地下にある親父の書斎は、昔から俺にとって一番の遊び場だった。
もちろん姉さんや兄貴と遊ぶのも好きだったけど、二人と違ってあまり体が丈夫ではない俺は家の中で過ごすことが多かったんだ。外へ遊びに行く二人に気を遣わせるのも嫌だったから、小さい頃の俺は家で過ごすのが好きなんだってよく主張していたな。実際そうだったし。
そしてそんな時、俺の友達は親父が集めたたくさんの本達。親父は俺用に児童書や絵本もいっぱい用意してくれたけど、俺は親父の本……主に図鑑を見るのが好きで、書いてある文字の意味が分からないながら、絵や写真目当てによく夢中になってページをめくっていた。小説の挿絵を見るのも好きだったな。
俺が本を読むのが好きになったのは、間違いなく書庫の影響である。家に居ながら別の世界が感じられる本という物が、俺は大好きなのだ。
そして本を見た後はそのまま空想に耽り、よく寝落ちしていた。だから小さい頃は俺が寝てもいいように、毛布とクッションが置いてあった。お父さ……親父の優しさだ。
だけどそんな俺のベストプレイスたる書斎に、ケロ吉が眠るクロウカードを納めた本があったなんて驚きである。全然気づかなかった。
姉さんに魔法を見せてもらった後(と言っても部屋の中なので、見せてもらったのは魔法の杖もとい魔法の鍵の封印を解くところだけなのだが)改めてケロ吉と姉さんの出会いを聞かせてもらった。ほーん、あの書庫にケロ吉がねぇ……。
姉さんのベッドにゴロゴロ転がりながら、相変わらず真の姿とやらの片鱗が欠片も見受けられないぬいぐるみを見る。うん、どう見てもぬいぐるみ。何処に出しても恥ずかしくないぬいぐるみ。中に綿が入っていても違和感が仕事しない程度にはぬいぐるみ。
「梅。お前また失礼な事考えてるやろ」
「べっつに~」
「ホンマか~?」
「ああ! や、やられた……!」
俺を睨みながらも、ケロ吉は必殺コンボを決めたらしい。格闘ゲームで一緒に遊んでいた姉さんのキャラクターが地に沈んだ。……あんな短い手足だというのに、恐ろしく器用で早いコントローラーさばきである。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
「そういえば姉さん、明日の社会科見学楽しみだね!」
「はうぅ……。え? あ、うん! 楽しみ! 私たちはね、水族館に行くの!」
「へえ、いいな~」
ぼろ負けした悔しさに沈んでいた姉さんだが、俺が明日の話題を振ると嬉しそうに頷いた。姉さん可愛い。
明日はグループ別に色んな公共施設に社会科見学に行くのだが、姉さんは水族館。俺は博物館が目的地だ。生徒の自主性を尊重してくれる友枝小学校では、こういった行事がたま~にある。クラスひとまとめとかじゃなくて、少人数で行動するイベントは普段と違った新鮮な気分を味わえる。制服姿で行動するのがまた友達同士で遠出するのと違って、ちょっとドキドキするんだよな。
きっと姉さんの事だから、楽しかった一日の思い出をいっぱい聞かせてくれるに違いない。俺も出来るだけ楽しい土産話を持って帰るぞ!
しかし翌日。姉さんが持って帰って来たのは、楽しい土産話どころか随分と不穏な話だった。
「溺れかけたぁ!? さくらがか!?」
「違うよ! もう、ちゃんと話し聞いてなかったでしょ」
「へ? あ、あはは……。いや~、スマンスマン。久しぶりにさくらの部屋から出るから落ち着かんでなぁ。そうやな、さくらが溺れるわけないわ。運動神経だけはええもんな~」
「だけって何よ、だけって!」
「それで、姉さん。それって例のクロウカードの仕業なの?」
キッチンでホットケーキを作る姉さんの横でアイスティーの用意をしながら、今聞いた話を思い返しながら問いかける。うん、丁度オレンジジュースあるからオレンジティーにしよう。
ちなみにケロ吉はうかつにも姉さんを怒らせたため、ホットケーキをあげないと言われ焦って揉み手でゴマをすっていた。……やっぱりケロ吉にケルベロスなんてたいそうな名前は似合わんなぁ……。
なんでも水族館で見ていたペンギンの餌やりショーの途中、スタッフのお姉さんが突然水中に現れた水の渦に足をとられて身動き取れなくなったらしい。幸い彼女は顔を水面に出せたので溺れる事はなかったが、なんと溺れかけたのはペンギンの方。渦に近づいたペンギンは、お姉さんの足を捕らえたのと同じ水中の怪奇渦に巻き込まれてしまったのだ。しかも更に驚いたのが、その水の渦を掴んで引っ張るという芸当でペンギンを助けたのが桃矢の兄貴だってこと。水族館でバイトしてたって、あんた……。訊ねるたびに別の場所でバイトしてんだけど、いったいどんなコネクションもってんだ。短期のバイトってそんなポンポン見つかるもんなの? 我が兄ながら不思議な人である。
それにしても、聞けば聞くほど奇怪な現象だ。水中で渦と言ったら、まず思いつくのは排水溝とかの詮が抜けて吸い込まれるとか……まあそんな感じのイメージだ。だけど聞く限りだと渦はプールのど真ん中に発生したっぽい。しかも一つの渦から派生した渦が、ペンギンを動けなくしたのだという。しかも兄貴はそれを掴んだんだろ? 渦を掴むって、おま。……誰が聞いても絶対変だ。自然に発生する現象じゃない。
そこで事情を知る俺が思いついたのがクロウカード。多分姉さんも同じことを思っている。
「うん、そうなの。なんだか知ってる感じだった。だからきっと……」
「ただいまー」
「!」
「!」
「ふごっ?」
しかし話の途中で兄貴が帰って来たので、その話は後回しになった。ちなみに口いっぱいにホットケーキを詰め込んでいたケロ吉は俺が部屋へ持ち帰った。世話のかかる奴である。
そして後日、何故か姉さんと月城さんがデートすることになっていた。
何で!?
「大道寺……。俺さ、複雑なんだ。応援したい気持ちはたくさんあるんだけど、でも、なんかこう、どうしても寂しい……! 寂しいよ……! こんなこと言うの恥ずかしいんだけど、話せる相手大道寺しか居なくて……!」
『それは梅倖くんがさくらちゃんを大事に思っている証拠ですわ。恥じる事はありません。それにしても、偉いですわね、梅倖くんも誘われたのでしょう? なのにさくらちゃんのために我慢したんですもの。偉い。偉いですわ!』
「だ、大道寺ぃ~」
電話越しに泣きつく俺に、同級生とは思えない包容力で応えてくれる大道寺。流石は姉さんの親友にして俺の大先生。頼りになる。
昨日兄貴が帰宅した時、月城さんも遊びに来たんだ。そして月城さんが大好きな姉さんは当然、お小遣いで買ったホットケーキミックスで作ったホットケーキを惜しみなく月城さんにご馳走した。月城さんはそのお礼をしてくれるというのだ。それがデートの真相である。でもデートはデートでデートなんだよ!! 記念すべき姉さんの初デートだよチクショー! うわああああああん!
水族館のクロウカード……ケロ吉が言うには、おそらく攻撃用の魔法カード
けどそんな時、俺の手元には姉さん経由でもらった大道寺のお母さんの会社の新製品。姉さん、ケロ吉、俺と、太っ腹にも三つも貸してくれたそれは携帯できる電話、携帯電話。ピンク色のカラーリングと可愛らしいデザインが特徴だ。モニターとして使い心地を伝えてほしいというお願いがあるとはいえ、ぽんっと貸してくれるあたり本当に凄いお家のお嬢様なんだなぁ大道寺……。それを初めて使ったのが愚痴を聞いてもらうためってのが申し訳ないけど。……今度何かお礼しよう。
『ですが梅倖くん』
「ん?」
俺がお礼について考えていると、ふいに大道寺が真剣な声で名前を呼んできた。
『陰から見守るのも、愛なのですわ! ようは邪魔しなければいいのです! と、いうわけで。もちろんさくらちゃんの初デート……行きますわよね? わたくしは行きます』
大道寺大先生!!
この人についていこう。感動と共に、そう決心した。
翌日、午後一時。
月城さんと待ち合わせしていた姉さん(デート服が可愛い)のあとを大道寺大先生、ケロ吉と共につけて付いた先は、なんと水族館。そこはついこの間、姉さんが社会科見学で行った場所だ。つまり
俺は大道寺と頷きあうと、そっと水族館の扉を潜った。
そして俺の勘大当たりだったよ! ね、姉さぁぁぁぁぁぁぁん!!
水族館内のティールームで姉さんたちがくつろいでいると(また兄貴がバイトしてた。今度はウエイターで)、突然巨大水槽にひびが入って割れたのだ。俺達は上の階にいたから平気だったけど、姉さんと月城さんが水に飲まれてざっと血の気が引いた。幸いすぐに月城さんが消火栓のボックスから斧を取り出して扉を破壊し、水を逃がしたおかげでみんな無事だった。……こんな時でも冷静に行動できるとは、流石俺が認めた姉さんの未来の婿。悔しいけど、あっという間すぎて俺には何も出来なかった。……あっという間じゃなくても、俺なんかじゃ何も出来なかったかもしれないけど。
しかしへこむ俺とは裏腹に、姉さんの表情は明るい。どうやら
だけどそうとくれば、俺もへこんだままではいられないな! だって姉さんが攻略法を思いついたとなれば、いよいよ
しかし現実は非情である。
「駄目!
「で、でも危険だよ姉さん!」
「梅くんのがもっと危険でしょ? 大丈夫! わたしには
「でも、や、やだー! 俺もなんかするー!」
「コラっ。わがまま言わないの」
作戦は夜の水族館に忍び込んで
そしてこの作戦には
その後見事に
にしても、初めて見たクロウカード……迫力あったなぁ……。ちょっと怖かったけど、それ以上に美しかった。見た目が可愛い女の子っぽくて、ちょっとドキッとしてしまったのは内緒。
それにしても、今回の姉さんの衣装も素晴らしかったな……! 水を相手するということで、耐水性の衣装を用意した大道寺大先生流石。ピエロチックなとんがり帽子ととんがり靴が特徴的な、青と白が基調の対
……次はもっと手伝えるように裁縫スキルを磨いて頑張ろう。俺、ほとんど役に立たなかったわ。
あと、今回クロウカード捕獲に参加して、激しく疑問に思った事がある。
「なあ、大道寺。俺と一緒に冷凍庫の前に居たのに、なんで
「うふふ。内緒です」
様々なアングルから撮影されたビデオを見て口にした疑問には、捉えどころのない笑顔が帰ってきた。
我が盟友たる大道寺知世大先生。俺の姉は魔法少女だが、彼女もまた謎多き乙女である。