指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第四十八話+

 悪逆竜王退魔の夜に反逆の一撃

 

 打ち上げの後ホテルで1泊して朝帰りとなった八一を家で出迎えたのはあいである。ドアの鍵が回る音を聞きつけてぱたぱたと走って来た内弟子は満面の笑みを浮かべていた。

 

「ししょう!」

「1勝だ」

「はい!」

 

 胸元に突き出された小さな手に拳を返す。次いで朝食の準備が出来ていることを伝えられここ数日の煌びやかなメニューに少し辟易としていた八一の足が逸る。

 

「お茶漬けです!」

 

 単純ながら八一の好物が詰め込まれた梅鮭茶漬けがテーブルに鎮座していた。食べなれた梅干しの酸味が胃に染み渡る。外の高級品も良いが八一は果汁をたっぷり含んだ赤紫蘇付きの自家製が好きだった。ちなみにここでの自家が指す家は福井の実家のことだ。

 

「渋谷スクランブル交差点はコスプレ姿の若者達で…」

「相次ぐ品質データの問題に政府は…」

 

 あいが見ているタブレット端末は朝のニュース番組を流している。そわそわと落ち着かない彼女は頻繁に番組を切り替えているのか情報キャスターの言葉は最後まで続かない。

 

「昨夜行われた第30期竜王戦七番勝負第2局は九頭竜八一竜王が166手で挑戦者の名人に勝利しシリーズ成績を1勝1敗としました。名人は永世七冠、タイトル通算100期を目前に…」

「むむ、むううぅ!」

「どうかしたか」

「ししょーが勝ったのにゲストの人、名人の記録の説明ばかりしてます」

「まあ永世七冠とかぽんと言われてそのままも困るだろう?」

 

 八一も九段昇段の史上最年少記録がかかっていたりたたけば色々と出てくるので確かに名人寄りにも見えた。ただ去年は八一が逆の立場だったとも記しておく。

 

「むしろ気楽というもの」

 

 嘘である。往復ビンタを恐れず角換わりでお返しをした程度には第1局が悔しかった八一。彼の目は燃え盛っていた。相手が何もしていないのに勝手に内燃するとは迷惑な奴だ。

 

「結果で見返すのですね!」

「ああ…」

 

 そして弟子の目には師と逆で暗い光が宿る。弟子がどこか姉弟子に似てきたなと思う八一である。食器を片付けあいが学校に出かけるのを見送った八一は次の対局へ向け1人意識を盤面に沈めた。

 

 

 

 

 夜今年初めて入れた湯船に浸かりほかほかの八一がダイニングの扉を開けるとあいにスマホを渡された。聞けば彼女の母だと言う。半ば強引に渡されたそれに対し八一は姿勢を正した。

 

「お待たせしました。九頭竜です」

『いいえ。夜分に電話をしたのは此方です』

「…」

『…』

 

 2人は定期的に連絡を取り合う関係であるがその内容は大半があいのこと。女将もあいの番号と見て出たのか珍しく出鼻をくじかれていた。僅かな沈黙の後に女将が口を開く。

 

『まずは昨日の勝利おめでとうございます』

「ありがとうございます。ストレート負けなんてことにならなくて良かったです」

『第5局でお待ちしております。来年は全勝しても構いませんが』

「すみません。どうも電話が遠くて聞こえなかったのですが」

『こちらの話です。ええ、もうひな鶴を後ろには回させませんとも。あいに電話をかわっていただけますか?』

「はあ、失礼します。あい」

 

 少し離れて電話越しの親子の言い合いを眺める。そして自分は前回実家に帰ってから2年経っていることに気づき驚いた。デビュー直後に1度戻ったがそれが丁度2年前の11月。去年丸々竜王戦を戦って就位したのが今年の1月。そしてもう今年は2ヵ月しかない。

 

「石川の対局の帰りに寄るか?いや竜王戦が終わってからか」

 

 両親とは将棋の話をほとんどしない。竜王戦の最中に帰っては気を遣わせてしまうだろう。そこまで考えてふと顔をあげると通話を終えた弟子がおずおずと近づいてきた。

 

「もうしわけありません。ししょうがすごいんだってお母さんに言いたくてまい上がってわたし…」

「なんだそんなこと」

「でも大事なことなんです!」

「そ、そうか」

 

 勢いに押された八一は手を彷徨わせお茶の入った湯呑を啜り盛大に眼前を曇らせる。そして眼鏡を掛け直していたことに気づいた。度の入っていないそれは八一にとっての切り替えスイッチ。数年来の習慣を忘れるほど嬉しかったのかと苦笑いを漏らす八一だった。

 

 

 

 

 これは浪速の白雪姫の記憶。

 

「ハロウィンイベント?」

「そう。なんか呼ばれたけど行きたくない」

「はあ」

 

 黄色く染まったイチョウと大阪城を見上げ歩く制服姿の男女。今より幾分背が縮んだ八一と銀子である。2人が同じ中学校に通ったのは1年だけなのでこれは今から2年前の秋だ。話のタネに駄々をこねる感じで言った言葉にも八一は真摯だ。

 

「ちなみに何故行きたくないので?」

「見世物だし何着ればいいかも分からない。折角の休みになんでこんなこと」

「なるほど」

 

 少し強い風が吹き抜け落ちていた葉が舞い上げられた。周りを歩いていた家族連れや観光客の喧騒が聞こえる。

 

「確かに迷います。自分も何を着て行けばいいやら」

「!?」

 

 少女に電流が走った。唸る少年は彼女の不審な行動に気づかない。考えて見れば話題沸騰の中学生棋士を地元のイベントに呼ばない道理がない。自分と同門と来ればなおさら。

 これはいかに違和感なく前言をひっくり返すべきかと少女は頭を回転させる。

 

「和服を着てタイトル保持者の仮装とか駄目ですかね?」

「それただの和服を着た棋士だから」

 

 少年の案にぶっきらぼうに突っ込んで次の言葉に全神経をつぎ込む銀子。しかし徐々に早口となっていく。

 

「に、日本橋に行けば衣装売ってると思う。今から行ってみる?」

「ああ、いえ。まずは姉弟子は行きたくないのでしたね。すみません言葉を遮って」

「そ、そもそも男鹿さんに言われたしもうこれは会長事案だから断れなかった。仕事だし仕方ないわ」

「む…今度会長に」

「いいからっ!」

 

 プロ1年目の平棋士がガセを元に会長へ物申すなど温厚な人と知ってても笑えない。八一も会長はむしろ自分のメディア露出を抑えてくれている側だと知っているだろうに今の目は本気だった。

 

「とにかく行こ?見てれば無難なのもあるでしょ」

「だといいのですが」

 

 少年の手を引いて進むのは少女。驚安の殿堂や専門店を回って2人が選んだ仮装は店員に勧められた白雪姫を断固拒否した銀子が雪女。ネタも分からず何故か目に付いた赤いパイロットスーツが八一。

 イベントの数日後彼女はすまし顔で記者からそれを受領した。狐面(付けただけ)や騎士(主張)といった想定内からバニー兎(仮装して来なかったヤンキーに渡された)、陰陽師(誰もが一度頭を下げた)、キョンシー(陰陽師に付きっ切り)まで意外とバリエーションに富んだ数枚の写真。

 その中から消えた1枚は今も彼女の部屋に飾られている。

 

 




 今ならぎゃOでりゅうおうのおしごと!見れちゃいますよ!!

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