『恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらんには人世何の色味かあらん』
―北村透谷「厭世詩家と女性」―
廊下は確かに冷えきって、けれどこの芯から冷えきってしまうような寒さは実際的な冷感からのみ来ている訳では無い。
『比企谷くんのこと好きでしょ』
ハルさん先輩からの、短いこの問いに私はすぐに返事を返すことは出来る。たとえば笑ってごまかせばきっとうまくいく。ハルさん先輩のことだから確信は持てないけれど、きっと話を話を流すことは出来る。
――でも、もしもの場合があったら。
もしも、ハルさん先輩が先輩に対して、普通とは異なる感情――つまり、先輩に対して恋愛感情を持っていたとしたら。
それは危機的な状況といえると思う。
たとえば私がお茶を濁す。すると、まあ女子特有なのか、男子でもあるのかはわからないけれど、話は実際的に協力の方向へ持っていかれてしまう。それだけはいやだ。大好きな人の大好きな瞬間を譲り渡すために協力するなんて惨め極まりない。きっと涙が止まらなくなる。
私はハルさん先輩に追い詰められた時の緊張感よりも、その答えに窮して血の気がひいているのがわかった。
私は口を動かすけれどその答えは出ない。
「それは……」
まるで獲物は逃がさないとばかりに、ハルさん先輩の視線は外れない。これまで生きて初めて人と視線が合い続けることに怖さを感じた。
「それは?」
「だからですねー……」
じゃあ、いっそ宣言してみるのはどうかな。
頭にぱっと浮かんだけれど、すぐに霧散してしまった。
相手はハルさん先輩だ。雪ノ下先輩や結衣先輩だって強敵なのに、この人は格が違う、そんな言葉が良く似合う。
「ハルさん先輩はどうなんですか」
「私?」
きっと先輩に同じことを言えば、『質問に質問で返すなよ……』とか言い返してくる。でも、相手はハルさん先輩だ。人の心情を読むのにはきっと長けているし、深入りもしてこないと思う。
ハルさん先輩は押さえつけていた私の腕を離して、私の頭を優しく撫でる。柔軟剤なのかシャンプーなのかは分からないけれど、大人の色気が漂う香りが鼻腔をくすぐった。私は撫でられたその意図が掴めなくて、さらに頭が回らなくなってしまった。
ハルさん先輩はすっと息を吸って、ゆっくり吐き出す。どこか頬が赤らんだ気がした。
「……私は、好きだよ」
その一言は私の頭を回って、まるで落雷にでもあったかのように思考を痺れさせた。
予想の範疇ではあったけれど、言葉にされると重みが違う。さっきが百グラムだったとすれば今は一トンくらい、そんな感覚。
「へ、へー……、そうなんですか……」
その動揺は留まるところを知らず、私の中を駆け巡ってどっと溢れ出そうになる。淡いベールに包まれた感情はいまにも溢れそうだった。
「皆には言わないでね?」
「それくらいわかってます」
「それで、一色ちゃんは?」
私は、なんて言えばいいんだろう。そんなことを悩んでいる暇は一秒としてなかった。どうせ一寸先は闇なのだ。私がどう答えたところでどう返ってくるかはわからない。けれど今ひとつ確信を持ったことは言わなければ協力に話を持っていかれること。ハルさん先輩からすればある意味でいまの状況は牽制のチャンスなのだ。もしも好きじゃないといえば、協力させることで牽制ができる。もし外れたとしても、ハルさん先輩の存在は大きなプレッシャーになる。はるのん恐ろしい子……。
なんて私の妄想フル回転で私は、私の先、つまり最初の質問に対する回答を述べるのだ。
すーっと息を吸って、思いっきり吐き出すと同時に、決して室内には聞こえないくらいの声でハルさん先輩の耳元に返事をする。
「私は、確かに、ハルさん先輩の何倍も先輩のことが好きです!」
ハルさん先輩の目が少しいつもより大きく開く。同時に冷風がスカートの中に入ってきた。
言い切った、言い切ったんだ!
――怖いし、てか怖すぎるから返事を聞く前にリビングに戻ろう。
そう思って急いで踵を返した。
「いい度胸じゃない」
そんな声が背中越しに聞こえた気がした。
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