ルキアが腕を上げたことはアーロニーロも知っていたし、実際に刃を交えて実感になって理解した。
しかしそれはアーロニーロの想像を超えることはなく、全て想定の範囲内でもあった。
袖白雪の解放後もそれは同じだ。良く練られた霊圧には心地よさを感じるほどであったが、アーロニーロが真の意味で全力で戦うにはまだ値しない。
アーロニーロは斬魄刀解放という手札を切ったが、奥の手は未だ握られたままだ。そしてその奥の手をここで使うつもりは毛頭なかった。
その奥の手を使えば容易にルキアを叩き潰せることは間違いない。それは傲慢などではなく、冷静に俯瞰した視点から判断した客観的な事実だ。
それを分かっていても使うつもりがない、というのはアーロニーロもこの剣戟に価値を見出しているからだ。
為す術もない強大な力で相手を叩き潰すこと。それそのものを否定するつもりは更々ないし、十刃という立場を考えればすぐさま勝負を着けることがベターであることは分かっている。
それでも強行しないというのはそれだけ価値を見出している、という証拠でもあった。
一つ打ち合う度に昔が懐かしむ。
相手の動きを目で追って、その成長を喜ぶ。
海燕が死去して修行を最後まで付けてやれなかった。その続きを長い月日を経てもう一度再開したような気がした。
それは、きっと気のせいだ。
けれどもその情感は感傷ではない。一種の心地よさを感じるそれは郷愁と呼ぶのが一番近しい。
捩花を振るう手に淀みはない、数えきれないほど繰り返した動作は魂にまでこびり付いている。
アーロニーロの身体に熱が入ってくる。それに同調するかのようにルキアの身体捌きに磨きがかかる。
吹っ切れたらしいルキアの調子は目覚ましい。加速的に洗練されていくルキアの動きにアーロニーロも言葉には出さないものの瞠目した。
瞬歩の速度が上がったわけではない。
腕力が向上したわけではない。
鬼道の練りが上達したわけではない。
変わったものは胆力だ。どこで培ったのかと言いたくなるクソ度胸でとにかく距離を詰めてくる。
それが自身に追いすがる最適解なのは間違いないが、それが実現出来るかどうかは別の問題だ。
いつの間にかアーロニーロが思い描いていた想像に現実は迫っていた。
そしていつしかそれはアーロニーロの想像を超えた。
軋む音と共に袖白雪が折れる。アーロニーロは鑪を踏んでよろめく。
ルキアは折れた刀を握りしめて、刀を滑らせて吶喊してきた。
『折れた刀で何をする』等と戯けたことは言えない。その目は未だ勝利を諦めていない目だ。
だからきっと、どうにかする術はあるのだろう。
―――それが分かっていて、何故俺は何も行動を起こしていない?
迫るルキアの顔を見て、ふとそんな疑問が沸いて出た。
多少姿勢が崩れた程度でどうにかなるほど柔な鍛え方をした覚えはない。
腹に力を込めて強引に体幹を戻せば相手が何をしようとしたって対応出来る。
油断や慢心などではない。磨きに磨いた戦術眼が即座に対応しろと訴えている。
それに反して身体は動かない。
ただ、ぼんやりとルキアの様子を場違いに眺めていた。
致命傷はないものの、幾重にも刻まれた切り傷が痛々しい。けれどもその爛々光る眼の輝きはずっと変わらない。
―――何故コイツはそこまでして懸命に藻掻いているのだろうか。
アーロニーロには戦う理由があった。侵入者を撃退するという第9十刃の責務であり、自己存在を問うため。即ち、アーロニーロにとって戦うということが根本にある使命だった。
対してルキアは違う。彼女自身が語ったように友を助けるために乗り込んだ。その中に十刃と交戦するなんてことは織り込まれていないはずだ。ならばこんな場所で係うことなど無駄としか言いようがない。すぐさま離脱をするべきだ。
或いは機動力を比較して撤退が難しいと判断したのだろうか。単純な機動力ならば確かにアーロニーロの方に軍配が上がるが、絶望的なまでの差というわけではない。
縛道を絡めて不意を付かれれば、瞬歩で離脱出来るくらいの隙くらいは稼げるはずだ。
では自棄になったのかと言えば、それも恐らく違う。
―――いや、そうか。
思考を巡らせると、意外に答えは簡単なものだった。
―――お前はただ、心を守るために必死に抗っている。それだけなんだよな
折れた斬魄刀の先から氷の刃が作られる。薄氷の刀身は鋭利で、刃にも関わらず芸術品のような美しさがある。その美しさを引き出しているのは朽木ルキアという死神だ。
「―――強くなったなぁ、朽木」
そうして突き立てられる刃。死覇装の下の肉を抉り、背中を貫通する。どうしてだか、その痛みは心地よかった。
時が止まったようだ。
袖白雪はアーロニーロの骨肉を裁った。そこから二人は動かなくなった。
ルキアに関して言えば動けなかったという言葉が正確だろう。
「……ど、どうして……」
袖白雪の柄を握る手は震えている。ただ懸命に足掻いていたルキアだが、先ほどの一撃が綺麗に決まってしまうとまでは思っていなかった。
これぐらいは防いでくれるだろうというアーロニーロに対するある種の信頼があったのかもしれない。
けれど実際はルキアの白刀はアーロニーロの腹を突き破った。
奇しくもその構図はかつてルキアが海燕を殺めた時とまったく同じだった。
「……今の一撃、対処しようと思えば出来たのではないですか?なのにどうして……」
「どうして。……どうしてだろうなぁ……」
ぼんやりとした表情でアーロニーロは言う。
アーロニーロはゆっくりと左手を、柄を握るルキアの手に被せて刃を引いていく。
ずるり、と袖白雪が引き抜かれると大量の血液が漏れだしていく。明らかに重症の刀傷だ。このまま放置すれば失血死するのは間違いない。
「……言い訳じゃねえが分かってたんだよ。何かあるってのはよ。けどなんでだろうなぁ。今のは避けられなかった。……いくらでも、手はあったはずなのにな……」
アーロニーロは血で汚れた左手の手袋を取り、生身の左手でルキアの頭をぽん、と押さえた。
「でもな、やっぱり強くなったよ、お前は。強くなったことは知ってたけど、俺の想像以上に身も心もずっと強くなった。それが分かったら、なんか満足しちまった」
ずるり、とアーロニーロの身体が前のめりに倒れそうになる。ルキアは反射的にそれを抱きとめた。
「馬鹿なことを言わないでください! 貴方はそうやってまた私に重荷を背負わせるつもりですか! 言ったはずです! 残された者の気持ちも考えてくださいと!」
「……なんだ、朽木。お前、泣いてるのか」
アーロニーロにそう言われ、ルキアは自分が涙を零していることに初めて気づいた。
「泣き虫は、変わらないな」
「誰のせいだと! ああ、じっとしていてください! 回道は得意ではありませぬが、多少心得があります!」
ルキアはそっとアーロニーロに床に寝かせる。これまでの激しさが嘘のようにアーロニーロは穏やかだった。
「結局のところ、俺は意味が欲しかったんだ。俺という存在は何なのか。なんのために俺は存在するのか。……アーロニーロの心は此処にあった。けれど、志波海燕の心はきっと此処になかった。なら、なら俺は何故ここにいるのか。それが、どうしても分からなかった……」
独り言のように呟くアーロニーロを尻目にルキアは処置を施す。自らの死覇装の一部を強引に引きちぎり、傷口に当てていく。そして回道で傷を塞ごうとするが、それはルキアの技量では傷口を塞ぐには至らない。
「……さて」
ルキアの措置が終わらないうちにアーロニーロは上半身を起こす。
「何をしているのですか!? 安静にしていれば助かります!」
破面の身体は強靭で、生命力も高い。確かに重症ではあるが、今しっかりと止血をすればまだ助かる。だからルキアは声を荒げて静止を呼びかけるが、アーロニーロはそれを無視して立ち上がろうとした。
「いやまあ、俺もそうしたいところだが……どうもそうは問屋が卸さないらしい……なッ!」
一瞬だ。不完全な状態から一瞬でアーロニーロの姿が消え、ルキアはすぐ後ろで硬い音が鳴る。
「……どうして止めるのですか。アーロニーロ」
知らない声だ。ルキアは咄嗟に振り向くといたのは黒い肌の男がいた。その男の手には振りぬいた斬魄刀が握られており、アーロニーロが捩花でそれを受け止めていた。
ぶわ、とルキアの背筋に悪寒が走る。その男の接近にはまったく気づかなかった。アーロニーロが止めていなければその男の凶刃に自分は倒れていただろう。
「もう一度聞きますが、第9十刃のアーロニーロ・アルルエリ。何故貴方はその侵入者を庇った?それは藍染様への背信ですよ?」
底冷えするような低い声には明確に怒りの感情が込められていた。
「ハッ! それは俺の台詞だぜ、ゾマリ。仮にも第7十刃サマが満身創痍の死神の背中を狙うか?テメエには誇りってもんが無いのかよ」
「―――十刃!」
アーロニーロの言葉にルキアはすぐさま近くに放っていた袖白雪を手元に引く。
第7十刃。ゾマリという男はアーロニーロよりも格上の十刃だ。
「大体コイツと戦っていたのは俺だ。外野が余計な茶々を入れてんじゃねえよ」
「戦士の矜持というものですか。私には理解できないものですね」
「藍染様万歳してるだけのテメエと違って色んなしがらみってもんがあるのさ」
「……無駄口が叩ける程度には元気があるようですね。では速やかにこの死神を殺しなさい。隊長格でもないのです。恥は自らで雪げるでしょう」
ゾマリはルキアを塵を見るような目で睥睨する。
「……だからお前は分かってないんだ。俺はコイツに負けたんだ。負けを受け入れちまったんだよ。コイツをどうこうする権利は俺にはない。勿論、我が物顔でしゃしゃり出てきたお前にもな」
「……成程。それが貴方の遺言でよろしいですね?」
冷たい目つきはさらに温度を無くす。ゾマリは一度アーロニーロから距離を取った。
「残念ですよ。第一期の十刃として長らく残留し続けた貴方をこの手で殺すのは」
「心にもないことを言うもんじゃねえな。前から俺の首を狙ってた癖によ」
「心外ですね。ただの監視ですよ。死神に近しい霊圧を持った貴方を野放しにしておくのは危険ですのでね。……さて、問答は終いにしましょうか」
ゾマリは斬魄刀を横に傾け手放した。斬魄刀は重力が無いように宙に留まり続ける。
「死にかけとはいえ貴方も十刃。せめてもの慈悲です。最大戦力で葬って上げましょう」
斬魄刀と同じようにゾマリの首が横に傾いていき、人体では到底あり得ない直角まで曲がる。
「―――鎮まれ、『呪眼僧伽』」
そうして現れたのは白い異形。宙に浮いたその姿は人型でありながらもそれを逸脱していた。
「斬魄刀解放……!」
ルキアは身体の強張りを意識しながらも袖白雪を構えるが、アーロニーロに手で制される。
「自信満々で来たところ悪いが、斃すぜ、お前」
「ほざけ第9十刃。藍染様に7の数字を与えられた私に勝てるとでも思っているのか?……心配せずとも一瞬で首を落としてあげますよ」
「一瞬ねぇ。そうだな、一瞬で終わらせよう。丁度いいお披露目だ」
アーロニーロは捩花を正眼に構える。
「―――卍解」
その勝敗は確かに一瞬のことだった。