桜が目を覚ました場所は、月城雪兎の家だった。
桜は気を失う前、学校近くの森に出るお化けの正体がクロウカードではないかと考え、怖いながらも勇気を振り絞ってケロちゃんことクロウカードの守護者ケルベロス、親友の知世、弟の梅倖と共に夜遅くに家を抜け出して森へ調査に来ていた。しかしそこで見たものは、亡くなったはずの母……撫子の姿。昼間見た時は髪の長い女性とまでしか分からなかったが、今度ははっきりとその姿が母に見えたのだ。そして彼女の後を追って……その後から記憶が無い。
雪兎に話を聞いたところ、なんと桜は崖の上から落ちたのだという。しかも桜の腕を掴んだ梅倖まで一緒に落ちてきたというのだから背筋が凍った。当の梅倖は布団に横たわっていた桜のすぐ横に突っ伏すように眠っていたので、無事だけはすぐ確認できていたのだが……一歩間違えれば二人とも死んでいたかもしれない。その事を思うと、怖くて仕方がなかった。
だからこそ、助けてくれた雪兎には感謝してもしきれない。
「雪兎さん。本当に、本当にありがとうございました……!」
「ふふっ、気にしないで。でも、ビックリしたなぁ。道路を歩いていたら、空からさくらちゃんと梅倖くんが降ってきたんだもの。……二人とも無事で本当に良かった。そういえば、不思議なことがあってね。二人が落ちてくるとき、すごくゆっくり落ちてきたんだ。だから僕も間に合った」
「そう、なんですか?」
「うん。不思議だね」
雪兎の言葉に桜はケルベロスが見えないところで自分たちのどちらかをくわえ、あの小さな羽を懸命に羽ばたかせて助けてくれたのだろうかと考えた。が、当のケルベロスがこの場に居ないため聞くことはできない。どうやら知世からの伝言によると、今晩は知世が自宅で預かってくれるようだ。
色々気になることはある。しかし今は雪兎が目にした不思議な事や、何故あんな時間にあの場所に居たのかと深く聞いてこない気遣いと優しさがありがたかった。
そして雪兎は優しい笑みを浮かべたまま、眠っている梅倖に顔を向ける。
「そうそう。梅倖くんは崖から落ちた後、すぐ目を覚まして自分でここまで歩いてきたんだけど……流石に疲れてたみたいでね。ずっとさくらちゃんが起きるのを待っていたけど、さっき眠っちゃった」
雪兎の言葉に弟に目を向ければ、確かに途中で寝落ちしたような不格好な形で腕に顔を埋めて眠っている。その頬にはうっすらと涙の痕が残っており、泣かせてしまった事に気づいて心が痛んだ。自分が弟を心配したように、梅倖もかなり心配してくれたようだ。
そこではたと気づいて、慌てて弟を布団に引っ張り込む。ただでさえ疲労がたまっているのだ。少し冷えただけでも、もしかしたらこの子は風邪をひくかもしれない。
弟は生まれた時から体が弱く、大病を患っているわけではないのだがとにかく免疫力が低く体力がつきにくかった。体が育つにつれて次第に改善されていったはものの、未だに年に何回も風邪はひくし貧血で倒れるしで、心配は絶えない。しかし弟はそれを苦にすることなく、いつも明るい。そして桜を心の底から慕ってきて、いつも助けてくれようとするのだ。
桜はそんな梅倖を頼もしく思いつつも、時々その体力に見合わない物凄い無茶をする様子に内心ハラハラする事も多い。今回も、正にそれだ。下手をすれば梅倖自身も怪我か、もっとひどい事になっていたかもしれないのに……崖から落ちる事も厭わずに桜を助けようとした。その無茶を当然のように行ったことが、さくらには簡単に想像できてしまう。
……助かった後も、きっと自分の無事より桜の無事に安心して、そして心配して泣いたのだ。
「わたし、お姉ちゃんなのになぁ……」
すこやかな寝息を立てて眠っている弟の頭を撫でれば、甘えるようにすり寄ってくる。その無意識の仕草に笑いつつ、さくらは崖の上でのことを思い出す。
亡くなったはずの母は、何故あんな寂しい場所に居たのだろう。
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俺は崖から落ちた後、少し気絶していたらしいのだがわりとすぐに目を覚ました。そして俺たちを助けてくれた月城さんが兄貴に連絡するから迎えが来るまで家で休んでいるといいと言ってくれたので、その申し出をありがたく受けることにした。……姉さんはまだ目を覚ましていなかったしな。
ちなみに俺たちを心配して側についていてくれようとした大道寺は、時間が時間だったので説得して家に帰らせた。大道寺のボディーガードである黒服のお姉さんたちが迎えに来た後も、車に乗るまでしきりに振り返っては心配そうに見ててくれた大道寺はやっぱり優しい。そして俺はその優しさに甘えて、今晩ケロ吉も預かってもらう事にした。何かと鋭い兄貴が迎えに来た時、余裕のない今の俺と姉さんでケロ吉をうまく隠せないかもって思ったのもある。……だけど本当は、ちょっとだけ今はケロ吉と距離を置きたかったんだ。
姉さんを助けようとして吹っ飛ばされて、そのあとも物凄く申し訳なさそうな雰囲気を出していたケロ吉を責める気はない。でも今はちょっとだけ、ちょっとだけ距離をおきたい。クロウカード集めなんて名目が無ければ、怖がりの姉さんが夜出かけて、崖から落ちる事は無かった……そう考えてしまうから。きっと責めたくないと思っても、今の俺はケロ吉に嫌な態度をとってしまいそうで、それが凄く嫌だった。だから多分そんな俺の内心を察してくれただろう、大道寺とケロ吉本人の気遣いがありがたかった。……俺もまだまだガキだよなー。
そして二人が帰った後も俺は姉さんが起きるまで側についていようと思ったのだが、眠る姉さんを見ていたら助かって安心したやら、でもやっぱり心配したやらでみっともなくも泣いてしまって。……気づいたら俺は、いつの間にか寝落ちしていたらしい。
ちょうど俺が目を覚ました時、先に起きていた姉さんと月城さんが会話していた。でもって俺はなんとなく起きにくい雰囲気を感じたので、そのまま狸寝入りを決め込んだのである。
話を聞いていれば、なんと姉さんが見た光の球のお化けはマッチョな俺ではなく、亡くなったはずの母さんだったらしい。姉さんは眠る(ふりをした)俺の頭を撫でながら、心細そうになんで母はあんな寂しそうな崖の上に居たのだろうかとこぼしていた。……仕方がない事だけど、ちょっと悔しいな。姉さんは多分、俺の前じゃここまで弱気なところは見せてくれないから。
けど不安そうだった姉さんも、月城さんが「でも本当にさくらちゃん達のお母さんなら、二人を危険な目にあわせるかな?」と言った事で、少し安心したみたいだった。……くそう、言いたいことを先に言われてしまった。
でも、そうなのだ。月城さんが言うように、本当に俺達の母さんの幽霊ならあんなことは絶対にしない。というか、それなら俺が気絶する前に見た俺と姉さんを助けてくれた母さんは何だったんだという話だ。幻と言われたらそれまでだけど、でも、もし母さんの幽霊が居るならきっと俺たちを助けてくれた方が本物。崖の上で姉さんを惑わした方が偽物だ。
だとしたら、ますます許せない。姉さんを惑わして、危険な目に遭わせて、ケロ吉をふっとばして、母さんを騙った偽物が。
(それぞれ別のものに見える、幽霊……)
そこに、何かヒントがある気がした。
翌日、俺と姉さんはそろって学校を休んだ。体調に別状はないのだが、兄貴に休んどけと言われたからだ。
「梅くんはなんともなくないでしょ!」
しかし現在俺は、「何ともないのに兄貴も大げさだよね」と言った事でムッツリ顔の姉さんに叱られている。い、いや、確かにちょっと熱は出たけど本当に大した事は無いし……。
「だ、大丈夫だって。ちょっと起きるくらい……」
「だーめ! ちゃんと寝てないと。お昼ごはんはお父さんが作っていってくれたのあるし、わたしが温めてくるから梅くんはそのまま寝てなさい」
「いや、だからそれは俺がやる……」
「梅くん」
「学校休んだんだし、姉さんだって寝て休まないと……」
「梅くん」
ただ真っすぐ見つめられて、名前を呼ばれる。
「……お、お願いします」
姉さんに勝てるはずがなかった。
俺が折れると、姉さんはニッコリ笑ってキッチンへ向かった。ちなみに俺が今いる場所は姉さんの部屋だったりする。「梅くん、学校休んでる時けっこうゴソゴソ動いてるでしょ。今日はわたしがいるから、それはさせないからね!」と言われてしまい、姉さんのベッドに押し込まれたのだ。そして朝から甲斐甲斐しく世話されている。
嬉しいながら姉さんにもゆっくり休んでもらいたい俺としては、ちょっと微妙な気分だ。……俺の世話をすることで姉さんが気分を紛らわしているのも分かるから、あまり色々言えないんだけど。
そして学校が終わったころ、ケロ吉をつれて大道寺がお見舞いに来てくれた。ケロ吉は「なにも出来んですまんかった」と俺達に謝ってから、今回は危険かもしれないからやめておいた方がいいと自分の方から言ってくれた。そしてカード集めを頼んだのは自分だが、姉さんや俺を危険にさらしたいわけではないのだと。大怪我させたり泣かせたいわけやない、と言った時のケロ吉の顔は、今まで見た中で一番真剣だった。……見た目ぬいぐるみだけど。
けどそれを聞いて、ようやく俺も心のつっかえがとれた。ケロ吉の気持ちは言われなくてもなんとなく分かってたけど、やっぱり改めて言葉で聞くと違う。……そうだよな、ケロ吉は結構適当でぐーたらで食いしん坊でまったく守護者とかケルベロスとかっていう呼び名が似合わない奴だけど、悪い奴じゃないんだ。だから危険と分かってて、無理に姉さんを立ち向かわせるような事はしない。
でも……姉さんは行くんだろうな。
「私、やっぱり行ってみるよ。もしクロウカードならなんとかしなくちゃいけないし、お母さんだったら……」
昔兄貴が言っていた。母さんは俺達がでっかくなったから、空の上のうんと綺麗なところに行ったんだって。
「だからなんであんな寂しい所に居たのか、何か言いたいことがあるのか聞きたいの」
俺が思い出していた事と同じことを言った姉さんは、そう締めくくった。けど俺はそこで「ちょっといいか」と口をはさむ。
「姉さん。やっぱり俺は、今回の件はクロウカードだと思う。少なくとも姉さんを崖の上に誘ったあいつは偽物だ。母さんじゃない」
「! 梅くん、なんでそう言い切れるの?」
「ケロ吉たちもそろってから言おうと思ってたんだけどさ……。俺も崖から落ちる時、母さんが見えたんだ」
「え、でもそれじゃあ……」
「母さんが、助けてくれた」
俺の言葉に姉さんが目を見開く。
「俺が見た母さんは、崖から落ちた俺たちを助けてくれたんだ。一瞬だったけど、あの光の球から感じたような気配じゃなかった。すっごく優しくて、温かい雰囲気で……。多分さ、空の上のうんと綺麗なところからでも、母さんはずっと俺たちの事見ててくれてたんだよ。だからピンチに駆けつけてくれた。月城さんが言ってたでしょ? 俺達はすごくゆっくり落ちてきたって。きっとそれをしてくれたのが、本物の母さん」
「でも、それならわたしが見たお母さんが、そのまま助けてくれたんじゃないのかな? 本当はそんなつもりじゃなかったのに、崖から落ちたのにビックリして」
「違うよ。だって姉さん、さっき昨日の事話してた時にリビングに飾ってある写真と同じ姿の母さんが見えたって言ってたよね? あれは母さんが一六歳の時の写真だ。俺が見たのは、もっと大人になった母さんだよ。可愛いって言うより、綺麗って感じだった」
「……! ひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」
俺の言葉の後、大道寺が問いかけてきた。その表情には何か確信めいたものが窺える。
「うん、何でも聞いて」
「落ちる直前まで梅倖くんが見えていたのは、なんでした?」
「マッチョな俺」
「ちょおマテやマッチョな梅倖てなんやねん」
「なるほど。そしてさくらちゃんには、それがお母様に見えていた。偽物さんと仮定すべき相手は、本来バラバラの姿……最初にわたくし達が見たように、見る人によって違う姿になるのが通常であると考えるべきですわね」
「そう! そうなんだよ! あと俺は、そいつは人が見たいと思ったものを見せる奴なんじゃないかって思うんだ」
「聞いてや~……」
ケロ吉がマッチョな俺に興味を示してくれたのは嬉しいが、それについてはちょっと後にしてほしい。大道寺と話しているうちに段々と自分の中にあった仮定が確信に変わって行く事に、自然と気分が高ぶる。
俺達の会話を聞いて、姉さんも何か思い当たることがあったのか口元に手を当てて考え込む。
「見たいものを、見せる……。…………。あ! そ、そういえばわたし、森に行くときもうすぐお母さんの誕生日だなって考えてた。二回目も、お母さんの事を思い浮かべながら行ったから……」
「俺も姉さんと一緒で母さんのことは考えてたけど、そのあとで強くなって姉さんを助けるんだって母さんに誓おうとか思ってた。その途中で強くなった俺……体がデカくて丈夫な自分を、今思えば想像してたよ。それについては日ごろから考え過ぎてて特に気にもしてなかったけど」
「え、ちょっと待って梅くん日ごろからマッチョな自分を……?」
「え? うん。そうだけど」
「そ、そうなんだ」
何故だろう。姉さんの顔が少し引きつっている。
「で、大道寺は?」
「わたくしは最初の時、お腹がすいていて肉まんでも食べたいな、と思っていましたわ。二回目の時は何が見えるとかでなく、光の球が見えるだけでした。梅倖くんの仮定が真実ならば、きっと距離が離れていたのと、さくらちゃんが崖から落ちて何か考える暇が無かったからだと思います」
「そうか。と、なると」
それぞれの意見が出そろったところで、俺達の視線は自然と黄色いクマもどきに向かう。この中でクロウカードについて一番知ってる、カードの守護者に。
「……幻。今の話を聞いた限りやと、
「じゃあ、やっぱり! クロウカードだったんだ!」
「せやけど、そうなるとあの時ワイを吹っ飛ばした力の正体が分からんのや。
幽霊の正体がほぼクロウカードで確定しかけるものの、ケロ吉はどうも引っかかる所があるらしくうんうん唸っている。きっと憶測で行動して、また姉さんを危険な目に遭わせるのが嫌なんだろう。
しかしケロ吉とは別に、姉さんの心は完全に定まったようだ。
「ケロちゃん。やっぱりわたし、行くよ! 相手がクロウカードだって分かってれば、最初から迷わないで向かっていける!」
「けどなぁ……」
渋るケロ吉。しかし、姉さんの決意は固かった。
「もう、誰か怪我したり危険な目に遭うのは嫌だよ。それにわたし、ちょっと怒ってるんだ。カードさんはその性質のままにあるだけなのかもしれないけど、梅くんを危険な目にあわせたんだもん。あのまま放ってなんておけない!」
「ね、姉さん……!」
「さくらちゃん、格好いいですわ!」
ぐっと握り拳を作り毅然とした態度で立ち上がった姉さんに、俺は羨望のまなざしを送る。あの優しい姉さんが怒るくらい、俺を心配してくれただなんて……!
大道寺も俺と同じくキラキラした目で姉さんを見つめている。でも俺ははたと気づいて、眉尻を下げた。
「でもケロ吉が言うように、やっぱり不確定要素があるなら危険なんじゃ……」
しかしそんな俺の肩に大道寺が手を添えて、こう言った。
「さくらちゃんが心配な気持ちは、わたくしも同じです。でもそれ以上に、信じていますわ。今のかっこいいさくらちゃんを見た後なら、なおさら。梅倖くんはどうですか?」
「知世ちゃん……」
「…………ずるいよ、大道寺」
そんな事言われたら、俺も応援するしかなくなっちゃうじゃないか。
「……わかった。もう止めないよ」
「……ワイも、さくらが決めたならそれでええ。けどな! 今度こそワイも気張るで! もう吹き飛ばされるなんてかっこ悪い姿見せられんからな!」
「よく言ったケロ吉! 俺も同じ気持ちだ!」
俺とケロ吉は視線をかわし、口の端を二っと持ち上げてニヒルに笑う。
ようしっ、俺も今度は最初から姉さんから離れずに今度こそ役に立って……!
「あ、でも梅くんはお留守番ね? まだ熱があるんだから」
「えっ」
その後、姉さんは無事に
……俺、いつになったらキャプターサポーターの役割果たせるんだろうなぁ……。
「へっきしっ」
自室で一人虚しくクシャミをして、鼻をすする。姉さんが擦りリンゴを用意してくれたけど、結局今回も役に立てなかったことに落ち込んだ俺はそれを食べる気になれなかった。
…………。
……………………。
…………いや! そんなことでどうする、俺!!
俺はぶんぶんと頭を振って沈んだ気分を追い払うと、力強く擦りリンゴの器を手に取り勢いよく口に掻っ込んだ。そしてあっという間に食べ終わると、ぐいっとワイルドに腕で口を拭ってから自分に言い聞かせるように宣言する。
「へこたれるな俺! ぜったいぜったい、強い男になってやる!!」
その時だ。一瞬だけ、ふわっと温かな気配がした。
『梅くんなら、きっとなれるわ』
「へ?」
驚いた俺は慌てて部屋の中を見回したけど、そこには誰も居るはずなくて。でも励ましてくれたのが誰だかわかった俺は、自然と笑みを浮かべていた。
「うん。俺、強くなるよ。今回は心配かけちゃってごめん。でも、頑張るから」
その後部屋に様子を見に来てくれた兄貴に、何故か頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられた。