指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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 りゅうおうのおしごと!10巻発売!私の地域は少しおあずけですね



第三十七話

 大阪へ帰る弟子達が乗った新幹線を見送った八一は階段を上がり隣のホームへ降りるとベンチに座る。そうして待つこと半刻。到着した新幹線から出てきた制服姿の少女と並んで山手線に向かう。幼い頃から幾度も通った道ゆえ彼等の歩みに迷いは見られない。

 2人はエスカレーターの上から丁度発車せんとする電車をのんびり見送ってホームドアの前に陣取った。

 

「これ土産の煎餅」

「ありがとうございます」

「ん」

 

 僅かに顔をほころばせる八一に対して銀子は素っ気ない返事を返してそっぽを向く。それでも会話は途切れず続いた。その内容は昨日の棋帝戦から始まり他愛も無い師への折檻話に亘る。到着した電車に乗っても特に口が上手いわけでもないはずの2人の話題は尽きなかった。

 

 

 研究会の約束まで時間があるため原宿を回ることにした2人。この先少なくなるだろう八一と散策をする貴重な機会とあって銀子の日傘を握る手にも力が入る。今日の為に彼女は周辺の店舗を調べ上げ朝早くに大阪を発っている。何気なく銀子から提案された散策に彼女がどれだけの力を注いだか。それを知るのは桂香だけである。

 

「美味しいホットケーキを出す喫茶店を見つけたと歩夢に聞いたんですけど行ってみます?」

「…行く」

 

 だがこの八一、ゴッドコルドレンに連れまわされ原宿に多少の覚えがあった。拙いながらも銀子を楽しませようとして意図せず彼女の計画を崩す。初手は八一の好みである抹茶菓子を古民家風カフェでと考えていた銀子は想い人のエスコートと構想1ヵ月の完璧なプランを天秤にかけ後者を放棄した。

 

 

「美味しかった」

「ですね。歩夢に礼を言っておきます」 

 

 通りから外れた路地にある如何にも隠れ家といった純喫茶のボックス席。コーヒー片手に昔ながらのケーキをぺろりと平らげた2人は食後の時間を過ごしていた。まだ昼時には早いとあって客足もまばらで周囲には本を開く客もいる。

 

「研究会本当にいいの?」

「棋帝戦の名人は完璧でした。今は何でも切っ掛けが欲しいので歩夢には万全以上の状態で戦ってもらって名人の反応を見たいんです」

「神鍋先生と戦いたいだけでしょ」

「まあそれも多少は」

 

 嘘である。八一は竜王戦で神鍋と戦いたいという気持ちを多分に持っていた。幼少の頃からの戦いを七番勝負で繰り広げる等と想像しただけで胸が熱くなるからだ。

 そんな八一をじろりと一瞥した銀子は仕方が無いと溜息をつく。理論を固めた弟分に十年前から口で勝てない自分にである。

 

「確かに名人は圧巻だったけど」

 

 カップから視線を上げて八一の目を真っ直ぐ見て言葉が続けられる。

 

「相手が名人でも神鍋先生でも八一が勝つから」

「…頑張ります」

 

 精算時強面の店主にサインを求められる一幕を経て2人は店を出た。

 

 

 

 店を出て通りに戻り人が群がるクレープ屋の角を曲がると再び人気が無くなる。近くに置かれた噴水で生まれた涼しい風が通りを吹き抜けた。苔むした石垣と蔦に覆われた壁に挟まれた小道を進んだ2人は古い教会を思わせる石造りの建物を前に足を止める。

 

「来たな我が宿敵。早く上がって来るのだ」

 

 降ってきた声に視線を上に向けると恰好を付けて2階の窓に寄りかかる神鍋の姿が目に入る。軽く手を上げた八一と頭を下げた銀子は重い木と鉄からなる扉に手をかけた。

 

「時間通りだ銀子。そして若き竜王も歓迎しよう。ようこそ余の城へ」

「今回は研究の場をありがとうございます釈迦堂先生」

「神に向かう戦士の集いの場がカラオケでは締まらんだろう」

 

 釈迦堂里奈。女流名跡のタイトルを20年近く保持し続け女流棋界を牽引してきた女傑にして銀子の研究相手。女流棋士にしてブティックを構え独自のファッションブランドまで持つ異色。尤も銭湯やらバーを経営していたりと棋士が好き勝手やっているのは今更でもある。

 

「歩夢に早く上がれと言われたのですが」

「む、うむ。ゴッドコルドレンは階段を上がって突き当りの部屋だ」

「では姉弟子。また後で」

「ん」

 

 階段に八一の姿が消え少しして扉の閉まる音が聞こえると何が可笑しいのか釈迦堂がくすりと笑う。銀子は不利を察して無言で衝撃に備える。

 

「そうそう。ホットケーキは口に合ったかね?」

「!?」

「あの店主とは旧知の仲なのでな。さてまずは一局手合わせといこうではないか」

「…そうですね」

 

 動揺を何とか抑えた銀子と釈迦堂の研究会が始まった。

 

 

 

 

「歩夢。入るぞ」

 

 二階の一室に一声かけて足を踏み入れるとソファーで足を組む神鍋歩夢の姿が八一の目に入る。その姿は釈迦堂と通ずるものがあり神鍋が師をどれだけ慕っているかが察せる。まあそんなことは一目見て分かるのだが。

 

「△4五歩」

「▲6八銀」

「△9五歩」

 

 口を開くや否やそう口にする神鍋に対し瞬時に頭の中に盤を展開し相手の十八番である矢倉を受ける八一。準備運動とばかりに頭の回転を速めていく2人の会話に淀みは存在しない。両者の思考が高回転域に入ったところで盤面を戻し角換わりへ。

 

「△3五歩」

 

 脳内で神鍋が進めた歩に対して2四歩同銀と駒が進む。これは対局でなく互いに課題としていた盤面の研究。ゆえに1つ1つの駒を動かす宣言は必要ない。

 

「▲6五銀」

「△4七と」

「▲5四銀」

 

 55手目に八一がいたずら顔で示唆した一手に初めて滑らかだった会話が途切れる。6筋に八一の飛車以外の駒が存在せずこのままでは八一が龍を得てしまうからだ。

 

「…△6三歩?」

「▲6八金右」

 

 八一が動かした駒は先程4七に動いたとが狙いを定めていた金。神鍋は平静を装い紅茶を口に含むがそれは喉が渇いたという証左。八一は微動だにせずじっと神鍋の手を待つ。

 

「△8六歩」

「▲同歩△8七歩▲5三桂成」

「△8…六、飛?」

「▲3九飛」

 

 八一の飛車が角の頭に滑り込む。この筋で出された結論は先手優勢。神鍋は数秒黙りこんで不敵な笑みを漏らす。

 

「▲2四歩」

「△同歩」

 

 手を戻して43手目。神鍋は先後を交代し八一に先と異なる応手を要求。瞬時に意図を理解した八一もノータイムで応えた。そこからは互いに意識が混ざりどちらが指しているかも不鮮明で読みが共鳴する領域に入る。

 

「▲6五銀右△同銀▲同銀△3六歩」

「▲4五桂△同歩▲3四歩△同銀」

「▲5五角」

「△6二飛」

 

 自分の全力を受けて答えてくれる神鍋(ライバル)に冷静な仮面をかなぐり捨てた八一は歓喜する。久しく遠ざかっていた熱に身体が焼かれる感覚が心地良いのだ。

 しかし最高の時が過ぎるのは一瞬である。疲労困憊の2人が文字通り正気に戻ったのは窓から夕日が沈む頃。実に5時間以上研究の階層を深め続けていたことになる。 

 

「よもやここまで我の真髄が見透かされていたとは、な」

「それはお互い様だ」  

 

 ここまで入りこんだのは互いの理解度があってこそ。八一は対局の遠近に関わらず常に神鍋の研究を行っていたのでそれに拮抗した時点で神鍋もまたということである。棋士を適当に2人捕まえて手の内全てを晒した対局をさせてもこんなことは起こらない。八一と神鍋が十年来の腐れ縁の果てに対名人という名分を得て解放した域なのだ。 

 

「神の強さは中盤の対応力、無謬の終盤力で保たれている。序盤は押されることも多い」

「研究家で序盤巧者と言われる山刀伐さんと組んだのもそこらがあるだろう」

「確かに先の棋帝戦は全く隙がなかった。だが神とて無敗ではない。何より我は神を殺し貴様と天上の舞台で戦いたい。覚悟しておくのだな」

「勿論だ」

 

 静寂に満ちた部屋に誰かが階段を上る音が僅かに響く。予定していた時間を過ぎて銀子が呼びに来たのだろう。外では夏の夕日が一日最後の仕事と通りを照らしている。

 

「まあこっちとしては神を下すのも面白そうなんだがな」

「っな!今の流れでそんなことを言うか」

「好物は最後にとっておくものでな。悔しければ勝つことだ」

「い、言われるまでもない!」

 

 八一と神鍋の研究会は扉がノックされる音と共に終了した。

 

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