最初異変に気づいたのは、コーヒーで手がふさがっている李のために研究室のドアを開けた姉さんだ。
こちらに気付いた学生のお姉さんに挨拶をしつつ、何かを探すように視線が動いていた。続いて李も同じような様子を見せる。更に続いて俺も。
鼻をくすぐるような、魔力の気配。実際に香りがするわけではないが、なんとなく鼻がむず痒い感じがした。
そしてすぐに異変は目に見える形になった。
「あれ、眠っちゃってる……?」
差し入れのコーヒーにお礼を言って受け取ってくれたお姉さんが、不思議そうにもう二人の学生さんを見る。男の人達は机に突っ伏すようにして眠っていた。
「みなさん、お疲れなんですね」
「一度眠ってすっきりしたほうが、はかどるんじゃない?」
魔力を感じ取れない大道寺と李苺鈴はごく普通の反応を示したが、俺たち三人は部屋中にくまなく視線を巡らせている。
そして。
「いた! クロウカード!」
「わわわ!? ちょ、ちょっと! え、クロウカードですって!?」
姉さんが声を上げると当時にきらきら光る粉が宙を舞い、それをかぶって今度は学生のお姉さんまでも眠りに落ちてしまった。それを慌てたように抱き留めたのは李苺鈴。ナイス反射神経! そのあとすぐに大道寺と一緒に眠らされちまったけど、最後にいい仕事した!
お姉さんが眠って他に人も居なくなったので、ケロ吉がすぐに飛び出てきて解説をする。
「あれは
なんで親父の学会で忙しい時にそんなカードが出てくるんだよ! どうせなら終わった後に出てくればいいのに! ……と、そんなことを言ってもしょうがないので、俺たちはカードの捕獲に動く。
だけど
ちなみにこんな時だがクロウカードの依り代を俺が出さないのは……今日連れてきたのが
「くそっ、らちがあかない! 手分けして回り込んで挟み撃ちにするぞ!」
「わかったよ、李くん!」
「なんでお前が仕切っ……まあいいや、わかった!」
李の言葉に頷くと、俺たちは別方向に散る。今回親父の大事な仕事がかかってるんだ。最悪李にカードをもってかれてもかまわない。……多分姉さんも、同じ気持ち。
だけど俺は、ここで姉さんから離れたことを後悔することになる。
その後
「そ、そっちは、あわな、かったん、だな」
「……お前、最近訓練をさぼっていたな?」
「さぼってねぇよ! お前に、おそわったのも、あるけど、マラソン、たいかいもあったから、れんしうも……しゃべらせんなよ!」
いきなり全力疾走したせいで息切れしている俺に、李の呆れた視線が突き刺さる。ついむきになって反論してよけいに息が切れた。
(く、くそう! ちょっとは体力ついたと思ったのに、突然だと体がまだついていかない!)
ちなみに廊下は走っちゃいけません、なんて標語をまるまる無視して走っている俺たちだが、
「! あそこだ」
「え、あそこって……親父の研究室?」
ぐるっと回って行きついた先は、扉が半分あいた部屋。……さっき訪ねた場所だ。
そして中で膨れ上がる姉さんの魔力。部屋から逆巻く風が吹き出ている。
「よし、追い詰めたんだな姉さん!」
「いやでも、待て。これは
「……あ」
李の言わんとしていることを察する。
「きゃあああああ!?」
「姉さん!?」
悲鳴に駆け込めば高いところから落ちたのか、大きな音をたてて尻もちをつく姉さんの姿。そして……。
「そんな……」
気づいた姉さんが呆然と呟く。……その視線の先にあるのは、画面にひびがはいった親父のパソコン。あれは多分壊れちゃってるな……。
姉さんは混乱したように手持ちのカードを広げて、どうにか直せないかと頭を悩ませひとつひとつ試してみる。だけど姉さんが持っているカード……そして李のもっているカードの中にも直すことができるカードは……ん?
「な、なあ。もしかして
期待を込めて李を見る。
李が使ったのを見たのは動物園で時間を止めた時くらいだが……。もしかして、時間をちょっぴり前に戻したりもできるんじゃないか!?
だけど俺の期待とは裏腹に、李の表情は厳しい。
「……クロウカードでも、魔術でも。どうにもならないことは絶対にある。特に強い魔力をもつものは、運と同時に不運も引き寄せやすい。だからこそ魔力の使い方には気を遣うべきなんだ。お前はそれをもう少し知っておいたほうがいい」
「李くん……」
「なんや小僧! それは、そやけど……! なにも今言わんでもええやないか!」
震える声と涙目で振り向いた姉さんと、李の強い視線がぶつかる。俺が何か言う前にケロ吉が怒ったから、ムカッとした俺は何か言うタイミングをはずしてしまった。
……けどそのおかげで、李の言葉を少し飲み込むことが出来た。
(運と同時に、不運も)
それはもしかして、とてもとても……大事な言葉ではないだろうか。
李家は由緒ある魔術師の家系だという。その李が口にした「魔術でもどうにもならないことはある」って言葉は重い。姉さんが傷ついている時にそんな言い方はないって意味でケロ吉は怒ったんだろうけど、言葉そのものは否定しなかった。
李は多分、自分の魔力が引き起こした結果を姉さんに受け止めさせたいのだろう。
そうこうしてるうちに、眠ってた面々が起きたのか研究室へとやってきた。その瞬間李の表情が「あ」とでも言いたげなものに変わったので、もしかしたらこの後力を貸してくれる気でいたんじゃないか? なんて、ちょっと思ったり。
部屋の惨状に泣きながらごめんなさい、ごめんなさいと、親父に謝る姉さんにも親父は穏やかで優しかった。でもきっと、今その優しさは姉さんにとってつらいもの。……俺もちょっと、泣きそうだ。
俺と、それと多分李も。姉さんと一緒に謝ろうと口を開きかけたが、それは他でもない姉さんに阻止された。姉さんは泣きじゃくりながらも、「あのね、わたしがわるいの。梅くんや李くんは、関係ないの」と言ったのだ。
……ううっ。三人も居てすぐに捕まえられなかったんだから、俺たちにだって責任あるのに。姉さん……!
そのあと俺たちは親父と一緒に家に帰って、李達とは途中でわかれた。その時小さな声で「悪い」とこぼした李が印象的で。
大道寺と共に
翌日の日曜日。
姉さんも、そして俺も昨日の夜はろくに眠れなかった。徹夜で作業しているであろう親父が気になって仕方がなかったからだ。
でも……やっぱり親父って、すごいんだよな。不安で心配でしかたがないって様子の姉さんにかけた言葉は頼もしくて、気遣いもいっぱいで。
なんと親父、完成しかけていた論文は全部頭の中にあるから、今日一日頑張れば完成するかも、と言ったのだ。そこに「ただし、優秀な助手が必要ですが」と付け加えて……落ち込んでいた姉さんのやる気が燃え上がった。もちろん俺も。
親父、すごいなぁ。落ち込んでた姉さんが一気に元気になった。
「わたし、なんでもお手伝いする!」
「お、俺も!」
「これはこれは、優秀な助手が二人……いや、三人かな? 頼もしいですね」
三人、という言葉に振り返れば部屋の入り口には兄貴の姿。その表情は柔らかい。
そのあと俺たちは部屋の片づけとか資料探しとか、飲み物の差し入れとか。出来る限り親父を手伝った。
ちょっと驚いたことと言えば、そんな日曜日の最中……李が親父にって差し入れを持ってきたことだな。昨日とはまた違った、手作りっぽい中国のお菓子だった。直接渡すんじゃなくて郵便受けにメモと一緒に入れてあったんだけど。
昨日のことを気にしてだろうが、「李くんは本当に悪くないのに……」と姉さんも驚いてたし、俺も律儀極まる李の態度に感心を通り越してちょっと呆れた。いや、嬉しいけどな?
まあ、あれだけ親父の研究に興味を示していた李としては、ちょっとでも役立ちたいって思ってくれたのだと思う。それと、やっぱ本のお礼もあるのか。
そんな少し慌ただしい日曜日を経て、論文発表がある月曜日。
論文は……なんとか間に合った! よかったー!
俺たちの手伝いがどれだけ役に立ったか分からないけど、ちょっとでも助けになっていたなら嬉しいな。
「ねえ、梅くん。あのね、
その日の夜、姉さんがぽつぽつと話してくれた。
「でもね、
姉さんは頑張ったよとか、悪くないよとか、いつもカードの使い方は的確だとか、キャプターサポーターの俺がもっと頑張らなきゃいけなかった、とか。
言おうと思えばいくらでも慰めの言葉は出てくるだろうけど、今の姉さんが欲しいのはそんな言葉じゃないんだと思う。だから俺はもう少し口を開かないでおこうと、黙って耳を傾けた。
「うまくいえないけど……李くんの言葉がね、すっごく心に残ってるの」
「魔術でもどうにもできないことがある……ってやつ?」
「うん」
「小僧の言うたことってのが気に食わんけど、それはわいも同意見や。魔術でなんでもかんでも出来るわけやないからなぁ」
「うん。だからね、これからもっと考えようって思ったの。こんなふうに、お父さんや大切な人に迷惑かけたくないもん」
「俺も。というかさ、こういう時にサポートするのが俺の役目なんだよ。姉さんが周りを気にしなくていいように。カードに集中できるようにするのが、キャプターサポーターってもんでさ。だから俺としても今回すっごく反省点」
眉を八の字にすれば、やっと姉さんが少し笑ってくれた。
「梅くん。これからも……一緒にがんばってくれる?」
「もちろん!」
きっかけは反省からだけど、姉さんにちょっと頼ってもらえたのが嬉しくて、俺は思い切り胸を張って叩いてみせた。強く叩きすぎてむせた。か、かっこがつかない……。
そんなこんなで反省点を残しつつ、どたばた騒動も終わったわけだ。
今回のことで、キャプターサポーターとして俺がどう頑張るべきか……ちょっと見えた気がする。
まだ未回収カードはたくさん残っているみたいだし、これからも姉さんを支えてがんばるぞ!