指し貫け誰よりも速く   作:samusara

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第五話

 ここ数日八一は集中すると発熱するフィラメントの様な頭に読みを邪魔されていた。プッツンと頭の中で線が切れると暗転と同時に軽く記憶が飛ぶところなど言い得て妙だと八一は考える。そして記憶が飛ぶと数手進んだ盤面に指した覚えのない手が指してあるのだ。

 

「ふん、いっそ竹で脳の炭素棒でも作ってもらうか?」

 

 彼が悪態を吐くのも仕方あるまい。こっそりと通った病院も身体的に何ら問題が無く精神的な物ではないかと判断を下した。今の自分は控えめに言って実戦に耐えうるコンディションではない。しかし八一は何としても次の相手と死力を尽くして戦いたい。

 

 

 

 

 一月末、外は悪天候の中関西将棋会館で始まった盤王戦予選。九頭竜八一の相手は神鍋歩夢。順位戦一年目にしてC級2組全勝中の超大型新人とプロ入り四連勝中の新人の対決とあって注目が集まる一戦である。相変わらず振り駒で後手を引いた八一に詰めかけた記者たちから吐息が漏れた。

 両者角道を開けた後、飛車先の歩を突撃させ15手目歩夢が横歩取りの形に入る。八一は3三角で対処し飛車を下げた。ここまで定跡通りの進み方。ここから両者の研究勝負が始まる。

 急戦を恐れず30手目に八一は飛車交換を要求し歩夢は受諾。

 

飛車(ペガサス)突撃(チャージ)アンド竜王へ(チェーンジ)!」

「ふん」

「そこだ!角を5五へ(ライジングサン)!!」

「っ!」

 

 神鍋は空いた8筋から飛車を投入し成った後天王山に角を進めるも九頭竜は即座に飛車で睨みを効かせる。

 攻める神鍋、受け止める九頭竜の後手寄りが崩れたのは中盤。8筋に神鍋の投入した香車が防ぐ歩を跳ね飛ばし突撃逆転。寄せに入る神鍋に八一は猛烈な抵抗をするも玉を固く守った神鍋は主導権を渡さない。そして神鍋が歩を指したのを最後に九頭竜は重い口を開いた。

 

「…負けました」

 

 終わってみれば82手で神鍋の圧勝。何かと大会で戦って来た両者だがいつも接戦となり熱い対局を繰り広げていただけに周囲の驚きは大きかった。

 八一の逆転勝利をどこかで期待していた周りも切り換えて騒がしく歩夢と八一に群がる。質問と感想戦も両者無難な受け答えで一時間もせずに場は解散した。

 対局室に一人残った八一は黙して動かない。去り際歩夢に掛けられた言葉が自分の情けなさに拍車をかけたからだ。

 

「今日の勝負、我は勝ったとは思わぬ。また戦おう宿敵よ」

 

 攻め筋を見逃した事よりも歩夢に長期戦で粘れなかったことの方が悔しい。強敵との闘いを不調で汚した自分が情けない。

 集中する度に暗転しかける意識をねじ伏せ続けた八一は長期戦を不可能と判断。以前なら読み切れた盤面でミスを犯し逆転されそのまま敗着した。

 階下では報道陣に囲まれる歩夢の白傘が遠ざかっていくのが見える。八一はそろそろ帰らねばとふらふらエレベータに向かって歩き出した。

 

 

 

 

 ぼんやりした視界の端に雪結晶がひらひらと舞う。見慣れない自宅の天井にピントが合った八一はほっと一息つくと横たわる自身の体を起こし壁に寄りかからせた。身体が重いと思ったが廊下にも関わらず自分に毛布が掛けられている。

 どうやって帰ったのか覚えていない。会館で倒れて歩夢の勝利にけちが付いていなければいいのだが。

 

「姉弟子が助けて下さったのですか?」

 

 キッチンで大火力をもって何やら作っている彼女に声をかける。彼女はびくりとして火を消しこちらへとんできた。そんなに慌てなくともと八一の顔に笑みが浮かぶ。

 

「玄関で倒れてた。バカ八一。一度もニタニタしない。長考をほとんどしない。部屋を出る時間が長い。近くなのにタクシーで帰るのが見えたから追いかけた」

 

 聞く限りどうやら一人で帰宅したらしいと力を抜く。しかし指摘されてみれば酷い体たらく。それに家族への隠し事など俄然無理な話だった。

 

「ばればれですか」

「ばればれよ」

「後で師匠と桂香さんにも事情を話しなさい。怒ってるし事によっては一人暮らしも止めさせるそうよ」

「心配をかけましたし信用ないかもしれませんが」

 

 実のところ対面で見続け将棋を指した歩夢と付き合いの長い清滝一門以外は八一の変化に気づいていない。仏頂面が不断に増して酷いと思われた程度だ。

 

「食べろ」

「姉弟子が?」

 

 キッチンに戻った姉弟子が持ってきた茶碗には半ばおこげとなったおかゆが入っていた。しかし赤紫蘇のつんとした匂いが八一の食欲をかきたてる。口に運ぶと梅干しの汁が広がり疲労した体に染み渡った。引っかかったおこげを差し出されたスポーツドリンクで流して一息。 

 一口受けつけた胃が出す猛烈な食欲を鍋一杯平らげ収める。その後心配をかけた家族には自分の状態を伝えるのが筋だろうと八一は口を開いた。

 

「で、結局自滅したのね?」

「自分の手を読み切れず防御が薄くなり…歩夢には悪いことをしました」

 

 八一の棋風は玉の守りが他と比べ薄い分繊細な指し回しが求められる。しかし集中しきった八一に見える手が我に返った八一には見えない。結果自分で自分を容量以上に追い詰める。自滅なんて無様を歩夢に晒したことが悔しいのだ。

 

「凹んでないで指しなさい。一段上にいる自分なんて最高の殴り相手よ」

「は…?」

 

 頭を扇子で叩いてすっぱり言う姉弟子に呆気にとられる八一。銀子としては早く八一の意識を外に向けて貰わないと何時自分だけを見てくれるか分からないのだ。例え八一が内の自分を屈服させた時更に強く遠い存在になっていたとしても。

 

「くっく、姉弟子は厳しいことを言いますね」

「何よ。この程度八一なら問題ない」

 

 そう、盤外定跡外れ上等泥臭く粘り強い関西将棋の枠で言えば自己完結するこの程度手ぬるい。立ってる者は親でも使い受けた恩と借りは倍にして返す。

 好調の時も不調の時も体調を崩しても変わらず暇さえ見つけて彼女とそうした将棋を指してきたではないか。

 

「今からですか?」

「感想戦もろくに頭に入ってないでしょ」 

「…お願いします」

 

 姉弟子と夜通し将棋を指した次の日。師匠と桂香さんに頭を下げて一人暮らし継続のお墨付きをなんとか勝ち取ったと述べておく。 

 

 

 

 

 この数日後行われた玉座戦予選第四戦。八一は相手の意表を突く一手を突くも攻撃の流れを掴み切れず敗北。制服のズボンごとももを締上げ最後まで持久戦を闘い抜いた八一は悔しさを顔に浮かべ長い感想戦を行った。

 この対局で手答えを感じた八一は次の竜王戦6組第二戦を苦戦しつつも辛勝。徐々に指し回しの感覚を修正した八一はこの後一年かけて一段一段トーナメントを這い上がって行く。

 




 自然と将棋を指すと書きたい(打つと書くこと数多)

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