木之本桜は現在少々ご機嫌斜めである。それは開けてある窓から上の階……屋根裏部屋から、賑やかな声が聞こえるからだ。
しかし桜は別にその部屋の住人である弟の梅倖が多少騒がしくしたところで、機嫌を悪くしたりはしない。むしろ今まで煩いと思うほど、梅倖は大きな音をたてた事は無いのだ。たまに何かに悶えているのか床をゴロゴロ転がる音が聞こえなくもないが、その程度どうということはない。……桜の機嫌がよろしくない理由は、弟の声と共に聞こえる"もう一人"が原因だった。
「ほら、これうちの親父が書いた本なんだぜ! 面白いだろ!」
「ああ、確かに。……この間の特別授業の時も聞いていて思ったが、お前の父親の説明は分かりやすいな」
「だろー? 親父はスゲーんだ!」
「それは分かったから、耳元で煩い! 集中できないだろ! ……今いい所なんだ」
「なんだよ、せっかく見せてやってるのに! あ、でもそこなー。続き気になるの分かる分かる。次のページの解説見るともっと気になるぞ。で、あとで別の解説に繋がって「これか!」ってなる。……そうだ! 書庫に行けばこの解説に書いてある発掘品のレプリカとかあるぞ! 見るか?」
「! ……見る」
そんな会話が自然と耳に入ってきて、盗み聞きしているみたいで少々ばつが悪い桜。
窓が開いてるから聞こえてしまう、しょうがない。そう思おうとしても、だったら窓を閉めればいいだけの事。それをしないで会話の内容を聞いているので、やはりこれは盗み聞きなのだろうか。
ベッドに座りながらクッションに顔を埋め、桜はそわそわと上階を窺った。そんな彼女にゲームをしていたクロウカードの番人、ケルベロスはコントローラーをいったん置いてから振り返り、呆れたように声をかける。
「そないに気になるなら、さくらも梅の部屋行けばいいんちゃうか?」
「ほえ!? な、何言ってるのケロちゃん! べ、別に気にしてないもん!」
「ほなら、さっきから部屋ん中うろうろしたり、ベッドでゴロゴロ転がったりしとるのはなんや。そないにされたらこっちかて落ち着かんわ」
「う゛っ」
自分の奇行を指摘され、桜は思わず言葉に詰まった。一応桜も自分の妙な行動を自覚はしていたのだが、いざ言われると恥ずかしい。
ケロべロスはやれやれとばかりに首を横に振ると、視線を天上へ向けてから言葉を続ける。
「……まあ小僧が家に来てるとなれば、気にするなっちゅーほうが無理かもしれへんけど」
「だ、だから! 気にしてないってば!」
「そう言うてもなぁ……。どう見ても気にしとるで。なんや、さくらにべったりなのは梅の方かと思うとったけど、さくらも大概やな。あれやろ、小僧に弟取られたみたいで悔しいんやろ。梅の奴、あれだけ小僧の事でブチブチ言うとったのに、楽しそうに話しとるもんな~。きっとお父はんの研究の事で話せる奴出来て嬉しいんやろな~」
「もう! だから違うってばー!」
わざとらしくからかうケルベロスに、桜もそれを分かりつつもついつい声が大きくなる。
その時だった。
「おい」
「!!」
「!!」
桜がケルベロスの言葉に半ばムキになって反論した時……突然部屋のドアが開いた。
ドアが開いた音と聞こえた声に大きく肩を跳ねさせた桜と、即座にテディベアのようなポーズで硬直するケルベロス。そして部屋をのぞき込み声をかけたのは、桜と梅倖の兄、桃矢である。
桃矢は部屋の中をキョロキョロと見回し、その視線を一点で止める。その視線の先はケルベロスだ。桃矢は数秒間、ぬいぐるみのふりをするケルベロスを見つめた。それに内心冷や汗をかくケルベロスであったが、最近板についてきたぬいぐるみのふりはその程度では崩れない熟練度に達しつつある。なにやら疑いの視線を向けてくる桃矢相手にも微動だにしない。ぬいぐるみのふり玄人だ。
そして数秒後、ケルベロスから視線を外した桃矢は、ケルベロスとは対照的にわたわたとしながら「な、なにか用!?」と不自然な動きをする桜を半眼で見る。そして一言。
「うるさいぞ、怪獣。一人でなにぎゃーぎゃー鳴いてんだ」
カチンっ。
桜の中で、桃矢と接する時によく鳴る音が響いた。
「さ、さくら、怪獣じゃないもん! 今のはちょっとゲームに熱が入っちゃっただけ! うるさかったのは、その、ごめんなさい……」
「……妙にしおらしいな。明日は槍でも降るか?」
カチンっ。
もう一度音が響く。
「ちょっと、謝ってるのにどうしてそういう事言うの!?」
無難に誤魔化そうと思った心は何処へやら。足を踏んでやろうかと、桜が臨戦態勢に入った時だった。
「姉さん、どうしたの?」
「!?」
聞こえた声に桜がそちらと見れば、いつの間に居たのか桃矢の後ろから梅倖がひょっこりと顔をのぞかせていた。更にはその後ろにもう一人…………後ろを振り返った桃矢と目が合うなり、視線で火花を散らし始めた李小狼が居た。
そう、李小狼である。
クロウカード集めと恋のライバルであるはずの彼は、何故か今日……木之本家に訪問していた。
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李のやつを親父の書庫に連れて行こうと階段を下りていたら、姉さんと兄貴の声がきこえた。会話の内容から察するに、多分ケロ吉が何か言って姉さんを怒らせたんだろう。でもってその声に兄貴が気づいて、声をかけたってところか。兄貴も俺が李の相手をするために自分の部屋に居る事知ってたから、一人のはずの姉さんの部屋から声が聞こえて気になったんだろうな。
ケロ吉との会話は、いつもはだいたい俺も姉さんの部屋にいるから俺と話してたって言い訳できる。けど今はそれが出来なかったからか、姉さんはちょっと焦ってるっぽい。焦る姉さんも可愛い。
しかし、ここでフォローが光るのが出来る弟! 俺に任せてくれ姉さん!!
俺は出来るだけ自然な様子を心がけて、テレビのブラウン管に映し出されたゲーム画面をチラッと確認してから姉さんの言い訳に乗っかることにした。
「あ、やっぱりそのステージ姉さんでも難しい? 俺も途中で詰まっちゃってさ、思わずゲームに向かって怒ったよ」
「え、あ、うん。そう、ちょっと難しくて! ゲームに怒っても、しかたないのにね! あはは……。ごめん、梅くんもうるさかったよね? 声、聞こえた?」
「ううん、大丈夫だよ姉さん! 俺達は俺達で話してたから、うるさいなんてことなかったよ!」
むしろ姉さんの声ならどんな声でも天使が奏でる美しき清浄な天空の調べだから! うるさいとか思わないし!
しかし何故か姉さんは逆に「梅くん達は梅くん達で……。うん、そうだよね……。楽しそうに話してたもんね……」と言いながら落ち込んだように肩を落としてしまった。え、なんで!?
今度は姉さんが何故落ち込んだのか分からない俺が焦り始めたが、すぐ真横で実の兄と同級生がバチバチと視線で火花を散らしているので落ち着かない。ああ、もう!
「兄貴、さっき言っただろ? 親父の研究に興味あるみたいだったから、連れてきただけだって。親父も家に遊びに来いって言ってたし。今日くらいあんま睨むなよ」
「…………睨んでねぇ。見下ろしてるだけだ」
「!」
暗に「チビ」と言ってないか? それ。
李のやつもすぐ気づいたみたいでますます視線が鋭くなる。いやお前も睨むな! ちょっと前の態度悪かった俺も人の事言えんけど! まあ全部お前の行いのせいではあるけどな! って、それは今はいいや!
う~ん、これはさっさと二人を引き離した方がよさそうだ。物理的に距離を置こう。
俺は姉さんの様子に非常に後ろ髪を引かれつつも、今はこれ以上空気を悪くしないために李をさっさと書庫に連れていくことにした。なんたって、一応今日のこいつは俺が招待したお客様だからな。ちょっとくらい気は使ってやるさ。
ところで何故李の奴が家に居るのかと言えば、書庫に着くなり俺のパーカーのポケットから勢いよく飛び出てきた桃色の塊が発端だった。
「あ、こら
出てくるなりぴょんぴょんと書庫内を跳ね回り始めたクロウカード、俺のぬいぐるみを依り代にした
でも
そして何故この
数日前、俺達友枝小学校四年生の面々は課外授業で動物園を訪れていた。それぞれのグループに分かれ、担当の動物を観察してレポートを完成させるのが授業内容だ。
でもって俺はよりにもよって李と同じグループ。……もともと男女でグループがわかれていたから姉さんと一緒になれないのはしかたがないけど、何故李と。そうは思ったけど、山崎に誘われるがままにグループに入ってしまったのだからしかたがない。その山崎が李を誘っていたんだし。だったら輪を乱すようなことはすまい。
転校当初の李を見た時は姉さんに乱暴した事による悪感情も手伝って、つんけんしている態度のこいつには絶対友達なんかできない! と思っていた。でもいざ学生生活のふたを開けてみれば、なんだかんだで李はそれなりにクラスに馴染んでいる。それは多分俺が思うに、山崎の影響が大きい。
李の奴、すぐに山崎の嘘に騙されるんだよなー。それは姉さんもだけど、姉さんはそんなところも可愛いからいいのだ。
山崎の嘘には悪意が無いし、その内容は普通なら誰でも気づけるような突拍子もないものだ。けど李は「なるほど……」「そうなのか、知らなかった!」といった具合に、とても素直にそれを信じてしまう。月城さんへのわかりやすい好意といい、こいつ根は本当に素直というかなんというか……。
で、そんな様子を見ていれば「悪い奴ではない」という事を周りも分かって来たみたいで。最初の頃は李の張り詰めた空気に遠慮がちに接していたクラスメイト達も、気づけば普通に李に声をかけるようになっていた。李も声をかけられれば無視するわけでもなくちゃんと答えるから、まあ結果的にクラスには馴染んだわけだ。
これに何故かほっとしてしまった俺。何故だ。……まあ、それなりに恩もあるからかな……。
まあそんなわけで、李は特に浮く事も無く俺や他の班員たちと担当の動物を観察することになった。
ちなみに俺たちの班の担当動物はナマケモノ。動きが無さ過ぎてちょっとつらかったが、山崎の言葉を信じて本気のナマケモノが時速百キロで動く瞬間を見逃すまいと根を輝かせている李を観察するのはちょっと面白かった。
そして観察を続けていた俺達だったのだが、突然檻の動物たちが逃げ出すというハプニングが起きた。力比べの相手を探していた
いち早くカードの気配を掴んで逃げる客の流れとは逆方向に走り出した李を、当然俺も追いかけた。ついこの間
しかし追い付いた先で、李は意外な行動に出たのだ。
俺達が現場に到着した時、姉さんがすでに
姉さんの手と象の鼻には綱が握られており、どうやら姉さんは
しかしいくら象が手伝ってくれていたとはいえ、そこはやはりクロウカード。力の名を冠するだけあって、
俺はせっかく現場に来たというのに、姉さんたちの方に行く前に好き勝手跳ねる
そして瞬きをした一瞬後。……俺が見た時にはすでに
でも直前まで見ていた様子では、どう見ても純粋な力勝負では勝てる相手では無かったはず。ちょっと考えるまでもなく、俺は李が
しかし李のやつが
しかしあれだけクロウカードに固執しているはずの李は、特にカードの権利を主張するでもなく……それどころか姉さんたちに姿を見せることなくその場を後にしたのだ。謎である。
まったくどういう風の吹き回しだ! しかもなんだそのスマートなサポートは! お前ライバルポジじゃないの!? そういうことする役目はキャプターサポーター俺! の役目じゃん!
……と、俺は再びとても悔しい思いをした。
だが姉さんを助けてもらったことは事実。姉さんが知らないうちに李に借りを作ったままというのも嫌だった俺は、姉さんの代わりに李に借りを返してやることにしたのだ。
それが今回の我が家、木之本家訪問である。
親父の特別授業の時に興味津々で、親父に興味があるなら家に遊びに来るといいって誘われた時はすごく嬉しそうだった李。しかし俺、姉さん、兄貴の家でもある我が家にはさぞ来辛かっただろう。そこで俺が声をかけ招待という形で家に誘い、李に借りを返す事にしたのだ。俺が無理矢理誘ってしかたなく、となれば李も来やすくなると思ったし。……ちょっと強引にしつこめに誘ってしまったが、渋々といった態度でありながらちゃんと来たあたり本当に親父の研究に興味あったんだろうな。
ちなみに姉さんには李が
でも俺には言えない……! 象さんと一緒につかみ取った勝利に、あんなに嬉しそうな笑顔で喜んでいた姉さんに真実を伝える事とか出来ない……!
だからこの借りについては、俺の心の中にしまっておこう。李も言うつもりないみたいだし。
ま、親父の自慢できるのとか、俺も大好きな親父の研究について話すのは楽しいしこんな日があってもいいか! 李が来るって話した時の兄貴の視線がちょっと痛かったけどな!
俺は研究資料や発掘品のレプリカに目を輝かせる李を前に、そんな風に自分を納得させるのだった。
+++++++++
(いつの間にあんな仲良くなったんだろう……)
桜は父・藤隆が用意したおやつを口に運びながらぼんやりとそんなことを考えていた。ちなみに藤隆は先ほど帰宅し、自分の研究に興味を持ってくれた少年が来ていることを知ると、自ら解説をしようと先ほど梅倖と李小狼が居る書庫へと降りていった。桃矢はバイトに出かけているため、今リビングに桜は一人である。いつ藤隆が戻ってくるのか分からないので、当然ケルベロスは部屋でお留守番だ。
桜の双子の弟である梅倖は、最初の頃とても李小狼を嫌っていた。しかし魔法について少し教えてもらったおかげなのか、気づけばなんとなくその感情は「苦手」程度まで落ち着いたようだった。それでもまさか家に呼ぶほど仲良くなっていたとは思わなかった桜は、李の来訪にはとても驚いた。桜としても李は得意な相手では無いので、玄関で顔を合わせた時の気まずさといったらない。
けど、だからだろうか。今日、心の中がなんとなくもやもやしているのは。
今まで梅倖が他の友達と遊ぶときには抱かなかった感情である。これはクロウカード集めと恋のライバルである李小狼相手だからだろうかと、桜は首をかしげた。ケルベロスが言うように弟をとられてしまったような、子供っぽい嫉妬なのだろうか。
……思わずため息がこぼれる。
「……あとで知世ちゃんに電話しよう」
このやり場のない感情を、親友に聞いてほしかった。
桜は「うん、そうしよう!」とひとつ頷くと、勢いよく残りのおやつを頬張ったのだった。
ちなみにケルベロスの分のおやつを取っておき忘れ、後で散々嘆かれたのは余談である。
微さくらちゃん視点。
なにげにこのお話、サブタイトルつけるのとても迷うこと多々。