「分かりました。勝ったら廃校を撤回してもらえますね?」
中央合同庁舎7号館東館8階の一室は重苦しい空気に包まれていた。
このフロアには文部科学省の初等中等教育局と学園艦教育局の執務スペースがある。その一角の静かであるべきこの応接室も普段であれば外から内線のコール音や職員の喧騒が聞こえる筈だが、彼らの耳には今それも聞こえない。
文部科学省学園艦教育局財務課長の辻廉太は困惑していた。確かにこれまでも「全国大会に優勝すれば…」、「大学選抜に勝つようなことがあれば…」とは口にした。しかし、それはあくまでもコメント、感想に過ぎなかったのである。辻が座っているソファにかかる力はわずかばかり強くなった。
「今ここで覚書を交わしてください。口約束は約束ではないようですからね」
目の前で手書きの「せいやくしょ」へのサインを迫る県立大洗女子学園の生徒会長角谷杏は、確かに自らの言葉で学園生徒に「廃校」を申し渡したのだ。であれば、学園艦の「処分」について納得したのではなかったのか。さらに、生徒たちも艦からの退去に応じ、大きな混乱はなかったと報告を受けている。その経緯が辻の困惑を加速させていた。
そして辻の困惑には大きな原因があった。そもそも、「処分」の撤回をここで誓約することは明らかに辻の職掌を超えているのである。今までの役人としての経験によって、こちらから具体的に何かをすると明言することは避けてきたが、ここで明確に、文字に残る形で撤回を迫られても辻の困惑が増すばかりなのである。
辻は少女の左右に座る3人の大人に助けを求めるように右から順に目を向ける。全国戦車道連盟理事の児玉七郎はその立場と年齢に見合った物憂げな表情で腕を組み沈思している。高校戦車道連盟理事長の西住しほは端正なスーツ姿を自ら誇るかのように背筋をしっかりと伸ばし、射るような目で辻にサインするよう促している。そして一番左端、陸上自衛隊の制服に身を包んだ蝶野亜美一等陸尉は明後日の方向に顔を向け、ツンと澄ました顔でいた。見渡す限りこの場に辻を助ける者はなく、蝶野に至っては辻が窮するのを楽しんでいるかのように見えた。
遂に、困窮した辻がこの案件について持ち帰るべくして口を開こうかとした時、その沈黙を破って蝶野が噴き出し声を立てて笑い出した。余りにも唐突で辻は勿論、横に座る三人も呆気にとられている。
周りの視線に気付き流石に場に沿わないと悟ったのか、軽く咳払いをして蝶野は先ほどの澄ました表情に戻った。
「いや大変失礼しました。流石に今ここでサインをしろと言うのは、おそらく課長の裁量の範囲を超える部分もあるかと思います。一度担当から「廃校」の件についてお話を伺った上で、今角谷さんが言った条件で試合をするのかどうか協議すると言うのはいかがでしょう?」
確かに辻にとってありがたい提案ではあったが、ひどく不愉快でもあった。相手から面と向かってお前には裁量がないと言われ、辻の憶測ではあるが先ほどの自分の窮状も含めて笑われたのだから面白い筈がなかった。だが面白くないとは言え、実際に裁量がないのだからこの提案を断るのは得策とは言えなかったのである。
「分かりました。では、当課の艦船・施設管理班の担当を紹介します。詳細はそちらで。必要に応じてスポーツ庁の担当にも連絡するということで」
「お待ちください!」
西住しほが口を開く。既に頭の中を次の案件に切り替えようとしていた辻は再び面を食らった。
「先ほど、あなたはご自身に裁量が無いことをお認めになりました。では、誰ならこの件について判断できるのでしょう?」
「西住さん、ちょっと」
児玉が辻の様子を伺いながら小声で制止するが、西住は続ける。
「私は、この件についてこの場での決着を所望します。どなたかは知りませんが、この件について権限を持っている方をお呼びください」
辻は素早く頭を回転させ、記憶から文部科学省内部部局文書決裁規則や国有財産法、同施行令の財産処分に関する条項を手繰り寄せる。
学園艦が船舶であることを考えれば、その「処分」をすることができるのは、国有財産法第8条第2項及び同施行令第5条第1項第二号の規定に従い、各省各庁の長、即ち文科省にあっては文部科学大臣となる。
一方で、同法第9条には、「各省各庁の長」は「事務を部局等の長に分掌させることができる」とあることから文科省内において行政として「処分」の実質的な最終判断を下せるのは学園艦を所管する学園艦教育局長ということになる。
とすれば、この場で決着させるという西住の要望を叶えるには学園艦教育局長を呼ぶのが適当であろう。
だがしかし、と辻は思い止まる。
これまでの彼女たちの話を聞いて、局長が今ここで決断を迫られた場合、ほぼ間違いなく否と答えるであろう。
彼女たちの言う「スポーツ振興」や「戦車道の推進」が、この財政難の中にあって1年あたり千数百億円の歳出削減を覆す根拠にはなりえない。根拠がないものについて否という判断を下すのは役人の常識であり、その考え方は立場が上になればなるほどより堅固になっていく。それを高校生の試合の勝ち負けで判断するなど、局長クラスでは絶対にありえないのである。
そういった点で否と言う判断自体については辻も異存はない。しかし、今回については懸念もある。
辻が懸念するのは相手方の感情的な部分である。女子高生はともかくとして、目の前にいるのは戦車道連盟の意思決定に深く関わる面々である。全国戦車道連盟理事長はそこまででもないが、高校戦車道連盟理事長が喧嘩腰であり、局長の決定を不服として一波乱起こしかねない。
この場で戦車道連盟との関係が決定的に悪化すれば、プロリーグ設立や国際大会の誘致等を控えるスポーツ庁の競技スポーツ課長や国際課長あたりは猛り狂うだろう。そしてそのとばっちりは、おそらく自分ではなく主に生涯学習政策局の人間が蒙ることになる。スポーツ庁はともかくとして、生涯学習政策局の人間を考えると何とも忍びない話である。
結果、辻は「そもそも論」に立ち返ることを選択した。一度、論点を整理する必要があるとも感じたからである。
「率直に申し上げますとこの文部科学省に、県立大洗女子学園の「廃止」、即ちあなた方が仰るところの「廃校」を撤回する権限はありません。そもそも、「廃止」を決定する権限すらも文科省にはないのです」
はい、というわけで第1話です。読みにくくてスイマセン。
学園艦教育局の事務分掌は実際の初等中等教育局の事務と一部を除きほぼ同様のものを想定しています。本当は文科省の事務分掌的に辻さんを大臣官房会計課長にしたかったのですが、ガルパン公式HPに「学園艦教育局の役人」とあったので、そこの設定は崩さないようにしました。なので会計課に属さない国有財産管理を学園艦教育局財務課の扱うべき事務とし、辻さんを財務課長にしました。
ちなみに、ストーリーを考える上で国有財産法第6条「普通財産は、財務大臣が管理し、又は処分しなければならない。」の条文に一瞬怯えたのは内緒です。
国有財産法第8条
行政財産の用途を廃止した場合又は普通財産を取得した場合においては、各省各庁の長は、財務大臣に引き継がなければならない。
ただし、政令で定める特別会計に属するもの及び引き継ぐことを適当としないものとして政令で定めるものについては、この限りでない。
2 前項ただし書の普通財産については、第6条の規定にかかわらず、当該財産を所管する各省各庁の長が管理し、又は処分するものとする。
国有財産法施行令第5条
法第8条第1項ただし書の引き継ぐことを適当としない財産は、次に掲げるものとする。
二 立木竹、建物で使用に耐えないもの、建物以外の工作物、船舶及び航空機で用途廃止をするもの。
国有財産法第9条
各省各庁の長は、その所管に属する国有財産に関する事務の一部を、部局等の長に分掌させることができる。