「遂に、遂に完成したぞーっ!」
今日の私はテンションが高い。
「うるさい」
オウレットに横槍を入れられても気にしない程度にはテンションが高い。静粛たる図書館で年甲斐もなく(実年齢と見た目は比例していないが)はしゃいでしまうくらいにはテンションが高い。
それは何故か。
理由は1つである。
なんと長年研究してきたある薬の開発に遂に成功したのだ。
こんなにめでたいことはない。つい最近チェスでフランに勝てたことより喜び加減で言えば少しだけ上回る(手加減されていた気がするが)。パーティを開こう。赤飯を炊こう。鏡開きをしよう。最高にハイってやつだ!
「どうしたんですかね、カルラお嬢様は」
「世界一無駄なことを成功させて喜んでいるのよ」
あまりの嬉しさに一人で小躍りしているとそんな会話が聞こえてきた。思わずタップダンスを止めてしまう。今何と言ったか?
「無駄なこと?無駄なこと!?いや、いや魔女さんや、あんた分かってない。この世に無駄なことなんて無いって誰か言ってたでしょ?」
「誰よそんなこと言ったの」
知らんがな。
「……仮に無駄があったとしても、この薬は絶対に無駄じゃない!むしろ世の中の私の同類にとっては希望の光だよ!」
手に握っている試験管で黄金色の液体が波打つ。ああ、ああ!何と尊い色じゃないか。そう、この薬はもう我が子と同じ。たとえ無機物であろうとも何年もかけて手塩にかけて育てたのだ。愛着もわくというもの。
「貴女の同類がいないことにこあの夕食を賭けるわ」
「へっ!?」
「大丈夫よ。絶対いないから。……何よその馬鹿にしたような顔は」
……甘い、甘いぞオウレット。未来の見通しが甘すぎる。少なくとも21世紀にはそういう趣味趣向のやつはごまんといるのだ。ならば今現在においても同類がいてもおかしくない。
「ふっふっふ、世界はオウレットが思っているよりずっと広いってことさ。まぁそんなことはどうだって良いんだ。早速レミリアにこれ飲ませてくる!」
普段ならば絶対にやらないスキップとかしながらルンルン気分で図書館を出る。もちろん薬を零さないように細心の注意を払いながら。目指すは執務室!
……の前に調理場に寄ってティーセットを拝借してこよう。この薬はバレないように飲ませることに意味がある。てか絶対にレミリア自分から飲まないと思うし。
ああっ!なんて楽しみ!
「あの薬どんな効果があるんです?」
「いやよ、口に出したくもない」
「えぇ……」
「レミリアー入るよー」
片手にティーセットと試験管を乗せたお盆を持ち、執務室をノックする。当然のごとく返事を待たずにドアを開ける。
「紅茶でもー……って寝てるし」
レミリアの背をとうに越える高さに積み上げられた二つの書類タワー。その間にレミリアは腕を枕代わりに突っ伏して寝息を立てていた。
どうしようか。レミリアに一服盛るつもりでここまで喜び勇んできたものの、寝ているところを起こすのはどうも気がひける。
それにレミリアが自室ではなく執務室で寝てしまっているのは、紅魔館の財政難を丸投げした私の責任でもあるのだ。
私が慣れないことをするより、父からそこら辺のことを叩き込まれているレミリアが適任であることは分かっているが、何もしていない罪悪感が消えることはない。
しかし私が出来ることなどなく、唯一思いついたのが気晴らしにでもとこの薬を開発することだった。
「レミリアはダージリンっと」
結局レミリアが自分から起きるまで待っていることにした。
起きた瞬間に目の前に薬入りの紅茶を差し出し、何も分からぬままレミリアはそれを飲んでしまう。するとたちまち薬の効果が発揮され……という流れだ。
「砂糖……は入れておこうか」
レミリアは普段はストレート派だが、頭を働かせた後なら糖分があった方がいい。
角砂糖を1つ薄オレンジ色の水面に落とし、追いかけるように試験管をティーカップの上で傾ける。完全に試験管の中が空になったのを確認すると、ティースプーンで砂糖もろともかき混ぜていく。
「よし、香りは大丈夫」
無味無臭で、色は溶けた溶液と同じ色に同化するようにしてある。ここまで徹底しているともはや犯罪的だ。どんな名探偵が来ても、祖父の名をかけてる人や頭脳が大人な人が来ても、バレない自信がある。
「んっ、んぅ〜」
お、起きたようだ。……目の下の尋常ではないクマを作りながら欠伸をするレミリアを見て、また申し訳なく思う。
「ふあぁぁ〜、ん?カルラじゃない。何か用?」
「特に用ってわけじゃないんだけど……その前にレミリア、涎が口から垂れてる」
口端を指して、白い跡を拭うように促す。すると慌てたように袖で拭い、レミリアは顔を少し赤くしてしまった。……別にこの程度のことで恥ずかしがることないのに。
「そ、その紅茶貰っていい?」
「これ?いいよ。元からレミリアのために淹れたんだし」
「そうなの、……ありがとう」
自分から紅茶を欲しがるのは予想外だったけど、まぁ飲んでしまえば同じだ。
レミリアの白く細い指がカップの持ち手に引っかけられ、口元に運ばれていき、縁に赤い唇が添えられて、くいっとカップが傾いた。液体がレミリアの口に入り、少し間を置いてコクッと、喉が鳴った。
「ふ、ふふふ、ふふっ」
飲んだ……飲んだな!?飲みやがった!!
腹の底から湧き上がってくる笑いが抑えられない。こちらを奇異なものでも見るかのように、若干引き気味なレミリアも気にならない。
「な、何よ。悪いものでも食べたの?」
「いや、最近は健康に気をつけてるから大丈夫。それに……どちらかと言うとそれはレミリアのことだよ」
かくん、と首を傾げ、脳内に?マークが浮かんでいる様子のレミリア。
まだか、まだこないのか。
「変なカルラ……あっ、ひ……っ!熱いっ!」
突然自身の胸を掴んで苦しがるレミリア。顔は赤く染まり、火照っているのが分かる。
来た来た。これは薬の効果が表れた証拠だ。飲んだ対象の全身を直火で炙るかのような強烈な熱が襲い、身体の血管をかき混ぜられているような感覚に陥る。
「あっ……つっ……ああっ!」
身体が異質ななにかに変わっていく感覚。
いやぁ、これ見てるだけでも相当苦しそうなのが伝わってくるが、実際に体験すると見た目以上の苦しさがある。何より苦しさもあるが、ある種の気持ち良さが伝わってくるのだ。自身の身体に書き加えられるのは、肉体面もさることながら精神面にも大きく影響するからである。
「ひいっ……んあぁっ!!」
両手で肩を搔き抱いてしまった拍子にレミリアが思わず取り落としてしまったカップを、地面スレスレでキャッチする。
「はっ、はっ、はあっ、」
頰を上気させ、息を荒くするレミリアを見て確信する。
もうそろそろ第2フェーズだ。
「なっ……んか、頭がっ、ムズムズする……」
不幸にも急激な体温上昇に身体が慣れてしまったレミリアは頭の違和感を訴える。
……始まったな。
ぴょこん、とレミリアの頭にあるものが生えた。
それは、私がかつてフランに望んだモノ。
21世紀を生きる紳士諸君が愛してやまない属性(偏見)。
私がこの薬を作った理由の根幹。
「ひうっ……!?」
ぴょこん、とさらに下半身からもあるものが飛び出た。彼女の気分にそぐわしいようにゆらゆらと揺れるさまが可愛らしいを通り越して尊く思える。
「にゃ、にゃにこれぇっ!?」
猫属性である。
◇◇◇
レミリアは最近目に見えて憔悴していた。
それは紅魔館の財政難を少しでも良くしようとしてくれている結果であり、それ故に日々奔走した代償であった。
私に財政難どうこうの難しいことはわからぬ。だからいつも頑張ってくれるレミリアを影ながら応援することにしたのだ。
しかし応援すると言えど、どういった形で応援しようかすぐには思いつかなかった。考えに考え、普段あまり酷使しないポンコツ脳みそを働かせて捻り出したのが、猫にして疲れを癒してあげようと言うものだった。
いや、誤解してはいけない。これは決して私の思考回路が奇天烈な形をしているわけではなく、かねてよりフランとレミリアのネコ耳姿をこの目に収めたいと思っていたのだ(我ながらそれもどうかと思うが)。
今回はその願望がレミリアを疲れを癒すという建前……げふんげふん、本来の目的のついでに出来るということに思い至った。
それからというもの暇を見つけては理論構築、開発、実験、失敗しては理論構築の練り直しを繰り返し行い、その薬はついに完成した。
ネコ化薬。私はそう名付けた。後になって恥ずかしさに悶絶するよりは単純な名前にした結果である。
そんな黄金色の粘性を持つ液体の効果は名前に違わず至極単純なものだ。ネコ耳が生え、尻尾が生え、性格が自由気ままで穏和になる。
「にゃあ?」
悩殺されんばかりの可愛さに呆気にとられていると、どうかしたの?と言わんばかりにこちらを見つめてくる猫レミリア。その所業に命の危機を感じて慌てて目をそらす。
「……っ!!あ、危なかった……」
し、死ぬ。こ、この猫、私を萌え殺す気なのだろうか。こてん、と首を傾げる動作。それ1つを取ってもネコ耳があるのとないのでは天地の差がある。
よく漫画やアニメで興奮して鼻血を噴き出すというなんともコメディアンなシーンを何度も、んなことあるわけないだろと思って見ていたが、今この瞬間、私の頭はグツグツと沸騰しそうなほど熱くなっている。それこそ無意識に鼻を抑えてしまうほどに。
息が荒くなり、血流がものすごい勢いで体内を巡っているのを感じることができる。 頭がクラクラして思わず床にぺたんと座り込んでしまった。
「にゃ〜あ♪」
レミリアが四つん這いになり、座り込んでしまった私の脇をくぐり顔を覗かせる。その拍子に柔らかなネコ耳が二の腕を擦った。
「ほ、ほわあぁ〜」
……柔らかい。柔らかすぎるっ!くすぐったさとともに何とも言えない幸福感で一瞬脳内が白く染まる。ここは天国か何かなのか。
「んっ、にゃんっ!」
敏感な知覚器官への刺激に身をよじらせ官能的な声を漏らすレミリア。しかしよじらせたことによってバランスを保てなくなり、ゴロンと、仰向けになってしまった。何だ何だ、ネコになると知能指数だけじゃなく、身体能力も低下するってのか。
いいぞもっとやれ。
邪な思いを抱きつつ、大丈夫かな、と思いそちらに目をやれば、
「にゃっ」
……やってしまった。
レミリアのクリクリとした目とエンカウントしてしまったのだ。真紅に染まった瞳は私をどこまでも魅了し、堕落させていく。少し視線を下にずらせば可愛いおへそがチラリズム。……もうダメだ。
可愛い愛らしい愛しい抱きしめたい撫でてみたい啼かせてみたいザラザラの舌で舐められたい膝枕してやりたい。
ありとあらゆる色んな欲望が私の思考を埋め尽くしていった。
そしたスリスリっと露出した太ももにレミリアがネコ耳を擦り付けてきた瞬間。
「ぐはぁっ」
限界が訪れた。
思考回路がショートし、使い込んだハードディスクのように熱々の頭は猫レミリアの可愛さによってキャパシティを超えてしまったのだ。
物を壊すのはフランの専売特許だが、理性を破壊するなら猫レミリアが一番かもしれない、などと場違いなことを考えながら、鼻から破損したパイプのごとき勢いで血を吹き出し、意識を失った。
しかしそんな中、私の桃色の脳内では幸福指数はうなぎ上りに上昇し、限界点を突き抜け宇宙まで達したのだった。
◇◇◇
それは狂気的な光景だった。
「どういうことなの……」
この世の誰にも説明できないとわかっていながら、説明を求めるような言葉を発してしまった私は悪くない、と思いたい。
「これ、は……生きてるの、よね?」
いつのまにか寝てしまったようで、気持ちよく起きることができたかと思えば、目の前に血の海が広がっていた。
その血の海を創造したのは、口をだらしなく開き、恍惚とした表情で、ぴくぴくと痙攣しているカルラだ。時たまビクッと大きく跳ねて鼻から血を吹き出している。
「……分からない分からない」
何がどうなってこの光景が作り出されたのか全く想像がつかない。私の能力は過程を見ることはできないし。
私は、恐らく寝落ちしたのだろう。それは覚えている。真綿で首を絞められているような紅魔館の財政に頭を抱えて、知恵熱を出して、眠くなって、一回寝ようと思ったところまでは覚えているのだ。
そして、その後どうなったか……覚えていない。流石に床に寝転がりはしなかっただろうから、何かはあったに違いない。
問題はその内容だが、何故だか物凄く恥ずかしい体験をした気がする。今までにないほど。
「……ん?」
無意識に手が頭に伸びたことに疑問を抱く。頭を触るようなことあったか?しかし何だか不思議な感覚だ。あるべきものがないような、無い方が普通だったような。
しばらく頭を捻れど答えは終ぞでなかった。