指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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 暖冬だ何だ言っても冬は寒い


第五十話

 竜王戦と女流玉座戦は時期が重なる。日程こそずれているものの八一と銀子は他に公式戦や昇段戦を抱える身。研究も含め年末は1年で最も忙しい。

 はずなのだが近場で行われる互いのタイトル戦には大抵もう片方が現れる。これは関西の棋界で周知の事実だ。

 

「にーちゃ。にーちゃ!!」

 

 関西将棋会館の一室に赤ん坊に服を掴まれ頬を引きつらせた八一の姿があった。無論彼が誰かと子をなしたというわけではない。嘘でもそんなことは書くことをお勧めしない。主に発信者の身の安全のために警告する。

 彼女は銀子の対局相手と目の前で継ぎ盤をしているプロ棋士の子だ。八一の隣では鵠がキーボードを一閃させている。

 

「然しもの竜王も泣く子には負ける、と」

「変なこと書かないでくださいよ?さっきあたふたしてたのは誰ですか」

「む、いいじゃないですか。最近変なことを書く輩もいますしイメージアップです。ねーさーちゃん?」

「いめぃあぷー」

 

 部屋に置かれたテレビ画面の中で銀子と向かい座る女性の名は花立薊女流五段。銀子が持つ2つのタイトルの前の持ち主だ。女流玉座戦直前まで長期休場していたが驚くことに第二子の妊娠中突然復帰。安定期ということだが着物を着ていてもわかるお腹の膨らみは周囲を戦々恐々に加えいきなりのタイトル戦登場に驚愕させていた。

 そして彼女の棋風もガラリと変わっている。

 

「花立さんが早指しとは」

「はりゃさしー」

 

 今日の対局は五番勝負の3局目で銀子が勝てばストレート防衛となる。だが4年前を知る人は花立のスタイル変更に驚いていた。

 以前の花立と真逆の感覚指しに銀子は違和感が拭えず指しにくそうだ。それで白星が揺るぐ彼女ではないが珍しく苦戦しているのは事実だった。

 その奮戦も終盤には銀子の前に崩れ去る。だがスタイルから思考まで全てを変えた花立五段が新たな産声を女流棋界にあげたのは間違いない。それは彼女に追い抜かれた女流棋士達が誰よりも分かっている。

 

「にーちゃ、きゃっきゃ」

「むぅ…」

「ふふ、しまりませんね」

 

 ちなみに八一のダブルスーツのボタンを握って離さない1歳児。名を花立桜愛称さーちゃん。この後母親に見せられた八一の対局動画が大のお気に入りとなる。ルールも理解していないのに何時間も続く動きのない動画を見て大喜び。

 これは将来の察しが付くというものである。

 

 

 

 

「さあ。全力で向かって来たまえ」

「はい!」

 

 桂香は震え出した身体を押さえつけ自身を奮い立たせるかのように応えた。20年近く女流棋界を引っ張ってきた天辺にして憧れの女流名跡釈迦堂里奈。彼女を撃ち破れば桂香の夢は叶う。

 

「対局を始めてください」

 

 目の前の人物と己の隔絶した実力差を綺羅星の如き将棋指しに囲まれてきた桂香は人一倍理解している。だが将棋というゲームに絶対はない。彼女は何十何百回に一回の目を今日引くつもりでいた。

 まず今回のために温めてきた振り飛車を切る。少しでも相手の意表を突けたらと選択した手。無論それで釈迦堂が流れを渡すわけもなく逆に急戦を仕掛けられる。そこから釈迦堂の流麗な指し手がその上から猛威を振るった。

 

「やれる。私はやれる」

「ほう」

 

 蒸し焼きにされる恐怖と戦いながら総崩れを必死に抑える桂香。胸を拳で何度も叩いて自身を鼓舞し続けることで楽な死に逃げる己を抑えこむそれは彼女の父が指す鋼鉄流を思わせた。

 次いで小駒を惜しげなく投入し強引に釈迦堂の喉元へ食らいつく。王手飛車から強引に勝負形へ持ち込んだやり口はどこかの竜王の一側面が覗く。

 彼女は何度も姉弟子の自信を持てと言う声を頭の中で繰り返す。自然と利き手で膝を強く握りしめる仕草は所属一門共通だ。

 もちろん指し手は元と似ても似つかずあくまで僅かに香るだけ。彼女の代わりにどんな棋士が座っても心をこめることはできない。今指されている温かい将棋は桂香だけのものだからだ。

 

「私の将棋…私の将棋は、私のものだ!」

 

 そこからの桂香の泥まみれで粘り強い将棋はここまで彼女が犯した悪手による劣勢を拮抗状態にまで戻して見せた。そして今一部で押し込んですらいる。流麗だった女流名跡の手が止まりだし長考の末の鋭い一撃が飛ぶ。だが桂香の勢いは止まらない。

 

「ここから。ここから私はやる!」

 

 終盤に入り両者の持ち時間がなくなり一切のミスが許されないデッドレースが始まる。誰もが予期しなかった激戦に息を飲んでいた。そしてお互い1分未満で指し続けた結果盤上の時は加速。終末はあっさりと訪れる。

 

「おめでとう。強くなったね」

「…ぇ?」

 

桂香は幼い頃に釈迦堂の指導対局を受けたことがある。ほんの一度だけ。棋士の父親の紹介だったがその時既に女流名跡となっていた釈迦堂にその手の話は多かっただろう。

 

「もう少しで20年かな。盤を挟んだ」

「憶えて…」

 

 これまで女流名跡がどんな対局にも手を抜かず今回も桂香のことを研究して臨んだ証。桂香の勝利を讃える女流名跡は悪戯っぽくウインクしてみせた。

 

 

 対局後のインタビュー。涙が止まらずボロボロの彼女が浮かべた笑顔は世の何処かで何の気もなく観ていた幾人かのネット視聴者を魅了しただろう。

 彼女は女流棋士の入り口に立ったにすぎない。夢を懸けて盤を挟んだ友が去った地。格上相手に2年間で一定の成績を出せなければ場を追いやられる世界の崖っぷちだ。

 今日の対局をした彼女ならなどと無責任なことは書くまい。私が送る言葉はただ一つ。かかってこい新人!!  

 

 

 

 

 竜王戦七番勝負第4局が群馬県臨江閣で行われた。名人が永世七冠に王手をかけるか九頭竜竜王が巻き返すかの一局。言うまでもなく重要な対局であるがここでは水面下で行われた我々の戦いについて記す。

 さて公共放送ドラマの放送に合わせて改修を終えたこの迎賓施設。周囲を遊歩道や公園、河川に囲まれているのだが現地関係者達は思わぬ来賓に左右される。

 隣の東照宮から長壁姫が覗きに来た。というのはうそで休憩中に対局室へ野鳥が2羽迷い込んだのだ。彼等は棋士の頭上を飛び越えどよめく報道陣を後目に天井に陣取った。我々が必死に彼等を外へ誘導したのは言うまでもない。

 幸いにも対局再開前にはお帰り頂けたが可愛らしい侵入者達は対局室へ向かう竜王と名人にもしっかり挨拶して去ったことを述べておく。加えて一部始終はウェブカメラを通じて全国に放映されていたとのことでここに我々の完全敗北を認める。

 




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