DISK11 執事、メイドとコーヒーブレイク
「ふぅー、美味しい。」
「お気に召した様でなによりです。」
そう言って左目に眼帯を着けた初老の男性は、俺に軽く頭を下げた。
「なんかすみません。
突然来たのに色々と良くしてもらった上に、こんな美味しい物を。」
「いえいえ、お気になさらないで下さいませ。
あの方がお客様を連れ、ここに戻って来るのは初めてなので。」
「あ、そうなんですか。」
初めての客人か、割とレアな体験かな?
ここは秘密にしたい、って言ってたしな~。
……単純に呼ぶ友達が居ない、って可能性も捨てきれないけどね。
「あの方は少々特殊な育ち方をされていまして、親しく付き合っている方は数少ないのです。」
「なるほど、特殊な育ち方ねぇ。」
じゃあ、あれもその影響か?
そう思いながら、神無月の方へ目をやると、
「さあ、馬奈美(まなみ)?
早く手をだすんだ。」
「い、いやだ!
絶、対、出すもんか!」
「我が儘を言わないで、さあ?」
部屋の隅にメイドさんを追い詰めながら、爽やかな笑顔で消毒液とティッシュを持つ彼が見えた。
なんでこんなことになっているのか?
それを語るには、俺達が扉に入った後のことから話さなければならない。
ーーーー
「………どこだ?ここは?」
扉を抜け、最初に目に入った光景に、俺は思わずツッコミをいれた。
いやだってさ、入った瞬間、どこぞの豪邸だ?っていう様な屋敷の中だったんだぞ?
ツッコミの一つや二つはいれたくなる。
「ただいまー。」
その横で普通に帰って来た感じの奴が一人。
あれ?俺の反応がおかしいのか?これ?
そんなことを思っていると、パタパタと音が聞こえてきて、
「ご主人様!?」
その声と共に奥からメイド服を着た、俺と同い年ぐらいの女性が小走りで駆けてきた。
「ああ、馬奈美。
ただい「こんな時間まで、どこほっつき歩いていたんだ!このバカご主人!」…ま。」
いきなり怒鳴られたことに驚いたのか、神無月は目をぱちくりとさせてフリーズをしていた。
いや、俺もなんだけどな。
だって教育係は別にしても、普通メイドさんは主人を怒鳴らんだろ。
あれ?やっぱり俺がおかしいのか?これ?
「それに、あんたいったい何者だい?」
そう言って彼女は、今度は俺に鋭い眼光を向けてくる。
……うん、怖い。
普通の殺気じゃないぞ、これ。
蜘蛛男のが可愛く感じてくるぞ、おい。
「駄目ですぞ、文月さん。
せっかく主がお客様をお連れになったのに、そんな対応では。」
彼女の殺気に戦々恐々していると、奥の方から今度は左目に眼帯を着けた、執事服の初老の男性が出てきた。
「ご主人様、お帰りなさいませ。
そして、いらっしゃいませ、お客様。」
「ああ、ただいま。
亥澄(いすみ)。」
「えーと、お邪魔します。」
そう言いながら俺が頭を下げると、女性の方もしぶしぶっという感じだが、殺気を無くした。
まあ、訝しげに俺を見てはいるけどね。
「さて、お二人共顔も衣服も大分お汚れですので、お先にご入浴なさいませ。」
「ああ、すまない。
そうさせてもらうよ。」
「……ん?二人って、もしかして俺も?」
「もしかしなくても、君しかいないだろ?
まさか君は、僕と馬奈美が一緒に入るとでも思っていたのかい?」
「な、な、な、な、なに馬鹿なことを言っているんだ!あんたは!
そんなことするわけないだろ!」
「あ、いや、すまん。
俺が間違っていました、許してください。
だから、そんなに全力で否定してやんな。」
若干神無月が、可哀想に思えてきたぞ。
「ん?別にいつものことだから、気にしてないよ。」
そういう問題なのか?
「そこら辺は当人達の意識の問題かと。」
「んー、そういうもんか。」
まあ、あいつが良いならか。
「でも俺、着替えなんか持ってないけど、どうします?」
「お召し物は、こちらでご用意させていただきます。
お気になさらずに、どうぞごゆっくりなさってください。」
深々と頭を下げる亥澄さんを前に、
「あ~、うん。
わかりました。」
俺はそう言って頷く以外なかった。
「ふぃ~、やっぱり風呂は浸かってこそだよね~。」
そう言って俺は、案内された個室のバスタブに身を預けた。
案内された個室は、どこかの高級ホテルでも通用する様な部屋で、風呂には既にお湯が張ってあった。
温度も熱すぎず、ぬるすぎずの丁度良い温度で、思わず感嘆のため息が出たぐらいだ。
服を脱ぎ、体を綺麗に洗った後、ゆっくり湯船に身を沈めると、今まで張り続けていた緊張がほぐれたのか、ただ単純に気持ち良かったのか、深いため息が自然と口から漏れていった。
まあ、何度か死を覚悟した後の一時なのだ、しょうがないよな?
しかし、マジで極楽なのだが。
こんなにゆっくり浸かるのも、本当に久しぶりだしな~。
いや、確かに家は風呂無しだけど、近場のスーパー銭湯に行っているから、別に浸かってないわけではないけど、一人分の湯船にゆっくり浸かるのは久しぶりだから言っているだけですよ?念のため。
ただ、どこぞの漫画みたいに大浴場に通されると思ったら、こういう個人の浴槽に案内されたのが少し意外だった。
聞いたら亥澄さん曰く、
「大浴場はございますが、これだけしか人数がいないのに、その様な無駄遣いはできませんので。」
とのこと。
しっかりしていらっしゃる。
「お湯加減はいかがですか?」
「へ?あ、凄く良いです。
本当にありがとうございます。」
唐突にドア越しに聞こえた声に驚きはしたが、素直な感想を伝えた。
「そうですか、それはなによりでございます。」
「いや本当に、極楽気分です。
昇天しそうな勢いですよ。」
「おやおや、せっかく死地から戻っていらしたのに、それはもったいないですぞ?」
「………確かに。」
「代えのお召し物はのベッドの上に置かせていただいておりますので、そちらをご利用下さいませ。」
「何から何まですみません、ありがとうございます。」
「いえいえ。
では、ごゆるりと。」
そう言って亥澄さんが出ていく気配がした。
しばらく耳を澄ましていたが、どうやら本当に出たらしく、気配も感じなかった。
……まあ、あの人が本気を出したら、気配を感じさせること無く、俺の真横に佇むことが出来そうだけどね~。
しかし、今さっきの、入る音も気配もなかったけど、あの人はいっぱい何者なんだ?
別に後ろめたいことをしてたわけではないが、気配消されて行動されると正直心臓に悪い。
まあ、ドア越しに聞こえる声は楽しげで、凄く柔らかな口調だったから、別に危険視されているわけではないと思うんだけどな~。
そう思いながら一つため息をつき、もうしばらく湯船に浸かることにした。
「ふぃ~、さっぱりした~~。」
あれから数分後、俺は体を拭きながら、体を伸ばしていた。
欲を言えば牛乳があれば嬉しいが、そこまでは言っちゃ駄目だよな。
そんなことを思いながら、ベッドの上の服を手に取った。
「青のシャツか。
久しぶりに着るな~。」
個人的には暖色系が好きなので、寒色系はあっても2枚ぐらいしか持ってないので、なんとなく懐かしい物を見る気持ちになった。
ちなみに、俺は暖色系は好きだが、男色系は好きではないから、間違えない様に。
閑話休題
俺は手に取った青のシャツに袖を通し、上にストライプの長袖シャツを着て部屋を出た。
ちなみに、個人的な好みで、Tシャツの上に長袖のシャツを着るのが好きで、夏以外は基本的にその格好でいる。
閑話休題
「お待ちしておりました、こちらへどうぞ。」
部屋から出ると、扉の横に亥澄さんが立っていて、軽く頭を下げてから俺をエスコートしてくれ、俺はされるがままに後を着いて行った。
………タイミングばっちりだったけど、まさか亥澄さん、外でずっと待っていたわけじゃないよな?
「いえいえ、たまたまあちらに居ただけですぞ?」
はあ、さいですか。
そう思いながら俺は、亥澄さんの後ろを黙って着いていく。
………あれ?なんか違和感が?
「……睦月様?」
「はい?はい!なんでしょう!」
「いえ、着きましたので、お声かけさせていただきました。
こちらのお部屋へどうぞ。」
そう言って開けた扉に、俺は案内されるまま中に入った。
中に入るとそこは広めの食堂だった。
と言っても、学校とかにある感じのでなく、貴族や富豪が食事をする大きなテーブルがある部屋の方をイメージして欲しい。
「やあ、湯加減はどうだった?」
そこには、先に着替え等を神無月が座っていた。
「最高だったよ、危うくあそこで昇天するとこだったよ。」
「それは危なかったね。」
「まったくだよ。」
互いに苦笑をしながら亥澄さんに導かれ、俺は席に座った。
「悪い、待たせたみたいだな。」
「大丈夫だよ、今来たばっかりだよ。」
「…十分は待たされたし。」
ぼそっと言われた声の方を見ると、神無月の斜め後ろに控えていた女性、先ほど神無月を怒鳴ったメイドさんがムスッとした表情をして立っていた。
「…おい、馬奈美。」
ジロッと睨む神無月にもプイッと顔を反らしてしまう。
これには、さすがの亥澄さんも眉をしかめてしまう。
嫌悪な空気が辺りに漂い始める。
うーん、やっぱりこれ、俺のせいかね~?
なら、とりあえずは、
「……なあ、そういえば俺、執事さんとメイドさんと自己紹介を済ませてなかったよな?」
『あ。』
俺の言葉にその場にいた全員が硬直した。
「すまない、すっかり忘れていたよ。」
「いやいや、気にするな。
俺もすっかり忘れていたしね。」
たははは、と俺が苦笑を浮かべると、メイドさんは少しばつが悪そうな表情をしている。
うん、掴みはこれでオッケーだな。
「では改めて、俺の名前は睦月 好子。
しゃべってギャグれるジャーナリストを目指して頑張っています。
今日は二人の主人、神無月に助けてもらい、ここに来ました。
その上、このような暖かい対応をしていただき、本当に感謝してます。
ありがとうございます。」
「挨拶遅くなり、申し訳ございませんでした。
私は神無月様の執事をやらせていただいております、亥澄 師走(いすみ しわす)と申します。
以後、お見知りおきを。」
「……神無月様のメイドをやらせていただいております、文月 馬奈美(ふみつき まなみ)と申します。
以後、お見知りおきくださいませ。」
「今日、僕がこうして無事に戻ってこれたのは、彼のおかげだ。
命の恩人と言っても過言じゃない。
彼には最大限の礼を持って接してほしい。」
『はい、かしこまりました。ご主人様。』
神無月の言葉に、二人共僅かに目を開いて驚いていたが、直ぐに平素な表情になり頭を下げた。
……しかし、
「そんな恩人だなんて大袈裟な。
それに最大限の礼を、なんて要らんぞ?
逆に普通の対応してほしいんだが。」
「そう言うわけにはいきません。
主の命は絶対。
相手が主の命の恩人であるならば、なおのことです。」
ピシャッと言い放つ亥澄さんの前に、俺は唇を尖らせながら考える。
「………なあ、俺は恩人なんだよな?」
「ああ、その通りだ。」
「なら一つお願いがあるんだが、聞いてくれるか?。」
「可能なことなら良いよ。」
「なに、簡単なことだ。
俺と友達になってくれ。」
『…………。』
「………ごめん、なんだって?」
「だから、友達になってくれ、って。
駄目なのか?」
「い、いや、駄目ではないけど。」
突然言われたこと真意がわからずに戸惑う神無月を他所に、俺は席から立つと、彼の横に立ち手を差し出した。
「え、えーと?」
「握手だよ、友好の握手。」
そう言ってずいっと出された手を、彼はおずおずと握った。
「よし、これで俺とお前は友達だ。
そんなわけで、これから恩人とか、なんとかは無しな。」
「……へ?」
「当選だろ?
俺達は友達なんだ。
友達を助け合うのは当然だ。
俺はそうしてもらったし、俺自身もそうしてきた。
あと、あんたら。」
『は、はい。』
ビシッと亥澄さんと文月さんに指を指すと、二人は突然振られたことに驚きつつ、直ぐ神妙な表情になり返事をする。
「見ての通り、俺はあんたらの主の友人だ。
だから他人行儀な対応は止して、もっと親しく接してくれよな!」
俺が胸を張ってそう言うと、しばらくその場にいた全員が、口をポカーンと開けていた。
場をしばらく沈黙が包んだが、
「………くっ。」
その沈黙を破ったのは、
「くっくっくっくっ。」
俺の横にいた神無月だった。
「あはははははは!」
思い切り笑い始めた彼に驚きつつ、周りを見ると、文月さんも笑いをこらえている感じだった。
亥澄さん、表情は平素だけど、こめかみと口の左側がピクピク動いてますよ?
ただ、なんというか、
「……笑い過ぎじゃね?」
いまだに笑い止まない神無月に、さすがに顔をしかめる。
「はははは、そ、そうだよね。
ご、ごめん。」
そう言いながらも、まだ笑っていた。
……なにがそんなに面白かったんだ?
もうしばらく待っていると、ようやく収まったのか、荒い息をしながらも息を整え始めた。
「はあ、はあ、はあ、はあ~。
あ~、笑った。」
そう言いながら目にたまった涙を払う。
だから、なにがそんなに面白かったんだって!
「ふぅ~~、……君は案外強引なんだね。
モテないよ?そんなじゃ?」
「余計なお世話だ!」
「あははは、ごめんごめん。
……うん、わかった。
君は恩人じゃない、対等な友人だ。
二人もそう接してくれ。」
『はい、かしこまりました。』
神無月の言葉に、今回は二人共笑顔で答える。
うん、やっぱり人間笑顔が一番だね。
場が和やかな雰囲気になったのを感じながら、俺は笑顔で握手を続けた。
「ふぅ、今日は戦ったし、よく笑ったから、お腹が空いてきたね。」
「まあ、なんだかんだで、もう夜の9時近くだもんな~。」
ちなみに、俺が生介と別れ、神無月を追ったのが5時ぐらいで、風呂に入ったのが8時30分近くだったから、研究所にはかれこれ3時間ぐらいいたことになる。
うん、濃い3時間だったな。
「ご飯の準備は出来てる?」
「はい、整ってございます。」
「そっか、ありがとう。
なら食事の準備「あ、あの!」……さっきからなんだい?馬奈美。」
明らかに苛ついた表情で神無月は彼女を見るが、彼女はなぜか顔を赤くしながら、何かを言おうと先ほどから口をモコモコさせている。
「…?どうしたんだい?
なにかあるなら言ってくれないか?」
「あ、うん。
えーとね、…ご飯、私も作ってみたんだけど、……食べてみてほしいかな~。と。」
「馬奈美が?」
そう言って驚いた神無月は、うんと頷く彼女を見たあと、亥澄さんに目をやる。
その視線に微笑みながら頷いた。
というか、そんなに驚くことなのか?それ。
「そっ…か。」
そう呟きながら、素面の振りをするが、口角が少し上がっている辺り、よほど嬉しかったんだろうな。
「うん。
ただ、その……。」
そう言いながら文月さんは、俺をチラチラと見る。
……ああ、そういうことね。
うん、察した。
しょうがないね~、まったく。
「……神無月悪い。
実は俺、昼遅かったから、あんまり腹減ってないんだ。」
「そう…なのか?」
「ああ。
で、物は相談なんだが、この屋敷、ちょっとぐるーっと見てきて良いか?」
「屋敷を?」
「ああ、こんな面白そうな場所、ジャーナリストの卵として見ない手はないのさ。」
そう言ってにやりと笑って見せる。
「でも、ここはそこそこ広いよ?迷わないか?」
「ならば、私が案内いたしましょう。」
「亥澄?」
「お、そりゃ助かる。
そんじゃ、お願いします。」
「………良いのか?亥澄?」
「ええ、おまかせください。」
「そっか、ならスマナイが頼む。」
「かしこまりました。
では睦月様、参りましょう。」
「すみません、お願いします。」
そう言って俺は、亥澄さんは頭を下げた。
「気を使っていただき、ありがとうございます。」
「まあ、もともと俺は予定に入ってなかったわけですから、俺の分が無くても当然ですよ。」
そう言いながら亥澄さん案内の元、俺は屋形を歩いていた。
「しかし、それもさることながら、あの話術。
素晴らしかったですよ。」
「ありがとうございます。」
まあ、ジャーナリスト志望ですからね、それぐらいはね。
「いえいえ、そんなことはございませんよ?
技術は使いこなすのは、睦月様の努力があればこそ、ですよ。」
そう言われると 照れるな。
「睦月様は純な方なのですね。」
「たはははは。」
………あれ?今、違和感が?
「気のせいでは。」
「……っていやいや!
今俺話してなかったよね!?」
「おや、バレましたか。」
そう言いながら彼は、イタズラが見つかった子供の様に舌を出して笑った。
「バレましたか。って。」
その姿に俺は頭をガクッと落とした。
「それって、あれですか?
読心術かなにかですか?」
「はい、左様でございます。」
「なるほどね。」
通りで話がサクサク進む訳だ。
考えていることがわかれば、そりゃ滞りはないよな。
「そういうことでございます。」
「…考えを読まないでください。」
いや、本当に。
「読心術は執事のたしなみなもので。」
左様でございますか。
その後、一通り見させてもらった俺は、リビングでコーヒーをいただいていた。
「……ところで彼女、文月さんって、料理をやらない方なんですか?」
「なぜそう思われるのですか?」
「彼女が料理を作った。って言った時の二人の反応ですね。
普段からやっている人に対する反応じゃなかったですよ?
あれ。」
「なるほど、確かに。
おっしゃる通りですね。」
まあ、彼女のあの態度はあれだね、せっかく作って待っていたのに、遅く帰るは、知らない男を連れてくるは、挙げ句の果てに待たせてくるは、の三連コンボだったからなんだろう~。
悪いことしちゃったな、後で謝っておくかな。
「あと、あの二人って付き合っているの?」
「それはなぜですか?」
「いや、なぜって、あの二人の反応見ればもろバレでしょ?」
「ふむ、やはり睦月様から見ても、そう思われますか。」
「……ってことは、あの二人。」
「はい、付き合っておりません。」
「……マジか。」
「マジです。」
え~、あれどう見ても好き合ってる反応だぞ?
それで付き合ってないとか。
「なんで?」
「恐らく、二人共主従関係が長いせいか、そういうことに関してはあまり素直になれないのだと。」
「なるほどね~。」
あれか?
身分の違いとか、愛情と献身の違いが分かりにくいとか、そういうことか?
「恐らくそういうことだと。」
だから読まないでって。
そんなツッコミを入れた瞬間。
ーバタンー
っと、物凄い音と共に扉が開いた。
何事かと見ると、
「だから、大丈夫だって!」
「いやいや、そういうわけにはいかないな~。」
今にも泣きそうな表情の文月さんと、見たことのないぐらい、物凄く良い笑顔で神無月が入ってきた。
「どうしたんだ?」
「いや、実は馬奈美が手を怪我していてね。
治療をしようと思っているのに、彼女が逃げるんだよ。」
そう言われて見てみれば、確かに手に切り傷とかちょっと火傷した様に赤い点がついていた。
多分、慣れない包丁で切ったり、油が跳ねたりしたんだな。
「絶対に嘘だ!
そんなこと言って、痛がる私を見て楽しむ気なんだ!!」
「ああ、もちろんそれもあるよ?
なんだ、ちゃんとわかっているじゃないか。
さあ、観念して大人しく治療されなよ。」
「絶対にいやだ!!」
そう言い合いながら、お互いに距離を計っている。
「亥澄さん!睦月さん!二人共見てないで助けてくれよ!!」
「…………睦月様、もう一杯いかがですかな?」
「ありがとうございます、ありがたくいただきます。」
そう言いながら俺は、亥澄さんが入れてくれた美味しいコーヒーをいただいた。
「ちょっとぉぉ!」
「さあ、観念しなよ。」
「絶対にいやだぁぁ!!」
そう言いながら、再び追いかけっこをしだす二人。
「……彼女が素直にならないのは、あいつの性格のせいじゃないですか?」
「その可能性は、なきにしもあらず、ですね。」
それしかないのでは?
そんなことを思いつつ、俺はコーヒーに口をつけたながら、一時の団らんを楽しみ、明日のことを考えていた。
この時、俺は気づいていなかった。
俺の今までの日常は、二度と戻って来ないこと。