「ししょー早く!」
「ちょっと!離しなさいよ」
先月と比べ一段と強くなった陽射しに臆さず東京駅へ降り立つ小学生が2人。高飛車な姉は自らを慕う妹分に手を引かれることが不満そうではあるが無理に振り払う様子はない。
性格も容姿も違うがどこか桂香と銀子を想起させる光景に桂香は苦笑いし八一は目を閉じる。そして続いてホームに現れた3人目の引率者銀子は一見して鼻を鳴らした。
ちなみに前回の同行者である晶は一番弟子に置いてこられている。
「しかし姉弟子と一緒の解説は初ですね」
「うん」
何食わぬ顔で相槌を打つ銀子だが竜王と女王という豪華セットが実現した裏では鹿路庭へ嫉妬した銀子への打診があった。運営にとって本戦出場者の中でもタイトル保持者である供御飯か月夜見坂のどちらかに依頼しようとしていたところに降った天啓。運営は女王の好感を得る好手を指した。というよりも紙一重で身を守ったと言える。
「じゃあ手筈通りにね」
「貴方こそ負けたら承知しないから」
会場に到着し人だかりを避けつつ階段を駆け上がった弟子達は師匠達の視界から外れたのを確認して短く言葉を交した。そして天衣は腕を組んで静かに後続を待ちあいは手を振って急かす。その様は姉妹の普段通りで2人がなかなかの役者であることが分かる。
続いて例年の5割増しにも思える観客を掻き分け八一達が会場入りすると竜王と女王一行の登場に気づいた将棋ファン達が騒めいた。そして天衣達の素性に思い当たった目敏い者が出始める。どこかの世界の様に生配信デビューこそしていないもののここに来る将棋ファンの間でチャレンジマッチ突破者に混じる2人の小学生はその棋風、素性共に知られた存在となっていた。
「ししょー?あのボードあいの名前の横にいっぱいシールが貼ってありますけど…?」
「ファンが応援してくれているということだ」
「ふえぇ」
「私の方が多いわね」
「むっ。あいも女流棋士になればもっと…」
件のボードは選手の個人スポンサー数を示す物である。注目に臆すどころか競争すら始めかねない2人の側で姪達の掛け合いがツボに入ったのか桂香が緊張を解く。
「人気で将棋の駒が増える訳でもない。忘れなさい」
「まあ終局後にきちんと礼を言えばそれでいい」
「八一、早く行くわよ。桂香さん冷静にね。小童共は八一に恥かかしたら承知しないわよ」
伯母の言に即座に反発したあいが舌を出す様に八一は苦笑する。
「2人共勝って来い。会場で待ってるぞ」
「ふふっ。八一君と銀子ちゃんも解説頑張って」
「桂香さん後はお願いします」
「はいはい」
八一は弟子達の肩を軽く叩いて場を後にする。人垣に銀色が飲まれる前に追いついた八一は無言で銀子の横に立った。
「何?」
「いえ」
「そもそも私女王だし小童共は敵よ?」
「ごもっともです」
「…何で笑ってるの」
「一切笑ってません」
「嘘つくな。笑ってる」
似たような銀子の言は時間が迫り係員が意を決して割り込むまで続く。この後女王の視線を浴びる彼の踏み出した一歩は後に同僚から英断として称えられた。
出場者控室に足を踏み入れた天衣は談笑が絶えず和気藹々とした空気に眉を潜める。よく観察すれば同ブロックの対局者は目も合わせない火薬庫なのだが天衣からすれば等しく敵なので和やかなムードだけが目に入った。
「ヒヒッ!」
知り合いらしき女流棋士に声をかけられた桂香と別れた2人に制服姿の少女が真っ直ぐ向かって来る。直前で立ち止まりじっと見てくる相手を無視していた天衣だが顔色が悪い少女に妹分が反応してしまった。いつの間にか静まり返った部屋にあいの声が響く。
「あの、どうかしました?」
「いやあ?どこもかしこも腐臭が酷くて。ここはまだ空気が綺麗だよね」
「はあ」
「体調が悪いのでしたら救護室に行かれてはどうですか?」
天衣は相手にするなとあいを小突くも妹分は相槌を打ってしまった。仕方なく会話を切ろうと無難な受け答えを選択する天衣。ここであいを見捨てないあたり彼女も姉をしている。
「ヒヒッ!そうしようかなぁ。やっぱやいちの顔でも見に行こ!ありがとねー」
「待ちなさいよ。私の師匠に何の用?祭神雷」
「んんっ?」
上機嫌に控室の出口に向かう相手が2人にぐりんと振り返る。
「今何て言った?おチビちゃん」
「私達の師匠に何の用ですかと言いました。言付けなら私が受けますけど」
「やいちが師匠?んー?」
敢えて八一が口にしなかった事実を惜しげも無く投下していく弟子2人。祭神はしゃがみ込んで小学生2人と目線を合わせ首を傾げる。彼女にとっては疑問がさせるその行動も外から見ればメンチを切る敵対行動である。これには様子を見守っていた桂香も席を立つ。
「そっかぁ。八一に今会うのは止め。会えない時間が愛を育てるんだー。そのかわりちゃあんと勝ち上がるんだゾ。そしたら」
立ち上がりニタァと笑った祭神は上機嫌に部屋を出て行く。先程までの鬱屈とした雰囲気は消えその足取りは見るからに軽い。
「やいちの前でたくさん遊んであげる」
音が戻った控室の端で天衣はやってしまったと小さくため息をつきあいは手を握りふんすと構える。
「ふん。返り討ちにしてあげる。愚妹がね」
「えぇっ!」
「仕方がないじゃない。私別ブロックだし。貴方が勝てば奴は私より下。負けたら本戦で敵くらいはとってあげる」
「何か納得いかない…」
何も労せずに勝ったことになる姉に不満を漏らす妹であった。
「行かなくていいの?」
「ううん。大丈夫みたい」
香酔千女流三級。長らく会う事も無かったかつての研修会同期にして今日の敵。
「強いね」
「私は叔母だから大変よ?」
「あはは」
「…じゃあ決勝で」
「…うん」
互いの夢を賭けた再開を誓い2人は別れる。香酔の桂ちゃんも強いよという呟きは吐息として消えた。
対局場に詰めかけた大勢の観客から拍手で迎えられ入場する弟子達をステージから見守る。それぞれの思惑が混じり合った一斉予選の幕開けである。
短いですが一端ここできります。次は対局をいくつかで