旅禍、という言葉がある。
尸魂界の侵入者を指す言葉であるが、その旅禍の一派が虚圏にも侵入したらしい。
茶渡泰虎。
石田雨竜。
黒崎一護。
これに崩姫として囚われた井上織姫はかつて尸魂界に侵入し暴れまわったという事を藍染は語った。その折、迎撃に打って出ようとしたグリムジョーを藍染が諫める場面があったが、それ以外は概ね平常運転であったと言えるだろう。
ただ、藍染の指示で件の侵入者の姿を捉えた映像が映し出され、黒崎一護の姿が出た途端に幾人かの十刃が自分の方向を見たのをアーロニーロは感じてうんざりしたようにため息を零した。
「……やっぱ似てんなぁ。おいアーロニーロ、ありゃお前の子孫かなんかじゃねえのか?」
口々に十刃達が所見を述べる中、ノイトラが唇を釣り上げてそう言った。以前、ウルキオラの現世調査の報告会でも問われた内容だった。
「前にも言っただろノイトラ。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。少なくとも俺には見覚えはねえって」
「はっ、そうかよ。まあ敵であることには変わりねぇか。それにしても弱そうだけどなァ」
「ええ、その通り。いくら似てるとは言ってもまったく別の存在であり、藍染様に仇なす敵であることに間違いありません」
ノイトラの発言に珍しくゾマリが追随する。ノイトラの言葉は多くの十刃の心境を代弁してものだった。黒崎一護とアーロニーロの容貌は兄弟と言って差し支えがないほど似通っている。
破面という存在は元々虚であり、虚という存在は元々人間だ。であるならば、黒崎一護がアーロニーロの血縁であるという可能性はまったくのゼロではない。
アーロニーロも黒崎一護という名前に聞き覚えがあるわけではない。ただ、一つ心当たりがあると言えばある。
「ま、単純に他人の空似っていう可能性もある。なんでも3人くらいは自分と同じ顔がいるらしいからな」
「……軽口が叩けるなら大丈夫でしょう。しかし、奇妙な縁でもあったものですね。似通った容貌の敵が侵入者としてやってくるなど、どこか運命めいたものを感じませんか?」
「……ああ、そうかもな。運命ってのはどうも存在するらしい。それも結構な悪趣味と来た」
揶揄するようなゾマリの物言いにアーロニーロは皮肉で返す。もし予想通りであれば随分と意地の悪い真似をしてくれたものだ。
「……すまない。追加の情報だ」
混沌とした場の中で藍染は静かに話し始めた。肌が栗立つ程の力に満ちた言葉にそれまで好き勝手に話していた十刃全員が黙った。
「尸魂界からの援軍と合流したようだ。六番隊副隊長の阿散井恋次と十三番隊所属の朽木ルキア」
再び映し出される映像。そこには懐かしい顔があった。
「……よりによってお前が来るのかよ」
独り言のようにそう呟く。小さな声を隣に座るハリベルだけが拾っていたようだ。訝し気な顔をするハリベルをアーロニーロは無視した。
「二人だけですか?援軍にしては随分と少ないようですが」
「副隊長にもう一人に至っちゃ隊長格ですらねえのかよ。この程度で攻め込むなんざ正気か?」
ゾマリとノイトラの言葉も最もだ。敵が犇めく本拠地にこんな少数で攻め入るなど正気とは思えない。
「まあ、連中は4人で尸魂界に攻め込んだって話だから、対多数には慣れてるってことじゃないかな?最も、攻め入るリスクとそこから発生するメリットが見合っていないように思えるけどね」
「仲間を助けるためにのぉ。戦力差すら考えられんとは、ここまで来ると愚かじゃな」
ザエルアポロとバラガンも同意する。程度の差こそあれ、凡そ十刃の中での見解は一致した。
「―――さて、十刃諸君。敵は5人だ。侮りは不要だが騒ぎ立てる必要もない。各人、自宮に戻り平時と同じく行動してくれ」
「アーロニーロ」
藍染の命令により自分の宮にて待機が命じられた十刃達だが、一人アーロニーロだけが向かう方向が違っていた。
「藍染様は自宮での待機を命じていたが、貴方はどこに行く気だ?」
実に生真面目に咎めるハリベルにアーロニーロは一つ笑みを零した。
「別に命令違反とかじゃないぜ。噂の崩姫サマに少し会ってくるだけさ。ああ、これは藍染様の許可も取ってる。そうだろ、ウルキオラ」
「……ああ。藍染様の許可はある。手早く済ませろ」
「分かってる分かってる。お前の邪魔にはならんさ」
「……」
ウルキオラは黙って自分の宮に向かっていった。件の崩姫はウルキオラの宮近くの牢獄に囚われており、その扱いは一任されていた。
「何故会う?その特殊能力故に見出されたが、それ以外は凡庸だろう。貴方が会ったところで益があるとは思えないが……」
「確かに直接的な利益があるわけじゃねえ。ただ、崩姫様も旅禍の一員だったんだろ?その時の話を聞けるかもって思ってな。まあ、言ってみりゃ興味本位だ」
「侵入者の戦力を聞き出すための尋問……というわけではなさそうだな」
「ああ。流石に素直に聞いて教えてくれるほど間抜けでもないだろうし、丁重に扱うようにっていう藍染様の意向に逆らうわけじゃねえさ。ただ、話を聞いてみたい」
何故そのような行為に及ぼうとしているのか、アーロニーロ自身良く分かっていなかった。興味本位であることは嘘ではない。しかしそれ以上に強烈な感情に突き動かされた衝動に身を任せていた。今更、そんなものを知ったところでどうしようもないのに女々しくも未だに過去を追い求めているのだ。
「ま、聞いてどうなるってわけでもないんだけどな」
本当にその通りだ。どうにもならない過去を追ったところでどうなるというのか。それを理解していながらも突き動かされる自分には―――成程、新しく与えられた死の形は丁度良いのかもしれない。
「そんなわけで、じゃあなハリベル」
「待て。私も行こう」
「……は?」
思いもよらない台詞にアーロニーロは一瞬硬直し、間抜けな声を上げた。
井上織姫はこちらに近寄る気配を感じ取って身体を委縮させた。牢獄の中は思っていた以上に快適であるが、囚われの身であることに変わりない。今は無事であっても次の瞬間にはどうなるか分からない。破面は人型の姿をとっているとしてもまったく別の生き物であると、織姫は身をもって理解していた。
上半身を吹き飛ばされた中性的な破面のことを思い出す。
次は自分がああなってしまうかもしれない。そう感じさせるほど殺伐とした世界に囚われていると認識すると恐怖から身体が震えた。
足音が近づいてくる。恐らく二組だ。それは牢屋―――とても牢屋とは思えない快適な空間ではあるのだが―――の前で止まった。
扉が開く。そこにいたのはフリルのような袖と襟が特徴的な死覇装を纏った破面。細長い仮面で顔全体を覆っていて、肌の露出はまったくないため、性別も定かではない。
その影に隠れるように、もう一人が顔を覗かせる。金髪に褐色の肌。口元まで覆われた死覇装で顔全体を見ることが出来ないが、それでも分かるくらい妖艶な雰囲気を纏った美人だ。
「―――よう。気分は……そりゃ良くないか。……あー、変なこと言って悪かったな」
仮面越しにくぐもって聞こえた男の声は意外なほど気安く、織姫は戸惑った。
「別に取って食おうってわけじゃないから安心しろ」
破面はそう言って適当に置かれたクッションに腰を下ろす。
「よっと。……なんだよ。俺が普段使いしてるやつよりいいもんだぞこれ」
そう言いながら破面は仮面を取り外した。
「……え?」
思わず、戸惑いの声が漏れる。仮面の下にあった顔は織姫が良く知っている顔に良く似ていた。
「黒……崎君?」
無意識のうちに名前が零れる。
「あー悪いけど俺はその黒崎ってやつじゃあない、別人だ。俺はアーロニーロ。アーロニーロ・アルルエリだ。アンタの名前は?一応知ってるが、こういうのは本人の口から聞くべきもんだと思ってな」
言われてみればその通りだ。造形の大枠では似通っているが、細部まで目を凝らすと違いが多くある。しかし髪の色を除外して遠目に見れば間違えてしまうだろう。
「い、井上織姫です。……あの、アーロニーロさんって黒崎君の親戚だったりとか……」
「さあな、それは俺にも分からん。っていうかハリベル、お前も立ってないで座れよ」
「いや、私は止めておこう。万が一、ということもありえる。……一応私も自己紹介をしておこう、崩姫。私の名はティア・ハリベルだ」
ハリベルと名乗る女性は硬い口調で唯一の出口を陣取っている。そこで織姫が逃げ出さないように見張っている。
「硬ったいなぁ。抜けるところは抜こうぜ。そんなんじゃ身体が持たねえよ」
「常在戦場だ」
「抜くときに抜くってのも戦士に求められるもんだと思うんだけどな……」
呆れたようなハリベルの口調。二人の破面の言葉は気安く、僅かな言葉のやり取りの中からでも信頼が見て取れた。
「……あの、お二人とも何をしに来たんですか?私に何か用事でもあるんですか?」
恐怖感は多少薄れた。ただ意図の見えない訪問が織姫の心を不安にさせていた。それに二人から感じる霊圧は強大だ。ただの雑用の破面とは到底思えない。
「私はただの付き添い、用事があるのはアーロニーロの方だ」
「おう。ま、そんな身構えんなよ。俺はちょっと話を聞きに来ただけだ」
「話し、ですか?」
「ああ。旅禍……黒崎一護とその仲間達の話をな」
「それは……尋問ということですか?」
「あん?違えよ。別に情報を掠め取ろうとか、そういう意図はねぇ」
恐る恐る尋ねた言葉はアーロニーロによってあっさり否定された。織姫は思わず拍子抜けした。
「……ええと、なら聞きたい内容っていうのは?」
「人となりさ。どういう奴らなのか、俺はそれが知りたい」
それは一体なんのためだろうか。例えば斬魄刀の能力であったりであれば事前に情報を仕入れておくことで対抗策を講じることが出来るだろう。ただ人となりとは性格や価値観といったものだ。何故そんなものを聞きたがるのか、織姫には理解出来なかった。
ただ、その言葉が嘘とは思えなかった。これまで会った破面の中でも穏やかな霊圧をしているからだろうか。一護と容貌が似ているからだろうか。
絆されてしまったといえばそうなのだろう。
「黒崎君達は―――」
ただ、不思議なことに思いのほか唇な滑らかに動いた。
「それでそれで! そこで黒崎君がズキューンって!」
「お、おう。そうかズキューンか。そいつは凄い」
思いのほか、喋りすぎた。気づけばアーロニーロの顔は引き攣って、ハリベルはどこか呆れた顔をしていた。
何せ異様なほど抑圧された環境下だったのだ。その反動もあってのことだろう。多分。
「す、すみません。なんか興奮しちゃって……」
「いや、それは別に構わねえが……井上は黒崎のことが好きなのか?」
「ええ!?」
「いや、なんでそこで驚く?口ぶりからそうとしか思えなかったんだが……」
寧ろその答えに辿り着かない方がおかしいだろう。何せ織姫の口の7割程度は一護に関するものだった。
「べべべべ別に黒崎君のことなんて好きでもなんでもないんだからね!」
「……良く分からんが現世ではこういうのが流行なのか?どう思うハリベル」
「私にそんなことを聞かれても困る」
「そりゃそうか。……ああ、井上。黒崎達のことは良くわかった。それで一つ、真面目に聞きたいことがある」
佇まいを直したアーロニーロに織姫も自然と腰が伸びる。
「朽木ルキア奪還のために態々尸魂界に乗り込んだっていうのは俺も藍染様から聞いた。だが朽木ルキアと交友があったのは大した期間じゃないだろ?なんだってお前達はそこまで出来た?困難な道だってのは初めから分かっていただろう?」
「……それは」
改めてその軌跡を辿ると確かに無謀とも呼べるものだったかもしれない。そしてそれはアーロニーロの言う通り過酷な道のりであることは分かっていた。
ただ、その時に躊躇いはなかった。
ごく自然と命を懸けていた。そうするべきだと心が叫んでいたから。
愚直なまでに真っすぐな一護を守りたいから。それが大きな要因としてあったことは間違いない
ただ、それは黒崎一護という人間に現を抜かして流されるまま安直に道を選んだというわけではない。根底にあるものはもっと単純で、だからこそ大切にしたいものだ。
「朽木さんを助けたかったからです」
ただ、きっとそれだけなのだろう。今ならそれがはっきりと言えた。
「……短い時間での付き合いだ。お前が命に足る理由なのか?」
「はい」
迷いなく即答した織姫にアーロニーロの方が狼狽した顔を見せた。
「私と朽木さんは確かに長い付き合いではありませんでした。でも友達で、仲間でした。だから私は命を掛けました。……私にとってそれ以上のものは必要なかったんです」
「……そうか。そうなのか。嗚呼、それは―――」
最後の言葉は聞こえなかった。ただ、その表情はとても印象的だ。
それこそ赤子を捻るかのように自身を殺し得る破面。強大な力を持ったはずの存在は弱弱しく微笑んでいた。
嬉しそうに。悲しそうに。そして救われたのように。