「ぐぅ……」
リーダーの後に残ったメンバーの、最後の一人が横たわった。
メンバーの全員が、慕い、尊敬し、崇拝さえして集まるに至った、そんなリーダーの男を倒したリアを許さず、容赦なく襲い掛かった。
そんな彼らにとっての不幸は、その相手がタダの子供ではなく、リアだったこと。ただそれだけ。
ある少年は、リーダーと同じように鉄靴の蹴りを喰らい……
ある少女は、怪力に振り回され、あげく、投げ飛ばされ……
そしてある子供は、それらの攻撃で巻き添えを喰らって……
結果、ほとんどは反撃する暇もなく、反撃しても当てることすらできず、全員、アッサリ倒されてしまった。
「まだ、だ……」
倒れた者達の中で一人、立ち上がる者がいた。
「俺達は……聖地へ……」
喰らったのは蹴り一発でも、その一発は超強力。立ち上がりながらもふら付いて、足取りはおぼつかない。それでもリーダーは、リアに向かって、前進していく。
「もう……誰も死なせない……勝手な大人達の、好きに命を奪わせない……俺達は……全員で、幸せに、生きるんだ……」
途切れ途切れに、言葉を発して、その言葉を込めるように、拳を持ち上げ、振った。
それがリアの頬を捕らえたところで力尽き、リアの真横の地面に倒れ伏す。
ようやく眠ったリーダー。そして、他のメンバー達。
街の住民達にはあった、醜い願望も、邪な欲望も、無様さも、その顔には無い。
あるのは、心から家族の幸福を願い、追い求めようとした、優しさに溢れた純粋さ。
(それだけ強い気持ちを持ってるなら、こんな街、さっさと出ていけば良かったんだ。そうすれば、お前達ならどこででも生きていけたろうに……)
目の前にある、華やかさへの憧ればかりにしがみ付き、それ以外には目を向けなかった。
聖地に比べれば、その幸福は小さいかもしれない。それでも、家族がいるなら、決して小さすぎる幸福でも無かったろうに。
(……いや、俺も同じか。俺は森から出ずに、たまたま魔法使いと出会った。こいつらは、街から出ずに、魔法使いに出会えなかった。ただ、それだけの違いか……)
「見つけたぞー!」
倒しながら拾い集めた、黒丸全てを粉々に握り潰した、ちょうどその時。
倒した彼らとは全く別の、しかし、この街では圧倒的に多数派な声が響いた。見ると、薄暗い道の向こうから、いくつもの灯りが見えた。
徐々に距離が近くなっていき、やがて、リアのいる、扉の前を取り囲んだ。
「奴隷! もう逃がさねえぞ!」
「テメェは大人しく、俺を聖地に連れてきゃいいんだよ!」
「聖地に連れていく前にボコボコにされたくなきゃ、全部脱いで土下座して謝れ!」
ここには、こんな大人しかいないのか……
思いながら右手を伸ばした。伸ばした右手が掴んだのは、空ではない。
掴んだそれを、腕力に任せ、力の限り、目の前に振る。
「うおお!」
「きゃあ!」
振った瞬間、巨大な風が彼らを叩く。いくつも悲鳴が上がり、土と埃が巻い上がる。
何人かは、それに怖気づいたように後ずさった。だが、残ったほとんどは、
「へぇ、それがお前の魔法かよ。聞いてたのとは違ぇが、凄ぇじゃねえか」
「奴隷のくせに、生意気なんだよ! 抵抗してんじゃねえ! 殺すぞ!」
「大人しくしろ! 動くな! 喋るな! 今すぐ聖地まで連れていけ! この奴隷!」
今までなら、これだけで誰もが戦意を無くしていたのに、彼らはなお更欲望をギラつかせていた。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「あ?」
刀を下ろしながら、リアは、目の前の大人達に呼び掛けた。
「聖地に行って、どうするんだ?」
彼らを物理的に黙らせることは簡単なこと。
だから、黙らせる前に聞いておきたかった。
「確かに、聖地に行けば、ここよりは豊かに生きられるかもな。だが、それが本当に幸福とは限らない。わざわざ聖地にこだわることもないだろう」
華やかな聖地が目の前にある以上、そればかりを見るのは仕方がない。だからこそ、それしか無いわけじゃないことを知るべきだろうに。
「俺自身、この街の外から来た。同じ外地には違いないが、それでも住むには良い場所だった。そこを追い出されたからここまで来たが……街の外には獣もいるし、危険もそれなりにある。だが、少なくともこの街に比べれば、夢も希望も広がってる」
獣という、明確で分かり易い危険があるうえ、慣れ親しんだ場所から離れる以上、どんな危険や脅威があるか。
常に、扉の外から見えている聖地と違って、見えないことは確かに恐怖だろう。
だが、全てが見えていないのは、外地も聖地も同じだ。
「聖地へ行ける俺達が言うのもどうかと思うが、外から来た身として言わせてもらえば、外地だって、ここみたいな場所ばかりじゃない。どんな場所だろうが、その場所にしかない豊かさはある。そこで幸福に暮らせるかはお前達次第だが……少しは、外にも目を向けてみたら――」
ガシャンッ、という音が、正面から響いた。直後、リアの足もとから炎が燃え上がった。
今時、誰が持っていたのか、飛んできたランタンを蹴り砕き、散らばった油に引火した。
「うるせえんだよ……」
おそらく、ランタンを投げた男は……どころか、集まった者達全員、表情に変化は無い。
「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、奴隷の癖によ……」
口調は怒っているが、その声色も、ここへ来た時と全く同じ、無様なまま。
「奴隷のくせに、生意気に喋ってんじゃねえぞ」
「奴隷は奴隷らしく、アタシを聖地に連れていって一生アタシのために働けばいいのよ」
「喋る暇あったら、俺を聖地に連れていって、俺に楽させやがれ奴隷があ!」
リアの言葉は、全く耳に入っていない。どころか、リアの姿すら、まともに見ていない。リアが、自分達の探す奴隷かどうか、見分けが付いていないのが何よりの証拠だ。
単純に服装のせいもあるだろうが、これだけ喋れば、見た目がどうあれ、リアが少女でないことは明白だろうに。
全員が全員、ただ、目の前の魔法使いという宝だけを見て、それを手に入れることだけを望み、それ以外の考えを捨てている。
(どいつもこいつも……)
そんな様を見ていると、また溜め息が出た。
現実という苦難に負けて、負けっぱなしで全てを諦めて、人生すら放棄しておいて。
目の前の現実さえ見ないくせに、都合の良い夢だけは、いつもいつも見ている。
(誰も気付いてない……それとも、気付いてないフリしてるのか? 聖地に行って、遊んで暮らす。そんな、空っぽな夢のためだけに生きて、他を目指すことをしなくなった……本当の奴隷は魔法使いじゃない。お前らこそ、聖地っていう夢に囚われた、ただの奴隷だろうが……)
夢を見るのは自由だ。その夢を叶えるために、はたから見れば、バカだと笑われて、奴隷のようだと蔑まれるだけの努力をすることも自由だ。その末に破滅し、狂ったとしても。
だがこいつらは、努力と呼べるものを何一つしていないうちから、ただ大勢が同じように見ている夢を、同じようにただ見ているだけ。
その夢を見るまでにどんな目に遭ってきたか知らないが、その末に行きついたのが、見るのが楽なだけの夢。必ず幸せになれると決めつけ、他人に叶えろと駄々を叫ぶ。
自分自身の本当の夢か、その区別さえ放棄して。
(まあ、今の外地に、他に見られるような夢がないことも事実だが……)
理由はどうあれ、現実からそんな物に逃げ、喜んで囚われているこいつらは、夢の奴隷ですら無い。
意志も、意識も、信念さえ、全てが空虚なだけの、ただの奴隷。
ただの、無様な奴隷達……
「捕まえろー!」
「俺の奴隷ー!」
「アタシの聖地!」
そんな無様な奴隷どもの声が、また四方八方から聞こえてくる。
(全員が俺を見てる。これ以上、同士討ちは狙えないかもな……だが、まあいい。どうせ、最初からそのつもりだったし)
心の中で呟きながら、リアは右手の長刀を、夜空へ向かって高く投擲した。
全員の目がそれを見る。
そのタイミングで、燃え上がる地面を蹴り、無様な奴隷に向かって走る。
「誰も、この扉に近づくな」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「リア……」
遠くから聞こえてくる騒乱の中、リア、と、レナは呟いた。
その服装は、いつもの服とは変わり、リアと交換した、黒の上下という、シンプル且つ貧層な服装に変わっている。
サイズや武器の都合から、唯一交換しなかった茶色のブーツは、そんな上下の黒には全く合っていない。
そんな足の、ひざを枕にフィールを寝かせ、周囲の音を聞いていた。
(大丈夫かな……リア……)
未だ、目を覚まさないフィールの顔を撫でながら、不安と孤独に、ただ耐える。
(リア……早く帰ってきてよ……)
髪をまとめ、靴と靴下以外を換えて、落ちていた弓を肩に、別れる直前。
リアはレナに言った。
「連中は俺が相手する。その間に、お前はフィールを連れてどこかに隠れろ」
いきなり服を換えたかと思ったら、そんなことを言われて、レナは慌ててそれを拒んだ。
フィールが気絶していて、街のことを何も知らない自分に、どこへ行けというのか、と。
「……ああ。さっき言ったばかりだもんな。お前達は、俺が守るって……できればそばにいたいが、俺の体は一つしか無い。目や手が届かない場所に行く時もある」
心底申し訳なさそうに言う。そんな声や表情のまま、続けてこう言った。
「俺は、俺にできる手段でお前達を守る。だから俺がいない間、お前がフィールを守れ」
お前が……わたしがフィールを……
いきなり言われて、レナは思考が停止した。そして、リアは背中を向けた。
そこでレナは我に返り、とっさにリアの手を掴んでしまった。
「しっかりしろよ。年上だろう」
自分が何かマヌケをする度に繰り返す常套句。
いつもなら文句を返していた。しかし、今回はそんな余裕さえなく、ただ泣きついた。
「無理なら……最悪、フィールを置いて逃げろ。魔力を全部吸われてるからな。しばらくは目を覚まさない。だが、あいつらの目的は、お前達を捕まえて聖地に行くことだ。だから、少なくとも命は助かる。命はな」
最後の言葉を、いやに強調して言った後で、レナの手を振り払い、歩いていく。
「夜が明けるまでには、全部片付ける。そしたら、扉の前に来い。お前達は必ず、俺が聖地へ連れていってやる……いいか? この街の人間、誰も信じるなよ」
そんな言葉を残し、走り去るリアの背中を見て、レナが感じたのは、不安だけだった。
「リア……」
リアが消えてしばらく後に発生した喧騒の声に対して、レナはただ、震えていた。
毎日のように歩いていた森の中なら、一人ぼっちでも全然平気だったのに。
暗くて静かな森と違って、光はそこかしこにあり、人の声もあちこちから聞こえてくる。
それなのに、危険度も厄介さも、夜の森を遥かに超えている。
いつも感覚を研ぎ澄まし、どこに潜んでいるとも分からない獣の気配を感じ取っていた。
だがここは、そんなことをするまでもなく、大量の人間の気配が、狂気と一緒に充満している。
レナが今、目を閉じているのは、ただの恐怖による生理現象でしかない。
狂った人間達の気配なんか、一人だって感じたくないのに……
何も聞かず済むよう、耳を塞いだ。
何も見ずに済むよう、目を固く閉じ、顔を下に向けた。
(リア……リア……)
愛しい男の子の服を着て、その子の名前を、声には出さずに繰り返し呼び続ける。
呼んだところでやって来るわけもない。それでも、呼ばずにはいられない。
(リア……)
「おねえちゃん」
「いやあああああああああああああ!!」
震えながら耳を塞いでいたレナに、そんな声は聞こえなかった。しかし、同時に肩に手を置かれたことで、大声を上げながらその場から飛び退いてしまった。
「だいじょうぶ? ずっと震えてるよ」
「え……あぁ……」
そんな声と、その声を出した人の顔を見て、冷静さを取り戻した。
目の前にいるのは、子供だ。
スカーフ街の住人らしく、服装はボロボロで、体は汚れ、顔は傷だらけ。
かと言って、単なる浮浪者というわけでもなく、顔色や血色はしっかりしている。
汚れてはいるが、それなりの生活は送っている、そんな風貌の小さな男の子だ。
「だいじょうぶ? ケガしてるの?」
「えっと……大丈夫、大丈夫……」
何も知らず、無邪気に聞いてくる男の子に、レナはどうにか笑顔を作った。
「その人、寝てるの?」
「え? あ、うん……」
ひざで眠っているフィールを見ながら、無難に返事をした。
「ねえねえ、こんなところいて、あぶなくないの?」
「……危ないよね、やっぱり……」
男の子の姿に安堵しつつ、それ以上に危険な状態を思い出して、再び周囲に気を配った。
「みんな、お祭りが始まったら、おうちの中に隠れてるんだよ」
随分と物騒なお祭りだなぁ……と、レナが感じていると、
「ねえねえ、おねえちゃんも、ボクらのおうちにおいでよ」
そんな提案を受けた。それに首を傾げた直後、
「ねえどうしたの?」
「なになにー?」
建物の陰や、通りの向こうから、更に四人の男の子と女の子が歩いてきた。
全員、四つか五つか、歳のころは同じらしい。無邪気で純真な声を上げ、レナに近づいた。
「ねえおねえちゃん、ボクらといっしょに行こう」
「え、でも……」
リアはまだ、街で戦っている。隠れていろとは言われたが、恐怖のせいで、今いる場所から動くことができずにいた。
そんな心情など知らず、最初の男の子が、レナの手を引いた。
「ねえ、行こう。そのおねえさんもいっしょに」
フィールのことを見ながらそう言った。逃げるにしても、置いていく気は無い。かといって、リアほど力は無く、フィールを背負った状態で、長い距離を逃げるのも難しい。
「……じゃあ、そうしよっかな」
リアはそばにいない。フィールは気絶中。そんな状況で、街中から狙われている。
そんな恐怖と孤独に長く耐えるくらいなら、子供達と一緒に安全な場所へ行きたい。
そう思って、フィールを背負い、子供達の背中を追い掛けた。
暗くて、狭くて汚い道を通って、途中いくつもある曲がり角を曲がる。五つ目を曲がったところで数えるのをやめて、その時点で、どこをどう歩いてきたか思い出せなくなった。
もっとも、帰り道を心配する暇も無く、目的の場所に辿り着いてしまった。
「ここが、僕らのおうちだよ」
子供達が指さしたのは、この街ではよく見掛ける、四角い五階建ての建物だ。
レナから見れば十分大きいが、この街の中では大きさも普通で、特に変わっている部分も、目立っている部分もない。そんな建物の、いやに硬そうな、両開きのドアを開いた。
広くも狭くも感じる建物内は暗く、小さな電灯の淡い光だけが目の前を照らしている。
そんな家の中に、レナは警戒しつつ足を踏み入れる。
ここに隠れていれば安心。外から中に入ったことで、そう思った。
「ねえねえ、おねえさんのこと、下ろしたら?」
それもそうだと、背負っていたフィールを下ろし、壁にもたれさせた。
(フィールって、見た目より重いなぁ……やっぱ、脂肪のせいかな……)
そんなことを思いながら、額の汗を拭った……
「ねえねえ、おねえちゃん」
再び無邪気な声を掛けられ、そちらを振り返る。
「お手てだして……これあげる」
「……え?」
笑顔の言葉に両手を出して、渡されたのは……いや、渡されたのではない。
出した両手にあるもの。それは、錆と鉄が光る、鎖と輪。両手首を繋ぐ、手錠。よく見ると、薄暗い玄関の隅に置いてある段ボール箱に、大量に手錠が入っている。
「……あ!」
気付き、振り返った時には、すでにフィールの両手も手錠で繋がれ、玄関には鍵を閉められていた。更には、いつの間にか、フィールの剣も、背負っていた弓と矢筒まで取り上げられている。
「おねーちゃーん! 連れてきたよー」
レナが混乱している間に、子供の一人が奥に向かって叫ぶ。すると、奥の景色が揺れた。
黒い人影は、ドカドカと無駄にデカい足音を立てて、歩いてくる。
それがレナの前までやってきた瞬間、ドカッという、生々しい音が響いた。
歩いてきた奴が、男の子の顔を全力で蹴った音だった。
「何度言ったら分かるんだ! この役立たず!」
最初に聞こえたのが、ゲロゲロな汚い声だった。そして、声と同じく、顔も体も汚い女だった。
汚い服を着た体は、上背はそれほど高くないが、デップリ太っていて、横幅がやたらにデカい。
無作為に伸ばした白髪交じりの髪。顔は体と同じく贅肉だらけ。太い唇は横へ広がっていて、顔を見れば、一瞬カエルじゃないかと見間違えそうになる。
デカくて太くて、毛穴だらけの平べったい鼻からは、鼻毛が伸び放題、飛び出し放題。アゴからも、何本かヒゲが飛び出している。
声も、顔も、そもそも歳からして、とても『おねーちゃん』だなんて呼べない。老婆一歩手前くらいのカエル女だった。
カエル女は、顔の脂肪のせいでほとんど潰れた目を真っ赤にしながら、叫んだ。
「手錠を閉める時は後ろ手に閉めろって何度も言ってるだろう! 何度も言ってるのに何だって分からねぇんだ! この役立たずの糞ども!!」
ゲロゲロ声で絶叫しながら、倒れた男の子を蹴りつけ、踏みつけている。
手錠にも驚いたし、突然現れた女にも驚いた。だが、それ以上にレナが驚いたのは、
「なんで……?」
蹴られている男の子。そして、それを見ている子供達の顔。全て、笑っていた。
良いことだと、微笑ましい光景だとでも言うように、穏やかに微笑んでいる。
「……うわ!」
何度も蹴り、満足したのか、女はレナの髪を乱暴に掴むと、その顔をマジマジと見た。
「ほぉ……糞どもにしては良いのを連れてきたじゃないか。これなら高く売れそうだよ」
遠慮なく言いながら、力任せに顔の角度を変え、乱暴に頭を振り回す。
時々顔に掛かる吐息は臭いし、デップリとした腕の指は力が強く、髪や首が痛い。
そんなふうに、不快感ばかりを募らせていると、
「……ん?」
女は、疑問の声を上げた。そして、首に指を当て、それを取る。それが何か分かった時、レナは思わず、あ、と声を出した。
「こいつは……黒丸じゃないか! まさかお前、今街を逃げてるって魔法使いか!?」
言われながら、黒丸を当てられる。普通の人間なら普通に下へ落ちるそれが、レナの鼻先にピタリとくっつき、落ちることなく、動くことなく制止した。
「じゃあ、そっちの女もかい!?」
そう聞いて、また黒丸を着ける。同じように、汗も掻いていないフィールの額に、ピタリとくっついた。
「何だいこの奇跡は! 奴隷が二人もやってくるなんて! やっぱ、役立たずの糞どもを必死に育ててやったのが報われたんだねぇ!!」
狂ったようにそう叫ぶと、女は再び、男の子に蹴りを入れ、踏みつけ始めた。
「やっぱ、糞どもを育てたアタシはエラかったんだ! アタシには、聖地に行くだけの価値があったんだよ! 感謝しな! アタシに感謝しな! 糞ども!!」
「やめてよ!」
もはや正気とは思えないカエル女の言動に、とうとうレナは声を上げた。
「ああん? なんだい奴隷? 今躾けしてるんだよ。文句あるのかい? 奴隷のくせに」
「大有りだよ! そんなことして、何が躾けよ! ていうか、みんなもどうして、友達がひどいことされてるのに……君だって、こんなことされて、何で笑ってるの!?」
女に、そして、今でも会った時と変わらない笑顔を浮かべるだけな子供達に叫ぶ。
女は、さぞ下らない物を見ているふうな目を向け、鼻を鳴らした。
「アタシがそういうふうに躾けたからだよ。泣かれちゃうるさいし、ムカつくだけだからね。一日中静かに笑って、それ以外の顔は作るなって教えてやった。それだけだよ」
「それだけって……こんな小さな子が泣くのなんて、当たり前でしょう!」
「何が当たり前だい!」
レナの言葉に対して、カエル女はまたゲロゲロと絶叫した。
「こっちは汚ねぇ糞ども拾ってやって、アタシの役に立つよう育ててやったんだよ! コドモでもしっかり教えてやれば、いつかはオトナになるって聞いたからね……」
話しながら、段々とその顔に、暗がりの中でも分かるくらいに、太い血管を浮かべた。
「それが何だい! 一回教えても言葉一つ憶えない、何度教えても同じ失敗ばかりする、叱ったら泣く、ケガしても泣きやがる、泣き声はうるさいし何の役にも立たない……こんな奴らのどこがオトナだってんだ!」
「そんな簡単に成長なんてできるわけないでしょう! 子供の成長っていうのは、小さくて言葉が通じなくても根気よく何度も教えて、ちょっとずつ色んなこと覚えていって、歳を取っていって、そうやってゆっくり大人になるもので――」
「バカじゃねえのかお前は! わけ分かんねぇこと抜かしてんじゃねえよ!!」
レナは間違いなく正論を返した。女はそれを、暴論で返した。
「二ヶ月だよ! アタシは拾ったこいつらを、二ヶ月も育ててきたんだ! 貴重な時間を二ヶ月も無駄にしてこいつら育ててやったんだよ! なのにこいつらコドモのままだ! このアタシから貴重な時間を二ヵ月も奪っといて……金は盗めねぇ、食い物も盗ってこれねぇ。金も作れねぇくせに、一丁前に腹は空かすわ、病気で倒れやがるわ……金にもなれねぇくせに、このアタシをやたらイラつかせるわ……」
そしてまた、何かを爆発させて、足もとの男の子を踏みつける。
「わけの分からねぇ、コドモなんかに生まれやがって!! なんにもできねぇ、役立たずなコドモなんかに、金も無ぇくせに生まれてきやがって!! なんでタカがオトナになるのを、このアタシが何年も待たされなきゃならねえんだ!!」
「言ってることの意味が分かんない! ならアンタの言うタカが大人ってなに?」
「アタシの思い通りに生きられる奴だよ! デカかろうがチビだろうが、アタシに都合の良いことができる奴のことだ! そんなこともできねぇコドモなんかに、ムセキニンに生まれやがって! だからセキニンの取り方教えてやってんだろうが! そのために躾けてやったんだろうが! コドモに生まれたセキニン取らせるためによぉ!!」
「何言ってるのか全っ然分からない! 子供に生まれた責任てなに? 誰だって、生まれた時は子供でしょう! アンタだって……」
「アタシは
レナの正論を遮りながら、レナの顔に唾を飛ばしながら、ゲロゲロと絶叫を続ける。
「生きてることしか能が無ぇ、役立たずのコドモなんかじゃねえ! 生まれた時から世の生き方や礼儀をしっかり覚えたオトナさ! そんなオトナに生まれずに、役立たずのコドモなんかに生まれやがった、こいつらが全部悪いんだよ!」
「なにそれ……自分が言ってることがおかしいって思わないの?」
「おかしくないね! おかしいのはお前の方だ! アタシの言ってることが理解できねぇお前がおかしいんだ! バカな奴隷なんだから仕方ねーけどな!」
「仕方ないで済ませないでよ! だったらそのバカな奴隷にも分かるよう説明したら? 大人なんだからそれくらいしてみせてよ!」
「なんだってアタシが説明なんかしきゃならねーんだ!! 奴隷のくせにアタシに指図してんじゃねえよ!! これ以上このアタシに!! 余計な仕事増やしてんじゃねえええ!!」
「……ッ」
「そこまで言うなら教えてやるよ!! 働いて役に立つのが大人だ。働いて金を作るのが奴隷だ。大人と奴隷のどっちかになれるのが人間だ! コドモはどっちにもならねーだろうが! こいつらは人間じゃねぇ! コドモだぁ! 生きた人間の糞だぁ!!」
「生きた、人間の糞……」
「そうだろーか! どっかの女が気まぐれに出した糞じゃねーか! 生きてる上にうるさいだけで何もできないゴミ! 人間が出した生きた糞じゃねーか!」
「……」
「アタシはその糞を、アタシの役に立つよう躾けて、育ててやったんだ! タカが糞相手にそれだけのことしてやったんだ! アタシはね、エライんだよ! アタシはね! 立派なんだよぉ!!」
「……」
もはや、返す言葉もない。セリフも言葉も滅茶苦茶すぎて、会話する気も失せてくる。
そんなレナの心情など知らず、カエル女は再び、男の子に足を振るった。
「けどそれも終わりだ! それだけのことしてきた立派なアタシには、聖地に行く価値があったってことさ! アンタ達を奴隷にして、アタシは聖地に行くんだ! 生きた糞どもは用無しだ! 最後の仕事は、今までイライラさせてきたアタシの気を晴らすことだ! そのためにさっさと死ね! 今すぐ死ね!」
――役立たずども!
――死にやがれぇえええ!!
偶然現れた奴隷に歓喜し、同時に、今まで散々働かせておいて、イラつきしか感じてこなかった子供達に暴力を振い、興奮している。そんな光景に、レナは吐き気すら覚えた。
そして、そんな愉悦のために蹴られ、傷つきながら笑う男の子は、カエル以上の異常に見えた。
「ちょっと、いい加減に……」
やめろ――と、そう言う前に、カエルは足を止めた。
「……は?」
カエルは振り返り、レナは、その光景に固まった。
カエルの後ろには、四人の子供達が、一人一本、計四本の、レナから奪った矢を握り、女の背中に突き立てていた。
「おい、糞ども……なに、やって……」
カエル女が体ごと振り向こうとした時、再び……
「ぎゃあああああああああ!」
矢の突き立った右眼を押さえながら、今までとは全く別種な絶叫を上げた。
蹴られていた男の子にも矢が渡された。それは、カエルの内ひざに突き立てられた。
直立できなくなったカエルは、四つん這いになった。そして、ゲロゲロと絶叫がコダマする室内で、五人のコドモは矢筒が空になるまで、デカいカエルに矢を突き立てていった。
「……」
一連の出来事を、レナは、見ていることしかできなかった。
リアの安否よりも、両手を繋ぐ手錠よりも、今気になるのは、笑いながら、女一人をサボテンにした子供達の姿だった。
「これでセイチに行けるんだよね?」
「うん。このおねえちゃんと、おねえさんを連れていったら、セイチで幸せになれるって」
「じゃあ、ボクらももう、コンナノの言うこと聞かなくて良いんだよね」
「うん。わたし達も、ニンゲンになれるよー」
一見すれば、無邪気な子供達の作り出す微笑ましい光景。
それが、全員体中を血まみれにしていることの、なんと不気味な光景だろう。
命を軽んじられ、間違った躾けで育まれた、歪んだ価値観と、間違った義務感。
そんなものしか知らずに育ち、完成されてしまった人格。その姿……
(人間じゃない……)
「おねえちゃん。行こう」
不快と脅えの只中にいるレナに、無邪気な声が掛けられる。
男の子が、レナの手を引いた。
「……ッ!」
さっきまでなら、快く受け入れられた子供達のその手や笑顔が、全て真っ赤な血にべっとりと濡れている。それは、受け入れられた無邪気さや純粋さを帳消しにするには十分すぎた。
そんな手に引かれた瞬間、別の子が鍵を開け、玄関を開けた。
その玄関に向かって、レナは、手を引いた男の子、そして、他四人の子供を突き飛ばし、外へと押し出した。
全員が外へ出たのを見て、急いでドアを閉め、鍵を掛ける。そして、鍵を開けられても開かないよう、いくつも置いてある手錠の一つを取り、両開きのドアノブ同士を繋いだ。
「おねえちゃん、開けて……」
「開けてよ。いっしょにセイチに行こうよ。ねえねえ……」
外からは、子供達の声が聞こえてくる。
子供ながらの優しい声を上げながら、子供ゆえの弱々しい力で、バンバンバンバン、とドアを叩き、ガチャガチャガチャガチャ、とドアノブを回している。
「……」
やがて、それらの不気味な声や音が止み、声も聞こえなくなった。
諦めたかな? それを期待しながら、ドアの中心にある、覗き穴を覗いてみる……
「……ひぃッ!」
その不気味な光景に、思わず悲鳴を上げた。同時に、カチリ、と、鍵の開く音がした。
ドアが開いても、ドアノブ同士を繋ぐ手錠のおかげで、全開になることはない。
しかし、僅かに開いた隙間は、子供はくぐれなくとも、両手くらいは余裕で通る。
そんな隙間から、計十本の真っ赤な手が伸び、右往左往と蠢いて……
――いやあああああああああああああああああ!!
あまりに不気味で、怖ろしくて、人生で上げたことの無いような絶叫を上げた。
そんな恐怖から逃げるために、夢中でフィールを背負い、建物の奥へ駆けだした。
「はぁ……はぁ……」
夢中で走っているうちに、この建物の内側を把握することになった。
五階建てのこの建物は、住まいとしては一階の、それもほんの一部しか使われていない。
ベッドは一つ見つけたが、その一つ以外には布団さえなく、ここに住んでいた子供達が、レナから見て、いかに子供らしくない生活を強いられていたかが見て取れる。
その一部以外は、ゴミや空き瓶、それ以外の物が散らかっているだけで、水道や、放置された着替え以外に、生活に役立ちそうなものは何もない。
その後、二階、三階と駆け上がっていったが、二階から上は使われた形跡もないほどに荒れ果て、木の板やら道具やら工具やら、何かしらの金属やらが散らかっている。
明かりは無く、窓から差し込む光が空間を照らしているだけで、前はある程度見えてはいるが、それでも暗い。夜目を鍛えたレナでないと、まともに身動きでなかったろう。
そして、玄関から最上階まで、全ての階に共通して言えることが、窓という窓は全て、板や鉄格子やらで塞がれていて、そこから外へ逃げることは不可能、ということ。
レナが最後に辿り着いたのは、そんな建物の中の、最上階である五階の、いくつかある部屋の一室。部屋の隅には道具が散らかっていて、だが中心はスペースが開いている。
そんな、それなりの広さの部屋の中心にフィールを寝かせた。
「……う、ぶっ……! おぇ……げぇ……!」
部屋の隅へ走り、散乱している物の陰に向かって、こみ上げてきたモノを吐き出した。
この吐き気は、人を一人背負って走り回ったことだけが原因じゃない。直前に見たものを、思い出したせいだ。
「ゲホッ……この街じゃ、あれが普通なの……?」
みんな、普通の子供達だった。ただ、育てられ、成長した末の姿が、レナの知る、『普通』……『人間』とは違い過ぎていた。
けど、当たり前だ。あんな小さな子たちが、生まれた瞬間から『人間』であることを否定されて、そんな風に育てられてきたんだ。
そのまま成長したって、『人間』になれるわけがない。
『人間』の見た目をした、ニンゲンじゃない、別の生き物……
「それが、『コドモ』ってこと……?」
そして、そんなコドモを飼っていて、最後には噛みつかれ、殺された、カエル女。
逃げる途中で見た、殺されかけた、後の無様。
「……この街じゃ、あれが『普通』ってこと……?」
リアは言っていた。この街では、毎日のように人は死んでいると。
理由なんかどうでもいい。殺すことはよくあることだと。
(……だったら、このままじゃ、わたし達も……?)
自分達は、聖地へ行くための切符として狙われている。
命は奪われることは無い。そう、リアは言っていた。命はな……と。
(て、ことは……命しか、助からないんだ……)
命は大切だ。けどこの街ほど、そんな言葉に説得力が無い場所も無い。そして、狂った人間の集まったこの街で、命さえ助かれば、命以外の何を奪われるか、分からない。
「……どうして、こんなとこ来ちゃったんだろう……」
今更になって、そんな後悔の言葉が出てしまった。
こんなことなら、あんな村でも我慢していれば、無難に猟師として生きていけたのに……
そんなことを思いながら、部屋の中心で眠るフィールを見た。
静かで穏やかで、気絶する前の悲鳴がウソのような、無垢な寝顔だった。
レナの今の苦労や後悔も知らずに、気楽な顔で眠っている。
こんな女が、リアのそばにいると思うと……
「……ううん!」
と、心に沸き上がった激情を、声を出してどうにか押さえ込む。
「とにかく、リアが全員やっつけてくれるまで、隠れてなきゃ……」
声を出して自分に言い聞かせ、フィールのそばへ寄り添った……
その時、下から突然、ブオー、と、機械の音がいくつも鳴り響いた。
すぐに窓まで走り、鉄格子の隙間から、下を覗いてみる。
「……乗り物?」
車と違って、タイヤは二つしか無く、剥き出しの人間がその上にまたがっている。
最初に自分やリアを攫った連中が乗っていたもの、バイクだ。
建物の一階を照らしていた明かりよりも、遥かに強い光でこの建物を照らす、何十というバイクが、ビルの真ん前に並んでいる。
「ウソ……ウソでしょう……」
口でどれだけ否定しようとしても、もはや、逃げ場はどこにも無い。
闘おうにも、弓も矢も、フィールの剣も、武器は全て奪われた。
しかも、両手を手錠で繋がれて、これでは満足に戦うこともできない。
そんな現実を突き付けられて、その身を窓から離し、へたり込み、座り込んだ。
座り込んでいる間も聞こえてくる。バイクのエンジン音や、人々の声。
レナの偏った知識上とは言え、大よそ人が発しているものとは思えない音の山。
そんな、自然の中で生きたレナにとっての、不自然に囲まれた中で、床に背中を着ける。
「……うん。やっぱり、そうだ……」
空も見えない、ススと埃にまみれた天井を見上げながら、感じた一切を声に出す。
「この街も、街の人達も、全部、化け物だ……」
リアと一緒に行った場所は、全部が化け物だった。
聖地を前にして、ちょっとは平和かな、と想像していたこの街は、それ以上の、化け物だった。
「相手が人じゃなくて、化け物だから、みんな、自分以外の人のこと、殺せるんだ……」
人であるリアは、化け物と呼ばれ殺されかけて、代わりにお母さんが死んだ。
人が人を殺すことは罪らしいが、人が化け物を殺すことは、罪じゃない。
つまり、その人にとって、目の前の人が化け物に見えたなら、それは、殺しても悪くない。
レナの目の前で、誰かを殺した人、全員がそうだった。目の前にいる人が、自分を怒らせたり、幸せを邪魔して、横取りする化け物に見えたから。
自分以外の全員、人じゃない化け物に見えるから、殺したとしても悪くない。
そんなふうに、人を殺すことが日常だっていうなら、それは結局、人間じゃない。獣ですらない。そんなものより遥かに怖ろしい、化け物だということ。
そんなことをする人間も、そんな人間が集まってできた、この街も……
「……だったら、やっつけなきゃ」
そんな化け物を前にして、レナは、覚悟を決める。
「相手は、わたしを餌にするために襲ってくる。ならその前に、相手を餌にしなきゃ……」
今は亡き、猟師としての師である、父の言葉を思い出す。
思い出しながら、自分の置かれた場所、そして、立場を見返した。
自分が今いるのは、いくつもの人の気配と、岩と金属でできあがった空間。
それは、自然ではなく、人が作った、巨大な灰色の森。
襲ってくるのは、そんな森に潜む、人間の姿をした化け物達。
「……ああ、なんだ」
そこでやっと、レナは理解する。
ちょっと考えれば、それは、生まれてからずっと猟師として生きてきた、あの森と何も変わらないじゃないか。
どうして、気付かなかったんだろう?
そして、気付いた今だから、新たにするべきことがある。
「やっつけなきゃ……狩られる前に……狩り殺さなきゃ……」
その時、レナが浮かべた顔は、ほんの少し前の、脅える少女のそれとは違っていた。
百発百中の腕前を誇る、無敵の凄腕猟師の顔。
その顔に光るのは、目の前に現れた、獲物を狙い澄ました目だった。