指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第五十三話

 北西から吹きつける強風にのった雪と同時にその咆哮は発生した。暗雲と同時に訪れるそれを地元の人達は鰤起こしと呼び豊漁と結びつける程度には付き合いがある。対して何の予期もしていなかった北陸にゆかりのない若者達は夏の落雷と比べ規模の段違いな重低音に身を震わせていた。

 

「きゃあ!」

「っ!」

 

 それでも手が当たった継ぎ盤をすぐに直して対局室を映すモニタへ視線を走らせるのは流石と言える。彼女達が見る画面の中の少年は立会人の読み上げに従い手に持った駒を平然と進めていた。17年の大半を大阪で育った彼だが一応出身は福井。なおその地は石川に次ぐ激雷地区だったりする。

 

「ご安心を。当宿の落雷対策は万全です」

「わはは。八一の奴ピクリともせなんだ」

「もう!笑い事じゃないでしょ」

 

 八一の封じ手6八金で始まった対局2日目。さして時間を置かずにスペースを開け馬を作った名人に対し八一は自玉を遠ざけつつ盤の端に戦力を投入。場面は八一が1筋の争いを制し名人の桂馬を奪ったところだ。

 

「なんか重いな」 

「さっき充電してたろ」

「新調したばかりなのにやめてくれ」

 

 ソフトを見ていた若手達がその動きの悪さに愚痴るその後ろで突き付けられた成金と香車を貫く角打ちにベテランが唸る。その向かいでは天衣とあいが頭を突き合わせて駒を動かしていた。

 

「8六に歩を打ってくるから角を捨てて飛車取りだよ。そこからこうこう…」

「名人どれだけ攻撃的なのよ。6二に逃がすでしょ」

「えー?」

 

 師匠と同じ間食を食む様は高齢棋士達の間で孫的人気があるので時おり微笑ましく見られていた。そして陽が沈み始め手数は100を超える。控室の検討は先手有利なれど寄せは全く見えず互いの持ち時間は残り僅か。

 

「ここからや八一」

 

 誰もが憧れる名人の流麗な指し手の本質は驚異的な足掻きの中にこそある。弟子と名人のことを知る清滝はこの後訪れる高速戦を誰よりも予期していた。

 

 

 

 

 夕食休憩というものは竜王戦に用意されていない。この先は一挙手一投足が勝敗に直結する休みなしの戦い。八一は記録の告げる刻限を冷静に受け止めた。

 

「さて…やろうか!」

 

 八一が駒音高く銀を盤面に打ち名人の金と飛車を狙った。直後に名人も1分将棋へ突入する。そこからは秒読みの声が響く綱渡り。優位が一手で吹き飛ぶデッドレースだ。

 16時間以上かけて進んだ作品がものの数分で変容する。名実共に最高峰の早指しを前にして控室の棋士達は息を呑んだ。時に連続してノータイムで行われる応酬は下手すると候補手の検討をまともに許さない。

 何故秒読みギリギリまで待たないのか。竜王と名人はどこまで読んでいるのか。手数が150、160と進むにつれ読み遅れた者が出てくる。

 

「ぐぅぅぅ!」

 

 狭まった視界の中で名人の指し手がチカチカと光る。勿論実際に起きた現象ではなく錯覚だ。そして八一にはこの後襲うであろう灼熱に覚えがあった。指し手に精彩を欠いた相手の隙を名人は見逃さない。少しずつ反撃のための力を蓄えていく。

 またなのかと己の膝を握りしめた八一の脳裏に銀子の声が響いた。

 

『何よ。この程度八一なら問題ない』 

 

 ただ一声で黒く塗りつぶされていた八一の中の将棋盤が復活する。同時にある駒の前方にジグザグの光る道が示された。眩く光り主張するその手は何故気づかないのかと此方を叱責しているようにも見える。八一は震える身体を抑えてその駒を前進させた。

 

「ふっ。くくく」

 

 名人の駒達が押し返さんと立ち塞がるが描いた道に従い突き進む。1歩ずつ確実に歩む彼を阻むことはもう誰にもできない。

 

 

 

 

「後ろ失礼するよ」

「こ、こんばんは」

 

 娘を引き連れ棋士室に現れた生石が頬をかく。気を遣って席を立とうとした棋士を制し親子は揃って壁際に陣取った。早速銀子が振り返って意見を求める。盤面は名人が入玉をしたところだ。

 

「このままいけば引き分けか?持将棋は疲れる」

「ひぇっ!」

「怖い顔しないでくれ」

 

 将棋は後ろに動ける駒の少ないことから自玉を敵陣三段目以内に入れると詰みにくい。素人目にも成金を簡単に玉の側に作られ続けたら盤をひっくり返したくなる。そこで双方の玉が詰む見込みの無くなった時から将棋は詰まし詰まされのゲームから点数制の別ゲームへ姿を変えるのだ。

 大駒を5点、小駒を1点として採点する温存戦。キーとなる数字は24と31。現在優勢の八一が31点を獲得し名人を23点以下に抑え込めば勝利。名人に24点以上をとられるか八一が30点以下で引き分け指し直し。

 八一にはこの点数制の経験が棋士として驚くほど少なかった。新たな要素の追加で普段の悪手が好手に反転するも秒針は待ってくれない。

 

「そう言えばあいつが入玉するの初めて見たな」

「苦手だそうです。そうは思えないけど」

「何かの美学に反するのか?そういうところは会長の甥だよ」

 

 名人の手が震え天王山に桂を打つ。あからさまな反撃の印に銀子がうめいた。これを通せば名人に点が入ってしまう。1点を争う指し合いが王不在の自陣で始まった。

 

が、がんばって八一君

 

 暴れ回る竜王を追い払った後に中央にいた八一の駒達は残っていない。間違いなく八一もやり返しているのだが名人の攻勢が目に焼き付く。極限状態で60手以上1分将棋をできる神経を疑い”竜王もこの人に引き分けるなら十分だろう”そんな空気が控室に漂う。

 そんな空気の中2度目の5五桂打に対し八一は飛車を投入した。封殺した桂を喰らったその駒は盤を駆け上がり竜王に至る。

 

「ししょう!」

「引き分け?勝つのを諦める?そんな甘い奴じゃないわ」 

 

 敵陣奥深くで眠る2体の竜馬が身を起こし名人の駒を踏んで地に降り立つ。そして先の竜王と真っ直ぐ囲い超しに睨むのは名人の玉。点数を餌に名人を死角から殴った形だ。

 

「詰めろだ!」 

「強引にもほどがある」

 

 無理矢理盤をひっくり返す所業。そんな力技が通ってしまっている。そこから名人は点数勝負から玉の詰まし合いという元の勝負に引きずり戻される。

 

「八一…」

「一緒にがんばろ?ね?」

 

 桂香と身を寄せ合う銀子は震える身体を抑え弟の対局を見守る。遠くに行こうとしているその背中をそれでも追いかける決意を胸に少女は家族の勝利を願う。

 天衣は継ぎ盤に覆いかぶさる妹分を引き戻ししっかり自分の位置を確保する。ここは譲らないとの言葉を飲み込んで。

 清滝は月光と共に八一との思い出話に耽り何度でも息子を兄弟子に自慢する。  

 

 

 

 

 対局の手数は200を超える。目は深く落ちくぼみ視点は盤から動かず白目を剥いているようにも見える。半開きになった口から唸り声を漏らす中年の男。ワイルドでも凛々しくもない平凡そのものの人。八一の憧れはここまで追い詰めてもまだ終わらない。彼の人物の手は先程から震えっぱなしで今もお返しだとばかりに鋭い手が打ち込まれる。

 

「ごじゅうびょう」

 

 震えを含んだ秒読みの声に飛ばした意識が戻された。震える手で慎重に仕掛けられた悪辣な罠を回避する八一。ふと顔を上げれば名人が満身創痍な顔に薄い笑みを浮かべていた。この鬼畜がと思いながら応える。

 読み続けたことで吹き飛びそうな意識を留めるのは今まで関わった人達の声だ。

 背中を押された八一が駒を持った瞬間天が轟いた。暗雲の電荷を求める上向きの先行放電は天へ駆け上る龍そのもの。稲光の中赤紫に染まった瞳を光らせ少年は腕を振り上げる。 

 

「これが最後の1枚だ!」

 

 最後に動かした駒は銀将。名人の竜王から逃れたその駒はそこが定位置であるかのように自玉の後ろに収まった。ただ守られるのではなく左後ろの歩と紐付いているのが彼女らしい。

 

 

 

 

 今朝と比較にならない轟音と同時に消えた照明とモニタ。スマホやノートPCの光のお陰で完全な暗闇でこそないが彼等は対局が気がかりで浮足立つ。すぐにホテルの発電機が動き光が戻った控室は静まり返った。

 対局室を映すモニタから名人のその一言が聞こえてきたのだから。

 

「負けました」

 

 身体が浮くような現実味の無さが徐々に引いていき誰かが部屋を飛び出る音を切っ掛けに音が戻る。2つの小さな足音は遠ざかり我に返った記者達が出口に殺到した。

 

「桂香さん…」

「さっ、八一君を迎えに行きましょ。先越されたわよ?」

「小童共!?」

 

 慌てて部屋を出る年下の姉に肩をすくめその背中を追う清滝家の長女だった。

 

 

 第30期竜王戦第五局。237手で九頭竜八一竜王の勝ち。 

 




 忙しくなることはあっても休みにならないのなんで?
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