吸血鬼は流水が苦手である。
そのルーツはキリスト教における洗礼(川の流れにより罪を洗い流すという意味合いを含む)や水に流すという慣用句に由来する。存在自体が罪と見なされる悪魔にとってそれらは天敵である。
しかし勘違いされやすいのだが、吸血鬼が苦手とするのはルーツから辿っていくと、流れる水であり水全般が苦手というわけではない。
そしてその流水という定義に雨はどストライクにハマっているわけで、まぁ、何が言いたいかと言えば、
「外に出れないー」
吸血鬼にとって雨というのは見てるだけで気が滅入るのである。
ある日の昼下がり、ざあざあと結構な勢いで雨が降っているのを眺めるのに飽きた私は図書館を訪れていた。
なんとなく、……本当になんとなく目についた『猫の飼い方』という本を読んでいたところ、珍しいことに美鈴が入ってきた。まさか活字の魅力にでも目覚めたのだろうか。
あまりの珍しさに目をパチクリさせていると、
「お客さんが来たんですが、どうしましょう?」
「客ぅ?」
予想の斜め上の言葉が出てきた。
客……客とな。こんな辺鄙なところに誰を訪ねに来たのか。物好きな奴もいたもんだ。
「というかそういうのはレミリアに……」
「報告しにいったんですが、ぐっすりだったので」
「……そう。それでそのお客さんは?」
見るに、美鈴は一人でここまで来たようだ。応接間に案内したとすれば紅茶の一つでも持っていかなければ。
「あー、門の前で待ってますが」
「WHY!?」
客人を外に出したままここに来るやつがいるか?というか門番として門を開けるのはどうかと思う。
「だって誰かが訪ねてくると事前には聞かされてはいませんし、それでは本当に客かどうかも分からないじゃないですか。だから敷地内には入れなかったんです」
「ぐっ……」
美鈴は門番である。故に門を離れる事は職務の放棄を意味する。しかし門からここに来るまで、ひいてはレミリアか私を訪ねるまでには距離が存在するのだ。
よって客人が訪ねてきた時、その客が予定に組み込まれていたものかどうかの確認ができない場合、美鈴は確認取るために門を離れなければならず、その間客人を外で待たせる羽目になる。
つまり今までは人が訪ねてくる事はなかったので気付かなかったが、美鈴からレミリアや私まで到達するまでに中間管理職が必要だったのである。
「……分かった。玄関で会うから連れてきて」
「了解です」
発覚した致命的な職務の穴は後で考えるとして。
さて、誰だろうか?
「求人募集のチラシを見たもので、こちらで働かせてもらえないかと」
私の前に佇んでいる少女の第一印象は冷淡や淡白、といったあまり人間味を感じさせないものだった。
青と白の所謂メイド服に髪をまとめているカチューシャ。髪自体も銀髪で、陶器のように白く美しい肌と合わさり、冷たい印象を助長している。
さらには先ほどの言葉も無表情のまま、口元だけが機械的に動いていたのも冷たさを感じさせた。年は十代前半といったところか。
「求人募集のチラシ……そういえばそんなの張り出した気がしなくもない」
いつかの時に料理ができる人材が欲しいと思い、チラシを近くの街に適当に張り出したのは事実だ。
張り出す時に、人が来てしまってはふとした時に食料に早変わりしそうだと、ある程度の力を持っていないとチラシを見えないように細工した覚えもある。
「なるほどね……まぁいいや、上がって」
「お邪魔します」と一言断って入ってくる様はどこか洗練されたように感じる。
ふと、一瞬だけ血の匂いが鼻腔をついた……気がしたが、まぁそういうこともあるだろうと、特に気には止めなかった。
本来の職務に戻る美鈴を尻目に少女を応接間に案内する。
「ここの主人は貴女様ですか?」
機械的な印象を抱いていたがために、話しかけられたことに少し驚いた。……そしてその質問にはどんな意図があるのか。私ではここの主人っぽくないということなのか。
「……いや、ここの主人、つまりあなたの雇い主は私の姉のレミリアになる」
「なるほど……」
なにがなるほどやねん。どこに納得する要素があったし。
釈然としない思いを感じながら通りがかった妖精メイドに、レミリアを無理矢理にでも起こして応接間に寄越すことと、ティーセット一式を持ってくるように言付けておく。
「……今のは?」
「ああ、ここで雇ってる妖精。うちのバカ当主がアホな契約結んじゃったけど、こあ……小悪魔がメイドに仕上げてくれたの」
「はぁ……メイドですか……」
大変だったんだぞ全く。
奴らはどこで遊ぼうとも必ずといっていいほど何かを壊し、何かを汚し、しっかり後片付けをしていく。
小悪魔がいなければ紅魔館は本格的な遊び場になっていたに違いない。
「レミリアが来るまで少し待っていようか。紅茶、何がいい?」
「いえ、お構いなく」
「私が飲みたいの」
応接間に着くと、少女にソファに座るように促す。が、なかなか座ろうとしなかったので諦めた。曰く、主人より先に座るのはあまりいい心地がしないからだとか。
契約もまだなのに律儀なことだ。
「そういえばコック志望だっけ?」
「ええ、一応」
「お客さんにやらせるのは申し訳ないんだけど、紅茶淹れてくれない?少しプロが淹れたのがどんなもんか気になってね」
「……構いませんよ」
素人が淹れたのとプロが淹れたのではどう違うのだろうか。いつもなら普通にティーカップにお茶っ葉を入れるのだが……変わらない。うん、見た感じ普通に淹れている。
それと……何というか今更だが、寡黙……だな。この子。原稿用紙一行分も喋ったの最初ぐらいじゃないか?
「……どうぞ」
「いただきます……」
ゆらゆらと湯気が見てとれるカップを手に取る。そのまま口へ運ぼうとして、ふと視線を感じる。
「……そんなに見られると落ち着いて飲めない」
「それは失礼」
まぁ、気になるのは理解できるが。
それに……何だ。近くに人の目があると紅茶一口飲むだけでも緊張するな。普段ならちょっとぐらい音を立てても気にしないんだが、気品がないところをあまり見せたくない。
慎重に一口だけ、ちびりと飲む。
「……美味しい」
「恐縮です」
いつものとどこか違う。しかしそのどこかのお陰で美味しく感じる。具体的に挙げられないのは私の舌が肥えてないせいだろうか。適当なことを言うと味音痴がバレるので詳しくは言わないでおこう。
「待たせたわね」
少女の紅茶をなんて褒めようか、頭を悩ませていると漸くレミリアがやって来た。
「紅魔館の当主、レミリア・スカーレットよ」
「本日はよろしくお願いします」
こちらにちらと視線を送った後、優雅さを感じなくもない(悔しいことに)作法で一礼するレミリア。それに見劣りすることのないほど綺麗なお辞儀をする少女。二人の仕草にそこはかとなく疎外感を感じる私。
「妹のカルラですよろしくー」
しかしこういう上品さというのは、一人ぐらい雑な奴がいるから際立つのではないかと思い適当な挨拶にしておいた。……レミリアの視線が痛い。
「はぁ、まぁいいわ。貴女がうちで働きたい、というのは聞いたのだけれど、そもそもコックを募集していたことをさっき知ったのよ」
少女は目をぱちくりさせ、私に刺さる視線が二人分になった。
「小悪魔を呼び出した時も相談なんてなかったし……どういうことかしら?」
「良かれと思ってやった。後悔はしてない」
「少しぐらいしなさいって」
……確かに一言ぐらいは相談しても良かったかもしれない。一応ここの当主であり色んなことを仕切っているのだから、人事の把握は大事なのだろう。
次からちゃんとレミリアに相談することを約束してから、やっと面接に移る。なんでわざわざ求人広告を出したかって、これがやりたかったのだ。
「さて、……面接をやる必要があるかどうか分からないのだけれど、やっときましょうか」
「改めてよろしくお願いします」
「ええ、よろしく。全く、カルラとは天地の差ね……」
あーあー、聞こえない聞こえない。
「まず、貴女の名前は?」
「私に名前は、ありません」
思わぬ答えにガクッと肩を落とす。せっかく面接が始まろうというのに、出鼻を挫かれた気分だ。
レミリアもそれは同じだったらしく、呆れた顔をしている。
「ないって……そんなわけないでしょう」
「いえ、正確には捨てた、という表現が正しいです」
どうしようこの子、といった目でこちらを見てくるがなんとも致し難い。どうも面倒くさそうな気がしたのだ。
そこで質問を変えるように提案してみる。
「そうね、ここに来る前は何をしていたの?」
「……言えません」
「……ねぇ、こいつ不採用でいい?」
落ち着け。逆に考えよう、人には言えない事情を抱えているということは、ミステリアスって感じがしてなんか良いと。
「それはちょっとこじつけが過ぎるわね。……えーと、なんか特技とかある?」
「特技……ですか。時間を弄る事ぐらいしか」
特技……多様性というより、独自性が求められるここ、紅魔館では重要な要素である。……とか、適当なことを考えていた矢先、とんでもないことを言い出した。
「時間を弄る?え、それ本当に言ってる?ちょっとなんかやって見せてよ」
「そうですね……これでどうですか?」
何か変わったか……おお、空だったカップに紅茶が入っている。え、何これどうやったの?
「時間を止めて紅茶を淹れただけですよ」
「おー!」
魔法を使うところは見られなかった。本当に時間を止めたとしか思えない所業に思わず拍手を送ってしまう。
つまりはこの少女という個体そのものに備わった力、能力である。
「採用!」
「え、こんなのでよろしかったのですか?」
「全然いい。むしろ最高だね!」
「私の意思は……いや、なんでもないわ」
レミリアも瞬間的に目の前に並べられた紅茶を飲んで、採用を決めたようだった。美味しいだろう?でもなぜ美味しいかは分からないんだよな。
「でも名前が無いと不便だよね」
「そうね、なんか希望の名前はある?無かったらこっちで勝手につけるけど」
「え、」
それはどうかと思うのだが。レミリアのネーミングセンスは私が一番知っている。もしかしたらこの少女が生涯背負っていくかもしれない名前なのだ。
レミリアが名付け親なんて!もはやそれは拷問である。呼ばれる度に羞恥の念に苛まれかねない。
「いえ、特に希望はありませんが」
「そう、それじゃあ……」
「ストップ!」
早速名付けようとするレミリアを慌てて止める。危ない危ない。
レミリアは忙しいのだから私が代わりに決めておく、という主旨のことを懇切回りくどく、レミリアのご機嫌とりをしながら説明すると、なんとか納得してくれた。
「私が名前付けたかったのに……」
ダメだ、絶対にダメだ。そんな拾ってきた猫に名前をつける感覚のレミリアに任せてはダメだ。
レミリアはなおも心残りがある様子だったが、あとは任せると言って出て行ってしまった。
では任されたので話を進めるとしよう。
「えーと、チラシに書いてあったと思うけど、休暇と給料はどうする?出来るだけ希望に添えるようにはするけど」
「要りません」
「……そりゃ、またどうして」
「私にはどちらも使う機会が無いので」
なんだこのワーカーホリック少女は。そんなものそっち側になんの利益もないではないか。
「ただ強いて希望を挙げるとすれば、」
「うんうん」
「ここに住み込みで働きたいのです」
重度の仕事依存患者だったようだ。
「……いや、それはこっちとしても願ったり叶ったりなんだけど、本当にいいの?」
「構いません」
こうして、メイド服を着て、銀髪で、無表情で、原稿用紙一行分くらいしか喋らず、礼儀もしっかりしていて、名前も事情も語らず、休暇も給料も要らない、なんとも便利、といっては失礼かもしれないが重宝しそうなコックが住むことになった。
「それじゃあ、これからよろしく」
「お世話になります」
ついでに少女の名前はそれから少しして決まった。
ーーーー十六夜 咲夜
なかなか進もうにも進まないという意味の
十六夜の昨夜で十五夜、つまり満月を指す。
夜を彩る月と共にある吸血鬼の従者としては、なかなか洒落が効いたいい名前じゃ無いかと思う。自分で言っては台無しな気がするが。
もしレミリアが付けようものなら、横文字の痛々しいものになっていたに違いないと思い、おぞましさでぶるりと震えた。