指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第五十一話

 例会を終え将棋会館を出てきたあいを捕まえささやかなお祝いをした日の翌々日。八一とあいは石川県に向かうための荷造りをしていた。とは言っても八一はこの2ヵ月で5回目と慣れたものであいに至っては実家。ものの30分で荷物の確認を終え明日朝の出発を待つのみである。

 

「えへへ」

「…失くすなよ」

「はい!」

 

 昨夜は枕元、それから朝食、学校、荷造りの今もあいは師匠の欄が記入されたそれを手元から離さない。一番弟子は感慨深くなる前に速攻で提出してしまったので八一としても新鮮である。そんな中何時ぞやの様にあいの持つタブレットPCが鳴った。

 

『あいが女流棋士申請の条件を満たしたと聞きました』

『あい。おめでとう!』

 

 画面の中にはあいの母亜希奈と父隆が7:3ほどの割合で映っていた。遠くからは慌ただしい音がかすかに聞こえる。竜王戦受け入れの準備に忙しいだろうに揃って時間を作ったようだ。八一は机に端末を置きあいに椅子へ座るよう促した。

 

「そちらで書類に記入して頂いて連盟に提出すれば娘さんは女流三級です」

「ししょーがサプライズで申請書を用意してくれたの!それでね!お祝いのケーキもそれに…」

 

 帰りの道から史上最高にテンションの高いあいが委細を口早に両親へ報告を始めるが興奮のせいで収拾がつかない。八一はやんわりと弟子を止め亜希奈の言葉を待つ。

 

『何も大事な対局の前に時間を使わなくとも』

「心残りがあっては指が鈍るので。自分のわがままですみません」

『責めているのではありません。先生が憂いなく対局することはこちらも望むところ』

『妻はこっちであいと先生のっ!』

『あなた』

『はい』

 

 憐れ父隆は亜希奈の一言で撃沈した。そして彼が小さくなったことで夫婦の画面比は8:2にまで迫っている。彼の好きなものは妻と娘。苦手なものも妻と娘。

 

『とにかく先生は勝てばよろしい。あいのことは時間を作っておきましょう』

『あ、あい。お父さん好物を作って待っているからね!』

 

 通話は終わり静寂が訪れた。固まった身体をほぐそうと腕を回し背を逸らす八一から鳴る音が部屋によく響いた。弟子がマッサージに走ろうとするのを制し八一は口を開く。

 

「すぐ会うのに律義な人達だな」

「お母さん嬉しそうでした!きっと連絡せずにいられなかったんだとおもいます」

「そうは見えなかったが」

「いいえ!見ればわかります。お父さんへの牽制がいつもの2割増しでした!」

「そうか」

 

 何と反応していいやら分からず以後八一は上機嫌な弟子の聞き役に徹する。 

 

 

 

 

 薄く雪化粧を纏った石畳を器用に歩いてあいが戻って来る。少し温泉街を歩けば地元の人達があいに向かって手を振り旗を振りお裾分けを持たせるのだ。今も彼女の手には湯気を上げる温泉卵が入った竹籠があった。時間を見計らってお店の人が茹でていた物だ。

 

「どうぞ!塩味が効いてておいしいですよ!」

「八一」

 

 八一が突き出された卵を丁寧に剥いて返すと銀子はどこからか取り出したソースをかけて一口。眉をしかめた彼女はソースを追加しようとして桂香に瓶を取り上げられた。

 

「おばさんにはあげてないんですけどー」

「どう見ても人数分あるでしょうが小童」

 

 あまりの歓迎振りに銀子と師匠、桂香が八一とあいの前後に立つが彼等の目当てはただ1人。あいが自分から歓迎の輪に近づくことで八一に近づく人は少数の将棋ファンだけになった。

 

「わはは。先に到着した東京組が騒ぎは何事かと聞いてきたわ」

「お父さん。嬉しいのは分かったから抑えて」

 

 特急から見えた”お帰り!雛鶴あいちゃん”の大弾幕の意味を今は将棋関係者の誰もが理解した。彼等は名人や竜王の来訪ではなく彼女の帰還を一番に喜んでいる。  

 

「はぐはぐ。おひょうさま!このまんひゅう美味しいですよ!!」

「晶。食べきってから話しなさい」

 

 八一達の後ろにはあいから配られた和菓子をちびちび齧る天衣と饅頭を一口で食べる晶の姿もある。その更に後方には大阪から同行した将棋関係者達がぞろぞろ。先頭のあいが歓迎の人の海を割って進む様はまるでモーゼの軌跡だ。

 あいの人気は離れていた反動で凄まじいものとなっていた。

 

 

「ようこそお越しくださいました」

「お世話になります」

「お母さん、ただいま!」

 

 ひな鶴の玄関先で八一達を待っていたのは女将の亜希奈。あいは母親に駆け寄って春以来の再会を喜んでいる。屈んで娘の突撃を受けた亜希奈も優しい目で抱擁を返していた。住み込みの修行を許したとはいえやはり遠くで生活する娘が心配だったのだろう。

 心なしか周りの目も潤んでいる。特に晶はサングラスの隙間から流れるそれをハンカチで抑えていた。

 

「あい。お父さんに顔を見せてあげなさい」

「うん!ししょー」

「行ってこい」

「はい!」

「あら…失礼いたしました。皆様、ご案内いたします」

 

 部屋に続いて名人達と合流し対局室へ検分に向かうが一同首を傾げることとなる。去年は見え隠れしていた機材や天井カメラが見当たらない。まさか準備中かと注視して見れば天井に埋め込まれたカメラが見つかった。

 

「そこの柱にもカメラが入っているので触れないようお願いします」

「うおっ!本当だレンズがある」

 

 柱の側にいた師匠が顔を近づけてようやく小さなそれを見つけた。続いて真新しい壁を眺めていた鵠が抱いていた疑問を口にする。するとよく聞いたとばかりに亜希奈の目が光った。

 

「去年はここにコンセントがあったような」

「カメラに映る場所のそれは全て取りました。勿論目立たない場所に増設しています」

「畳が…」

「天井からの盤面映像に縁が映らないよう一回り大きくしています。その他にも防音、照明、セキュリティ、動線と竜王戦の為に改装しました。名を臥竜鳳雛の間と改めたのでお間違いなく」 

 

 工期がギリギリで肝を冷やしたとは亜希奈の内心。無論彼女はそんなことはおくびにも出さず自信満々で極上の棋器を八一と名人に勧めだす。両者細かく要求する気質でもないので検分はこれまで同様ものの数分で終了。しめやかに解散と相成った。

 

 

 そして夕方に行われた竜王戦前夜祭。大ホールの段上には顔を引きつらせた八一と満面の笑みを浮かべたあいの姿がある。脇では”時間をつくった”と亜希奈が微笑み眼下のテーブル席からは珍しいことに銀子と天衣が揃って鋭い視線を飛ばしていた。

 堅苦しい挨拶が終わり始まった歓談の時間。挨拶回りを終え司会の山刀伐や鹿路場、鏡洲、椚のコンビと話していると亜希奈に呼ばれてゲリラ的に女流棋士資格申請の儀という謎の行事が始まり今に至る。

 挑戦者の名人は隅から楽し気にこちらを見るだけでもはや誰も止める人がいない。そしてダメ押しのように男鹿を引き連れた盲目の棋士が姿を現した。

 

「竜王。あなたは雛鶴あいさんを弟子にすることを誓いますか?」

「何しているんですか会長」 

「ごほん。雛鶴あいさん。あなたは九頭竜八一竜王を師匠とし、将棋道に邁進することを誓いますか?」

「ちかいます!」

「結構。ではこの用紙にお名前の記入を」

 

 誓うも何も申請書は八一が準備した物で師匠欄には既に名前が書いてある。いつの間にか亜希奈の記名もされており後はあいの記入を待つのみ。

 見覚えのある地元有力者達が酒瓶を片手にやんややんやと囃し立て何事かと遠巻きに見ていた一般客まで加わり万雷の拍手の下八一は二番弟子の女流棋士入りを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めは最高だったがどういうことか昨晩の記憶がおぼろげである。挨拶回りの際に渡された飲み物が彼の頭をよぎった。

 

「…んっ」

 

 そして敷かれた布団の端に見える銀糸。酒、失われた記憶、乱れた布団。真実はただ一つ。

 朝に弱い癖して義憤のままに朝駆けしようとした彼女が二度寝しただけである。八一は彼女へ布団を掛け直すと気付けに何か貰おうと静かに部屋を出た。

 そして騒がしい一夜は終わり八一は対局1日目の朝を迎える。

 




 昨日予約してたのを受け取ったんですが何か怖くてまだ読んでないんですよね…いい加減今日の夜読みます。勿論冊子から!


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