「………」
「面が邪魔をして致命傷は負っていないぞ、
「間が悪かった…すみません
降り積もる新雪の白を血で赤く染めた現場から約三百メートル離れた林の奥。例えば瞬きをしたとしても狙撃が可能な位置に、別働隊である狙撃手・尾形上等兵と観測手・玉井伍長は陣取っていた。
例え相手が銃を持っていたとしても、発砲炎で位置を悟られたとしても、カウンタースナイプを防ぐべく周囲に溶け込むようにトドマツの枝を軍服の上に乗せてカモフラージュしていた。入念に準備する時間があったことを示唆していた。
「面は割れたが、実弾が掠っただけだな」
家屋の間々から針の穴に糸を通すが如き精密射撃で
だが、タイミングが芳しくなかった。
日露戦争帰りの血気盛んな兵士でもあるまいに、まさか殺意を感じ取って咄嗟に顔を上げて致命傷を避けたとは考え難い。
単に、嘔吐きが止んだのだろうと結論付けた。
「!」
「動いた! 右!」
狙撃の衝撃で、雪を被り仰向けに倒れていた面付き――ならぬ、面無しが跳び起きた。尾形が三十年式歩兵銃の表尺上から覗く視界の中央から、素早く一足飛びで外れた。遠近感の問題で、スコープが存在しないこの時代であっても中央視野から対象が外れると再度対象に照準を合わせるには一苦労掛かる。
だが玉井伍長が尾形上等兵の射撃の腕を信じるように、尾形上等兵も玉井伍長の観測手としての指示を信用していた。これでもお互い二○三高地で背中を預けた戦友だ。再度面無しに照準を合わせる。
合わせた瞬間、相手と目があった。
双眼鏡越しであった玉井伍長も、尾形上等兵も視線が交わったことを悟った。
同時に、
「女…!?」
剥がされた面からは、端正な顔つきの〝女〟が、凛々しくも確かな殺意を孕んだ視線をぶつけてきた。
まるで、今にも斬りかからんとする気迫で、だ。
(ハッ、走って来る積もりか?)
不可能だ。
彼我の距離はゆうに三百メートルを超えている。銃を持っているならまだしも、刀だけで何ができるというのか。
不意に、二○三高地の塹壕から馬鹿の一つ覚えの如く迫り来る露西亜兵を撃ち殺した光景が蘇る。彼等は此方を本気で殺す気で走ってきて、引き金を引けば呆気なく崩れ落ちた。今回も、彼女も
「尾形上等兵!」
「ッ!」
不意に、何か黒い影が凄まじい勢いで迫り視野を黒く染めた。玉井の声で、幻覚でないと気付き尾形が即座に発砲。
同時に、観測手の玉井が双眼鏡を手放し尾形を押し倒した。
途端、背にしていたトドマツの木に何かが突き刺さり、遅れて血飛沫と脳漿の破片が僅かに飛び散った。
「何が…!?」
「あいつ…津山の首を刺した脇差を投げてきやがった! どんな肩してんだよ!?」
トドマツの木に、刃渡り一尺程度はあろう鍔のない脇差が深々と柄まで深々と刺さっていた。押し倒された尾形は無傷だが、玉井の軍服の裾に僅かな切れ込みが走っていた。
玉井が押し倒さなければ、恐らくそう低くない確率で尾形の顔面に突き刺さっていたであろう。
ーー成人男性の頭部の重さは七〜八kg、男子プロボウラーの使用球と同程度かそれ以上である。
尾形の狙撃を受け、茫然自失で雪空を見上げていた
(当たるか外すか、は、どうでもいい)
この場を五体満足で退散するには、今しがた撃ってきた狙撃手の手から何としてでも逃れる必要があると、妙に冴えた頭が回転していた。狙撃手の殺害ないし、次弾装填から発射までの時間を稼げれば御の字である。
津山に斬りかかった刀とは別に、瀬田は懐にもう一本脇差を隠し持っていた。史実で沖田総司が脇差を手にしたという記述はなかった気がするが、刀を複数本持っていたという話は某ゲームのせいであまりにも有名だ。
己の遠投力をちゃんと計測した覚えはない。しかし、戦闘技能の項目に【投擲】があった気がする。最初は沖田総司のような侍ではなく、桃色の小柄なガンマンか何かになるのかと思っていたらしく、文明が例え旧石器であったとしても(死んでもイヤだが)生き残れるように技能値を振っていたのである。最近は若者言葉を話す原始人漫画や、全人類が石化して太古の生活レベルに逆戻りした科学漫画もあった気がしたから侮れない。【投擲】はSTRの値に応じてそれなりの距離を飛ばせるという記述に覚えがあった。
更に、威力は投げるものであれば上がるとも。
後頭部が地面に接しているため、耳が周囲の音を集めやすくなっている。
第七師団の銃兵隊の引き金はいつでも引けるよう指が掛けられている。だが、まだ様子見なのか数名がじりじりと雪を踏み固めながら此方に近づいていることがわかる。
集団で銃を扱う上で大切なことは、
ならば唯一の好機は、近づいて来る兵が部隊の射線上に入った時である。
「ッ、」
「むッ!?」
跳び起き、横目で近づいて来た男の警戒を露わにした顔が見えた。北海道ではあまり見ない濃い眉、モミアゲと顎髭が繋がった特徴的な顔。
(
物語の主要人物と出会えたことは喜ばしいことこの上ないが、状況が状況である。胸毛生い茂る逞しい胸板とキュートな尻が魅力的だが、某大墳墓の主人の如く感情抑制で荒ぶる心を鎮め、脇差を抜いて目的のモノに突き刺す。
すぐそこに転がっていた津山の生首だ。
狙撃の方向の特定はそう難しいものではなかった。着弾後の銃声はもとより、面の下で林の中腹に発砲炎の瞬きが目に映っていた。
銃弾は音よりも早い。
だが光は銃弾よりも早い。
そのまま足を踏み出し、生首の断面に脇差を押し込むように腕を前に突き出して、逆手に持った脇差を狙撃手がいるであろう場所へ全力投擲した。
「ッ……シッ!」
「なっ、どこに投げ…!?」
投げた瞬間、脳裏で悪くない出目を出したようなファンファーレが木霊した気がした。そのまま、第七師団の銃兵隊の視線が一瞬それた瞬間に即座に逆方向へと走り出した。
ヒュッと一発の弾丸が空を裂く音が聞こえ、膝を深く折り曲げて側頭部へ命中する筈であった一撃を避ける。
折り曲げた膝を発条のように伸ばして家屋を駆け上がる直前、家屋を構成する煉瓦の隙間に伸ばした肩越しに、唯一投げた脇差に目を奪われなかった
「……逃げられたか」
「追います」
「いや」
「は?」
月島の惚けたような声が遠くに聞こえる。それくらい、現状鶴見中尉は人知れず歓喜していた。
女の身で、あれ程の技量があるとは。
どんなに手練れな剣士なれど所詮一人。兵団一個中隊を相手にまともな立ち回りなど出来るはずもない―――普通であれば。
初対面で、初期対応が杜撰であったことを考慮したとしても、先の面付きの下手人の立ち回りは見事なものなものであった。
少なくとも、この場を生きて逃げおおせたのだ。
であれば、下手人一人に拘って人員を割くことに意味はないだろう。
「〝追えるものなら追ってみろ〟とでも言いたげな大立ち回りだ。宜しい、もし足跡を掴めたならば二人だけつけておけ。まぁ無駄足だろうがな」
「はっ」
「あと尾形上等兵達に引き返すよう伝令を向かわせろ。
「了解しました」
さて、と鶴見中尉は津山の首無し死体に歩み寄る。頭部は既に遠く彼方。手足は雑に切り離して散らかされている。
「これで、ようやく一枚目だ…! む?」
埋蔵金のありかを示す暗号を手にするも、胴体だけの死体を見て鶴見中尉はある位置に目を向けた。
達磨死体は背を向けうつ伏せになった形になっていた。その一部分。
暗号である刺青人皮の首の根元辺りに、鋭利な刃物で剥がされた部分が存在していた。
くるくると死体を表に裏に返して観察するが、丁度身体中に彫られた文字と同程度の空白が生まれた。そこに文字があるのかないのかは定かではないが、あるかないかを知っているのは下手人だけである。
「っくくく、やってくれたな」
前言撤回である。刺青人皮一枚に拘るほどではないにせよ、強制的に人員を割いてでも下手人を確保する理由ができてしまった。これが全て計算し尽くされた結果だとしたら、とんだ曲者である。
逃げ足は早く、殺しの手際は多少目を瞑るにしても見事、おまけに頭の回転も侮れない。
是非とも手元に置いておきたい人材だが、不謹慎にも敵対していた方が面白そうだ。
あやしげに笑う鶴見中尉を見ていた
「すみません、あの包囲網で〝全部〟持ち帰るのは無理でした。でも」
瀬田は手のひらに乗せた『捨』が彫られた肉片を見せて、悪戯っ子のような無邪気な笑顔を浮かべた。
「向こうは空白が鍵になってますけど、私にとってはコレ一つで十分ですよ」
記憶には自信があるんですよ?でも早く描きたいので紙と鉛筆を貸してください。
そうケラケラ笑いながら肉片の乗ってない手のひらを突き出す様を見た老人は、たいそう愉快そうに笑った。
これは、どういった手違いか日本で最後に行われた戦争で
ついに今夜放送ですね、楽しみです
※一部修正しました(4/11)