指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第三十二話

 大盤を前に久留野幹事が出席確認を終え戦法講座を開始した。しかし普段賑やかに手が挙がる場面で会員の子供達が下を向く。場のピリピリした空気を察して隣の様子をうかがっているのだ。

 

「あわわ…これが研修会」

「普段はもう少し落ち着いてますよ」 

「そ、そうなの?」

 

 襖を解放して作られた大部屋に並べられた将棋盤を遠目に八一と飛鳥が例会の様子をうかがう。彼女がここにいるのは研修会の空気を知ってこいと九州から天邪鬼のオーダーがあったからだ。間違いなく天衣、あい、桂香の背景を知って今日を指定してきた。厳しいようで一人娘に過保護な親。八一の生石に対する印象である。

 

「桂香さん…」

「あいが気圧されてますね」

 

 飛鳥は弟子2人が心配ではないのかと八一を見るも結果を受け入れる覚悟があるのか弟子を信じているのかその表情には変化が見られない。そして視線を正面に戻した飛鳥は公開された手合いを見て紡ぐ言葉を失った。

 

 

「ん、誰も質問はないようですね。では本日の手合いを告げます」

 

 普段と何ら変わらず久留野は手合いを公開した。ホワイトボード上では第2、3局目に八一の弟子達と桂香の名が線で繋がれている。誰もが予期していた組み合わせ。澪と綾乃まで顔面蒼白となる。

 背後に如何な個人の事情があろうと例会は粛々と進められ重い足取りで将棋盤に散った会員達は張り詰めた空気を気にしながらも対局を開始した。

 チェスクロックと駒を打つ音が鳴り始めると子供達も幾分調子を取り戻すが場の支配者はそれを許さない。 

 

「ま、参りました」

 

 呆然とした表情を顔に浮かべその言葉を発したのは1人の男子中学生。対面には厳しい表情を崩さない桂香。相手のミスを突いたとはいえ過去の対局成績で大きく負け越していた相手を圧倒。久留野は前回の例会との違いに驚嘆の溜息を付いた。

 次いで危なげなく天衣が対局を制し後方の八一達を一見鼻を鳴らす。あいは精彩を欠く手が続き普段の攻めができないままずるずると1勝。救いを求める様に周りを見たあいは八一を見つけ肩を跳ねさせた。

 

「あいちゃん…」

 

 目の前の相手を見ない対局は八一の教える将棋ではない。八一を見て先の対局が師の目にどう映ったかに思い至ったのだろう。彼女はその焦燥で飛鳥が視界に入らない。今彼女が最も思い返すべき存在に気づかない。

 

「よ、よろしくおねがぃ…」 

「よろしくお願いします」

 

 淡々としながら存在感のある声を前に尻すぼみの挨拶は掻き消された。振り駒の結果あいに先手がまわる。挽回しなければという一心で手の震えを抑え5六歩と進めるあいに対しノータイムで飛車を動かす桂香。飛車が横一直線に向かう先は3筋。普段の桂香からはかけ離れた戦法を前にあいは動揺で手を止めてしまう。

 

「三間飛車…?それなら!」

 

 あいは大きく頭を振って中飛車として穴熊を組み始めた。

 

 

「桂香さんがここで飛車を振るなんて!」

「姉弟子からあいの傾向を聞いていたのでしょう。プレッシャーをかけたのも視野を狭めて選択肢を絞るため。そして押し続けあいを型に押し込めた」

「あう、お父さんから清滝先生のことを聞いてたから。その…」

「確かに師匠は頑固ですけどそういうのは昔に言われたくらいですよ」

 

 実際のところ幼い八一と銀子に振り飛車を禁じた程の居飛車党なのでその感想は間違っていない。桂香は清滝鋼介の娘という印象すら味方につけた。

 

「三間飛車の中でも攻撃的な石田流。それに対して穴熊を組むのは最新型ですがそれはあいの棋風に合わない」

「すごい。桂香さんはそこまで」

「…大元は覚悟の差です」

 

 こればかりは本人で解決しなければいけない。自ら戦いの日々に入った自身の体験は役に立たず師として弟子にもっとしてやれることがあったのではと八一の声に硬さが含まれる。それを聞きやはり桂香とあいの対局に八一も思うところはあるのだと飛鳥はしばし迷った後一呼吸して口を開いた。

 

「だ、大丈夫!」

「はい?」

「や、八一君は悪の竜王さんだから…私の時の様に最後には皆笑っていると思う」

「…」

「ゎらわないでよ…」

 

 飛鳥の言に迷っていたのは自分もだったかと気を引き締める八一である。弟子を信じどちらの結果になろうと師として迎える。事ここに至って後ろ向きな考えをしていたらしくない自分に活を入れる。

 

「攻めが重い。駒損なんて気にするな。角なんて駒はさっさと捌いて相手にくれてやれ。考えるな!痺れる心で指すんだ」

「へ?」

 

 八一から急に有り得ない言動を聞いて固まる飛鳥。

 

「と生石さんは言うでしょうね」

「あ、はは…言いそう」

 

 目を戻した盤上ではあいが動きを見せていた。

 

 

 あいが穴熊を組み終わる前に美濃囲いを選択した桂香の攻勢は始まった。未完成の陣に小駒が次々侵入してその綻びを拡大していく。八一やあいの様な一気呵成といった攻撃ではなく一手一手着々としたそれは不慣れな将棋に苦戦するあいの首を確実に絞めた。

 

「っ!」

 

 桂香が駒に伸ばそうとして思いとどまる様に膝に手を戻す。あいが桂香の研究から外れんと暴れる度に必死に型へと抑え込むこと数度。彼女のスカートは握りしめられ伸びて皺が寄っている。そして盤上を睨んだ桂香は自軍の角を手に取り端に叩きこんだ。

 

「えっ!」

 

 即座にあいの飛車が追いすがり桂香は角を下げてしまう。次いで飛車を戻し馬を作って怒涛の攻めに入ろうとしたあいの手が止まった。桂香が打った小駒により攻勢の要のはずの飛車が動けないのだ。

 

「うっ…ううう…」

 

 あいの持ち時間が少なくなった頃嗚咽が部屋に響いた。ぼたぼたと流れる涙の滴に次の言葉を待つ桂香も僅かに揺らぐ。しかしあいの口から出た言葉は投了の一言ではなかった。

 

「ごめんなさい…わたし…け、桂香さんのこと大好きで……ふらふら、いろんなこと考えて…ぐちゃぐちゃの将棋さして…」

「…」

「でも…それでもわたしは、負けたくない!」

 

 馬を手に涙でぐちゃぐちゃの顔を上げるあい。その瞳は真っ直ぐに前を見据え光を灯している。戦意を見て取った桂香は警戒しつつも小さな手の行き先を見つめ己が目を疑う。

 

「馬を…」

 

 桂香が馬を取ると間髪入れずにあいの飛車が飛んだ。行き先は下段で遊ぶ桂香の角。飛車まで切るあいの手に対し震える手で答えた桂香を更なる未知が襲う。

 

「…ただ!?」

 

 駒の突撃は止まらず目まぐるしく盤面が変化する。最早桂香はあいの意図が理解できず駒の損得で己の正当性を補強するしかない。居飛車党の感覚を持った桂香にはそれこそ理解できない次元。だがあまりに細い攻めが途切れることはなく局面は徐々にあいへと傾いていく。

 捌きの真髄がそこにはあった。

 

 

 

 

 完璧な序盤だったはずだ。セオリー通りでこそないが事実あいちゃんには刺さったし優勢だった。飛車を狙ったのも間違いではないと言い切れる。飛車はあいちゃんにとっての憧れにして心柱のはずだから。

 あの馬切りからだ。強大な才に嫉妬しそれ以上に気圧されて最善手で日和った自分に腹が立つ。身を切らずして勝てる程甘い相手ではないというのに自分は!

 

「まだ!まだよ!!」

「こう!こう…こうこうこうこうこうこう!!」

 

 負けたわけではない。自分は投げない。迫る必至から玉を遠ざける。オッサンのような嫌がらせはお父さんから見て盗んだ。相手の攻めが細いことは事実。幸い持ち駒は駒台から溢れんばかり。入玉を狙いつつ敵玉にはプレッシャーをかけ続けることでミスを誘う。

 

「…ぁ」

 

 入玉するために盤を昇っていく自玉はまるで私の様で。立ち塞がる駒達にあいちゃん達を幻視して。最後に現れた桂馬に泣きそうになるが不思議と反感は浮かばなかった。姿勢を正し駒台に手を翳して頭を下げる。

 

「負けました」

 

 瞼の裏で幼き私が夢を見失うなとぺしぺし叱咤してくれている。

 

 

 

 

 誰も音を立てない永遠とも思える数秒を経て桂香が口を開いた。

 

「あいちゃん」

「あの…桂香さ…」

「ありがとう。ずっと気まずい思いさせちゃってごめんね」 

「け、けいかさぁん…」

 

 忘れていたかの様にだばだばと再び泣き始めるあいに感想戦を申し込む桂香。その目は未知の将棋を暴いてやろうと燃えている。

 

「いい将棋でしたね姉弟子?」

「ふぇ!」

 

 背後にいきなり問う八一に何事かと振り向いた飛鳥は氷雪の姫を見る。

 

「全部終わったら、ですよ」

「…うん」 

 

 今すぐにでも桂香に突撃しそうな姉へ牽制する八一。そう、まだ彼女が歩む夢への道は終わっていない。

 

 

 

 

「不戦勝で女流棋士になってしまうかと心配したわ」

「あらごめんなさい。心配しなくても相手にとって重要な勝負なら全力で潰しにかかる。それが将棋指し!かかってこんかーい!!」

「ふ、ふん!挑むのはそっちでしょ!踊ってあげる」

 

 研修会の長い一日は熱気で満ちる。

 




本当頑張る宣言しておいて何と言うかただただ遅くなり申し訳ないとしか。
天衣戦は描写しません(できません。
今年中に次を…出せたらいいなあ

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