捩摺の行く先   作:Mamama

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「志波海燕はお前に託したものがある。違うか?」

「あ―――」

 

『心は此処に置いていける』 

託されたものがある。一人では死んではいけないから、心は仲間に預けていくのだと海燕は言っていた。だから最期に志波海燕という死神の心を預けてもらったのだ。

肉体を構成する体が消えても海燕の心が生きていけるように。

憶えている。忘れたいけれど忘れたくない強烈な記憶だ。今なお鮮烈に残っている記憶の中で確かに海燕はそう言った。

―――その時の絶望を、忸怩たる思いを忘れるはずがない。

それはきっと大事なものだとルキアは思う。

生き残ってしまった自身が背負っていくべきものだとも思う。

海燕は己の考えを大事にしていた。それをルキアも尊重していたし、蔑ろにするつもりはない。けれどそれは―――。

 

「……そうですね。私は海燕殿に託されたものがある」

「そうかい。忘れていなくって何よりだ。だから俺が言いたいことも分かるだろ?」

「……死にたいのですか、貴方は?」

 

 ルキアの言葉にアーロニーロはきょとんとした表情を作った。そんなことを言われるとは予想していなかったようだった。

 

「どうなんだろうな。ただ、俺は自分が怖い。アーロニーロっていう破面の記憶を俺は持っている。同じように志波海燕の記憶も持っている。それが溶け合って自分という存在が揺らいでいる。自分自身が誰か分からないってのは本当に怖いものなんだぜ。ふとした瞬間に冷たい指が俺を指さして言うのさ。『お前は誰だ』ってな」

 

 その恐怖をルキアは理解できない。ルキアにとって己とは己であり、命の危機に立たされたことはあっても自己存在を脅かされたことはないのだから。

 

「だから教えてくれよ朽木。俺は誰なんだ?アーロニーロという破面であり志波海燕の記憶を持った俺は、一体何処の誰だ?」

「……」

 

 その問いにルキアは答えられない。安易に口を開いていいものではないし、アーロニーロの苦悩に見合う見解を持ち合わせているわけでもない。

 

「私には、分かりかねます」

 

 正直に、ルキアは自分の想いを述べた。

 

「ですが、一つだけ確認しておきたい。貴方は自身のことを志波海燕だとは思っていないのですね」

「……ああ。志波海燕はあの時死んで、心はお前に預けてきた。だから俺は志波海燕じゃねえ」

「ええ。確かにそれは貴方の規定する志波海燕という存在ではないかもしれませぬ。……ですがそもそも私は貴方の考えが全面的に正しいとは思えない」

 

 じろりと睥睨する顔。それを少しだけ恐ろしいと思いつつもルキアは止まらなかった。

ぎいん、と捩花を振り払う。少しだけ二人の距離が開いた。

 

「言うじゃねえか、朽木」

 

 互いに踏み込む。そうしてまた金属が擦れあう。

 

「海燕殿の心は私に預けて頂いた。私に託された。確かにそうです。けれど、それでも貴方は此処にいる。そう言っても貴方は止まらないのですね」

「止まらねえさ。いつだって、俺の過去が今の俺を追い詰める。だからもう……止められねえ!」

 

 アーロニーロが繰り出した一撃をルキアは既の所で受け止める。

 

「貴方の苦悩は私には分からない。けれど……それは余りにも勝手ではありませぬか!」

 強引に振り払い、ルキアは前に進む。

 

「貴方は自らの価値観を絶対視しているだけだ!残された者や私の気持ちなんて考えもせず! 身勝手にもそれが正しいと思い込んでいる!」

 

袖白雪から冷気が溢れる。制御を外れた冷気は轟、と沸きだしアーロニーロを襲う。

 

「チィッ……!まさか朽木、お前が俺に講釈垂れるとはな!」

 

 煩わしそうにアーロニーロはそれを振り払う。

 

「あれから何年経っていると思っているのですか! 私はもう守られるだけの弱者ではない!貴方は間違っている!だから―――!」

 

 ぎり、と口を噛む。唇を食い破ってそこから血が滴り落ちた。

 

「―――貴方が止まらぬというのなら! まずは貴方を斃す! そしてその間違いを私が正す!」

「……ハッ。そうかよ」

 

 ルキアの啖呵を聞いてアーロニーロは不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 古い記憶を見ている。

我武者羅だったはずなのに、木々のざわめきさえも憶えている。

稽古をつけてもらった、鯉伏山での記憶。

 

古い記憶を見ている。

『命を守るための戦い』、『誇りを守るための戦い』、そして『心を守るための戦い』。

私は護廷十三隊にいてもいいのだと言ってくれた力強い言葉を。

その安堵の感情を貴方が与えてくれたこと。

 

古い記憶を見ている。

都殿が殺された時のこと。彼女が率いる部隊が全滅したときのこと。

彼女が逝ったことは元より、あんなにも苦しそうな顔をした貴方を見るのが、私には本当に辛く、何も出来ない自分に不甲斐ない思いと自己嫌悪に苛まれた。

 

古い記憶を見ている。

夜、虚の住処に強襲を仕掛けた。

相手の虚がいくら強くとも、浮竹隊長と海燕殿がいる。だからきっと大丈夫だとなんの確信もなく楽観的になっていたこと。

何故、私はその時の彼を止めることが出来なかったのだろう。

 

古い記憶を見ている。

斬魄刀が消え、海燕殿は劣勢に追い込まれた。助太刀しようとし、浮竹隊長に止められた。誇りを守るための戦い。それが命より価値があるものだとそこで完全に納得できたわけではない。けれど、何より浮竹隊長が辛そうだったから堪えた。

 

古い記憶を見ている。

貴方と戦うのが恐ろしかった。一人助かろうと逃げる自分が恐ろしくなった。

苦しむ貴方を見ていることに耐えられなくなった。

貫く刃の音。滴る血。いつの間にか降ってきた雨。弱弱しい言葉。

そうやって、私はただ自分を救った。

 

 私が囚われの身になって、ぼうっとしている時にはその時の記憶が良く蘇っていた。

私は罪人だ。助けられるべきではない。ましてや、私のせいで血が流れるなどあっていいはずがない。

私は死を受け入れた。

死ぬことが恐ろしくなかったわけではない。けれど、最後は不思議と穏やか気持ちだった。

そして、覆された。

一護が私を助けたのだ。

身勝手に尸魂界に乗り込んで。身勝手に私を助けて。

身の丈を知らない愚かな男は、少し見ないうちに大きくなっていた。

一護だけではない。恋次も井上も石田も茶渡も、どいつもこいつも身の丈知らずの大馬鹿者達だ。

私の気持ちなんか知らないで。

私の想いなんて無視して。

けれど救われた。その身勝手さに私はどうしようもなく救われてしまった。

助ける価値がないなんて私が嘯いてみせても、それでも生きて欲しいと願われてしまったから。

 

そうして今を見る。

吹き荒れる嵐の中央。そこに佇む男の姿。

その顔には既視感がある。

―――ああ。そうか。

なんだか私に似ているなと思った。

 

 

 

 

 

 蒼火堕を放つ。煙と塵に紛れて強引に吶喊する。空間そのものを叩き潰す一撃が上から降ってくるが、紙一重で躱す。当たれば致命傷の一撃は空振りして床を砕く。

冷や汗なんて出ない。

ずっと憶えている。向こうが此方を知っているように、その逆もまた然りだ。

その大雑把さは脅威であるが、有効範囲を弁えていればなんとかなる。

とはいえ波濤によって態勢が崩れる。それを見越した横薙ぎを強引に跳躍して躱す。

その勢いのまま斬撃。ひらりと躱され、掬い上げる一撃で斬魄刀を持っていかれる。

 

頓着せずに拳を握る。正直白打は不得意な部類だ。だからこそその選択をしてくることを予期できなかったのだろう。なんの変哲もない拳に反応が遅れる。

囮か何かだと思っていたのだろうか。そんなものはないというのに。拳が触れる直前、響転で距離を取られる。

そしてそのまま瞬歩で後を追った。

マジかよ、と言わんばかりの顔。無手で向かってくるなど無謀としか映っていないのだろう。だが、強ち無謀な特攻というわけではない。波濤の装填が済んでいない今ならば破壊力はずっと落ちる。

それに待っているだけでは勝てない。互いの手の内が割れている以上は様子見なんてものは意味がないし、戦力として劣っているならば攻勢に出るしかない。

 

捩花の矛先がこちらを向く。そうして振るわれた一撃は良く知っている。その癖も何もかも。

昔と比べてずっと洗練されている。あれから長い時が経った。その間にも鍛錬を重ねていたことだろう。けれど、根幹にあるものは変わらない。その戦闘技術は識っている。

頭の直ぐ傍に空気を切り裂く鋭い音が鳴る。髪の毛を何本か持っていかれた。

その代わりに懐に入り込むことに成功する。

長物は懐に入られると弱いということは誰でも分かることだ。であれば懐に入られた時の対処法も勿論用意する。そもそも副隊長まで上り詰めた男が懐に入られただけで負けるなんてことはありえない。

立ち合いの中で動いているのは何も一人だけではない。間合いなんてものは相手が半歩でも下がればまた変わる。

後ろに引き気味に放たれた一撃が横腹を打ち据える。最後に思い切り踏み込んだおかげで刃ではなく柄の部分だったが、強かに打ち据えられた一撃が痛くないわけがない。

ひゅう、という空気が零れる音。ちかちかと点滅する意識を強引にねじ伏せる。

催す吐き気を嚥下して前に進む。こんな場所で怯むなんてことはあり得ない。

 

抱きつくような距離感で、赤火砲を放つ。

赤火砲は霊術院でも修める基礎的な破道だ。取り扱いは容易く、威力も高い。

破面の鋼皮は硬い。完全詠唱の鬼道なら兎も角、詠唱破棄した中級鬼道を普通に当てても効果は薄い。

ならば威力が殺されないほどの距離の近距離で当てれば良い。

腕の肉が焦げる臭いがした。それがどちらの腕かなんてものは言うまでもない。

向こうはこれ以上の接近を嫌ったのか、下から地面ごと掬い上げられ強引に距離を取ろうとする。

崩れていく足場に逆らわず、脱力をして後ろに飛ぶ。相手は強大でこちらは脆弱だ。

だからこそ、流れには逆らわない。

床に突き刺さった袖白雪を引き抜いて、冷気を地面に走らせる。

波濤の装填を済ませた相手は迎撃に走る。風と冷気がぶつかって音を立てた。

すぐさま駆ける。単純な威力で勝てはしない。そう分かっているからこそ、判断は迅速に行える。

 

冷気の煙幕、白い空間の中に飛び込んでいく。

直後、煙幕を切り裂く矛先が眼前に迫っていた。頬が深々と切り裂かれる。

鋭い痛みと一瞬遅れて滴る血液。それが熱いという感覚を呼び覚ましていく。

遠心力を発条に次が飛んでくる。それを受け止める。

金属同士が擦れあって火花が散る。

―――負けない。

鍔迫り合いに持ち込む。

みし、という軋む音。その音が聞こえたかと思えば刃の中心から真っ二つに折れた。

―――それでも負けない。

刀が折れるのは向こうも想定外だったようだ。鑪を踏み、勢いづいた捩花が姿勢を崩す。

ただの偶然だ。そんなことを計算してやったわけではない。だからこそ、相手にも隙が生まれた。

今この瞬間は明確な好機だ。

身体は勝手に動く。

折れた刀を握りしめたまま、捩花の柄に滑らせていく。

ぎゃりぎゃりという耳障りな音と共に距離が縮まる。

まだ見せていないものがある。折れた刀でも出来ることがある。まだ、負けていない。

 

参の舞『白刀』。

水分が凝固し、刃を作り出す。まだ見せたことがなかった第三の技。

嗚呼、こんなにも近い。少し手を伸ばせば届きそうなほどの距離。

刹那、視線が交差する。

時間がその一瞬だけ遅くなる。

弧を描く微笑が見えた。そうして口が開く。

 

「―――強くなったなぁ、朽木」

 

 戦いにそぐわないほどの能天気な声が耳朶を捉える。刃は止められなかった。

 

 

 

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