まだ・・・・・上旬・・・・・だよね・・・・・?
カルラは赤く染まった手をダラリと下ろすと、前向きに倒れ掛かってくる。
私はカルラを支えようと立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。正真正銘、妖力体力魔力すべてが限界に近かった。出血が酷く、半分になった視界が霞んでいる。
私が支えようとしていたその身体は倒れるかのように見えて、倒れない。脚を強く踏み込むことによって支えているからだ。ブシュッ、とその拍子に鮮血が肩口から、胸の傷口から吐き出されるかのように飛び散る。しかし膝から崩れおちて床に倒れてしまう。
「カハッ・・・・・!」
そして偶然にも身体の向きがこちらを向きながら横たわる形となった。
「カルラ・・・・・!良かった・・・・・」
疲れ切った心の中に深い安堵が染みわたる。
顔色はどちらかと言うと悪く、左腕はなく、心臓付近から出血がみられるが直ぐに治る事だろう。そしてなにより、眼の色に光が戻ってきていた。それはカルラが無事に生きている事を確認するには、私をこれ以上ないくらい安心させる事の出来るものだった。
少し滲んだ眼から、静かに透明な液体が重力に従ってこめかみの方へ伝っていく。
口元が細かく震え、溢れようとする嗚咽を堪えようとへの字のようになりさぞかし変な顔になっている事だろう。
「あは、ははっ・・・・・変な顔・・・・・」
いつもの調子とはいかないまでも、力無く笑っているカルラを見ていると、こちらも頬が自然と緩んでくる。
「お互いに、手酷くやられたわね・・・・・」
「ええ、こんなに疲れたのは初めてよ・・・・・」
そういうと溜息をひとつつき、
「じゃあ、また少し寝るから、・・・・・後の事宜しく」
「ちょ、ちょっと!?」
寝てしまったようだ。
急に眼を閉じるから何事かと思ったが妖力枯渇っぽい。そりゃそうだ。あんなに重症な状態で吸血鬼の防御力を貫通するほどの威力を出したのだから消費は激しかっただろう。放っておけばその内回復して動けるようにもなるだろうし、そっとしておこう。
「・・・・・全く、マイペースね。でも今は、その能天気さが羨ましいわ」
さて、これからどうするか。
とりあえず此処を出よう。自分が知っている血の匂いが充満していてはあまりいい気分ではない。フランも気絶したので次目を覚ましたら狂気のままだった、という事はないだろう。
・・・・・うん。
だいぶ妖力も回復したし、怪我も表面上だけではあるが治ってきている。
「そろそろ移動しようかしら」
左肩にフラン、右肩にカルラを担ぎあげて部屋を後にする。担ぎあげるときにカルラが呻き声をあげていたが気にしないでおこう。
心配させられた私からの小さな八つ当たりだ。
ふと振り返ると、今しがた出てきた赤い扉が目に入った。
「・・・・・忌々しい」
ついさっきまで不本意だったとはいえ妹に殺されかけ死にかけた場所だった。そんなつぶやきが漏れてしまっても仕方がないと思えた。
・・・・・そういえばこの部屋は何のために作られたのだろうか?
図書館に出入りしているカルラが作ったのだろうが、理由がさっぱりわからない。まぁ本人が眼を覚ましたら聞けばいい事だと思い、その疑問を頭の隅に追いやった。
図書館にはソファーがないと二人を寝かせる場所がないことに気付いた。流石に床に寝かせるのはどうかと思ったので、図書館を出て各々の部屋に寝かせることにした。
長い廊下を抜け、ロビーに出ると大柄な人影が見えてきた。侵入者かもしれないと思い片手に魔力を充填しておく。しかし顔が認識できる距離になると思わず声を詰まらせた。
「・・・・・っな!?」
何故ならば、
「良かった、無事だったか」
そこにいたのは父と母だった。
多少やつれた顔をしてはいるが目に生気がある。大柄な人影に見えたのは、父が母を抱きかかえているからだった。そして何故だか私には、母がもう長くは無いという事がわかってしまっていた。
「お父様、何故・・・・・?いや、お母様はどう・・・・・?」
「・・・・・正直、自分の限界は把握していたつもりだったんだがな。どうにも、読み違えたらしい」
母には最低限の止血処置が施されていたが、よくよく見れば父の胸からは絶えず血液がにじみ出ていた。それは今更手当をしても手遅れと言う事が分かるほどだった。
「私の方はなけなしの妖力で、死に傾いていた均衡を、生に寄らせて生きているんだが、それも、限界、だ」
「そんな・・・・・!」
じゃあ、・・・・・それではっ!
私が両親の最期を見とらなくてはならない、のか。
妹達は一向に目を覚ます様子は無い。しかしそれでいい、その方がいい気がした。特に、フランには。この事を知ってしまったらフランはどう思うだろうか。
自分のせいで両親が死んでしまった事を受け入れる事が出来るのだろうか。
それだけの強さが、あるのだろうか。
私にはフランを起こす事が出来なかった。
あの子を信頼してやれないようではやはり最低の姉だろう。
私は、私のエゴでフランが背負うはずの二つの十字架を奪い取る。
それがフランの為になるのかは分からない。
私にはわからない。
・・・・・なぜなら、私は弱いから。
答えを出すのが怖いから。
「ゴホッ、ゴホッ!」
父が血塊を口から吐き出すのを見て思考から一気に現実に引き戻される。
「しかし私も、なにもせずにこの事態に手をこまねいていたわけではない。レミリア、フランの狂気は、あとどれくらいだ?」
「・・・・・あと600年程」
「600年もの間、お前たちだけでフランを抑えるのは、厳しいだろう。・・・・・そこでだ」
震えた手で胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、私にしっかりと握らせた。グシャグシャになっているうえに赤く染まっているので、非常に読みにくかったが、
「・・・・・ホックド・オウレット?」
確かにそう読みとれた。
「ああ、そいつは魔法使いでな、魔女狩りから紅魔館で匿うことを、交換条件に」
そこまで言って父は言葉を詰まらせた。悲痛に顔を歪め、しかし含めるように言葉を紡いだ。
「・・・・・フランドール・スカーレットを封印することにした」
・・・・・やっぱりか。
今回の事は父のフランに対する印象を変えさせた。今までに狂気を抑えた事は何度かあったが、それは怪我人こそ出たが死人が出る事は無かった。文献にも狂気について詳しい事は書いていなかった。
要するに母と父に致命傷を負わせたことが、臆病にさせたのだ。死ぬ事がないと思っていたか、家族に手を掛ける事は無いと過信していたか。いずれにせよ慢心していた反動で警戒心が倍増しているんだろう。
だが、
「嫌よ」
その判断にフランの意志は含まれてはいない。
いくら父が私やカルラが狂気によって命を落としてしまう事を考えてのことだったとしてもお断りだ。フランが封印されている年月を私達だけがのうのうと生き長らえていいはずがない。
「ダメだ、これは決定事項だ」
父は口の端から血を垂らしながらも私の拒絶をはねつける。
「私が、この紅魔館の主だ。お前がどんなに喚こうが、ここでは私がルールだ」
父が、この男が家族を思ってやろうとしている事はわかっている。
分かってはいるが、それを理解できるかどうかは別問題だ。
フランのいない平穏など、日常など必要ない。
「件の魔法使いは今日来る事になっている。そして私は封印を見届けるまでは死ぬつもりなど毛頭無い」
フランを救うにはこの男が邪魔だ。
「お前の為を思ってのことなんだ」
そんな主観的な善意を押しつけられても迷惑だ。
「フランに会えなくなるわけじゃない」
そういう問題ではない。
あぁ、煩い煩い。
今まで父を恐れた事はあっても、ここまで憎んだ事は無かった。ここまで鬱陶しく思った事は無かった。
「そうだろう?レミリア」
そうやって宥めていれば私が納得すると思っているのか。
口を開けば罵倒の言葉が出てきてしまいそうで唇を噛み、必死に昂る気持ちを抑える。
それをどう受け取ったのか、父は話は終わったとばかりに背を向け、玄関へと歩き出す。
「もうじき来るだろうから門まで迎えに行って来る。・・・・・お前が聞き分けの良い子で良かったよ」
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
「・・・・・聞き分けの良い子?」
「あぁ、私の自慢の娘だ」
一瞬立ち止まりそれだけ答えると、再び歩き出した。
自慢の娘?理想の娘の間違いだろう。私は父に意見こそ言えど、逆らう事は基本的にはしなかった。それが正しい事だと信じていたし、なにより期待を失いたくなかった。しかし私個人には自我があり、術者の思い通りにしか動けない傀儡でもなければ、埋め込まれたプログラムをこなすことしかできないゴーレムでもない。
フランを封印すれば私が死ぬ事もないし長い年月を掛ければフランと一緒に過ごす事も叶うだろう。しかし封印しなければ私は十中八九狂気に殺されるだろう。
なるほど。いかにも父が好みそうな合理的な考えだ。
だが私は嫌だ。フランを封印なんてしたくない。ならばどうすればいいか。
―――――――答えはいたって簡単で、今にも玄関を開けようとしているあの無防備な背中を死に向かってひと押しするだけでいい。
普段なら絶対思いつくはずの無い方法。私があの男に勝とうなど数百年早い。それだけの実力差が私とあの男の間にはある。
しかし今ならばどうだ。その埋めようもない差をいとも簡単に狂気が覆してくれた。今ならば簡単に殺れる。赤子の手をひねるに等しい。罪の呵責など一欠片も感じない。何故ならばすでに手負いだから。重症だから。死にかけだから。―――――事故、そうこれは事故だ。他愛もない事故。不運だった、で済ませられる程度のもの。
肩に担いでいた二人を音をたてないように静かに下ろす。起きる様子はいまだに無い。どちらも大切な愛しい妹だ。私は二人と一緒にいれるだけで幸せで、そのためには私の手がどんなに汚れようとかまわない。
私の人差し指が勝手に魔力弾を纏う。しかし私はそれを止めない。さらに人差し指は玄関を向く。しかし私は抵抗しない。すぐに魔力の装填が完了する。
そして私は、躊躇しない。
ドアノブ特有の金属が擦れる音がした直後に、派手な爆発音が館内に響き渡る。
同時に、
「な・・・・・!?」
私は目を疑った。
爆発と同時に火柱が上がったからだ。私は爆発属性は付与したが、せいぜい当たったものを内側から破裂させる程度のものだ。火に関連した属性には手を付けていない。つまりこの火柱は私の魔力弾では無い。これらが示唆する事とは、
「・・・・・驚いた、吸血鬼って案外脆いのね」
第三者の介入だ。
――――――
三日月のアクセサリが付いた紫のナイトキャップに、これまた紫のネグリジェを纏い、極めつけには多少色は薄いがまたもや紫のブーツを履いている。なんなら髪の色さえ紫だ。
全身を紫で固めた少女は日に当たった事の無いような白い肌を袖口から覗かせていて、青白いそれは日光が照らしている事で純白ともとれる色合いをしている。
「・・・・・どちら様かしら?」
とりあえず聞いてみる。
「しがない魔法使いモドキよ」
なんだか要領を得ない回答が返ってきた。
魔法使い・・・・・?父がそんな事を言っていた気がする。
「あぁ・・・・・あなたがホックド・オウレットかしら?」
「ええ、いかにも」
表情は出会ったときから少しも動くことは無く、口元だけが僅かに動く。
不気味だった。
こいつは父を殺したのだろうか。
「あなたと父は協力関係にあったのではなくて?」
「所詮口約束よ。何故契約を結ばなかったのかはわからないけど、破られても文句は言えないはずよ」
「まぁ、文句が言えればね」
そう皮肉ると、苦虫を噛み潰したような顔をした。初めてみた表情の変化に少しホッとした。流石にずっと鉄仮面のままでいられると気味が悪い。
「・・・・・当初には無かった予定なのよ。最初は封印の真似事をするだけで魔女狩りから逃れる事が出来て、暫く安定した住処を得る事が出来る。こんなに割の良い仕事は無かったから受けることにしたわ」
「ちょっとまって、・・・・・封印の真似事?どういうことかしら?」
「そのままの意味よ。私は精霊魔法を主に使っているの。完璧な封印なんか、出来っこないわ」
ということはつまり、
「封印するつもりは無かったってこと?」
「まぁ流石にそれだと匿ってもらう方の約束もどうなるかわかったもんじゃないから、簡易的に別空間を作ってそこに吸血鬼・・・・・フランドールだったかしら?に入ってもらうつもりだったけど。別空間って言っても同じ場所をカーテンで区切る程度の粗末なものよ。だから真似事ってわけ」
そうか・・・・・どうやらフランの封印についてはとり越し苦労だったらしい。
しかし父は取引相手を碌に確かめようともせずに、なにをそんなに焦っていたのだろうか。
待て、そもそも父は何故殺され―――――――――
「魔法使いっていうのは」
オウレットの声に引き戻される。
「元来自由なものよ。自分の好きなように魔法を使い、夢を叶えるために研究を重ね、生涯の限りを尽くす。しかもを身につければ生涯という枷さえ失くすことができる。逆になにかに縛られた状態では魔法を扱う事は出来ない。魔法とは自由を表現する一つの手段なのよ」
そこまで喋ると一息つき、また何か言おうと息を吸い込み、結局何も言わずに溜息を吐いた。
そしてそのまま反転して立ち去ろうとする。
「ちょっと、どこへいくのよ」
思わず声を掛ける。しかしオウレットは止まらず歩き続ける。
「無視するなっての!」
聞こえているであろうに反応の色を示さない事に苛立ちを覚える。
せめて振り向かせようと、後ろから駆け寄り右肩を掴んだ瞬間、
妹たちの頭上を越えるように吹き飛ばされ、背中から館内の壁に叩きつけられた。
「ガッ・・・・・ク八ッ・・・・・!?」
肺から一気に空気が押し出され呼吸ができなくなる。背骨がきしむ音が聞こえ、視界が明滅する。口から血の味がする。口内を切ったらしいという事はすぐにわかる。
何故だ。殺意が見えなかったからこそ警戒する必要がないと判断したのに。
そこまで考えて妹の危険を案じ、急いで視線を向けるとそこに奴はいなかった。
魔力を探っても近くにその類のものは無い。おかしい。何故追撃を仕掛けてこないのか。
しかし、そこで視界に捉えたものに思わず悪寒が走る。
一つ一つは小さく私の幼少期の半分にも満たないレベル。
本来ならば気にする必要のない塵芥。
だが、数が違う。三桁に届きそうなほどの有象無象塵芥。
塵も積もればとはよく言ったもので、私の魔力に匹敵するかそれ以上の脅威がそこにあった。
それは、ヴァンパイアハンターであったり、魔術師であったり、退魔師であったり。
少し驚いたのは、妖怪の類の気配もうかがえた事だ。しかも知っているものも混じっていることから不可侵の契約を結んだ奴も含んでいると思われる。
父が死んだ事が伝わってから向かってくるには少々早すぎる。前々から人間側に寝返る兆しはあったのだろう。どこで不満が募ったのかは今となっては知る由が無い。
それはいったん置いといて、今はまずい。タイミングが悪すぎる。先の戦いで消耗した身体ではあの軍勢を抑えることは難しい。妹たちはいまだ目を覚ます様子は無い。
まるで謀ったかのようなタイミングできたものだ。偶然にも程がある。
しかしなにか推論を立てるには少々サンプルが足りない。
いや、一つだけあったか。
私が能力を多用するようになったきっかけで、唯一ハンターと関わった事例。
カルラと町に狩りに行ってハンターに出会った時のことだ。
『寝室に入ったところを撃たれた』
とカルラは言っていた。あの時は特に考えもしなかったが、よくよく考えるとおかしい。いくら銃が布団で隠せるものだからと言って、そう簡単に撃つ直前の状態まで持っていけるだろうか?
当然、弾丸を込める必要はあるだろうし、撃鉄を起こす必要もある。ましてやカルラは転移魔法で館に潜り込んだのだ。事前に察知でもしなければ用意することなどできはしない。
・・・・・そう、事前に察知でもしていなければ、だ。普通人間が魔力を感知する事などできはしない。だからこそハンターが魔力を感知したという可能性を考えなかったのだが。逆にそれが仇となりこの可能性を考慮しなかったともいえる。
仮にハンターやそれに準ずる人間が魔力を感知する術を持っているとしたならば今回の事は納得がいく。
要するに自分たちの総合的な戦力が弱まった時点で動き出したということだ。
そして戦力が削がれた事には、あの魔法使いも一枚かんでいるんだろう。
・・・・・随分近くまで来たな。
数百メートル先には多種多様な防具を纏った、遠目に見ると珍妙ともとれる集団が雄たけびを上げながら突っ込んでくる。力も八割まで回復したしどうにかなるだろう。
紅魔館を守る為に。
なにより唯一の肉親となった二人を守る為に。
この身を捧げよう。
例え精根尽き果てようとも私は、此処を、この居場所を、この家族を守り続ける。
この館では、紅魔館では私の想いは絶対。
何故ならば、私は誇り高きツェペシュの末裔にして、紅魔館当主、
レミリア・スカーレットなのだから。
<追記>
後で見たら赤面モノだったので後書きを削除しました。
何書いているんだろう自分・・・・・。