津山と交戦して数日後。
(鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物)
「鶴見中尉、何を待っていらっしゃるので?」
「今日あたり鯉登少尉が旭川の駐屯地から頼んだものを持って来ている筈なんだが」
「…それでしたら、先ほど廊下の奥で蹲っていましたよ」
(鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物鶴見中尉殿の私物…!)
「来てたのか鯉登少尉」
「キエエエエエエエエッッ!!(猿叫)」
小樽 第七師団兵舎
「わざわざ旭川からご苦労だった」
「△$¥△$¥△$¥! 滅相もなかこっでございもす!」
(前半が聞き取れなかった)
「落ち着け鯉登少尉。深呼吸だ、深呼吸するんだ。ヒッヒッフー」
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー…月島ぁッ!」
深呼吸しても、いざ鶴見中尉と面向かうと早鐘を打つ胸の動悸が治まらなかった。仕方なく傍に居る月島軍曹を呼び寄せ、鶴見中尉に自分の言葉を代弁して貰う。
「一体何のために鶴見中尉殿は私めに私物の移送任務を任せたのですか?だそうです」
「それは、この手帳に例の〝疾風〟の手掛かりがあるかもしれんからだ。そして鯉登少尉には特別、耳に入れておきたいことがある。わかるな?」
「∴@€£○◇℃~!!」
「鯉登少尉殿お気を確かに」
憧れの鶴見中尉のご指名を受けて、鯉登は天にも昇る心地だった。感極まって白眼剥いて失神しかけたところで、傍にいた月島が肩を叩き意識を戻す。一応意識はあるようだが、月島も鶴見が取り寄せたという手帳が気掛かりだったため話を進めた。
「その手帳…随分古いですね」
「あぁ、東京にいた知人から譲り受けたものだ。元々機密として保管されていたのだが内容が内容だ、捨てるに捨てられなかったんだろう。当時の明治政府の根幹を揺るがしかねない証言が書かれた、ある男の供述をまとめた手記だ」
「…ある男?」
「うむ。名を───」
鶴見は古びた手帳をぱらぱらと捲り、最初のページに書かれた証人の名前を確認して思い出したように言う。
「名を、佐渡島方治。明治十一年に獄中死したある組織の参謀だった者だ。元は明治政府の官僚だったらしいが離反、その後ある男の下に就いたのだが…まぁそれはいい。ところで月島軍曹」
「何でしょうか」
(何でお前ばかり話しかけられるのだッ月島ァ!)
(知りませんよ)
「もし、かの大久保卿暗殺事件が別の人物による計画的な暗殺だったとしたらどう思う?」
「「……は?」」
思わず鯉登も惚けた声を上げた。
大久保卿暗殺──別名紀尾井坂の変と呼ばれる事件は、明治十一年五月に不平士族六名によって大久保利通が暗殺されたことで有名な出来事だ。大久保卿は維新三傑である西郷、木戸に次いで最後まで生き、版籍奉還や廃藩置県など天皇中心とする中央集権の確立や現在の税制の元である地租改正の施行など、生涯明治政府を支え続けた男である。
しかし、当時の明治政府は有司専制という大久保卿による独裁的な寡頭政治が目立っていた。
共に倒幕を実現させて新国家を目指した西郷の武力を使って朝鮮を開国しようとした征韓論に対立。これがきっかけで人望の厚かった西郷を敵にまわし、自刃に追い込んだことで士族から冷たく評価され不満が広がった。
実行犯は、当時大久保卿を含めた政府高官の暗殺を計画していた征韓論派の石川士族である島田一郎を筆頭に、浅井寿篤、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一以下六名───とされている。
「まさか、違うのですか?」
「この手記には、」
鶴見は口角を釣り上げ左右非対称な笑みを浮かべながら、手帳を捲り一文を指でゾリゾリとなぞる。
「佐渡島がいた組織での大久保卿暗殺の目的は二つ。一つ、新政府の中心人物である大久保卿を暗殺することで明治政府の基盤を崩すこと。二つ、己の暗殺として刺客を差し向けたこと」
「刺客?」
「そうだ、この組織にとっては最悪の刺客だったようだな」
「まぁ大久保卿の暗殺実行犯が誰であろうと俺はどうでもいいと言ってます」
「それはッ鶴見中尉殿に伝えなくていいッッ!!」
鯉登少尉は根っからの薩摩隼人である。西郷の勇名は幼い頃から聞いていた。月島の肩を掴んで上下にガクガクと揺らして真っ青な顔の鯉登。途中で鶴見が睨め付けるようにこちらを睨んでいることに気付き、褐色肌から血管が不規則に浮き出てきそうだった。
「あ、あばばばばばば」
「ふむ…まぁよい。それより面白い、いやそそるのはこの暗殺方法だ。手記にはこう書かれている。『十本刀が一人、〝天剣〟が馬車に追走し、暗殺した』と」
未だ失神直前を行ったり来たりしている鯉登は兎も角、月島はハッとつい先日その記述と似たような経験をしたことを思い出す。
網走監獄からの脱獄囚である津山の捕縛任務だ。第七師団が追っている途中、津山は馬をも追い越すほどの脚力を持つ部外者に殺害された。面を被っていた下手人の名前がわからなかったため、第七師団の中では脱獄囚である韋駄天、〝稲妻〟強盗こと坂本慶一郎に倣い、便宜上〝疾風〟と呼称することとなった。
鶴見中尉の言わんとしていることはわかる。大久保卿暗殺の〝天剣〟と津山殺害の〝疾風〟の殺害方法は類似しているのだ。
「出来過ぎではありませんか? 大久保卿暗殺から既に約三十年余が過ぎています。いくら若かろうと同一人物とは…」
「何も同一人物である必要はないだろう? だが、恐らく彼等には何らかの繋がりがあると確信している」
少なくとも似たような状況ではあるが、単なる偶然とは思い難い。関係者ないし、佐渡島某が語る大久保卿暗殺の真実を知る者である可能性はある。
桜色がかかった白髪を見れば誰もが老人と見紛うだろうが、面が取れた〝疾風〟の横顔を少しばかり拝めた鶴見は〝疾風〟が年若い女子であることを知っていた。現在、〝疾風〟の顔を間近で見たとされる谷垣には人相書きを書いてもらった。指名手配はまだ考え中だが、第七師団内では情報を共有すべく人相書きを既に配っている。
加えて、尾形・玉井両名目掛けて投げられた脇差は回収済み。既に指紋も採取済み。
「ここで話した情報は旭川にいる第七師団とも共有しておきたい。だからお前を呼んだのだぞ鯉登少尉」
「$♯÷∇#÷▽@!!」
「落ち着いて下さい鯉登少尉殿」
白から赤に戻り褐色肌に活気が宿る。傍でその百面相を眺める身としては面倒臭く感じる月島であった。
「さてもう一つ…月島、先日回収した〝疾風〟の脇差だが」
「はい、入手ルートが判明しました…清国です」
「ほう」
清国といえば、日露戦争後はロシアから満州奪還に成功し、現在は中華民国だが、近年アメリカとイギリスの二カ国と手を組み日本への圧力をかけているとの情報がある。
そして、これは手記を読んだ鶴見しか与り知らぬところではあるが、手記に記載されていた実在したかは不明のとある〝戦艦〟の入手ルートも同様に清国であった。
「専門家に調査を依頼したところ、正確には脇差というより清国で作られた〝倭刀〟の一部だそうです」
「一部?」
「ええ、恐らく四尺程のかなり長い倭刀だったようですが、柄の中にある茎と目釘穴が後から削った形跡があり、中折れした剣先だけを流用していたと見られます」
「そうか…〝疾風〟には大陸が背後にいる可能性も捨てられんな」
仮に〝疾風〟が大陸から来たのであれば、アイヌの金塊の情報が大陸へ渡っている危険性がある。最悪、第七師団と中華民国の間で戦争が起きることも考えられる。
「そうなれば、目も当てられませんね」
「大陸との関係性については我々の中で留めておく程度でいい。今は脱獄囚の捜索に力を入れたい時期だからな。わかったな鯉登少尉」
「精進しますと言ってます」
◆ ◆ ◆
(……しかし、あの服は)
手拭いを噛みながら涙ぐんでいる鯉登少尉が旭川へ戻り、月島軍曹が任務で退室し一人きりになった部屋で、鶴見中尉は手帳の古びた表紙をなぞりながら〝疾風〟の姿を頭の中で何度も思い出す。
どこかで、どこかで見覚えがある服。
雪の降り積もった編笠。
冬場の北海道だというのに、桜色の和服と梅紫色の袴。
その上に着込んだ、だんだら模様が入った浅葱色の羽織。
瞬間、一人の脱獄囚の名を思い出す。
「土方歳三───新撰組か」
◆ ◆ ◆
一方その頃。
件の〝疾風〟こと瀬田絢子は絶体絶命の危機を迎えていた。
「いやぁあああああああああああああああ瀬田さん大ピンチいいいいいいいいいいい!!!」
「ぐほッ」
褥で牛山に処女を奪われる寸前だった。