SIDE 美墨 なぎさ
勉強嫌い、嫌煙していた学校の勉強を少しだけでも好きになれたのは、きっとあの人のお陰だと思う。
初めてあった…というかぶつかった時の印象は、無表情で何を考えているのか分からない不思議な人という感じだった。
白髪混じりの黒い髪をした、鋭く透き通った黒い水晶のような目をした人。
全てのことに無感動…いや悲しんでいるように見えたのは、あたしの気のせいだったのか。
でも、あたしがあの人にぶつかった日からその場のノリのような雰囲気で始まった家庭教師。
初日から遅刻してしまった私は、こっぴどく怒られてしまった。
「あれは恐かったなぁ…」
無表情で淡々と述べられる説教は、親に拳骨を落とされるよりも異質で、目が滲んでしまった。
「へぇ、なぎさ、家庭教師なんか頼んでたんだ、でもでも頭良くなってないよね…
さっきも雪城さんに助けて貰ってたし」
昼休みの時間、私は友達の二人と教室以外の場所でお弁当を食べていた。
そこで何となく持ち上がった話題が、私の勉強から家庭教師というものへと変わっていった。
「…ううっ、それは言わないで」
確かに家庭教師受けていると言うことは、塾へ行っている人と何ら変わらない立場にいる。
それなのに授業で、家で習った勉強が生かされないのはあたしの勉強不足が矢っ張り関係しているのだろう。
「で、なぎさ…その怖い家庭教師の先生は、そのどうなの?」
首を落としてうなだれる私をよそに、二人はまた話題をシフトする。
どうやら私が、その家庭教師の先生のスパルタにあてられていると思ったらしい。
これは否定する所だ。
「ううん、怖かったのは約束を破ったときだけで、あとはとっても優しかったから」
そうだった、内場さんは冷血そうでいてその内側は凄く熱いものが詰まっていた。
勉強が苦手だと諦めそうになった私に、長く話を語って努力する事の意味を教えてくれた。
今思えば、あの人は私を励まそうとしてくれたのかもしれない。
努力すれば出来ないことはない…言い換えれば努力しない内から諦めていては何もできない。
それに内場さんは、あたしの学校の次に出るだろう問題、それもあたしが解けないかもしれない問題を選んで教えてくれていた。
そんなにあたしの事を見てくれていると思うと、家庭教師としてだとは解っていても胸が熱くなる。
女の子から告白されることが多い、貰うラブレターが全部女の子からというあたしは、こういう男関係は余りにも疎かった。
「あれぇ、なぎさ、赤くなっちゃってどうしたの?」
「ははぁん、そういうことか」
ニヤリと笑う意地悪な顔をした友人、何かあらぬ事を詮索去れているようで気分が悪い。
「な、何がそう言うことなのよっ」
抵抗を試みようとして逆に声が上擦ってしまった、あたしはあの人のようにポーカーフェイスを貫く事は出来ないみたいだ。
…そういえば、今朝の内場さんはどこか変わっていた。
いつもの暗いオーラが少しだけ薄くなっているような、優しい感じがした。
後ろから声をかけて驚いて変な声を上げたシーンが再生されて、自然と口元がにやつく。
無表情のあの人でも不意をつかれたら、あんな顔をするんだとほっとした。
「…いやいや、なぎさ、あんた今、完全に恋する乙女の顔してたよ~」
「へっ!?」
顔に出ていただろうか、慌てて顔を手のひらで覆い隠す。
からかいを受けて騒いでいるうちに昼休みは終わり、残りの授業が始まった。
何か雪城さんが誘拐されたとか、王子様に連れて行かれたとかと騒ぎになっていた。
雪城さんが優等生と言うこともあって、勝手に学校をサボる人間ではないという事がより拍車をかけて、誘拐説を物語っている。
先生が慌ただしく教室に出入りして、結局授業は自習に変わってしまったけれど、あたしはあまり嬉しくなかった。
たまたまとは言っても、あたしを助けてくれた雪城さんが誘拐されたと言うのは、あたしにとってもショックだったからだ。
噂話をしている子からの情報によると、誘拐した人は突然教室に入ってきて、強引に雪城さんを連れ去ったらしい。
背の少し高い20代ぐらいの男で、少し白髪が混じっていた、細顔の美男子だという。
「……まさかね」
一瞬頭に浮かんだ人物像に、あたしは自分の馬鹿さ加減を痛感した。
いやいや、まさかあの人が雪城さんを誘拐するなんて事をするわけがない。
警察に連れて行かれそうになっていたのは、元はと言えば大声を上げたあたしの所為で、あの人は何もしていない。
首を振って有り得ない妄想を振り払った私は、先日あの人に教えて貰った勉強をしてみようとノートを開けた。
勉強は嫌いなあたしは、授業が終わった後の部活動に力を入れている。
ラクロス部はあまりある学校が少ないスポーツだけど、皆で協力して汗をかく所は他と変わらない。
部活をしていたから出来た友人もいて、今更ながら入部して良かったと思っている。
ちなみに、この雪城さん誘拐説は自宅に問い合わせた先生が、体調不良で帰っただけだったという確認をとって終幕となった。
部活動を終え、電車に乗って疲れた身体に鞭を打ち家に帰ってくると、ほっと息を吐く。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
ありきたりな挨拶を交わして、貰ったラブレターを机に放り投げ、ベッドに横になると、一気に疲れが押し寄せてきた。
「ふうっ…」
体中の疲れを溜め息として押し出す、こう言うとオジサンだと言われるかもしれない。
「はあ、女の子にばっかり人気があってもなぁ」
また溜め息が口から漏れ、独り言を呟いてしまう。
女として、男にモテるというのは解るけれど、女にモテてもそれは自分が男っぽいと言われているようなもの…
いや、こうして好意を寄せられるというのは嬉しいけども、矢張りあたしとしては男の子にラブレターの一つ貰いたいという気持ちがある。
「内場さん…」
ぼうっとした頭でそんな事を考えていると、また頭に浮かんだのは、家庭教師のあの人の顔だった。
…おかしい、今日のあたしは本当におかしい。
あの人が今どうしているかよりも今は、こっちの問題の方が大切だ。
だから、だから…別にあたしは何とも思っていなくて、変に勘ぐられる事もなくて。
……手、握られちゃったな。