指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第二十五話

 いつもの様に暖簾をくぐった八一を迎えたのはここの主の奥さん。普段は娘が番台に立つので珍しいと思いつつ挨拶をすると生石はいないので先に銭湯でもと勧められた。一番風呂も偶には良いかと弟子と別れて脱衣所に向かう八一。

 男湯に入って苦い表情でシャンプーを手に取る。目に染みる髪洗いが苦手なのでさっさと済ませるのが定跡の八一。目を閉じたまま手探りでシャワーヘッドを探していると誰かに手渡された。

 

「あの…流しましょうか?」

「…っ!?」 

 

 ガラス戸が空いて誰かが入って来る音は聞いていたが他の客だろうと気にもかけなかった八一の思考は飛ぶ。混浴だったかなどと突拍子もないことを考え出す棋界最高峰の頭脳。固まっているうちに了承とみなされたのか泡を洗い流されてしまう。

 

「何しているんですか飛鳥さん!?」

「えっと、背中を流そうかと、思って…」

 

 咄嗟に振りむこうとする身体を抑えて問うもハンドルを戻しに出てきた彼女の姿が目に入ってしまう。幸い体操服とショートパンツを身に着けていたものの心臓に悪い。

 

「どうしてそうなる…とにかく出て行ってくれませんか」

「…あぅ、でも」

「話なら外で聞きますから」

「…わ、わかった」

  

 彼女が浴室を出たのを確認して湯船に浸かる八一だが彼の心労は貯まる一方である。

 

「それでどうしてあんなことをしたんですか?」

「わ、わたしのお母さんが」

「…」

「お、男の人にお願いをする時は…い、い、一緒にお風呂に入ると言うことを聞いてくれるって…昔のお父さんもそうだったって…」

「はあ…」

 

 その後十分に時間を空けて飛鳥と対面した八一。動機は回り回って父親のせいだった。一体何の願いが引込み思案の彼女をそこまで駆り立てたのやら。八一は頭を抱えて続きを促す。未だ顔を真っ赤にしたままの彼女は真剣な表情で口を開いた。

 

「りゅ、りゅ、りゅ…、りゅうお…」

「落ち着いて」

「すぅ、はぁ…りゅ、竜王にお願いがあって……わた、私に……将棋を教えてください!」

 

 

 

 

 才能とは何だろうか。誰もが自分に史上最高峰の才能を持っていると言う。だが自分は煌きだとか金色の脳細胞みたいな高尚な物を持っているとは思わない。確実に持っていると言えるのは将棋に巡り合えた奇跡、十全に指せる環境と大きな運。そして将棋が好きだという感情だけだ。

 

 

 

 

 その後の展開は早かった。勢いのまま父に将棋を指したいと積もった想いを告げた飛鳥と棋士の親として才能が無いと斬って捨てる生石。2人の諍いは表面上激しい物ではないが道場中の客が横目で気にする程度にはピリピリした空気を発していた。

 

「駄目だ。将棋はやめろと言った」

「…お父さんからは教わらないよ。八一君に教えてもらうから」

「おい!」

「…」 

「八一、後で覚えていろよ」

 

 ギロリと生石に睨まれるが八一はどこ吹く風とばかりにそっぽを向いた。竜王が後ろに付いていると思い舌打ちした生石は最後の手段とばかりに娘の心を折りにかかる。竜王の一番弟子より将棋歴4ヵ月という才媛に敗北した方がダメージが大きいと判断してあいを呼ぶ。

 

「あいちゃん、ああ、雛鶴の娘さんの方だ。娘と1局指してくれないか?」

 

 急に呼ばれたあいが恐る恐るやって来る。途中まで近づいて来た天衣はピクリと反応して迷った末八一の隣に構えた。

 生石が言外に負けたら分かっているなと娘を睨み飛鳥も真逆の意を視線に乗せる。楽しいはずの将棋で殺伐とした空気を生むことに怯えたあいは師に助けを求めた。しかし八一は天衣にあってあいに無いものを育てる為に突き放す。

 

「し、ししょう…」

「あいは研修会に入った時点で他者の棋士人生との交わりは避け様が無い。この場で指さないのは良いが指せないというのなら女流棋士になれない」

「あ…」

「親に切った啖呵はその程度の物なのか?」

「わ、わたし…やり、ます!」 

 

 青白い顔になりつつも言い切ったあいの背を押す八一。彼は信じていた。そう悪い方向には神様が行かせまいと。

 

 

 

 

 残っている客達が自分の対局を終わらせ囲んで観戦する中あいと飛鳥が対峙する。振り駒の結果先手はあい。飛車先に続けて角道を開けるあいに対し飛鳥は中飛車一直線。以前の相掛かり一辺倒な弟子を思わせるそれに八一は頷く。

 しかし中飛車の気配を察したあいは玉をそのままに銀を前進させた。飛鳥が美濃囲いを完成させるも銀の前進は止まらない。

 

「…超速」

 

 奨励会で生まれたゴキゲン中飛車対策を前に苦しみながらも飛車を進める飛鳥。60手もすると大駒が互いの駒台に乗る激しい切り合いが発生した。

 

「ッ!?うっ…く!」

 

 あいが飛車先突破を成し形勢はあいに傾き始める。必死に敵陣で馬を作った飛鳥に2枚目の飛車が襲い掛かる。だが飛鳥の目に諦めの色は無い。

 

「おい飛鳥。どこでそんな手を覚えた」

「…道場のお客さん達だよ」

「なにぃ?」

「頼まれたら断れないですって」

「”飛車は振っても女の子は振るな!”が俺達の合言葉じゃないすか!」

 

 頭を抱えた生石はそれでもどこか嬉しそうに呟く。

 

「この振り飛車バカどもが…」

 

 飛鳥が徐々に守りを削られながらも飛車を取り返す。既に手数は100を超え一方が素人の対局の様相では無い。生石に睨まれた客達も飛鳥の吐露を契機に表立って応援をし始めた。ここ数ヵ月八一に指導され続けた彼等はいつか竜王を負かすと集まっていたのだが飛鳥もそれに混ざっていたのだ。

 

「私は将棋が好き!中飛車が大好き!こんな私でも正面から思いっきり気持ちをぶつけられるから…私は将棋を止めない!私の中飛車は――道だ!!」

「…よく言った」

「こう、こう、こう!…うん!」

 

 しかし既に対局は終盤を迎えあいの苛烈な攻めの前に飛鳥の守りは崩れてしまう。飛鳥は自陣に持ち駒を打ちつけ受け続けるがそれも途切れた。まで、121手で先手あいの勝ちである。

 

「…まけ、ました…うっぅぅー」

「…ありがとう、ございました」

 

 しんと静まり返った道場に飛鳥の嗚咽が響く。それを遮ったのは悪の竜王の一言だった。

 

「では飛鳥さんが負けたので彼女は将棋を指さないということで」

「おい、竜王!さっき飛鳥ちゃんの味方面してたろ!」

「やっぱり居飛車は空気を読まない!」

「竜王の血は何色だ!」

 

 こと今回に限っては味方だと思っていた八一の言葉に怒りの声を上げる客達。騒動の中八一は生石にヘッドロックをかけられピアノの影に引き込まれた。普段クールに振舞う玉将の姿はそこにない。

 

「おい…そこは、こう、どうにかして俺を説得する場面だろ」

「素直に教えてやるって言ったらどうですか?」

「…」

 

 生石は少しの逡巡の後ぼろぼろと涙を流す娘に近寄り口を開いた。九頭竜一門含め周りの客も静まり返って耳を傾ける。

 

「なに泣いているんだ。俺は一言もあいちゃんに負けたら将棋を止めろなんて言っていない」 

「え…」

 

 確かに口には出していない。それ以上に濃厚な意思を叩きつけていたが。決まりが悪そうに髪を弄った生石はぶっきらぼうにその言葉を告げる。

 

「八一なんかに教わるくらいなら俺が教えてやる」

「いい、の…?」

「いいも何もお前、ダメだって言ったのに結局やってただろ。それに、まあ、さっきのはいい将棋だったからな」

「…わ、私…が、頑張るから…自分に才能が無いのは、わかっているけど…お父さんみたいに、頑張るから…」

「言っておくが厳しくするからな!ったく」

 

 成り行きを見守っていた客達が騒ぎ出す。泣き笑いをしだす飛鳥に憮然とした生石。隅で妹分の勝利を辛口に祝う天衣とそれらを眺める八一。収拾がつかないかと思われたそれは玉将の奥さんが一喝するまで続いた。

 

「…中飛車は強いな」

 

 

 

 

 先も見えず真っ暗な中、報われないかもしれない努力を続けさせるもの。それらを総じて才能だと思っている。

 

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