が情けないとか貶してくるのが本当にムカつく。誰に向かって竜王には勝てないとか言っているのだ。私達は再挑戦するべく無言で券売機へと足を進める。都合3回挑戦して完全勝利した時には疲労で腕が上がらず日も暮れてしまった。癪だが八一が時計を気にしだしたので桂香さんへのお礼と各々記念品を見繕って帰ることにする。
帰宅する大勢の客に混じって電車に揺られる。ユニバから帰る客と社会人や学生が合流して結構な混雑だがしっかりと八一が守ってくれる。彼もインドアの筈だが隣に押されてびくともしないあたり鍛えているのだろうか?たった一駅分の時間なのが勿体ない。
「将棋の無い一日とはこんなものなのですかね?」
「待ち時間に結構したでしょ」
「そうでした」
私達にそんな生活は色が薄くてありえない。だが邪魔と切って捨てるには右手の感触は惜しい。対面で将棋を指すだけはこの熱は感じられない。だから偶に、本当にごく偶に端の方へ置くくらいなら良いかもしれない。
「ではまた明日」
「うん」
野田駅からの帰路。今日の体験を脳裏で繰り返していると直ぐに清滝邸に着いてしまった。玄関から漏れる明かりに八一と揃えたストラップを翳す。よほどニヤニヤしていたのだろう背後から声をかけてきた桂香さんの顔は引き攣っていた。
あねでし は ちからを ためていた