指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第五十二話

 部屋に戻ると銀子の姿はなかった。実は八一が呑気に朝風呂に入っていた時師匠を起こしに来たJSと布団の上で赤面ローリングをかましていたJCの間で冷戦が勃発していたのだが知る由もない。亜希奈が持ってきた朝粥に舌鼓を打っていると気づけば一番弟子が背後に立っていた。並べられた食事を見て感心したように頷くお嬢様。蝶よ花よと育てられた彼女の目から見ても上等なものだったらしく興味を出してくる。

 

「ふうん。良いもの食べてるじゃないの」

「一口どうだ?」

「いらないわよ!」

 

 差し出されたスプーンから天衣は全力で顔を背ける。そして絶品なのだがと少し残念そうにする八一を置いて肩を怒らせ部屋を去ってしまった。

 朝食は明らかに八一の好みに合わせて作られている。あいの下宿情報を元に量から味まで考慮されたそれらは一日を戦う力となってくれるだろう。食べ終わると同時に郵送した着物を持った亜希奈が現れる。

 

「着付けのお手伝いをさせていただきます」

「いえ、はい。お願いします」

 

 有無を言わさぬ視線に何かを察した八一は任せることにした。着物が擦れる音が静かな部屋に響く。長く重い沈黙が続き着付けも完了間近といったところで亜希奈が口を開いた。

 

「先程の子は先生のお弟子さんですね?」

「夜叉神天衣女流1級です」

 

 先日昇級しましたと誇らしげに一番弟子の名を告げる少年の目を捕えて一児の母は口を開く。

 

「断っておきますが私はもう先生と将棋を信じています。故にこれはただの区切り。踏ん切りがつかぬ親の心配性です」

「はい」

「あいは、あいは女流棋士としてやっていけますか?」

「その才と、実力を竜王の名にかけて保証しましょう」

 

 その返答に亜希奈が羽織りをやさしくかけた。次いで完成だとばかりに軽く肩を払う。

 

「九頭竜八一先生。改めて娘をよろしくお願いします」

 

 深々と頭を下げた亜希奈に送られて部屋を出た八一は静かな廊下へ足を踏み出した。

 

 

 廊下の角に姉弟子が潜んでいたなんてことはなく無事対局室に着く。ちなみに彼女は未だオーバーヒート中だ。かなり時間に余裕を持って出現した竜王にフラッシュが集中するが対象の表情は微動だにしない。真っ直ぐ席に向かうと月光と立会人、記録係に一礼してすとんと床の間を背に着席した。

 逸る気持ちを抑えつけて堪えていると廊下の丸窓に人影が映る。彼が八一達に一礼して着席すると2人の背後に記者達がわらわらと陣取った。今までの対局と異なり名人の背後にも人の山ができている。 

 

「時間になりましたね」

 

 見る者にとっては幾倍にも感じただろう待ち時間を月光が穏やかに刻む。盲目の棋士は八一と名人を確かに見遣り言った。

 

「さあお茶でも飲んで、それから始めることにしましょう」

 

 少年はぎこちなく、神は軽くクスリと笑った。そして開始の挨拶がなされ八一の初手が濁流の如きシャッター音を切り裂いた。八一が名人に付きつけた戦型は相掛かり。名人も舞うような手付きで飛車先の歩を進めた。

 

 

 

 

 外の庭園が白く染まり始めたのは対局が始まって少ししてのことだ。時おり風に乗った白雪が窓を叩き控室の熱ですぐに流れていく。それもそのはず。この部屋には将棋関係者達が所狭しと詰めている。暖房も相まって冷気が入り込む隙間はない。

 銀子が見るモニタの中ではテンポ良く同形が続く。火がない訳ではない。今も戯れているかの様に飛車を突きつけ合い何もなかったかの如く元の鞘に戻している。

 少なくとも少年が冷静な振りして燃えていることは彼を知る人達に一目瞭然だった。

 

「八一君絶好調みたいね」

「っ――!」

「ふむ。これはだめか」

 

 桂香は白い頬を赤く染めて悶絶する銀子を冷静に考察する。八一絡みで事あるごとに泣きつかれてきた彼女は大破判定を出した。君達小さい頃は2枚布団並べて間で将棋指してたのにねとは姉貴分の心の声だ。

 角交換が行われた後は両者の銀将が歩に紛れて前線に姿を見せ始める。これからの大激突を予感させる形で午前の対局は終わった。

 

「お姉ちゃん海鮮丼食べよ?」

「まあいいけど。あなた朝からカニ食べてたでしょうに」

「きゃには別腹ですー」

 

 何だかんだ10時のおやつも師匠と同じものを食べていた2人。彼女達を見る周りの視線は微笑ましいものがある。尤もそんな彼等とて他人が食べる物が美味しく見えるのか対局者の昼食であるカレーライスと海鮮丼を頼む者が多い。そして耐性のない者は独特なルーに意識を飛ばしていた。

 

「…はっ!カレーにはフォーク。これぞ最善手」

「名人は普通にこれを…。これが神へと至るほう…法?」

 

 堅物をも唸らせたあいの凶悪カレーのルーツは幾人かの若手に中毒者を出した模様。彼等は今夜眠れないだろう。そして一泊して対局が終わる頃にはひな鶴の熱烈なリピーターになること間違いなしだ。

 

「なにあれ。ヤバいのでも入ってるの?」

「何か恐ろしいものを見てしまったような」

 

 銀子と桂香が何か天からの啓示を漏らす若手達を眺めていると対局室に変化が訪れる。カメラの前を横切った影は八一のものだ。気づけば対局再開5分前。2人は犠牲者のことは置いてモニタへ意識を向けた。

 

 

 

 

 13時30分に対局は再開。手番の名人は未だ現れず九頭竜竜王は姿勢を正したまま微動だにしない。動きのない絵ではあるが進行の彼等は慣れたものだ。

 

「午前に引き続き現地生放送解説を名刀伐尽八段。聞き手は女流棋士の鹿路庭珠代が務めさせていただきます!」

「やあ!名人と竜王の間で揺れる罪深きジンジンだよ」

「えーと。ジンジン先生はこれでも八段の先生なので解説はちゃんとしてますよー」

「おっと。いきなり辛いなあ」

 

 将棋盤を映していた画面が切り替わり大盤を後ろに2人の男女が映される。そしてまばらに流れていたコメントの量が急増した。好き勝手にご飯何食べただのたまよんかわいいだの書き込まれるのはご愛敬。その中から出演者が拾い上げて応えてくれる双方向性も生放送の強みだ。

 

「お昼は…少し外に出て海鮮丼を食べてきました!お肉と迷ったんですけど明日もありますし」

「僕はステーキ丼食べたよ。ちなみにどっちも能登丼で器と箸から食材まで全部地域でとれたものだそうだよ」

「ちなみに竜王と名人が食べた能登海鮮丼と能登牛カレーライスの写真はこれでーす」

 

 お店からプレゼントに貰った能登産のお箸を2人が見せびらかしていると待ち人が現れた。席に着きしばらく盤上を見つめた名人は八一が突出させた歩を狙い駒を動かす。そこから一転ペースを落として同形を離れた駒達のかわしかわされ食い食われの衝突が始まった。

 

「ここまでで名人が形勢を握ったとみていいでしょうか」

「いや竜王は敢えて受けに回ったみたいだ。こうなった彼は硬いよ」

「なるほど。耐えて耐えて反撃ですね!」

 

 時に柔らかい上粘り強いけどねと名刀伐は呟く。ある時を境に名人の見方を改めた彼はこの竜王戦が八一だけでなく”名人攻略”の鍵になると思っていた。特に根拠がある訳ではない。怪物をぶつければ何かが起こるとの直感である。

 こうした考えは八一と関わりのあるトップ棋士達共通のものだ。負けると悔しい。次は勝ちたい。彼等は名人と対局して時に勝ち時に負け調子を崩しその手応えの無さに辛酸を味わってきた。一度でも名人と盤を挟んで真剣勝負をした者は強さを認め戦歴を讃えこそすれど神とは持ち上げない。

 名人になりたいという願いを持つ者にとって名人は最後の壁なのだから。

 

「さあ君の神髄を見せてくれ」 

 

 

 

 

 9筋から自陣右翼を貫く長距離砲を九頭竜竜王は長考の末歩で止めることで対処した。名人は攻撃を続けるが九頭竜竜王は駒の間隙を縫って飛車でその角を大きく引かせることに成功。ここで時刻が6時となり九頭竜竜王が53手目を封じて対局1日目は終了した。

 




 ゴットコルドレンは素で自分が神を倒すと思っている激強メンタル
 

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