十三番隊所属朽木ルキア。
席次はなく、階級だけでいえば護廷十三隊に数多いる平隊士の一人に過ぎない。
席次とは戦闘能力を測る絶対的な基準ではない。それぞれの隊ごとの特色があり、その中での評価が席次に直結するからだ。
ただ、根幹は変わらない。今では役割が細分化しているとはいえ、護廷十三隊とは戦闘集団だ。
四番隊のような例外はいくらでもあるが―――基本的に戦闘能力が高ければ上に登れるシステムであることは間違いない。
だから朽木ルキアは弱い、というわけではない。ルキアもまた例外であり、並みの席官を凌駕する実力を持ちあわせている。それがルキアにとって密かな自負であり、まごうことなき事実でもある。
しかしその実力も隊長格に及ぶものではないというのもまた認めざるを得ない事実だった。少なくとも日番谷冬獅郎が率いる先遣隊の中では自身の実力が一番劣るだろうということは自覚していた。そしてそれが密かな劣等感を生み出していた。
より正確に言えばその劣等感を生み出す対象は阿散井恋次と黒崎一護の二名だ。
二人ともかつては肩を並べ、或いは背中を任せる間柄だった。それがいつからか背中を見るしかなくなった。
黒崎一護や阿散井恋次は前にいる。たった一人自分だけが取り残されている。
そのことが純粋に悔しかった。
ただ、ルキアの冷静な理性は悔しいという感情は悪いものではない、と訴えていた。
その感情は己を飛翔させるための要素であり、その気概を失わずに経験を積めばもっともっと強くなれるといつだって信じている。
とはいえ、ルキアが単純に戦闘力において二人に対して劣っているのは非常に業腹ながら認めざるを得ない事実であり、だからこそ虚圏に乗り込んだルキアには一切の油断も慢心もなかった。
自身が為す術もなく敗北したグリムジョーですら第6十刃だ。刀剣開放によって飛躍的に戦闘能力が向上することを考慮すれば破面の大多数が格上だろう。
自らの劣等感やらもやもやした感情には一旦蓋をした。そもそも潜入した目的は十刃の打倒ではなく、井上織姫の救出だ。
―――弱腰になるわけではないが、出来るだけ戦闘は避けた方が良い。
朽木ルキアは黒崎一護のような才能があるわけではない。
朽木ルキアは阿散井恋次のように卍解が使えるわけではない。
自分の弱さは良く知っている。だからこそ冷静にそう判断した。
その歯車が狂ってしまったのは茶渡泰虎の霊圧が大きく揺らいだ時だ。
泰虎もまたルキアにとって仲間であり、見捨てるという選択は選べなかった。
出来る限り霊圧を隠して行動していたが、速度を重要視し隠密を解く。そうして辿り着いたのは室内に浮かぶ太陽だった。有り得ない状況に困惑し、一瞬周囲への注意が散漫になった。
僅かであるが明確な隙。敵はそれを見事に突いてきた。
「―――教えてやろうか?」
くぐもった男の声。ルキアが咄嗟に振り向くと顔全体を覆う細長い仮面を付けた破面がいつの間にか佇んでいた。
―――響転か!
死神の瞬歩、滅却師の飛廉脚に相当する破面特有の高速移動術。
ルキアが柄に手を伸ばす前に胸倉を掴まれ、次の瞬間には宙を舞っていた。
一瞬のうちに目まぐるしく変わる視点。それでもルキアは態勢を整え着地する。
放り投げられた場所は宮の中。光源は仄かに照らす炎程度で、先ほどまでの明るい太陽があった場所と比べると冷たく、暗い。
背後で聞こえる扉が閉まる音。ここまで来れば引きずり込まれたことは明白だ。
「悪いな。今はそうでもないんだが、昔はあの陽の光ってやつが苦手でな」
響転で先回りしたのか、薄暗闇に浮かぶ亡霊のように仮面姿は宮の高台にあった。
つい手癖で、と気安く声を掛けてくる破面にルキアは柄に手を遣り、臨戦態勢に入る。注意が散漫になったというのは言い訳だ。単純な速度であれば恐らく彼方が上。であれば背中を向けて遁走するのは悪手どころか自殺行為だ。
「ま、自己紹介でもしておくか。……俺の名はアーロニーロ。第9十刃、アーロニーロ・アルルエリ」
「十刃―――!」
十刃。藍染惣右介が擁する破面の上位集団。第9十刃ということは十刃の序列としては下から数えて二番目で、十刃の中ではまだ与し易い相手といえる。ただそれはあくまで十刃内では、という前提が付いた話であってルキアからすれば自身より強大な難敵だ。
思わず腕に力が籠る。自身の斬魄刀である袖白雪を鞘から引き抜き、下段に構える。
敵の能力も何も分からない中、無策で突っ込むわけには行かない。
相手の出方を待ち、もし可能であれば速やかに撤退する。
それがルキアの打ち出した当座の方針だった。
「……おいおい。俺が名乗ったんだからお前も名乗れよ。お前はどこの誰だ?」
「……十三番隊所属、朽木ルキアだ」
友人に向けるような気安い声にルキアは違和感を抱きながらも不信感を強めていた。
「十三番隊ねぇ。で、何席だ?隊長じゃねえのは分かる。三席……いや、もしかして副隊長か?」
「……私に席次はない。無席だ」
「なるほど、下っ端か。しょっぱいな」
「貴様……!」
残念そうな声にルキアの中の苛立ちが高まる。発言の意図としてはもっと強い死神と戦いたかった、ということだろうか。何れにせよ朽木ルキアという死神は侮られている。
「舐めるなよ、十刃。その下っ端の一隊士に敗北してみるか?」
「……へぇ、悪くねえ霊圧だ。さっきの鯱張った態度よりずっと良い、それでこそだ。俺も腰が引けた奴を斬る趣味はないからよ。……さて」
アーロニーロも斬魄刀を引き抜く。切っ先だけ炎を反射して怪しく光った。ゆらり、と揺れるように斬魄刀を構える。
「そろそろ始めるか。……簡単に負けるような無様を晒すなよ。お前の全身全霊を持ってかかってこい」
その言葉を合図に剣戟の応酬が始まった。
「どうした! そんなもんか、朽木!」
「ク……!」
ルキアが受け止めた刃は力で押され、強制的に後ろに押しやられる。間髪入れず飛んできた二撃目を逸らし、反撃の一手を打つ。
「軽い!」
それをアーロニーロは易々と受け止めた。再び押し出されたところに今度は鋭い襲撃がルキアに襲い掛かる。剣の腹で辛うじて防禦は間に合うが衝撃を殺すまでは至らず、ルキアは地面を滑るように飛んだ。
「……どうする。馬鹿正直にやっても俺には勝てないぜ?そろそろ分かっただろ」
「黙れ……!」
追撃は来ない。諭すような口調で語りかけるアーロニーロにルキアは悪態をつきながら立ち上がった。既に息が荒いルキアに余裕綽々なアーロニーロ。何方が優勢かなど一目瞭然だ。
―――強い……!
低い序列とはいえ十刃だ。強いというのは初めから分かり切っていたが、その強さはルキアの想像を超えていた。
力では勝てない。剣術でも勝てない。迅さでも相手が上だ。
刀剣開放すればどれほど能力が向上するか分かったものではない。ルキアも始解を残しているとはいえ、地力に圧倒的な差が存在していた。
ただ、始解はまだ出来ない。ルキアの袖白雪は鬼道系の斬魄刀だ。分かりやすく身体機能が向上するものではない。今ここで始解をしても速度で負けている以上、容易に決定打を与えられるとは思えないし、最悪は意味もなく情報を明け渡すことにもなる。
ならば残された手段は―――。
「―――破道の四!」
「!」
「白雷!」
ルキアの指先から放たれた一条の光線がアーロニーロに飛来する。
「なるほど! そういや死神は鬼道が使えたな!」
相手の反応を見るため、牽制程度に放った白雷だ。ルキアもそのまま直撃するなど楽観的なことを考えたわけではない。案の定、それは掠りもせず躱されたが、ルキアはそこに光明を見た。
恐らくではあるが、鬼道は破面にはない技術だ。藍染達がいる以上、鬼道を見たことがあるかもしれないが、知識量や経験量はかなり少ないはずだ。そうであれば多彩で豊富な種類を持つ鬼道は一定の効果が見込めるかもしれない。
そして、もう一つ。
ルキアには気がかりなことがあった。
いや、最初から違和感はあったがそれを些事と考え捨て置いていた。
『悪いな。今はそうでもないんだが、昔はあの陽の光ってやつが苦手でな』
反芻するのはルキアに投げかけられたその言葉。その言葉を完全に信じるわけではない。ただ、断片的にではあるがそれを証明するかのような状況証拠も揃いつつある。
―――昔は陽の光が苦手だった。今は克服したのか?しかしだとするとそれはそれで妙だ。奴は何故私を態々暗闇に引きずりこんだ?完全に克服したわけではないのか?そもそも何故奴は刀剣開放しようとしない?……解放するまでもないと慢心しているのか?確かにそうかもしれないが、他に理由があるとすれば?
一度思考に入れば不審な点はルキアの推察を後押しするように幾らでも出てきた。
―――これまで見てきた破面は少なくとも顔の一部は必ず露出していた。しかし奴だけは違う。顔全てを覆うような仮面だ。それに死覇装も一切の露出がない。まるで、陽の光を恐れているかのように。
「……」
疑心は膨らむ。そしてルキアは決断をした。決定的な証拠はない。博打に近いものがあるとしても、これは単なる運任せではない。ならば、それを行う価値はある。
「鬼道のことは正直頭から抜けてたが、俺達の勝負は霊圧の勝負。生半可な鬼道は俺に通用しないぜ?さぁ、次の一手はどうする?」
確かにそうだ。死神も破面も霊圧の高さが勝負を決定づける。ルキアが持つ最高威力の破道を直撃させてもそれが致命傷に至るかどうかは疑問の余地がある。ただ、ルキアがこれから行うものはアーロニーロを直接傷つけるものではない。
「……破道の五十八、闐嵐!」
「そいつは―――!」
初めて、アーロニーロの声に焦りが混じった。ルキアの掌から放たれる竜巻。それ自体に大きな殺傷能力があるものではない。鬼道の達人ともなれば鎌鼬の如く敵を切り裂くが、ルキアにはまだそこまで高等な事は出来ない。風を絞り、風量を上げることは可能だ。敢えて制御を放り捨てた闐嵐の勢いは増していき、宮全体を猛烈な強風が吹き荒れる。
しかし、ただそれだけだ。殺傷力を切り捨てたことで風の強さは増したが、アーロニーロほどの強者であればなんの意味もないはずのものだ。
しかしアーロニーロが取った行動は防禦だった。腕を仮面の前で交差させ、守る。仮面が剥がれるのを恐れるように。
今、疑心は確信に変わった。
「縛道の四、這縄!縛道の三十、嘴突三閃!」
相手の動きを阻害するための下級、中級鬼道。縄状の霊子が纏わりつき、交差させた両腕を拘束していく。更にその上から三つの嘴がアーロニーロの身体を捉え、壁に縫い付けた。
「チィッ! やるじゃねえか、朽木! だがこんなもの直ぐに―――!」
詠唱破棄した縛道に長らく相手を留めておくほどの効力はない。アーロニーロほどの相手であればすぐに抜け出すだろう。しかし多少の時間が稼げれば十分だ。
「―――破道の三十三、蒼火墜!」
中級鬼道の詠唱破棄。それを直撃させても大した効力はない。ただ、宮の壁を破壊するだけなら十分な威力だ。ルキアが長年使用し、精度を高めた蒼い炎は寸分の狂いもなく、アーロニーロが縫い付けられた近くの壁を破壊した。吹き荒れる闐嵐の風は開いた壁から外に逃げていき、小さな穴を大きく広げていく。そして陽の光が中に降り注ぐ。太い光の柱はアーロニーロを照らしていく。
からん、と響く硬質な音。風に負けてついに仮面がアーロニーロの顔から剥がれ落ちた。
「―――。―――……え?」
思わず呆けた声がルキアの口から洩れる。戦いの最中に思わず放心してしまいそうになるほどにルキアは衝撃を受けていた。
「……ま、そりゃこうなるか。寧ろこうなってくれなきゃ困るんだが、さて」
聞いたことのある声だ。見たことのある顔だ。ずっと前に失ったはずだ。その手で殺した相手だ。
だからそこにいるはずがない。いるはずがないのに、そこにいる。
「ようやくスタートに辿り着いたな、朽木。そんじゃ改めて自己紹介しとこうか」
アーロニーロは朗らかに笑う。ルキアはその笑顔に見覚えがあった。昔、そんな表情を良く見た。十三番隊で浮いていた自分の手を引いてくれた。訓練に付き合ってもくれた。大切なことを教えてくれた。口ではとても言えなかったが、心から尊敬していた。
きっとそれは凡庸で、何より自分が欲しかったもの。そして二度と戻らないもの。
「俺は第9十刃、アーロニーロ。アルルエリだ」
「……海燕、殿?」
アーロニーロの言葉は聞こえない。ルキアはただ呆然と呟いた。
この作品、元々は一話だけ投稿して二年以上放置していたものです。
一話投稿段階でいただいた感想もありますが、今更感想返しをするのも何となく憚れ、そうなると新しく頂いた感想だけ返すのもまた失礼かと思い、感想返しは行っておりません。
ただ一つ一つ大事に読ませていただいておりますし、それが執筆の原動力にもなっています。短く纏める予定の本作ではありますが、完結まで応援いただければ幸いです。