女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます。
―夏目漱石―
陽はすっかり傾いて、沈みかけの太陽が澄んだ空を綺麗な紅に染める。ガッガッと不躾な音を鳴らしながら俺は道端の石を蹴飛ばした。
「やべ……」
特に何も考えず――まあ本当に何も考えていないのだが――俺の蹴った石は前を歩くふたりへ、真っ直ぐ飛んで行った。
ふたり――とはもちろん、一色いろはと雪ノ下陽乃である。陽乃さんは見てもいないのに綺麗に石を避けて、電柱に当たった石が反射して一色にあたる。
「なんか石が飛んできたんですけど」
不機嫌そうな態度を隠すことなく、一色は膨れたまま俺を睨みつけてくる。
「まあ意志を持ってたんだろ」
「は?」
「はいごめんなさい」
本気でドン引きした一色に怯んでつい謝ってしまった。小町にこんな目をされようもんなら三日三晩泣きっぱなしで戸塚に慰められるところだった。
……逆にそれもいいのでは……。
『八幡もう泣かないでよ、そんなに泣いてたら僕まで悲しくなっちゃ――』
「比企谷くん?」
俺の妄想を遮って話しかけてきたのは、容姿端麗、有智高才、秀外恵中、大言壮語な人物――雪ノ下陽乃である。というか最後は僕のことですね。
陽乃さんはその豊満な双峰を強調するように腕組したまま俺に向き直る。
「いや、なんでもないです。というかなんで俺こんなところ歩かされてるんすか。俺早く家に帰って小町にゴミ扱いされながら面倒みられなきゃいけないんですけど」
「ゴミ扱いされてる上に面倒見られてるんですね……」
一色からの侮蔑の目線が痛い。
そんなことを思ってた俺の目線に気づいたのか、一色は少しはにかんだ。
「だから事情聴取って言ってるじゃないですかあ」
「だからなにを聴取されなきゃいけないんだよ。雪ノ下さんの性格の悪さについてか? それならくわしく聞かせてやれるぞ。なんなら雪ノ下さん(妹)まで語っちまうぞ」
「比企谷くん?」
「雪ノ下さんは裏表のない素敵な人です」
「よろしい」
本日ニ度目の『比企谷くん?』にビビりながら、変態紳士並のすばやさと謝罪をこなす。ちなみに俺はへそを舐めたりしない。
久しぶりに開く暇つぶし機能付き目覚まし時計。『時計』という名がつくだけあって俺の暇つぶし機能付き目覚まし時計、略してスマホは正確に時間を示してくれる。時刻はおよそ18時30分。
陽が落ちて、肌寒さを感じ始める時間である。
「で、俺はなんで『一色の家』に向かってるんですかね」
いくらアホな俺でもわかる。この道はもはや見なれてしまった『一色の家』へと続く道である。
「そんなの、今日私の家に親がいなくて怖いからに決まってるじゃないですかあ」
「『決まってるじゃないですかあ』って知らねーよ。泊まんの? 知らんけどそれなら雪ノ下さんだけでいいだろ」
「せんぱい本気で言ってますか」
「うぐっ……、じゃあ友達でも呼べば……あ、ごめんな、お前友達いないんだったな」
「比企谷くんもいないくせによくそんな顔できるわね」
一色劇場に取り込まれかけていた俺の意識を、陽乃さんがぐっと引き戻す。
「それに私はいろはちゃんの家に泊まるわけじゃないよ? 比企谷くんがいろはちゃんになにかしないようについてきてるだけ」
「なるほど? 俺は無理やり連れてこられた挙句、一色に何かしないか監視されてるのね?」
「だーかーらー、せんぱいは私の家にした忘れ物を取りに来るって体なんだからついてこないでください! せんぱいみたいな『死んだお魚の目』をした人が私になにかする度胸なんてありません! それになにかされても――」
「いろはちゃん? ゾンビつまりアンデッドものの映画を見ればわかるけれど死んだ者に理性なんてものはないの。それに年下に見境のないゾンビだよ?」
とんでもないことを言いかけた一色を遮って、陽乃さんがとんでもないことを言う。
「おいちょっとまて、俺生きてるから……。気に入らないからって勝手にゾンビ扱いするのやめてくれます?」
言うと、陽乃さんはふふっと笑う。
「やだ! 最近のゾンビって喋るんだあー」
そう言って俺を小馬鹿にして笑う姿は普通の大学生のようであって、そして雪ノ下雪乃の姉であることを俺に再確認させてくれた。
× × ×
「陽乃さんはどうしてせんぱいのこと狙ってるんですか」
結局、せんぱいが私の家に来ることは無かった。なんでかって平塚先生からの着信があったから。
最初は無視していた先輩だけど、数分間隔だった通知は数十秒間隔に、そして数秒も間隔がなくなっていた。しまいにはせんぱいは電源を切ったけど、後ろから猛烈な勢いで走ってきたスポーツカーの『女運転手』に連れていかれてしまった。
……先生と生徒があんなに近くてもいいのだろうかと、ふと思った。けれど、あの二人にはあの二人にしか分からない距離感というものがあるのだ。
きっとそれは、せんぱいと結衣先輩と雪ノ下先輩の三人『だけ』で作り上げられたあの空間にすごく近いものなんだと思う。
人に質問をしておきながら物思いにふけっていた私のことを怒るでもなく、はるさんはふふっと笑う。
「私、変な人がタイプだからなあ」
「それ私にもあてはまっちゃうんですけど……」
出来たてのご飯を運びながら、私達はそんな話をしていた。
……ていうかはるさんやばい。あまりにも料理スムーズすぎる。なんというか手馴れていた。
でもはるさんは、普段のご飯は専属料理人に任せてるって言ってたし……。神はどれだけのものをこの人に与えたんだろ……。
雪ノ下家のお父さんは県議会議員なんて聞いたけど、絶対それじゃあ収まらないよね。お父さんのお父さんがそーりだったって聞いてもきっと驚かないと思う。
と、そこでぴろりと私の携帯が音楽を奏で始めた。まあ、奏で始めたというほど綺麗なものではなくて無機質な木琴か何かの音が延々と流れてるだけだけど……。
と、ポケットから取り出して画面を見てみると、一瞬私の顔が映ってから番号が表示された。
「080-4444――だれからだろ?」
独りごちって、はるさんに謝ってから電話に出た。
『あ、もしもし平塚だが』
『ナチュラルに電話してくるのやめてください、ごめんなさい』
『いやすまん』
電話の主――平塚先生はひとつ謝ってくれた。って、なんでこの人当たり前のように電話してくるの……。番号間違えてたらどうするつもりだったんだろ。
『それで、なにかご用事ですか?』
「え、なになに? 静ちゃん?」
ぐっとはるさんが私に身を寄せてくる。だから私はスピーカーにしてスマホを置いた。
『いやそれがな、私のしつれ……いや、私の人生、いや比企谷の人生……? について説いていたら誤って比企谷に酒を飲ませてしまってな。まあ間違えたのは私でなく店員なのだが。つまりまあ簡潔に言うと比企谷は眠ってしまって、酒の抜けてないやつを家に返すのも何かと問題があると思ってな。なに、今日一色の家にはご両親がいないそうではないか。私も行くので少し預かってくれはしないか。――いや違う、保身ではない。責任ある大人としては一介の生徒とニ人で出かけたという事実から隠蔽……隠さなくてはいけないのだよ』
長いよ長い、それに結局保身……。というかこの人は失恋のショックで珍しく頭が回っていないのだろうか。何よりお酒を飲んで、車はどうするのだろう。
『あ、えっと車は』
『それなら私が比企谷を背負うから問題は無い。……なに、一色の家まで約五キロ。ちょっとした運動程度だ』
『だから彼氏出来ないんですよ』と言いかけてなんとか言葉を飲み込んだ。
すると、平塚先生は聞き逃せないことをぽつりと言った。
『それにしても普段屁理屈ばかり言っている比企谷も、眠ってしまうと可愛いものだな』
……今なんて?
『……せんぱいの寝顔!?』
「比企谷くんの寝顔!?」
さっきからずーっと珍しく茶化すことなく黙ってたのに、それにだけははるさんが反応した。
『いいです! ぜひ私のうちにどうぞ! あ、でもせんぱいの寝顔が見たいわけじゃなくてせんぱいがおきたときに私の家にいることを脅し……脅迫……恐喝……? の材料に使うだけですから!』
「いやいろはちゃん何も変わってないから!」
珍しく驚いてみせる陽乃さんを尻目に、私は一刻でもはやくせんぱいの寝顔を見るためにブルゾンを着るのであった。
投稿するする詐欺マンです。
1年ぶりですね^^*^^*
次回投稿頑張るマン(適当)