指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第三十話

 定跡や流行をなぞるだけの芯と伸びのない将棋。姉に下されたその評価を証明するかのような惨敗。先日の例会で私は1勝もすることができずにB(降級点)が付いた。これを消すにはまず3つの白星がいる。しかし曲がりなりにも重ねてきた努力に自信を持てなくなった今の私にその条件は厳しいものだった。

 

「温すぎる。軽率な手が多すぎる。まるで考えていない」

「っ…」

 

 目の前には私の棋譜を見て辛い指摘をする姉の姿。久しく他者から聞いた厳しい言葉につい降級と退会が迫る心情を吐露してしまう。

 

「それでも指すのよ」

「どうやって?」

「積み上げてきたものを使って」

 

 今まで膨大な時間を費やしてきた定跡や詰将棋の知識は言わば答えを見て解いた問題集。数をこなしソフトで全てを解析したネット将棋の対局も今や大した価値を見出せない。

 だが姉は部屋の隅に積み上げられたノートの束を指して言う。

 

「自分で考えることが出来る様になればこれも武器になる」

「でもこれは研究会で学んだ戦法とかプロの先生の意見しか書いていないただの…」

「桂香さんは流行に乗せられて経験の優位を自ら捨てているだけ。桂香さんは本当は強いの」

 

 自分が強いなど敬愛する姉の言葉と言えど冗談にしか聞こえなかった。呆然としているとぐいと手を掴まれて部屋から連れ出される。

 

「どんなに才能があっても自分が揺らいでいては実力を出せない。洗礼を受けて復調した棋士の話は有名でしょ?」

「…」

「もっと自信を持って指しなよ!勝負事においてはそれが一番大事なんだから!」

 

 姉の部屋に叩きこまれ激しい口調で詰め寄る彼女に私は気圧される。返す言葉を探していると彼女は机に備え付けられたキーボードを叩いた。スリープ状態を解いた画面に映し出されたのは将棋盤。テロップには遥か高みに立つ兄の名前が書かれていた。

 

 

 

 

 1局わずか1時間足らずで決着が付く早指し対局の駒王戦。頂上決戦の三番勝負でさえ1日で完結してしまう非常にスピーディなタイトル戦である。

 竜王のタイトルを持っている八一はシード権を得て二次予選から参戦。挑戦者決定リーグの参戦をかけて今日2度目の対局を迎えていた。

 

「九頭竜くん!」

「こんにちは山刀伐さん」

「今日はよろしく」

「こちらこそ」

 

 昼休みを近くの公園で過ごし時間ギリギリに会館へ戻って来た八一を迎えたのは山刀伐。挨拶もそこそこにエレベーターに乗り5階の御黒書院へ向かう。八一は対局室に控える記録係と観戦記者に挨拶を終えると飲料と扇子を脇に並べて駒箱に手を伸ばした。

 2人が駒を並べると若干急ぎ足の記録係が駒を振り山刀伐の先手が決まる。かくしてやや定刻から遅れて対局は始まった。

 

「キミと戦える日をずっと待ってた」

 

 初手から相手の駒の音に被せるかの如く間を置かず手が進められる。これは秒読みを無くし一手指すごとに持ち時間が加算されるこの棋戦のルールにも起因した。追加される時間以内に指せば持ち時間を増やすことにもなる為これは良く見られる光景である。

 しかし山刀伐は一瞬だけ手を止めニマァと笑みをこぼす。八一が角道を開け5筋の歩を突き飛車を中央に振ったからだ。

 

「ふふ、ふふふふ。それでこそキミだ」

「…」

 

 持ち時間の少なさから経験と事前研究が物を言う早指しで道理を外して飛車を振る八一。相手の棋譜を全て並べてなお対策しきれない宿敵を満面の笑みで迎え撃つ山刀伐。記録係と観戦記者の2人は口の中が乾くのを感じつつも将棋盤から目を離さない。盤上の駒が荒れ始めたからだ。

 

 

 

 

 山刀伐尽八段の角道を開ける一手で火蓋が切られた駒王戦二次予選2組決勝。同じく7四歩とした後手は前期の駒王戦でも挑戦者決定リーグに進んだ九頭竜八一竜王。両者異なるアプローチで早指しを得意としている注目の一局だ。

 対局前の一言で挑戦あるのみと竜王は述べ眼前の対局はその言葉を体現していた。普段の慎重な駒組みを脱ぎ捨て序盤から駒を捌き文字通り駒を飛ばす九頭竜。堂々とした手つきで駒を持つ竜王に一切迷いは見られない。

 2人は定跡に乗り加速し続け持ち時間をほとんど使わないままその時を迎える。36手目九頭竜が定跡から外れる新手を指したのを機に記録上未知の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 悪路に入っても両者の指し手は緩まない。自玉の守りを最低限に攻める八一とそれを受ける山刀伐。八一は速攻で組み立てた2段ロケットを敵玉に突っ込ませる。そして減っていく味方を気にせず竜王の尖兵が敵玉の頭を押さえた次の瞬間状勢は変わった。

 八一の手が初めて止まり記録係と観戦記者の驚嘆の溜息が漏れる。

 

「…顔面受けですか」

「これくらいで止まるキミじゃないよね?さあ、続けよう?」

 

 元手となる手駒はここまでの強引な攻めで残り僅か。自玉の守りは穴が開きこちらの攻勢は停止している。研究勝負の敗北を悟った八一は迫る敗北の音を背に水を一口含み姿勢を正す。次いで両手でズボンを握り前傾姿勢をとって視界を将棋盤で埋めた。 

 八一の頭の中で星の数程の可能性を経験に基づくフィルターで透かして見た生存の道が一瞬光っては消える。しかし幾重もの敗北と死を重ねてなお目の前の壁は破れない。そして早指しゆえの持ち時間の少なさが試行回数を制限した。

 

「ぐっ…」

 

 敗北の足音が近づき八一の呻きが漏れる。普段なら嗅ぎ分け突破する綻びが見えない布陣を前にして遂に脳内の将棋盤がブラックアウトする。舌打ちを抑えて縋る様に再起動した将棋盤にその駒は光明の様に逸早く現れた。それは多くの場面で活躍し最も信頼する駒。その瞬間空想の駒達が動き出し強く光る道を創り出す。

 山刀伐が何かを言っているが聞こえない。じっと自分の駒台に乗る駒を見つめ脳内の将棋盤と現実の将棋盤を重ねて手の震えを抑えながら敵玉に詰めろを掛けた。

 

「形作り?いやキミはそんな気質じゃ…」

 

 既に一手ごとに追加される持ち時間で命を繋げる現状。駒を持つ時間すら惜しい。間髪入れず打たれた飛車から玉を遠ざけ続く桂馬を歩で取って王手を受ける。そしてその時はやって来た。

 

「…銀?」

 

 6四から玉を狙う角を打つも銀で受けられた山刀伐はこちらの持ち駒である桂馬を見て顔を強張らせた。ここぞと貯めた持ち時間を消費して慎重に龍を動かすも再び銀に道を阻まれ手を震わせる。

 

「また銀…そんな!?」

 

 次に打つ駒を求めて駒台へ伸ばした手を力なく下ろした山刀伐は茫然自失の体で自玉を動かす。ノータイムで敵玉の背後に角を撃ち込む八一に対し香車で王手を掛ける手つきは見るからに重い。

 連続王手が途切れぽつりと投了の声が伝えられたのは持ち時間が無くなる数秒前であった。

 

 

 

 

「この研究、名人との共同だったんだ。キミとの対局に向けて何でもしたけど…負けちゃった」

「多方に助けを貰ったのはこっちも同じですよ」

「そっか。キミから目を離したのは悪手だったかもね。珠代くん共々またお世話になろうかな」

「お手柔らかにお願いしますよ…」

「ふふ」

 




 遅くなりました。今回の言い訳はお部屋暑すぎ。ぱしょこんつけるともう…ね

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