ハリー・ポッターとスリザリンの代理人 作:Farben.AG
“……一つ、このことを振り返るのでしたら、一つ、確信を持って言えることがあります。誰もが言うことで、あなたも知っての通りこの人生とは喜劇に他ならないのかもしれません。今、こうして見えることは私たちの心を通してみているのです。人生とは心の姿に他ならないのでしょう”
“だから、思うのです。地獄を自分で作るのは簡単ですが、消すのは難しい。苦しむのは簡単ですが、それをいやすのはあまりにも難しい。だから、今普通に生きていることは人生の中で最も素晴らしい時なのかもしれません。何はともあれ、彼女が普通の生活を送っていることを祈るとしましょう。ドーヴァーの向こうから朝食をとりつつ”
「彼」がヴォルフラーメ・フォン・ピュックラー=ブルクハウスに向けて11月2日に発送され、四日に到着した手紙。消印は三日であり、当時の郵便システムは現代(2050年)と同じほどの迅速な存在であったことがわかる。
また、切手は英国魔法界ではなく、通常のAIR MAILと値段の書かれたシールが貼られており、国際郵便などはいわゆるマグル界と同じものを使用してる場合もあったことのうかがえる資料の一つである。
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2051年7月31日から9月12日にわたって、ハイデルベルク大学のアルテ・アウラ(大講堂)に展示された解説より。
“コメディア・デッラルテ 第一幕”
“『バランゾーネは嘆く』”
木曜日 10月31日
ハロウィン ―― 今までついぞ縁のないお祭りだと思っていたが(ドイツはヴァルプルギスの夜に大々的に祝う)、そうでもないようである。私はカバンをもっていつも通り、教室へと移動する途中、大勢の屋敷しもべたちの詰めている厨房の上にあるで、あろう廊下を通ったとき、甘い蒸かしたカボチャのにおいを感じた。一瞬だけその甘い香りは耐え難い強い香りに変わり、私は酩酊したかのように気分が悪くなった。
多分カボチャだけではなかろう。シナモン、八角(私が一番嫌いなスパイスだ)、乾燥したバニラや甘草といった厨房で使われるあらゆるスパイスが合わさって、異様なまでに、それこそ、頭が痛くなるにおい。もともと頭痛持ちなので、一瞬ふらついた。
その間にも隣では、友人たちが話している。私の隣にはノットがいて、ダフネはパンジー・パーキンソンと話している。ホグワーツのハロウィンについてで、二人も同じくこの匂いに閉口しているようだった。というのもだがパンジーが言ったことが私たちの声を代弁していた。
「カボチャ、カボチャ……それに何よ、この嫌味な甘いスパイスの香りは!気持ちが悪くなるわ!」
私とノットは目を合わせて、そうだと無言のうちに同意した。
ともかく、カボチャのにおいは廊下に満ちており、気を紛らわせる必要がある。そのため、これから向かう薬草学教室で今度はどのような植物に会うのかといったことを話した。ちなみに、この前は錯乱を引き起こす花の扱い方と調合(ほぼ魔法薬学)を習った。
興味深いものだといいのだが、とノットがつぶやいた。彼はおおむね優秀な生徒なのだが、取り立て、薬草学と魔法薬学には強い関心を示していた。彼はなぜかという問いにはあまり答えたことがないが、純粋な理由を持っているようだった。打算的なことではなく、本当に誰かを助けるために学ぶという姿勢だった。何かあるな。そうは思ったが、あえて踏み込まないことにした。何か、深い闇を感じたためもある。
そうこうしているうちに薬草学の教室に到着した。薬草学で習ったのは人に嚙みつき、病原菌をまき散らすというよくわからない薬草。
「…しかしすりつぶしますと、万病をいやす薬品になりえます。もっとも、調合は難しく、未成年であるあなた方がおこなうと法律に触れる薬草をいくつか使います」
「あぶねっ」
ザビニが噛みつかれそうになって慌てて引っ込める。私も噛みつかれそうになる。ギラギラと粘液に濡れた歯が私の指に噛みつきそうになってくる。「うわっ」「うぇっ」「ギャッ」「ひっ」などなどあちこちから悲鳴も上がっている。私もその一人。一瞬、持っていたカバンでぶったたいてやろうとも思ったくらい狂暴だった。
「むろんこのような植物はまだ早すぎます。ですので、今日取り扱うのは…」
…ではなぜ触れさせた。スプラウト教授。
「先生。クラッブとゴイルがやられました」
マルフォイがそう申告する。
「医務室へ。さて、本日調合するのはエンベルス・アコナイト。特徴は?ミスター・マルフォイ」
何事もなかったかのようにスプラウト教授はマルフォイに答弁を求める。やむなく彼は説明をする。
「えー、エンベルス・アコナイトはトリカブトとは異なり……」
不幸な二人組は付き添いなしで医務室まで行き、私たちはエンベルス・アコナイトつまりは目の前のヘンテコ植物ウルム・イスパネカ種の亜種についての調合法、薬品の作り方について三点ほど学び、教授の実践を経たのち(魔法薬学と違ってそれほど難しくはない)私たちが実践する番になった。
メンバーはいつも通りゴールドスタイン。
「しかし、アドルフ。あの肉食植物からこうした特殊な薬が作られるとは。それも、こんなに凶暴なんだよ」
ビーカーの中で植物は暴れまわっていた。この光景どこかで見たような…。ああ、ヴィヴォニッチ手稿の「植物の章」のあれか。
「そうですねえ。アント……アンソニーは植物がお好きですか?」
危うくアントニーと発音しかけて訂正する。その間に土をはらって
「無理してアンソニーと言わなくていいよ。別にアントンでも構わないし。そうだね、僕は植物と歴史に興味があっていつか仲間がほしいと思っている」
「これはどうも。ああ、そのまま混ぜてください。その間に…歴史ですか?」
「有名なことだが、歴史は物語だからな」
まったく、彼とは気が合いそうだ。私たちは薬をゆっくりと調合する。やがて時間が来て、カバンをもって私たちは移動する。
なお、授業が終わったのちマルフォイだけがクラッブとゴイルのお見舞いに行った。
大半が行かなかったので彼一人だけだったが。
昼食会場へ向かう中、私はロングボトムと合流し、うまくやっているか?などと話し合っていると、目の前から一人の少女が猛スピードで私のほうへ走ってくる。思わず身構えると、隣にいたダフネを突き飛ばしてノットに衝突して少女は倒れた。ノットは苦しそうにうめいた。一方の少女のほうはカバンをぶちまけて転んだままだったが、私が近寄るころには持ち直して立ち上がっていた。
「危ないですよ。君、怪我は…グレンジャー?」
顔は紅潮しており目から涙を流している。涙…泣いている?泣いている。
「どうかなさったので?」
「ごめんなさい!」
そう叫んでカバンを置いて行ったままどこかへと去っていってしまった。とりあえず、ダフネを助け起こす。ロングボトムにグレンジャーのカバンを渡す。
「ありがとう。今のは……」
「グレンジャーだね」
ダフネは柱にもたれかかってそういった。
「そうだな」
とノット。
グレンジャーはグリフィンドール寮。とすれば、目は自動的にロングボトムをとらえた。彼は固まる。
「それで、ロングボトム。何かおきたので?」
広間へ向かう中、彼はポツリ、ポツリとだが、グレンジャーがロナルド・ウィーズリーをはじめとした男子から悪口を浴びせられついに折れたということである。要するにいじめだ。えらいことになった、どうにかせねば。
しかし
―果たして、寮も異なり、性別も異なる私に何ができようというのか?まず、考え付いたのはウィーズリーとその一派に注意することだ。だが、スリザリンとグリフィンドールは病的なまでに仲が悪い。“スリザリンの言動”と片付けるだろう。セクショナリズムといった単語が一瞬頭をよぎる。狭い視野を持った連中としか言いようがない。いや、これが普通か。 では、監督生は?端的に言ってこれもだめだ。一年の若造として片づけるだろう(その可能性は十分にある)。あるいは、実力を(これまでがそうであったように)行使することは不可能に近いであろう。実際、スリザリンの派閥闘争など、監督生たちの権力がもろい証拠ではないか。
今の勤勉なるパーシー・ウィーズリーはどうであろうか?
ああ、まったく皆様!これこそ呪うべきことだ。彼は愚直なまでに誠実だ。理想を体現しようとしている。それゆえ、敵はあまりにも多く、だれも(彼の性格上、聞き入れない可能性は高い)彼の言うことに耳など貸さないであろう。
パーシー、残念なカッサンドリウス(カサンドラの男性形)。
では、教師は?いや、ダメだろう。冷静に考えてみれば、ほぼ効果がない。箒を使った時にロクに注意を払わない教師、いがみ合いを止めもしないし、仮に止めたとしても、最も忌むべきもの、減点に陥る。もし、こうなった場合、被害者は極めて悲しい目に合う。加害者もまた傷つき、これは修復不能となる。
では、善良性に訴え、話すのはどうか?追っ払われるのがおち。だめだ、考え付くそばから手詰まりになっていく。寮が異なるだけで、たったそれだけで、汽車で知り合ったものを助けることすらできないとは。彼女はこれからどうするのだ。常に冷たい目で見られるのに耐え、こらえられなくなったら、今後も泣き続けなければならないのか。誰も見ていないトイレで、あるいはどこか冷え切った場所で。そんなのあんまりではないか。何のためにこの学校に入ったというのか。学ぶことを楽しむためだと高らかに汽車の中で私に接してくれた彼女が思い浮かぶ。私のことを観察して、的確にあてて得意げな彼女の顔が思い浮かぶ。努力をする彼女が思い浮かぶ。これから彼女は孤独のまま生きていくというのか。私は助けることができないのか。そう思うたびに暗い気持ちが私を支配していく。思案するうちに広間につく。変えることのできないものなのか?見知った顔だからこそ、助けるべきだというのに、それすらできないとは。
昼食は平常通りでグリフィンドールと我が寮の馬鹿者フリントがいがみ合う以外は平和だった。体格こそよいものの、純血という以外に何ら取り柄のない人物。いがみ合うことしか、ほかの寮を貶めることしか頭にない人物。寮杯をとることができたのはこの人物がいる限り、奇跡に数えられるであろう。間違いない。けんか相手はグリフィンドールの一年生。かわいそうに、すっかりおびえている。ああやっているから、嫌われる要因になるのだ。だが、そうしたものは報いを受ける。杖を取り出そうとしてフリントはローブに手を突っ込んだ瞬間、彼の頭に分厚いルーン文字で書かれた本が直撃した。さらには空になったインク壺が直撃し、当たり所の悪かった彼は即座に気絶し、頭から床に倒れ伏した。鈍い音と、静寂が訪れる。誰がやった?飛んできた方角を見ると、ワトソンがカバンをパチンと閉めたのが見えた。フレデリックが、にやにやしてそれを見ている。フレデリックがまず立ち上がった。
「馬鹿者め。自分よりも弱いものしか手が出せないとはな。そこの君、すまないな。このような馬鹿者がいたら遠慮なく言ってくれ。私がどうにかする」
本を拾い上げて、フレデリックは自分の席に戻っていった。彼が本を投げたようだ。空になったインク壺はワトソンか。次にフェルプスがフリントを無視して、少年に近づいた。どうするつもりなのか。口を開いた彼から出てきたのは謝罪だった。
「監督生のフェルプスだ。私の寮がすまないことをした。君、名前は?」
黒人の少年はフェルプスにディーン・トーマスだと名乗った。
「ミスター・トーマス。まず、謝罪として、スリザリンから1点減点する。そして、この馬鹿者が再び手を挙げることがあれば、かまわん、すぐに言え。私がこいつをスリザリンから追い出してやる」
その言葉は冷たいものだった。フェルプスはチョコレートをトーマスに渡すと、席に戻った。
フリントはワトソンとフレデリックにコテンパンにやっつけられ、グリフィンドールにスリザリンが謝罪する形で険悪な空気は破られた。あとで聞いたところによると、フリントのような馬鹿者を止めるのはあの二人の責務らしい。あれが、グリフィンドールにもいれば。きっと、状況はもっとましになっていたはずだ。
「スリザリンは排他性が強く、ほかの寮とは協調しないはずでは?また謝罪もしないとよく聞くのですが」
ノットはマグヌセンにそう聞いた。マグヌセンは黙ってカツレツを切っていたが、手を止めて、ノットを凝視した。
「セオドール。私はそれをスリザリンの病根だと思っている。こうした愚か者は我が寮の敵なのだ。手段を選ばないのは、この寮が何らかの好ましくないことに巻き込まれたときに、発揮されるべきだ。組み分けの歌を覚えているな?“まことの友を得る”それは、ほかの寮にもそうであるべきなのだ。純血主義など、今は必要ない。監督生の演説にもあるように、結束は力なのだ。その結束を作り上げるためにほかの寮といがみ合う必要はない。単純な話だ。あまりにも。いがみ合えば、大局を見失う。そして、真の勝利を手に入れることなど不可能となる。だからこそ、こうしたものが排除されるべきなのだ。お分かりかな?ノット?」
ノットはうなずいた。私もうなずいた。頷かざるを得なかったほどの重みのある言葉でもあったが、一方で腑に落ちるほどの力もある。こうした一面がこの寮にはあるのか。独特の免疫を持った存在。いわば白血球のような(一瞬、私は図鑑で見たことのある抗原体の写真を思い浮かべた)生得的に備わった存在- この寮は一種の生物的な側面を備えている。いや、それはおそらくスリザリンばかりではない。すべての寮が間違いなく免疫のような害種に対抗する存在がある。私たちはまさにそれを目撃しているのだ。
「さて、スリザリンにおいても私と彼ら、それとフェルプスはある意味ブレーキのような存在だな。『双子』の寵も得ている。ところで、誰かこのヌガーを食べたいやつはいるか?13シックルやるぞ」
チョコレートのヌガーを取り出して見せる。
その瞬間、私の先ほどまでの感心と納得は吹き飛んだ。『双子』、問題児、ヌガー。キーワードはあまりよろしくない。
その瞬間、いやな予感がしたのですぐに離れた。一方、フリントのほうは復活し、金に目がくらんだか何だかで、ヌガーを食べ、大体1分して気分が悪いといって倒れた。顔は石膏像のように真っ白に。スリザリンの席上にその瞬間、ほかの寮を馬鹿にするとすさまじい報復が待っているという空気が蔓延した。フリントは見事なその例となった。
「ああ、ばかなフリント。お前にもう少しばかりの脳があれば。あんなことをやったのだ。まあ、因果応報だよ」
コインがフリントのローブに突っ込まれる。笑みを浮かべている。マグヌセンは笑ってグリフィンドールのほうに叫んだ。
「……フレッド!もう少しばかり薬を調整しろ!」
フレッド(あるいはジョージ?)が頭をかきながら応答する。
「了解です。マグヌセンさん」
ま、運が悪いということで。そういうとマグヌセンはいつも通り食事に戻った。ひょっとすると、この時点で双子のグッズ研究は開始されていたのかもしれない。とりあえず、被検体に対して、神のご加護あれ。こうしたこともあったので、先ほどのグレンジャーのことはいつしか私は忘れてしまった。
今、思うのであれば、私はどうこう彼女を心配していても、結局は彼女のことを真剣に考えていなかったのだ。断言できる。私も愚か者なのだ。善人の皮をかぶった。
『防衛術』はつつがなく進んだ。教授はようやく根に持つことをやめたようで、取り立てて指名されることもなかった。それでも、ウンベルトはふて腐れてはいたが。
その次の時間は『変身術』に急遽変更となった。フリットウィック教授が腰を痛めたので少しカリキュラムを変更したそうだ。
課題はマッチ棒から針というものからレベルアップし、水をラム酒に変える呪文だった。私は微妙な顔をした。前に、別の呪文でラム酒を作ったことがあるからだ。ノットもそれに気が付いたらしい。含み笑いで私に「前、やったな」という顔をしている。覚えがあったので、私は成功した。続いてノットが成功した。10点加点された。遅れた形でダフネも呪文に成功し、続いてマルフォイが成功する。教授は極めて喜び、さらに10点加点された。先輩方にいわくこの呪文は比較的難しいはずなのだが…どうも私たちにはそのようではないようだ。これが終わったのちは『飛行訓練』だった。いつも通りに席に着くと、私はグレンジャーの姿が見えないことに気が付いた。
「あ、アドルフ……」
「なんでしょうか」
声を低くしてそう言う。
「か、彼女が、彼女が、ひどい……ひどいことに。も、もうだ、だ…」
「ゆっくりと、ゆっくりと」
彼には明らかな動揺と事の重さに頭が混乱しきっているようだった。肩を触れる程度になでる。
「ミス・パチル!次です。急いで」
私たちが話している間、パドマー・パチルが箒にまたがっていた。
「あ、ありがとう。それで……」
「落ち着いて、詳しく」
ロングボトムはゆっくりと、何がどうなっているのかを話した。話の内容というのは、ついに耐え切れなくなった彼女はトイレに閉じこもるに至ったということである。
「……それで、今に至ると?」
「そ、そうなんだ」
「それは…それは、あまりにも…」
私の言葉は続くことがなかった。
「ミスター・ロングボトム!あの塔まで飛んで戻ってきなさい」
マダム・フーチの声とともに彼は箒に乗らねばならず、従って私たちそれ以上話すことはできなかった。
「ごめん、アドルフ。また今度」
「ええ、お気をつけて」
いったそばから、彼はしくじったが、幸いなことに落ちることはなかった。
そのまま、授業は進むが、彼女は来ることがなかった。彼女らしくもない。
しかし、私に何ができようというのか?再び無力な自分を思い出して暗くなる。
飛行訓練も平常通りに進み、(この日、私たちは約20mを飛行し、城の周囲を飛んだ)お開きとなった。そのまま、私たちは宴会へと移った。大広間は温かい食事と夜をイメージした天井が見えていた。こうもりが飛翔している(私は一瞬スネイプ教授を連想した)。食事ではローストビーフとポンフリ(チップス)をよそって先輩方とオレンジエードで乾杯した。
いつも通りだった。だが、飲み物を飲んだが、味が感じなかった。二回目に飲んでみたときも何も味がしなかった。奇妙だった。そして、ものを食べた瞬間、思わず吐き出しそうになった。砂を噛んでいるかのような食感を味わったのだ。
なぜだろうと思った。けれどもすぐに答えにたどりついた。手を差し伸べないからだ。だから、その罰のようにして味がしないのだ。でも、踏み出す勇気はない。よしんば、向かったとして何が私にできようか。
この時も、私は線引きをしていたのだ。恥ずべきことに。
結局食事することをあきらめ、ソーダ水を飲んでいるとダフネが私に目配せをした。私に彼女は近寄った。
「なんです?」
彼女はあたりを憚るようにして私にそっと紙切れを渡した。紙切れにはこう書いてあった。
『ハーマイオニー・グレンジャー、トイレに引きこもる。ずっと泣いている模様 ネビル :追伸、カバンは後で僕が渡す』
嘘だろと思ったがどうも本当のようであったが、あの一件以来ずっと泣いているらしい。
皮肉なことにこの紙切れは私の背中を押した。その瞬間、すべきことは決まった。私は決心をした。
ばかげたことだ。あまりにも。寮が違うというのが一体どうしたというのか?私は助け合おうと思ったではないか。今こそ、その言葉のとおりではないか。
もはや、行動する以外にほかはない。由々しき事態だ。一刻の猶予もない。私は、ダフネに紙を渡してくれたことに感謝した後、カバンを持って歩いていく。
「どこへ行く?」
そうマルフォイの声が聞こえた。
「寮へ」
「そうか。気を付けて行けよ」
手を振ってこたえる。彼は分かってくれたようだった。宴会は緩やかに続いていく。本来ならば彼女もまた、ここに加わっていたのだろう。ところが、それはできなかった。レンズの端には騒ぐグリフィンドール生が見える。
もしもだが、この醜態を私が告発したら。君たちはどんな顔をするのかね?素晴らしき騎士道精神のかけらもないとなる。その時の君たちの驚くさまをとくと拝見させてもらおう。証拠はいくらでもある。さてさて。そんな考えが一瞬かすめる。
列から抜ける時、最初は歩いた。
広間を出る。笑い声、話し声が乾杯する音が、扉の閉まる音とともに掻き消える。静かな場所へと出ていく。徐々に歩みを早くしていく。
気が付いたら走って、グレンジャーのいる場所へと向かっていた。そう、元から思っていた通りに。絵画が、松明が、ありとあらゆるものが目の前を流れるようにして消えていく。それらは少ない光を暗闇に投げかけ、鎧の鈍い銀色を輝かせ、細かないたずら書きを鮮明に映し出していた。
身が軽くなっていた。どことなく、松明の光や暗闇の加減も相まって走馬灯のようになっていた。もう一度私は私自身を眺めている気分だった。大理石の回廊を抜け、ピンク色の御影石の床を踏みしめる。数少ない光を頼りに、ハッフルパフ生の通る場所を抜け、そこから近道をして鏡に囲まれた部屋へと入る。目もくらむような強い光を浴び、あたかもよみがえったかのような錯覚を覚える。
気のせいだろうか?いや、これはきっと気のせいなのではない。踏みとどまっていた私が、バカだった私が死んだのだ。そして、人並みの善良さを持ったものになったのだ。そう信じたい。
踏みとどまるのはやめた。今度こそ、勇気をもって。
紙切れを頼りに件の女子トイレを目指して走っていく。どこかの本で読んだ一説を、ある聖職者の祈りを口ずさんでいた。
“神よ、変えることのできないことについては、それをそのまま受け入れることのできる冷静さを。変えることのできることについては変えることのできる勇気を。そして、この二つを定める英知を、私にお与えください”
そうとも、私は見極めたのだ。そして、確信する。
少なくとも、これは変えることのできるものだ。それだけの英知はあるのだ。愚問だとも思う。これは英知でもないし、勇気でもない。私のエゴだ。しかし、私に勇気はなくとても、計算する能はある。それに私のエゴは今のところ(そうなることを望むだけなのだが)、良いほうに向かっている。とすればだ……。
一つの広間を抜けていく。
私は施そう。そして、試みよう。
泣いているという女子トイレは目の前にあった。男子である私が入ったら減点になるのは確実だが、そんなことを考える暇などない。すでにすすり泣きが聞こえる。
およそスリザリン生らしくはない小僧の浅はかな考えだが、私はこの悲劇を少なくとも良い方向には変えることができるはずだ。つまりは、一過性の悲劇に。
恐れることなかれ。ゆっくりと、踏み出せばよいのだ。
かつて、世界の端にはこうした言葉が門とともにあったとされる。
Nec plus ultra, non plus ultra. 『先へ進むな。ここから先には何もない』。と。しかし、あの風変わりなドイツ人、あるいはスペイン人カルロス一世はこの言葉に、『困難なことに立ち向かい、あえて、高みへと昇る』という意味を与えた。それ以来、Plus ultraは私たちの挑戦を示す意味を持つようになった。ならば、私は試みよう。ここから先に何もないのであれば、ハンニバルが言ったように道を創ろう。あるいは、世界の端の更なる先へと向かおう。
そして、助けよう。それは私のエゴだ。しかし、試す価値は常にある。
私はローブをただすと深呼吸をしてカバンを持って中へと入っていく。聖書にあった一説をつぶやきつつ。
『動じることはない。大いなるものは決して動じない』
“Non in commotione, non in commotione Dominus.”
“見たまえ、ケルト人が笑っている。そして、天使たちが空を見ている。不思議なことに誰もが見ていないはずなのに、神だけが君を見ている。君自身が信じずとも、感じずとも神だけは君のことを常に見ている”
次回は三日後の11月9日です。非常に長くなったので分割です。
コメディア・デッラルテ調で一応行っております。バランゾーネがいいキャラになっていますが。