別れの季節3月、八一の通う中学校は卒業式を迎えていた。今年は一月の指し初めから竜王、盤王、玉座、公共放送杯そしてつい先日の玉将と予選を戦い今も新人戦の真っ最中。中学最後の学期も休みがちであった八一。早いなと思いを抱いても仕方あるまい。
今は式典を終了し証書入れと紅白まんじゅうを手に教室でだべっている。
「クズはすっかりプロ棋士だよな。もう幾ら稼いだ?」
「教えるかぼけ」
「実際凄いよお前は」
「好きな事をしているだけだ」
「これがな」
自分が勝敗を重ねている間に同級生は皆高校受験を済ませ進学を決めていた。自分の決断を迷いこそしないが別れを惜しむクラスを見れば少しは悲しいものがある。
「お前待ちの行列だ。どうにかしろ」
「正直顔も知らん奴が大半なんだが」
「有名税だ。甘んじて受けろ」
廊下で待ち受ける下級生達に背を向け指を指す友。そこを抜けた頃にはもみくちゃにされているだろう。しかし先程スマホに届いたメールには通用門と書いてある。遅れると機嫌を損ねるだろう。何より今日は少し陽が強い。
「ほら行け。お姫様が待ってるぞ」
「ああ、…じゃあな」
人混みを抜けた八一の惨状は酷いものであった。制服と髪は乱れ饅頭はぺちゃんこ。嵐にもまれたかの様な有様である。
「姉弟子」
「八一遅い」
「すみません」
塀の影から銀色が覗いた。彼女がいた場所は丁度日陰になっていた様で八一は安堵する。しかし彼女は何やら此方を見て機嫌を悪くした。
「ボタン、誰かにあげたの?」
「混雑で取れたのでしょう。もう着ることもないですし問題ありません」
「ふうん」
二人はそれ以上の会話もなく自然と並んで帰路につく。土曜、昼間一切車の通らない交差点で律義に信号待ちをしていると銀子が口を開いた。
「私も高校行かない。一人暮らしする」
「判断するには早すぎませんか?あと二年あります」
「私はタイトルホルダーだし収入もある」
「収入の問題ではなく親御さんとよく話し合って下さい。家事も覚えた方が良いです」
「むかつく。バカ八一」
「はいはい」
銀子が無茶を言い八一がなだめる。これは二人にとってじゃれあいに過ぎず喧嘩へと発展することはほぼない。彼が銀子に対し怒ることがほとんどないからである。
体調不良を認めず将棋を指し続けたり度が過ぎた学校サボりをすると八一は銀子を無視。すると銀子は桂香に泣きつき呼び出された二人は和解する。
この八一は諭しても怒鳴っても反発する銀子に最短の和解手段を選択しているに過ぎない。
「卒業おめでと」
「ありがとうございます」
暖かな空気に居たたまれなくなったのだろうか。青信号と共に歩き出した二人の前に春先の小寒さは忍び寄ることも出来なかった。
「何であいつが、八一と。私より先に…」
関西将棋会館で行われる新人戦第二戦、八一の対面には女流棋士が座っていた。今年5月末に女流帝位のタイトルを取った祭神雷女流帝位である。
女流帝位となった彼女は帝位戦予選に参戦し鮮烈な勝利と共に一躍有名となった。他タイトルホルダーやA級棋士の予選免除がないその苛烈なタイトル戦で当たったA級棋士を喰ったからである。この新人王戦でもC1クラスを一人飛ばしてこの場に立っている。
「くひっ!くずりゅうくんとは一度戦いたかったんだぁ」
「よろしくお願いします」
「白髪ブス女の弟弟子はどんな将棋を指してくれるのかなぁ?」
「…」
「今日の振りはこぉこおぉ!」
対局が始まるや否や5筋の歩を進め中飛車の構えを見せる祭神。対する九頭竜は飛車先の歩には手を付けず角交換から左美濃を組んだ。お互いに銀冠となり両者弓を引き絞り力を解放せんと空気が張り詰める。ここまでも、ここでも黙っている祭神ではない。
「ぼくぅも、左美濃ですかー?もう、見飽きたんだよおおぉ」
「喚くな。弱く見えるぞ」
「ッあ、…うェ?」
挨拶から黙っていた八一は一言呟くと祭神が口を開いた瞬間6四角へ駒を打ちつけた。ここまで祭神優勢で組まれていた展開に杭を撃ち込む形だ。
「ひ、ひひひひゃあああぁ!」
祭神は解き放たれた獣の様に銀捨てを契機に九頭竜を攻撃した。その末九頭竜に王手飛車をかけるも躱され直後1筋の突き捨てを咎められる。ここからは九頭竜の一転攻勢、祭神の攻撃も金で封殺し自分の王は銀に歩に追い回される。
「こひゅ、この局面、どこ…かで」
「まだ口を開くか」
八一は初手から祭神の息継ぎの直前で駒を指し続けていた。盤外戦術もかくやと話し続ける祭神の口調は中盤の激しい指し合いと共に息切れを起こしている。
「みぃ…つけた。ヒュー、わたし、の…」
「打ち貫く。そのふざけた性根ごとな!」
序盤に八一へ話しかけ続けた祭神の持ち時間は80手頃に無くなっていた。八一はびしりと相手の王の後ろに飛車を叩きつけ、蹲る祭神を見下ろす。既に祭神の王がどう逃げてももう一体の飛車が龍と成り喰らい付く。
「ごじゅうびょうー、いち、に…」
「っぁ、ごほごほっ!」
記録係の秒読みが発せられると同時に息絶え絶えの祭神は必死に駒台へ手を伸ばした。ばたんと横へ倒れこんだ彼女の惨状に問題児の姿は欠片も見えない。少し後落ち着いた祭神は横になったまま口を開いた。
「やっぱあそこ?」
「指しすぎだな。飛車が成っていたら面倒だった」
「そっか。4五桂があったかあ」
少し後に起き上がってきた祭神と八一は何もなかったかの如く感想戦を始めた。憑き物が落ちたかの如く落ち着いた彼女の指す変化に八一も真摯に答える。しかし二人が満足に感想戦を終えた頃祭神の様子は対局前と別の方向にぶっ飛んでいた。
「ねえ、やーいち。わたし達は
「何の冗談か知らんが断る」
「今日だって女流棋士と遊ぶの飽きてきた雷にやいちが会いにきてくれたんでしょ?」
「違う。先約があるので帰らせてもらう。じゃあな」
「おうちに行くの?。いえーぃ」
「……」
全く話が通じていないことに気づいた八一は立ち上がり部屋を後にする。しかし祭神は会館を出てなにわ筋を逸れ路地に入った八一にぴったりついて来た。
「ついてくるな!」
「そんなこと言って―。恥ずかしいにょ?じゃさカラオケで指そ」
「用事があると言っている」
この後祭神は理事会を通して祭神の師匠辷田隆次五段の言葉を聞くまで八一に付きまとった。鉄の平常心を持つ八一も少し参った様子で困りましたと姉弟子に漏らして彼女を激怒させている。八一が他者について愚痴ることは珍しく祭神はある意味で特別な存在なのだ。そして上下なく好き勝手言い合える関係は彼女の最終目標である。
客観的に見れば八一と祭神がそこに至るはずもないのだが彼女は冷静と程遠い状態にあった。
「あいつ、いつか、ぶち殺す。わたしを、差し置いて、あの女、覚えていろ」
「落ち着いて下さい姉弟子。手は駄目です!」
「離せバカ八一。この、っ――」
ここに女王と女流帝位の長く深い確執が生まれるのだが八一はどうすることも出来ない。ただ姉弟子の普段より苛烈な攻撃を耐え続けるのみであった。
雷ちゃんでした。
誤字報告ありがとうございます。やはりありましたか…お恥ずかしい。