指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第二十九話

「非常に不本意だが俺が九州に行く間飛鳥の相手をしてやって欲しい」

 

 PCと将棋盤に向かい黙々と研究をしていた八一がスマートフォンの着信通知に気づいたのは休息がてら部屋を出た時のこと。発信元はこの数ヵ月でやり取りが増えた生石玉将。その声はクールな印象の彼にしては珍しく焦りを含んだものだった。 

 

「護摩行ですか」

「それだけならいつものことなんだが…あー、カミさんが実家に帰っちまってな」

「はあ。さっさと謝ったらどうですか」

「大昔のことを喧嘩で蒸し返されてな。引けなくなった」

 

 事の次第を聞けば何の変哲もない夫婦喧嘩だ。しかし娘の命名を飛車としようとした16年前の悪手が効いていた。恐らく彼は一生パートナーに勝てないだろう。

 

「飛鳥にやりたいことができたからには銭湯を任せっきりというのもな。というかカミさんもいないなら火もおこせねえし」

「そういうことなら喜んで」

「まあ頼む」

「ところで例年より護摩行開始が遅いですけど飛鳥さんに教えっきりだったのでは…」

「じゃあな!」

 

 ぷつりと切れた通話に苦笑する八一。ほんの少し前まで娘が将棋を指す事に反対していた生石だが自身のルーチンをずらしてまで指導を行っていたのだ。

 

「弟子をとらないのはこれか?」

 

 そして東梅田の将棋道場にて将棋盤を並べる今の状況に至る。飛鳥の通学路上に位置していたことと弟子をアマ強豪へぶつける意図も相まっての選択だ。ちなみに銭湯は臨時休業、道場は常連に任せてあった。

 しかし時間が早く相手がいない為最初は八一の対面に弟子と飛鳥が座る。ようやく駒の持ち方が様になってきた弟子に対して親の指し方を左手で見事に再現する飛鳥。ももに手をつき身体を揺らすあいと動かずじっと盤を見つめる飛鳥の姿も対照的だ。

 そこら辺は触れていた時間の差かと心中で頷く八一である。

 

「こう、こうこうこう…だめ。こうこうこうこう…」

「うぅ…」

 

 2つの盤上には攻防優劣が逆転した戦場が描かれている。片や苛烈な竜王の攻めを前に得意の攻めをさせてもらえず、片や普段と一変した固い守りを前に開戦時の勢いを無くして停止してしまっていた。

 

「攻め、られない…」

「そう見せているだけだ」

「これ…で!」

「そこは殺し間ですよ」

「っう!」

 

 差し込む光の如き細く鋭い攻めが相手陣を切り開き頑強に紐付けされた駒達が鋼鉄の如き固さで自陣に入り込んだ不埒物を押し潰す。記憶のそれと比べてあの人達にはまだ届かないなと苦笑する八一。

 彼は幼い頃から変わらず最強の剣と鎧を求め続ける欲張りなのだ。

 

「ししょー強すぎですー」

「簡単に弟子に負けてたまるか」

「ぶー」

 

 八一は弟子に文句を言われて誇らしげに言葉を返した。2人のやり取りを微笑まし気に眺めていた飛鳥は道場の入り口に見知った人物を見た気がして首を傾げる。しかしすぐに雑踏へ紛れたそれを見間違いと判断して言及することはなかった。

 

「飛鳥さん?」

「っごめん!」

「将棋普及指導員を目指すなら推薦人が必要ですが…生石さんがいいですよね?のんびりしてると認めてくれませんよ?」

「う、うん」 

「では次。他の客とも指してみましょうか」

「ええっ!」

 

 ゴキゲンの湯で将棋を覚えた飛鳥にとって顔も知らない他者と将棋を指すのはほとんど初めてのこと。内気な飛鳥には結構な勇気のいる行為であった。

 その後数人の客と早指しを繰り返すと良い時間となった為お開きになる。あいも満足に指せたのかほくほく顔でお腹を空かせている。

 

「今日は…あ、ありがとう!」

「はい。また明日」

「飛鳥さんまた明日ですー」

「う、うん。じゃあね」

 

 大阪駅で飛鳥と別れて一駅。街灯と車のライトで明るい通りを家に向かい腹を満たして将棋盤に向き合う。将棋漬けの日々であった。  

 

 

 

 

 6連勝、9勝3敗、11勝4敗、13勝5敗、15勝6敗。それが研修会でクラスを上げる為の条件だ。しかしここ数ヵ月の私は7割どころかB(降級点)が付くか付かないかの勝率が続いている。

 私は4年前から成績がふるわず一昨年1度D1クラスへ落ちてからC2クラスへ戻ってくるのに1年かかった。ここに5ヵ月でD1クラスなんてものを見せつけられては嫉妬より畏怖が大きい。

 研修会員40名のうち彼女と例会で対局していないのは僅か9名。別に一巡する決まりもないがクラス差の小さい相手をわざわざ外す理由もない。間違いなく次かそのまた次の例会で私は彼女と戦うこととなる。

 加えて例会の度に圧し掛かる降級と退会期限の重圧もあり最近の対局は思うように指すことができていない。考えるまでも無く負の連鎖から抜けられなくなっていた。

 もう自力での復調を望めないと判断した私はこれだけはしたくないと思っていた手段に手を出そうとしている。

 

「私と研究会をしてほしいの。…少しだけ先生の時間を私にください。そうしてくれたら私は、残りの一生をかけて、先生に尽くしますから…」

 

 女王戦をストレート勝ちして帰って来た姉弟子に祝いの言葉も早々床に手を着き頭を下げた。研究会は指導とは違う。互いに温めた戦術を持ち寄るに自分と彼女の実力は不適正。数秒の沈黙が続き悲鳴の様な返答が返ってきた。次に弱弱しい力で体を起こされ抱き着かれる。

 

「やめて!桂香さんの為だったら私は何でもするよ!どうしてそんな言い方をするの?」

「ありがとう銀子ちゃん…ごめんなさい」 

 

 こびり付いたタールの如く黒い感情が割れた心の隙間から染み出す。汚い打算から出たパフォーマンスは大切な家族を傷つけた。立てかけられた姿見の中から見つめ返す自分の顔は醜く歪んでいた。

 

 

 

 

 二十才のわたしへ――――

 

 

 わたしの夢はかないましたか?

 




 ぐさぐさざくざく。そういえば昔住んでいたとこの幼稚園にタイムカプセル埋めたような気がする。
 あとは銭湯のボイラーが小型なのかとか資格はとか脱線したことを調べてました。私も番台になりたい。

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