ふけるつもりだったこの場にしぶしぶ晶を連れて顔を出す。それもこれも隣で周囲からハブられて所在なさげな師匠のせいだ。まあ代わりのレッスン日を用意した上で面と向かって出て欲しいとまで言われては駄々をこね続けるのもガキに思えて嫌だった。
「えへへ。今年ははじめから将棋つくしであいは幸せです~」
「危ないから飛びつくな」
「は~い!」
満面の笑みで師に飛びついたまま離れない妹分。こいつも普段にこにこしているがしがらみがあった難儀な奴。まあ抱える問題はつい先日ずいぶんと温くなったそうだ。まあどうでもいい。
「先生、なんで周りにメンチ切っているんだ?」
「知ってる若手がいたので挨拶しただけなんですけど…」
彼が行った目礼はあらぬ方向へ乱反射して返ってきた。弟子の私達まで無遠慮に見てくる奴等が一斉に視線を逸らすさまは痛快だ。当の本人はシューマイがなんとかと言っているが間違いなく勘違いしている。今の状況は名人を相手に死闘を繰り広げた私の師匠が原因に他ならない。
「いつまでもくっついていない!私まで変に見られるでしょ」
「え~」
着物が崩れることも構わず頬を擦り付け始めた妹分に何故か感じた苛立ちを取り敢えずぶつけることにした。
指し初め式の後に行われた新年会でシューマイの意味が分かった。なるほどあれは確かにテレビの画面越しに見た本因坊秀埋その人だ。時を同じくして囲碁界も打ち初め式があるはずなのだが欠席してこっちに来たらしい。お、お、おおおち…正気を疑う単語を連呼する彼女が将棋でいう名人位に匹敵するタイトル保持者とは知りたくなかった。私を妹分と一緒に遠ざけようとするはずだ。
「ぎんこぉぉ!私だぁぁぁ!」
「お久しぶりです秀埋先生」
「おおっ八一か!!おち●ぽしてるか!?」
「してません」
間近からよく見たらその変化が少し分かる。頬を引きつらせた彼が一升瓶を振り上げた彼女を押し留めた。そのまま自然な流れで酌をし始める。
「なぁぬぃいまだ童貞だと!!ん?おい八一お前、銀子を差し置いて幼女とお●んぽするのか!?」
「しません。あと彼女は弟子の夜叉神天衣です」
「…はじめまして」
今度は苦虫を噛み潰した表情がはっきりと見て取れた。彼がこうなるということは彼女もまた親しい間柄なのだろう。とんでもない酔っ払いでこそあるが一つの世界の頂点に立つ実力者、そしてやはり美人だ。なにか腹立たしい。
「先生!」
「来たか銀子!はやくしないと八一は幼女とヤッてしまうぞ!」
「ダメです!?」
息を切らせて現れた女王様は速攻でぐらついた。馬鹿みたいな話題でも師匠が絡めば揺らぐ。分かりやすい女だがこれで強い。本当に師匠の周りにはきら星が多い。場の混迷を他所にほら、また現れた。
「お冷どうぞ」
「ありがとう創多」
空いていた座布団にちょこんと座りニコニコ笑う美少年。師匠の棋戦でよく見た記録。この頃の将棋界の話題を空銀子と二分する小学生。椚創多。奨励会二段にして連盟の成績表が白丸だらけの化け物。
「んぁ?お前はお●んぽついてるのか?」
「やだなあ。ついてますよ」
突然隣の机で談笑していた人が畳に手をついて倒れたが飲み過ぎたのだろうか。私は酔っ払いから学ぶことはないだろうと現代将棋の申し子に目を向けた。否定する気はないが酔って対局に出る彼女はどう考えても感覚派。思考が鈍るはずの状態で勝つからには染みついた囲碁知識が生きているのだろうが私では参考にしようがない。
「今週時間がある時に指しましょう!八一さんと指し初めできたら良かったんですけど」
「すごい人気だったな。こっちは生石さんとしか座ってないぞ」
「見る目のない人達ですねー」
師匠に向ける笑顔とは明らかに違う笑顔を浮かべ小声で毒を吐く美少年。その点に関しては同意する。気持ちは重々分かるがあそこで物怖じせずに向かえないうちは根底の部分で師匠の敵足り得ない。つまりこいつは師に将来牙をむくのだろう。
「あの子が女流棋士になった途端他の子にご執着?」
「どうしてそうなる…」
「八一さんはお弟子さんと仲良いんですね♡」
「はぁ!?」
「揶揄ってくれるな創多」
同じ小学生の癖して師に指導対象ではなく研究相手として認められている。自分との差を突き付けられているようで無性に腹が立った。
「だって八一さんプロ入りしたと思ったらすぐタイトルに弟子までとっちゃってあまり構ってくれなくなっちゃいましたし」
「…私の知ったことではないわ」
「割とネットで指すだろう?」
「あはは。鳴川はよわよわですから。僕とても助かってます」
今ばかりはほんの少し身を引いてやろうかと思ったが分かった。こいつは私の敵だ。そして師は何ちゃっかりとバケモノを育ててくれている!憤慨して見境ない師へ掴みかかろうとしたその時空銀子と話し込んでいた本因坊が突然叫んだ。
「処女膜も破れなくて才能の壁が破れるか!!」
やはりトップクラスは完全なアレなのかもしれない。ついぞ日本刀を振り回し始めた本因坊秀埋は師匠に渡された一升瓶を手に決死の覚悟を決めた連盟職員達のタックルを受け外へと消えていく。懐に手をのばす晶を止めるかは少しだけ迷った。
「…」
帰り道。高速道路を走る車の中から淀川を眺める。建物や遮音壁がなくなり一気に視界が開くここからの眺めは良いものなのだろう。大阪湾に沈む夕日は見る者の目を奪うのかもしれない。だが私にとってのそれはレッスンの刻限と共に現れる苦々しいものだ。
「晶」
「はい。お嬢様」
「明日車出して」
「着物の準備はできております」
「…お願い」
高速をおりて市街地を抜け少しずつ山をのぼって行く。私がその言葉を発せたのは終ぞ家の敷地が見えた時だった。時間にしてちょうど1時間。私と師匠の家の距離は現代社会において大した障害にならない。
「神戸のシンデレラね。言ってくれるじゃない」
記者から言われて知った自分の異名。どうせなら棋風から無難なものを選んでくれればよかったのに。今の私の状況に当てはまる点が多すぎて腹立たしい。
「そう。これはタイトル戦へ向けた準備よ」
シンデレラは女王へ至るものだ。その為と言うならば何でもやってやる。
4か月はだめだとあせあせ書きました。短くてごめんなさい
次は頑張るぞ