ネロ・バーサーク   作:大海

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第6話  生きているから謳うんだ

 

 

「なに、これ……」

 

 その光景を前にして、そんな声しか出てこなかった。

 

 定期的に行っている、夜中の狩りのために、たまたま森を歩いていた。

 夜の暗い森の中で、僅かな物音も逃さないよう耳を澄ませ、暗い中でも獲物を見つけられるよう夜目を鍛えつつ、夜行性の獲物を仕留める。訓練も兼ねた仕事だった。

 いつもしている通り獲物を探しているうち、今夜は空振りかと帰ろうと思った、ちょうどその時。

 

 まず聞こえたのは、大きな爆発の音だった。

 そっちを向いて見えたのは、何かが燃えて、煙を上げながら、夜の空を真っ赤に照らしているもの。猟師でなくても聞こえるし、当たり前によく見えた。

 危険かとは思ったが、そう考えるより前に、そこへ向かって走り出していた。

 

 辿り着いたのは、レナもよく知る場所。

 狩りのために森に入れば、自然と通り掛かって、目にする場所。

 そしてそこが、自分もよく知る人の家だということも知っていた。

 その人の顔を、とっさに思い浮かべた時……

 

 

「レナ……」

 

 名前を呼ぶ声。これも知った声だ。

 振り返ると、やはり知った人物が立っている。

 

「解体屋さんの……」

 

 名前は覚えていないが、その息子がこちらへ歩いてきていた。

 だがその表情には、今レナがしていたような呆然も、火事への驚愕も無い。

 普段触っているのを見たこともない弓矢を背負って、不気味にニヤついた顔を、ジッとこちらへ向けている。

 

「見ろよ。すっげえ燃えてるなぁ……」

 

 何やら興奮し、見惚れているような、嫌らしい目付きで、嫌らしい声を出しながら、燃える家を見上げている。

 気持ち悪い。レナがそう感じていると、

 

「すげぇ……本当にすげえ勢いだ。あれなら、あの化け物だって助からないぜ、絶対……」

「……! リア……」

 

 慌てて、家の方を向き直った。

 

「……ああ、あの化け物なら、さっき、外にいたのに突っ込んでいったぞ」

「突っ込んで……突っ込んで? あの、家の中に!?」

「ああ。どこか外に出てたみたいだけどな。バカな奴だよ。そのまま外にいれば助かったのに。やっぱ、化け物だから人間よりバカなんだぜ。ヘヘヘ……」

 

 物言いにも腹が立つし、何より今日は、いつも以上に気持ち悪い。

 だがそんな気持ち悪さよりも、リアの方が重要だから、とっさに走り出そうとした。

 

 

「え……?」

 

 だがその手を、後ろから掴まれた。後ろにいた男が、がっちりと掴んでいた。

 男は掴んだ手を引き、レナを無理やり自身の元へ引き寄せた。

 

「な、なに……なん、ですか……?」

 

 ニヤついた口元が。大きく見開かれた目が。もろもろ醜く歪んだ顔が。全部気持ち悪い。

 近づきたくない。触って欲しくない。そう思っているのに、男は顔を近づけてきた。

 

「なあ、レナ、褒めてくれよ」

 

 いきなり言われたのは、理解不能な言葉。それを、次の言葉で理解させられた。

 

「あの火を点けたの……俺なんだよ」

「……ッ!」

 

 突然の告白に、言葉を失うレナに、男は続ける。

 

「なあ、すげえだろう? あのハシゴ上ってさ、家に油撒いてさ。ただの油じゃねえぞ。有り金全部はたいて、街で買ってきた、『がそりん』とかいうすげえ油だ。それでさ、離れた所から火を点けた矢を射ってさ。一発じゃ無理だったから、五発くらいでようやく燃えてくれてさ。無駄に苦労させられたけど、お陰であの化け物倒したんだぜ、俺。村の連中全員が嫌ってる化け物をさ。なあ、すげえよな? すげえだろう? すごいって言えよ、レナ……」

「な……な……」

「なあ、いつも俺の解体見ながら、すごいって言ってくれるじゃねえか。今日はそれよりすごいことしたんだ。だからさぁ、また褒めてくれよ。俺はすごい奴だってさぁ。そしたらさぁ、お前も俺のこと、好きになるだろう? な? な……?」

「うわ!」

 

 わけの分からない言葉を連ねながら、手を引いたその手で、レナを地面に押し倒した。

 

「レナ……」

「ちょ、やめて……!」

「そんなこと言うなよ。俺さぁ、ずっと、お前のことがさぁ……」

 

 仰向けに倒され、手足を押さえつけられる。

 

「なあ、俺、すげえだろう? なあ……お前にできない、獲物の解体もするしさぁ。今まで誰もしなかった、化け物退治だって、村のためにしてやったしさぁ……」

 

 仰向けに倒れたレナの顔に、自身の顔を近づけてくる。

 

「なあ、すげえだろう? どいつもこいつも、出ていけって文句ばっか言ってたくせに、ただ石投げるだけで何もしねぇでさぁ。だから、俺が退治してやったんだ。追い出したんじゃねえぜぇ。退治してやったんだぜぇ。俺が、あの化け物をさぁ……!」

 

 話し続けるその声は、徐々に、狂気に染まっていく。

 

「なあ、言ってくれよ? すげえってさぁ。レナにまた褒められたくてさぁ、がんばったんだぜ、俺。だからさぁ、レナもさぁ、あんな化け物じゃなくてさぁ、俺を好きになれよ、なぁ……」

 

 見開かれ、血走った眼球にも狂気が混ざり、限界まで吊り上がった口角には、汗と唾液が光っている。

 気持ち悪い……気色が悪い……

 

 けど……

 

「……ひ……と……ごろし……」

 

 脅えながら、レナの絞り出した言葉に、男の顔から、笑みが消えた。

 

「なに?」

「……人殺し……」

「なに言ってるんだよ……殺したのは化け物だぞ? 人間じゃねえ、人間の格好した化け物だぞ。それを、なんだよ、人殺しって……」

 

「リアは人間だよ!!」

 

 叫んだ瞬間、レナの中にあった不快感は、どこかへ吹き飛んだ。

 ただ、許せなかった。目の前の男の行為、言葉、そして、レナも住む、この森の村全てが。

 

「一体なんなの? ただ人より強いってだけでリアのこと、化け物とかいなくなれとか気持ち悪いとか。リアがアンタや、村の人達に何したの? リアより優しい人は他にいないのに、見た目ばっかり見て勝手なこと言わないでよ! この人殺し!!」

 

 リアを蔑む大人達の姿に、リアを虐める子供達の行為に、溜まりに溜まっていた不満の全てを、男に向かって絶叫した。

 

「な……な……い……ッ」

 

 絶叫された男は、歪んだ表情を更に醜く歪ませた。

 

「イカれてんのかてめえッ!?」

 

 歪んだ顔で、歪んだ声で、負けない音量で絶叫する。

 

「みんな言ってるだろうが。あいつはなぁ、化け物なんだよぉ。みんな言ってただろう。アイツは人間じゃねぇ、化け物なんだよぉ。おかしいのはレナだぜ。俺は人殺しじゃねえ! 村中が嫌ってる、化け物を倒した英雄だ!」

「……周りがそう言ったから。それだけで、自分もそうするの?」

 

 男の言葉を聞いて、声を聞いて、顔を見て……見下げ果てたという声を出した。

 

「結局、あんたに自分の意思なんてない……ただ、周りに流されて、同じようにして、言われた時だけ言うこと聞いて……そのくせ、自分自身が変わろうとする努力は一つもしないで……」

「……ッ」

「何が、化け物を殺した英雄よ? 英雄どころか、猟師にだってなれないくせに。そんなだから、お父さんにも見捨てられてるってこと、まだ分かんないの?」

 

 以前、獲物を売りに行った時に一度、この男の父親から、話しを聞いたことがあった。

 息子のあまりのダメさ加減には、自分も、息子自身も、とうの昔に諦めてしまったこと。

 男が、レナのように、狩りを立派にこなしてくれたらどんなによかったか、とも。

 

 その時は、人それぞれ大変だなぁ、程度に思って、軽く聞き流していた。

 それが、こんな形で、あってはならない形で痛感することになるなんて……

 

 

「黙れ……」

 

 言い返した直後、男は声を震わせていた。

 

「黙れ……黙れよ……俺はなぁ、英雄だぞ……化け物を殺した英雄なんだぞ……」

 

 改めて、その顔を見上げる。

 顔はレナに向いているが、目はレナを見ていない。あちこちに視線を泳がせて、何を見るでもなく、レナの言葉を否定してくれる何かを必死に探している。そんな顔だった。

 

「もうなぁ……化け物はいないんだよ……お前はぁ!!」

 

 そんな顔のまま絶叫しながら、再びレナに顔を近づけた。

 

「お前は俺のもんだあ!! あの化け物は死んだんだあ!! だからお前は、化け物退治の英雄のもんだあ!!」

 

 なんでそうなる? と、聞くだけ無駄だろう。さっきから分かっていたことだ。

 この男は、完全に正気を失っている。

 そんな男の手が、服を掴んだ。

 

「や、やめて……」

 

 聞こえていないことは分かってる。とっくに聞く耳は持っていないだろう。

 矢の一本も掴めれば逃げられるのに、両手も両足も押さえられて、身動きが取れない。

 だが、本当にレナを押さえているものは、そんな物理的な力以上に、リアの家が燃やされたショックと、これからされることへの恐怖だった。

 

「いや……」

 

 自然と、目に涙が溜まった。

 燃え盛る友達の家の前で、好きでもない、最悪な男にいいようにされている。

 そんな現実を信じたくなくて……

 

「……リア」

 

 自然と、あの火の中にいる、ずっと思い続ってきた男の子の名前を呟いていた……

 

 

 その直後だった。

 ブワッ、という、太い風切り音。そして、ドスッ、という何かが何かに刺さる音。

 

「な……!」

 

 その音に、声を上げたのは男だった。レナも、閉じていた目を開けた。

 見ると、男の頭の真横。レナが見上げた先に、黒と銀に輝く、とにかく長い、大きな刀。

 レナの知る限り、一人しか持っていない刀が、二人の前の、木の幹に突き刺さった音だった。

 

 真横を凝視していた男は、すぐ後ろを振り向いた。

 レナも同じように見上げた、そこにいるのは……

 

「リア!」

「ば、ば……」

 

 化け物、と男が言おうとしたが、途中でその口を止めた。

 燃え盛る家を背に、ハシゴの上にたたずみ、こちらをジッと見つめている、リアの姿。

 

 いつも顔のほとんどを隠している前髪が、今は全て後ろへ逆立ち、その美しい顔を剥き出しにしている。

 その顔にある大きな瞳が、二人をカッと睨み据えていた。

 よく見ると、前髪に比べて、後ろの髪がやけに短くなっている。だが、そんなこと以上に、その大きな目は、その顔は、今までにないくらいに、虚ろだった。

 

「……リア! この人だよ! リアの家を燃やしたの!」

「なっ!」

 

 二人を見下ろすリアに、レナは真実を叫んだ。

 男は、信じられないとばかりに目を見開いた。

 だがそれ以上に、巨大な炎をバックに、悪魔のようにたたずみ、こちらを見下ろす黒い化け物……

 

「ひ……ひぃ!」

 

 レナを自分のものにできていない。だがそれ以上に、今は自分の命を守ること。それ以上に重要なことはない。だから走り出した。

 

「逃がさない!」

 

 レナが仰向けの体勢から、弓を構え、斜め上に向かって矢を射る。

 空を切る矢は、滑らかな放物線を描き……

 

 

「ぎゃああああああああああああ!」

 

 

 男の悲鳴が、森にコダマした。レナの射った矢は、走り出して二十メートルほど離れた、夜の暗い森の中にある男の右肩に、正確に突き刺さった。

 

「ああ……ああ! あああ!」

 

 男はその場に倒れ込み、刺された肩を押さえている。

 痛みと、自分が矢に刺されたという現実を受けいれきれていない。

 自分に限って、こんな仕打ちがあるはずがないと考え続けてきた。

 そんな無様な怠慢男が、しばらく痛みに悶絶している間に、リアは刀を肩に、男の目の前まで迫ってきていた。

 

「ひ……!」

 

 再び前髪に隠れた顔で、男を見下ろしながら……

 

「……母が死んだ」

 

 その声は、いつも聞いてきた声と同じように、ボソリと小さく、低く、淡々としている。

 なのに、男ははっきりと感じ取った。その言葉に含まれた、強烈な負の感情を。

 

「ただ、歩けないだけの、誰よりも優しい人が……あの火事で死んだぞ」

 

 夜の暗さと、火事の逆光と、長すぎる前髪のせいで、顔はよく見えない。

 そんなリアが話す度、男の顔に青みが差していく。

 

(何だ、こいつ……いつも、なにされても無視してやがるくせに、こんな時だけ、なに一丁前に泣きそうになってんだよ? なんで俺に対してキレてんだよ! なに被害者ヅラしてやがるんだよ!! 化け物のくせによぉ!!)

 

「……火を点けたのは、あんたなんだってなぁ……」

 

 脅える男の顔に、リアは開いた左手を伸ばした。男は恐怖から、目を固く閉じる。

 だが、それがその身に触れることは無かった。

 リアが、手を伸ばして触れたもの。それは……

 

「すごいな、あんた……」

「ぎゃあああああ!」

 

 手を動かした瞬間、男の肩に激痛が走る。リアは構わず言葉を続けた。

 

「言え」

「……は?」

「俺の家を燃やして、母を殺したのは誰か。それを、村人全員の前で言え。大声を出して、あんたのしたこと、村中の人間に教えてやれ……」

「な……な……!」

「言えよ」

「うああああああああ!!」

 

 語りかけながら、矢を握りしめ、ぐりぐりと傷を抉っていく。

 

「やれよ。あれだけのことができたんだ。そのくらい、できるよな?」

「うぅ……」

「できるな?」

「ぐあああああああ!!」

 

 いじくられる矢の痛みに、男は、何度も首を縦に振った。

 それを見たリアは、その矢を肩から引き抜いた。

 矢を投げ捨てた後は、その肩を傷口の上から掴んだ。

 それにまた男が叫ぶのも無視して、無理やり引っ張り上げた。

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「なんだなんだ?」

「あれは……?」

 

 村の、森への出入口から、彼らはそれを眺めていた。村人達も既に、夜の空が、異様な色に輝いていることには気付いていた。

 その光の正体にも。どこから発生しているかも。

 

「火事、だよな?」

「ああ。何か燃えてる……見にいくか?」

「いや待て。あれって、あの化け物の家の辺りじゃねえのか?」

 

 と、誰かが言った時、村人達の間に、疑問の代わりに嘲笑が、そして、談笑が広がった。

 

「てことは、意外とあの化け物の家が燃えてるんじゃね?」

「だといいよな。それで化け物が死んでくれたら万々歳だぜ」

「ああ。これで安心してぐっすり眠れるってもんだ」

 

 黒い服を着た、化け物。

 そいつのせいで、毎日気苦労を強いられている。

 常日頃そう思っている村人達にとって、化け物の死は、目の前の火事を事件でなく、笑い話にできるだけの魅力があった。

 

「おい、お前ちょっと見てこいよ」

「はあ? 嫌だよ、何で俺が? お前行けよ」

「バッカ、あんな化け物の家なんか、おっかなくて近づけるか……」

「そうだよ。この村で、あんな化け物のいる家に好き好んで行く奴なんて……ん?」

 

 

 途中でその口を止め、また正面に目を見張る。

 そこから、こちらへ向かって歩いてきているのは、

 

「……ん? あいつ、解体屋ん所の……」

「何であいつが? しかも……チッ、化け物まで一緒じゃねえか」

「てか、化け物に捕まってる、みたいな感じじゃねえか?」

 

 彼らの言う通り、解体屋の息子は、矢で傷ついた肩をリアに掴まれながら、歩いていた。

 その二人の後ろには、男から弓と矢筒を取り上げたレナと、フィールの二人。

 

「おい! 化け物が来たぞ!」

「ほんとだー!」

「石だ石だー!」

 

 その四人が村の中に入ったのを合図に、またハサミを始めとした子供達が現れた。

 大人達とは逆に、化け物の家が燃えようと、変わらずこの楽しい遊びをしていけることに大喜びしていた。

 いつもしているように、拾った大小さまざまな石やらを、化け物に向かって……

 

「……痛て! 痛てぇ! やめろ! やめねーかクソガキども……ぎゃあああああ!!」

 

 だが今回は、いつもとは違って、そんな声が聞こえてきた。

 それは少なくとも、化け物の声とは違っていた。

 そして、それに気付いた大人達は、構わず石を投げ続ける子供らを制した。

 

 石と一緒に飛んできたハサミが、奇しくもレナの矢と同じ個所に突き刺さった。それと同時に石が止んだのを見て、リアは、自身の目の前に持ち上げていた男を振り回し、目の前に投げ飛ばす。

 

「おい、お前なにやってんだ! 村のヤツに手ぇ出して、この森にいられると思って……!」

 

 これ幸いと文句を叫んだ誰かしらの声を、リアは、村の出入口の看板を殴ることで黙らせた。

 鈍い大きな音がしたかと思ったら、看板の支柱はあっさりヒビ割れ、メキメキと音を立てて地面に倒れた。

 看板には、村の名前が刻まれていたのだろうが、長年野ざらしにされたことですっかり朽ち果てて、それでも誰も直そうとしなかったから、今ではただの汚い板でしかない。

 

 

 誰も、住人すら名前を覚えていないこの村の人間のすることに、これ以上我慢をする理由が無くなったリアは、目の前を無様に転がった男に向かって言った。

 

「言え」

「……」

 

 男は振り返り、もう一度、リアの顔を見る。ハサミの痛みの中、あの時見えなかった顔が、ようやく見えた。

 痛そうに左手を振るリアは、無表情だった。なのに、感じる感情はさっきと同じ。

 無表情なのに、激怒している。人形みたいに、綺麗なだけの無表情のくせに、どうして怒りを表すことができるんだ……

 

「言え」

 

 また、同じ言葉。同じ顔で。同じ声で。そして、同じ怒りの感情で……

 男は正面を向き、村に視線を巡らせる。

 きっと、村人全員がここへ集まっている。姿は見えないが、親父もこの中にいるだろう。

 だが、誰も助けてくれない。俺は今日、英雄になったはずなのに、称えてくれる人間は一人もいない。

 

 

 そんな連中に向かって、ただ、叫ぶ。ただ、それだけ。

 

「あの……」

 

 今日まで、親父本人は怖いからと、代わりに化け物を相手している文句を垂れてきては、親父の説得を押しつけてくる村の連中のことは、ずっとウザいと思ってきた。

 いつもいつも、楽しい遊びの邪魔をするから、その腹いせに、怖い親父にではなく息子に対して、口うるさい文句やたちの悪いいたずらを仕掛けてくるクソガキどものことは、ずっとボコボコにしてやりたいと思ってきた。

 そんなクソガキどもを叱ることもせず、逆に被害者ヅラして俺に謝らせるうえ、親父の説得をまくし立てるクソ親どものことは、ずっと殺してやりたいと思ってきた。

 そんなロクでもない連中のために、化け物退治を買って出てやったこの俺に、無関心に、無関係だという顔を向けるうえ、クソガキどもには化け物の代わりに、石を投げられ、ハサミを刺されて。

 

 そんな、クズしかいない村の連中が、普段以上に、余計に憎たらしいと感じた。

 

 

 だがそれ以上に、ハサミが突き立った右肩が痛すぎた。そしてそれ以上に、後ろに立つ、化け物のことが怖かった。

 

 

「あの……火事は……」

 

 

 怖くて、恐ろしくて、今すぐ逃げ出したくて、とにかく助かりたくて……

 

 

「あの、火事は……」

 

 

 

 何よりも……憎らしかった。

 

 

 

「あの火事は! この化け物が自分の家を燃やしたんだー!!」

 

 

「な……!」

「え……!」

 

 その絶叫に、レナとフィールは同時に目を見開いた。

 

「こいつが!! 自分の母親ごと自分の家を焼きやがった!! こいつは化け物で、母親殺しだ!!」

 

「……」

「ちょっと、なに言って……!」

 

 フィールが言葉を失い、レナが非難の声を上げた時……

 

「マジかよ……!」

「あの化け物、そんなことを……」

 

「え……?」

 

 男への非難も忘れて、レナは、呆けた声を上げてしまった。

 そして、そんなレナの声以上に、村人の声は、大きくなっていく。

 

「自分の母親を……?」

「俺、知ってる。ネアだろ? あの美人で優しい……」

「ああ。俺達にも、化け物息子にも優しくしてた……」

 

 誰も、男を疑うことはせず、目の前の現実と、男の言葉に、都合の良い辻褄を合わせていく。

 

「そんな優しい人を、あいつが……?」

「仮にも母親だろう? 母親を、あいつが……」

「あの化け物が……」

 

 そして徐々に、話題はネアから、リアへと移っていく。

 

「あいつ、自分のお母さんを燃やしたって……」

「おうちごと、おかーさんのこと、もやしちゃったって?」

「いくら化け物だからって、自分の母親をか……」

 

 そして、リアのことを話しながら、リアに向ける視線が、これまで以上に冷たく、暗く、殺伐としたものへ、変化していく。

 そして……

 

 

「いやああああああああああ!! 人殺しいいいいいいいいいいい!!」

 

 

 誰かの、少なくとも女の悲鳴を合図に、今日まで陰口で済んでいた大人達の感情が、爆発した。

 

「人殺しだ!」

「あの化け物は、人殺しだ!」

 

 まずは、自身の口で繰り返す、さっきまでと同じ言葉。

 

「この野郎! よりによって自分の母親を!」

「最低の親殺しだ!」

「あんなに優しいネアさんのことを、息子のくせに……この化け物が!!」

 

 長いこと会いにいってもいない、ネアを引き合いに出した、リアへの非難の言葉。

 そして……

 

「出ていけ!」

 

 今日まで、子供らにだけ叫ばせて、自分達は陰口でしか言ってこなかった言葉。

 

「出ていけ! この化け物!」

「今すぐ出ていけ! お前みたいな奴がいるせいでな、俺達は大迷惑なんだよ!」

「出ていけよ! この人殺し! 母親殺し!」

 

 そして同じように、制止されたことでジッとしていた子供らも、再び石や、色々な物を拾っては、大喜びで投げていく。

 

「このばけもの! どっか行け! このぉ!」

「このクズ野郎が! もう森にいるなんていわせねーぞ!」

「さっさと消えろー!! てゆーか今すぐ死ねえええええ!!」

 

「なに、これ……」

「……ッ」

 

 レナは呆然としながら、あたふたとしていた。

 フィールは無言のまま、黙って言葉と石を受けるリアの姿に、歯を食いしばっていた。

 

 

「フフフ……フフフ……」

 そして男は、そんな村人達の反応に、してやったりと歪んだ笑い声を上げていた。

 

「見ろよ、分かったかよ、このバカ……」

 

 クソガキどもが投げる石に当たらないだけの距離から、勝ち誇ったように、さも得意げに、肩のハサミを抜き取り、地面へ投げ捨てながら胸を張る。

 

「この村に、化け物信じる奴なんていると思うか? 化け物に居場所なんてあると思うか? 見ろよ。聞けよ。お前がずっと居座ってきた、村の本音をさぁ……」

 

 男が言うまでもなく、村人達の言葉は共通していた。

 

 ――出ていけ化け物!

 ――出ていけ人殺し!

 ――出ていけ親殺し!

 

「そうだよ。お前の母親を殺したのは俺じゃねぇ。お前がやったんだよぉ。お前が自分の家に火を点けたんだ。そのせいで、お前の母親が死んだんだ。全部、お前のせいだぁ……」

「……」

「分かったかよ化け物。これが人間様のルールだ。誰も、化け物を信じるわけが無えんだ。誰だって、俺みたいな弱え奴の味方だ。化け物みたいな強え奴に同情する奴なんかいねえ。弱え奴が助けられて、強え奴はこうなっちまうんだよぉ。これが人間様のルールなんだよぉ」

 

 その姿は、哀れなほど誇らしげだった。

 

「全部、お前が化け物だから悪いんだ。化け物だから、お前の母親は死んだんだ。俺じゃねえ。お前だ。お前が殺したんだ」

「……」

「聞こえてんのか!? お前のせいだ化け物! お前が全部悪いんだ! 化け物のくせに、さっさと死ななかったお前のせいだ! 化け物のお前がさっさと死んでりゃ、人間の母親は死ななかったんだ! さっさと死ななきゃならなかったのはお前だ! そんなお前が! 母親を家ごと焼いて殺したんだ! お前が生きてるせいでな! お前の母親は死んじまったんだ!! 全部が全部、お前のせいだぁあああああ!!」

 

「――ッ!」

「……ッ!」

 

 あまりの物言いに、レナはまた、声を上げようとした。

 リアを、そしてネアの思いまで侮辱したその言葉に対して、フィールは剣を握った。

 

 

「……ああ。そうか」

 

 しかし、そんな二人を制したのは、ボソリ、と、聞こえてきた声。

 

「よく分かった……」

 

 言ったのは、その一言だけ。一言だけ言い、男へ歩きながら、右手を伸ばす。

 そして、フィールは三度目にして、初めてまともにそれを見ることになった。

 

 今までずっと、彼の愛用している長刀は、例えば、一度目は、夜闇に佇む木々のどれかに、二度目は、走り抜けた先にあった木の上にでも、隠していたのだと思っていた。

 そう思わなければ、『何も無い場所から刀を取り出す』という、あり得ない光景を受け入れなければならないから。

 だが、その光景を見た以上、受け入れるしかない。

 

 リアが右手を伸ばした瞬間、彼の右手の先の空間が歪んだように見えた。

 そして、そこから刀の柄が現れて、リアがそれを掴んだ時。刃の切っ先が現れ、そのまま右手に納まった。

 

 

「なら、その化け物に殺されようが……恨むなよ人間!」

 

 

 そして、取り出したそれを、頭上へ振り上げ……

 

 

「あ……ああ! ああああああああああああああ!!」

 

 

 一瞬の出来事に、村人の全員が固まるか、反射的に目を逸らしていた。

 そして、数秒経ったところで、改めてそれに目を戻す。

 

 リアが刀を振り下ろした地面は、その衝撃だけで、彼らの周囲にあった、落ち葉や雑草、土や砂、更には男の毛髪全てに至るまで、全て吹き飛ばし、地面をくぼませていた。

 だが、男は死んではいない。恐怖に口を半開きにし、限界まで見開かれた目で、目の前で止まった刃を凝視し、固まっている。

 そんな男に、刀ではなく、蹴りを顔面に食らわすと、あっさり後ろまで飛んでいった。

 

 そんな尿臭香る男にはもはや目もくれず、踵を返す。

 刀を肩げたまま、フィールとレナの間を通り抜け、歩いていく。

 

「どこ行くの……?」

 

 慌ててレナが尋ねた。リアは立ち止まったが、顔は正面へ向けたまま、

 

「さあ……」

 

 と言った。そして、

 

「……ここ以外なら、どこでもいい」

 

「……なら、私も行く」

 

 リアの言葉にすぐさま反応したのは、フィール。

 

「……お前も?」

「私はネアさんから、あなたのこと任されてる。あの火事の中で、ネアさんが私に願ったこと、実行する義務が私にはあるわ」

「……好きにしろ」

 

 リアが返事を返し、歩を進める。フィールは、それに続いて歩き出した。

 

 

 残ったレナは、しばらく動けず、何も言えずにいた。

 リアがどんどん遠くへ行ってしまう。見たことのない、綺麗な女の人と、暗い森の向こうへ。

 その二人の背中を、猟師として鍛え続けた夜目で追いかけながら、耳には聞こえてきた。

 

「そうだ! 出ていけ化け物!」

「二度と帰ってくるんじゃねえぞ! この人殺しが!」

「さっさと行っちまえ! そのままどっかでのたれ死ね!」

 

「うるさい!!」

 

 絶叫しながら、男から取り上げた矢筒を空中へ放り投げた。

 直後、背中の矢筒から、矢を一本取り出す。

 そのまま愛用の弓を構え、空中に向かって矢を射った。

 

「うおわぁ!」

「危っぶね!」

 

 一本の矢に破壊された矢筒に、たっぷり詰まっていた矢が、村中に雨あられと降り注ぐ。

 数人の悲鳴が聞こえた。誰だか知らないが、近くに刺さったんだろう。

 これで一人か二人……いっそのこと、全員を射殺(いころ)してしまいたかった。

 それだけ、許せなかった。

 

「リアは化け物じゃない……化け物は、お前達だ!!」

 

 ついさっき、男に対してそうしたように。村人達が、リアに対してそうしたように。

 今日まで、溜まりに溜まった憤懣の言葉を、村へぶつける。

 

「強いっていうだけで一方的に無視して! リアやお母さんを一人ぼっちにしておいて! そのくせ、よりによってお母さんのことをダシにリアのこと責めて! 今日までずっと、今だって、何も本当のこと知ろうとしないくせに、都合の良いことだけ偉そうに叫ぶな!!」

 

 そしてもう一度、ありったけの怒りを込めて、全力で叫ぶ。

 

 

「リアは化け物じゃない! 化け物はこの村だ! 化け物は!! あんた達だ!!」

 

 

 最後に、倒れた看板を拾い上げて、力の限り投げつけた。そして、なぜそんなことを言われ、そんなことをされるのか。本気で分かっていない顔の村人達に背を向けた。

 言いたいことの半分も叫んでいない。それでも、これ以上時間を取っては、リア達を見失う。

 

「リア、待って! 私も行く! リアと一緒に、こんな村出ていくから!」

 

 住む家はあっても、今のリアと同じように、家族は誰もいない。

 リアがいなくなった時点で、バカとクズしかいない名無し村に、未練なんか欠片も無い。

 リアを目指し走りながら、振り返ることは一度もしなかった。

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「抜けたー!」

 

 村を出て、三人並び、しばらく森の中を歩いた後のこと。レナが、はつらつとした声を上げた。

 その言葉の通り、今まで視界を遮り、足もとを妨害していた木々や植物は無くなった。

 代わりに、そこには一面の大平原が広がり、高く昇った月の光が世界を照らしている。

 

「……これから、どこへ行く?」

 

 フィールもまた、青々とした草地で背伸びをするレナを見ながら、弾んだ声を出した。

 だが、リアから返事は無い。振り返ると、リアは、抜けた森の方へ振り返っている。

 

「……悪いが、少しだけ待っててくれ」

 

 ボソリと、そんなことを言うと、二人の返事は待たず、森の中へ戻っていった。

 

 

「……あ、あの……」

「え……?」

 

 残った二人の内、声を掛けたのはレナ。それにフィールが返事をし、向かい合う。

 

「は……初めまして。レナ、と、もうします。フィールさん……」

「ああ……いえ、どうも、こちらこそ。ていうか、そんな、わざわざさん付けして、丁寧に話さなくても……普通に話してくれたらいいから。さんもいらないし」

「あ、はい。なら、そう、します……じゃなくて、そうするね、フィール」

「ええ……レナ」

 

 ぎこちないそんな会話をキッカケに、初対面なせいで固かった空気が、僅かながら弛緩された。

 

「……フィールって、リアの、お姉さん?」

「……いえ、私は……」

 

 

 ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……

 

 

「……!」

「え……?」

 

 

 

 村人達は最初、また何かの爆発音かと思った。

 ついさっき、火事で発生した爆発音。それより遥かに巨大な音が、森の向こうから轟いた。

 

 ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……

 

 また同じ音。その音で、森の木々に止まっていたであろう鳥達が、一斉に舞い上がり、一瞬で月夜を覆い尽くした。

 

 ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……

 

 一体これは何なんだ? 本当に何かが爆発したのか?

 それとも何か……怖ろしい何かがまた起きるというのだろうか?

 

 長年頭を悩ませてきた化け物がやっといなくなった矢先、新たな悩み事が、バカでクズな頭に芽生えさせられる。

 そんな爆発音を聞いて、その音の正体に気付いた者は、一人しかいなかった。

 

「リア……?」

 

 

 

 そしてここにも、その音の正体に、真っ先に気付いた者が二人いた。

 気付いた、というより、見えなくとも、知っていた。

 その音をまともに聞こうとすらしてこなかった村人達とは違う。その声を日常的に聞いてきたレナや、間近でその悲鳴を聞いたばかりのフィールが、気付かないはずが無い。

 

「リア……」

「……」

 

 レナが、その音の発生源を呟く。フィールは、無言で目を閉じる。

 やりきれない思いを噛み締める、そんな二人の目の前の、木々の隙間から、現れる黒い髪。

 

「……待たせた……」

 

 長すぎる刀は、とっくに消えている。首から下が失せた後ろ髪に対し、相変わらず長すぎて、多すぎる前髪に隠れた顔からは、何の感情もうかがえない。

 そんな顔のまま、二人の間を通り過ぎ、平然と歩いていく。

 

 

「……」

「……」

 

 フィールも、レナも、何も言わない。

 こんな時に掛けるべき言葉など、二人はなにも知らない。

 

 そんな二人が、ただ一つできること。歩き続けるリアに、ついていく。それだけ。

 それだけが二人にとっての、リアに対する、言葉にはしない答えだった。

 

 

 

第一章 完

 

 

 

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