あのライブでの死者、行方不明者は12874人にも及んだらしい。
ノイズの襲撃に居合わせた人数が約10万人だったそうだから、じつに10分の1以上のあの場にいた人間がいなくなってしまったわけだ。
そしてその被災者の中にはステージの上で歌っていた奏さんも含まれている。
「律ちゃん。ここにご飯は置いてるから」
帰ってくる返事はない。
あの事件の後。奏さんが死んだという事が政府の人から説明されてからもう三日が経つが、律ちゃんは寝込んでしまい誰とも会おうとはしていない。
…………当然だ。
唯一血がつながった自分の姉が死んでしまったのだから。
「翔君。あの子はどうだった?」
「――――いえ、いつも通り何もしゃべりませんでした」
「そう…………。ご飯は食べてくれてるから、きっと自分が今何をしたらいいか分からないのだと思うの」
何をしたらいいか分からない、か。
「あの子の事も心配だけど、翔君も心配だわ」
「僕ですか?何でです?」
「あの子が寝込んでから顔色も少し悪いもの。ご飯もちゃんと食べてないみたいだし、あんなに毎日竹刀を振ってたのにそれも――――」
「僕は大丈夫ですよ。――――それよりも律ちゃんの心配だけしててください」
「翔君…………」
「じゃあ、学校に行ってきますね」
おばさんからの返事は聞かずに玄関から家の外に出る。
何をしたらいいか分からないのは僕も同じだ。
今までみたいに漠然としたものではない。
僕は何をするべきなのかが分からないのだ。
きっと、これは時間が解決する問題ではない。
僕自身が何とかしなければいけない問題だ。
●
「あ、翔君おはよう」
「おはよう」
たまに話をする程度の仲の同級生とあいさつをする。
机に向かう途中で、口々に僕の心配をする声と律ちゃんの事を心配する声が聞こえてくる。
その誰とも、僕は特段に親しくはない。
横目に隣の席を見ると、それはひどいものだった。
落書きに、傷。そして花まで置いてある。
ライブが始まる前にはこんな事。誰もしていなかったのに。
被害にあった人たちの内三分の二がノイズ以外で死んだという事でおこったバッシングは久しぶりに来た学校でも非常に目立つ。
この教室に来る途中にも怒鳴り声が一度聞こえてきたし、学校とは逆方向に歩いていく隣のクラスの女の子もいた。
なんで人は自分にほとんど関係のない事にまでここまで残酷になれるのだろうか。
結局。隣の席の男の子はその日学校には来なかった。
今日なによりも辛かったのは、その子の悪口を僕に言い続ける周り。
まるで何かを誇る彼らを見ていると、なんだか涙が出てきそうになったのだ。
学校を出ると、途端に足が動かなくなった。
まるで自分の思い通りに動かない足は、律ちゃんの家の方向ではなく、学校から一番近い駅へと向かっていった。
学校の異様な空気に疲れていたからなのかは分からないが、そこからの記憶はあまりない。
でも、気づけば僕はあのコンサート会場の近くに着いていた。
未だに崩れたままのビルの近くには瓦礫が集められていて、道路に黒い炭は残ってはいなかった。
コンサートホールの近くには何台もの工事用のクレーンや車があったが、そこには誰もおらず、警備員が何人も立っている。
警備員の目を盗んで、こっそりと工事用のフェンスを乗り越えて敷地の中に入る
中に明かりはほとんどなく、赤みがかってきた空もあってか非情に中は暗い。
コンサートホールの外側には何の感慨もない。
あそこにいかなくては。
崩れそうな場所を避けて、ようやくの事で観客席にたどり着く。
中の惨状はひどいものだった。
観客席もステージも。何もかもが元の姿が分からないほどに破壊されていた。
ここが…………。
そのあとの言葉は浮かんでこない。
自分がなぜここに来たのかが分からないのに、この場で何かを考えることができるはずもなかった。
時間が経つのも忘れて立ち尽くしてもそれは変わらず。
でも涙だけは僕の目から流れ落ちてきた。
ライブ前に奏さんと話してから、一週間もたってない。
奏さんが死んだことだって人から伝えられたから実感がわいてこなかった。
でも。ここに来たことで、奏さんともう話すことができないという事が自覚できてしまった。
楽しかったのだ。
表向きは自分の姉、妹の事を相手に伝えるという事だったけれど、その他にもたくさんの話をした。
それは愚痴だったり相談だったりしたけど、でも楽しかったのだ。
風鳴翔と天羽奏は十二分に親しいと言える間柄だった。
そんな親しかった人が死んだ事実がいまさら襲い掛かってくる。
僕は。僕は…………。
●
「ただいま…………あれ、おばさんは出かけたのか」
人の気配がほとんどなかったので、靴をならべてそのまま二階に行く。
夜に一度律ちゃんと話をするのがここ最近の僕の日課だ。
もっとも僕が一人でしゃべっているだけで、ほとんど彼女からの言葉は聞くことができないけれど。
「律ちゃん。大丈夫?具合の悪いところは…………」
そこまで話したところで突然扉が奥に向けて滑り始めた。
なんていう事はない。ただ、扉が中から開けられただけだったのだ。
「…………律ちゃ」
そして扉の中から伸びてきた手にいきなり引きずり込まれた。
普段の僕だったら女の子に引きずり込まれるなんてことはないはずだが、このごろの不調のせいと彼女の異様な力のこもり具合に抵抗はできなかった。
そのまま床にひっくり返ってしまうと、自分の上に何かが乗っかってきたのを肌で感じた。
「…………」
電気もついていない室内だが、わずかに廊下から洩れる明かりのおかげで自分の上に乗ってきた律ちゃんの顔はしっかりと認識できる。
僕は彼女の泣いて腫れた目で見つめられた時、なにもいう事ができなかった。
「お姉ちゃんが死んだの」
この体制になってどれほど時間がたったのだろうか。
ようやく彼女はポツリ、と小さな声でつぶやいた。
「お母さんとお父さんもノイズのせいで死んで、お姉ちゃんも…………」
「私だけが残っちゃった…………」
僕の服の襟を掴む手が震える。
「本当にお姉ちゃんが私を置いてどこかに行っちゃったんだって思ったら、頭の仲が真っ白になって」
「お姉ちゃんの事。初めて恨んじゃったっ…………!」
もう涙は枯れてしまったのか。
彼女の目から涙はこぼれないが、その代わりに行き場のなかった思いが口から零れ落ちてくる。
「それで、それで…………」
「律ちゃん…………」
彼女の名前が口から洩れる。
だけど、彼女の言葉は止まらない。
「このままだったら翔君に良くない事を言ってしまいそうで、だから…………」
「もういい。分かってる」
「ごめん。ごめんなさい…………」
「なんで律ちゃんが謝るんだよ」
謝るような悪いことなんか、彼女は何一つとしてしていない。
だのに。なぜ彼女がつらい思いをしなければならないんだろう。
「律ちゃんは…………俺が守るよ」
「え?」
しゃくりあげる彼女にできるだけ優しくそう伝える。
「今は何もできないかもしれないけど。でも、いつかお前を守れるようになりたい」
「だ、駄目!そんな無理なんかしなくてもいい!そんなことして翔君に何かあったら!」
「これは奏さんとの約束でもあるんだ」
「おねえ、ちゃん?翔君。お姉ちゃんにあったことあるの?」
「あー、うん。本人に口止めされてたんだった…………。でも、ライブの前日にあった時に奏さんは律に会おうとしてた」
そしてその時に約束もした。
もしかしたら。彼女には何か嫌な予感があったのかもしれない。
だから俺に律の事を頼んだのかもしれない。
「その時さ。すごいと思ったよ。つながりを切った自分の妹にもう一度会おうと思える強い人なんだって。俺も姉に会う決心がついてなかったからさ」
「馬鹿。それで翔がいなくなっちゃったら」
「いなくならない。約束する。もうお前が泣くところも自分を苦しめるところも見たくないからな」
絶対に絶対。この約束は守り続ける。
奏さんとの約束。
そして今の律との約束。
「翔…………あの」
律が何かを言おうと口を開いたその時。
玄関口のかぎが回る音がした。
どうやらおばさんが帰ってきたらしい。
「あ。おばさんかな?」
「わわわわ」
一回の玄関に意識を向けている間に、どこか焦った様子の律が俺の体の上からどく。
というか。うん。
彼女が自分の上からどいて初めて思ったことがある。
「うん。意外と重かったんだなお前って」
「へ?何言って?」
「いや。意外と食が細いように見えてたから年並以上に軽いのかと思ってたけど、思えば間食とかもしてたもんな。いやあよかったよかった。この数日で痩せてたりしてたらと思ってたけど、ちゃんとご飯も食べててくれたみたいで安心した」
●
「どうしたんだ翔…………その頬の痕は」
「いえ。自分のデリカシーのなさが招いたものなのでどうかお気になさらず」
「お、おう」
少し戸惑ったような表情の叔父さんが頷く。
いきなり叔父さんの自宅に押し掛けたせいか、叔父さんは部屋着のまま。
というか。叔父さんがいるのも分からないのによくもまあ行動に移したものだと自分にあきれる。
まあ。こういうのは勢いのままのほうがいいのかも。
「で。今日ここに押し掛けたのは他でもありません。俺を叔父さんの職場で働かせてほしいんです」
「――――理由を聞いてもいいか」
視線を鋭くし、俺に事情を聴く姿はいつものやさしい叔父さんではなく、大人としての風鳴弦十郎のものだった。
真剣に俺が何を思ってこんなことを言ったのかを知りたがっている。
「いろいろ考えたんです。今の俺は何も知らなさすぎる。だからたくさん知ることから始めることにしようって」
そう言って、持ってきた紙を弦十郎おじさんに見せる。
「おいおいそれは…………」
「父からの推薦書です。これをあなたに見せて、あとは自分で説得しろと」
「自分の家にまで行ったのか!?」
それに黙ってうなずく。
久しぶりの自分の家は何も変わっていなかったし、それほど父親とも話はできなかった。
「俺はノイズと戦うことはできない。でもノイズのせいで変わった人たちや傷ついた人たちを見ました。あれを見てなにもするな、なんて耐えられないんですッ!」
「いきなり正式に雇うことはできない。が、研修扱いでならいい」
「おじさん…………」
「しかし。ちゃんと学業の方も頑張るのが条件だ。二課で研修を受けているからと言って、学校に行かなかったりするのは許さんからな」
「ありがとうございます!」
頭を下げて礼を言うと、おじさんにはそんなことはしなくてもいいと軽く怒られた。
自分には戦う力はない。
だから、俺ができることをまずは探すことにしよう。
律を守ることよりも彼女と共に居続ける事を選択した場合、第二ルート突入。
このルートは機会があれば書いてみたいです。