「南雲君がッ!!」
ベッドから勢いよく起き上がったのはトータスに召喚された神の使徒の一人、白崎香織だ。寝汗でネグリジェがグチョリと湿り、背中に気持ちの悪い感覚が張り付いていたが、今の彼女はそんなことは些事だった。
今からちょうど一週間前。クラスメイトであり、彼女の想い人(一方通行)である南雲ハジメが奈落の底へと落ちて行方不明なのだ。奈落とはオルクス大迷宮という七大迷宮――神の反逆者が作ったとされる七つの迷宮――の一つの底のことである。生存の可能性は最早皆無に近い。
(……違う! 南雲君は生きてるに決まってる!)
そう自分に言い聞かせながら、頬を伝う涙を拭う。
(……一度シャワーを浴びよう。南雲君を助けるためにもちゃんと休まないと)
彼女は一人、部屋から出た。
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「ここまでお世話になりました」
ジーティスは馬車から降りるとカーマインにチップを一枚渡す。カーマインは懐が地図を一枚出した。
「こちらこそ、護衛をありがとう。これはハイリヒ王国の地図だよ、少しは役に立つといいけど」
そうして別れると、ジーティスは取り敢えずハイリヒ王国の冒険者ギルドへと足を向けた。
『ジーティス、これからどうするのですか?」
「まずな冒険者ギルドで情報収集かな。カーマインさんによるとヘルシャー帝国の使者がこっちへ来るらしい。……多分、ガハルド皇帝も来てるだろうな。あの人は魔族との衝突なんて戦事にキーマンが召喚されたんだ。あの人が来ない理由が逆に見つからない」
『ガハルド……確かヘルシャー帝国の皇帝でしたね。前に依頼であちらへ行った時のあの男ですか』
「会うのは?」
『できれば避けるべきかと』
「だよな。まぁ、ハイリヒ王国は広い。会うことはないだろうよ」
そう聞いて安心するアマリアと、楽観するジーティス。悔やまれるのはトータスに『フラグ』という最重要ファンタジー用語が無いことだろう。
ハイリヒ王国は確かに広い。トータスの中で一二を争う国力はその国土の広さからも分かるものだ。そんな国だからこそ、勇者召喚の儀式の役割を担ったのだろう。単純にハイリヒの王族に伝わっているからこともあるが、これが弱小国家であればこうはいかなかっただろう。恐らく、ここまでハイリヒ王国が兄弟になれたのは、何より聖教教会の総本山がハイリヒ王国にあるということが大きいだろう。流石は巨大宗教、闇が深い。
ギルドの扉を開くと、かなり清潔な空間が広がっている。カウンターには見目麗しい女性が立っており、ギルドの商売戦略が良くわかる。
見かけない顔のジーティスを、ハイリヒ王国常駐の冒険者はジロジロと眺める。どうやら好戦的な者が多いようだ。ジーティスは顔を顰めるが、一つ息を吐くと、慣れたものだとカウンターへと向かう。
「ようこそ! このたびは冒険者ギルドにどんな御用でしょうか?」
「フューレンのイルワからの使いだ、と言って伝わる報告はありますか?」
「……少しお待ちください」
受付嬢が裏へ引っ込むと、待ってましたとジーティスを男二人が挟んだ。
「おいおい、ここはガキが来るとこじゃねえぞ? それとも、ママでも捜しに来たのかぁ!?」
「ガッハッハッハ! あんまイジメてやるなよ、怖がっちまうじゃねえか!」
あんまりにもな展開にジーティスは固まる。ついでに言えば、これは冒険者ギルドでのお約束である。冒険者ギルドとしても子供が冒険者として短命にして命を散らすの望むところではない。故に、一部の冒険者がこうした汚れ役を買い、覚悟の無い子供を追い返すのだ。ジーティスは18歳と既に成人であるが、些か童顔であるために度々間違えられる。この展開も初めてではないのだ。
「……俺は白の「そこまでだ!!!」……?」
ジーティスが口を開こうとすれば、唐突に横から逞しくもよく通る声が投げられる。目を向けると、そこには如何にも上等そうな装備に身を包んだ青年が居た。近くには彼と同年代だろう男一人と女二人、そして保護者だろうか騎士姿の男が居た。
少女の一人は『またか……』と目頭を軽く揉み、騎士姿の男は溜息を吐いている。
「なんだ? こっちの話なんだ、部外者は口を挟まないでくれねえか?」
「口を挟むなだって? そっちの彼は明らかに困っているじゃないか、あなた達も恥ずかしくないのか!?」
いきり立つ青年に冒険者の男二人は顔を見合わせた。そして、チラッと騎士姿の男を見る。
「いや、だから俺は白の「おいおい、その年になっても保護者付きかよ!? こりゃ一本取られたぜ、ここは何時から保育園になったんだっ!?」……あの、話を「そうやって人を馬鹿にするしか出来ないのか!? あなた達には良心がないのか、許せない! そこの君、絶対に助けるから少し待っていてくれ!」……ア、ハイ」
ついに諦めたジーティスに、青年はキラリと笑顔を向ける。アマリアは離れた所で料理のメニューに目を奪われている。
青年と男達の騒ぎがヒートアップしていき、気付けば二人とも得物を抜いていた。途中で青年の知り合いであるポニーテールの少女が諫めようとしたが、もう一人の青年が煽ったおかげで正義漢な青年はついに剣を抜いた。
「表に出ろ! お前みたいな奴は俺が正しい道を教える!」
「……得物を先に抜いたのはお前だぜ?」
「今更怖気づいたのか? それなら今すぐそこの少年に謝るんだ!」
それがゴングとなったのか、三人はついに戦闘を初めてしまった。
ジーティスも、これはまずいと思ったのか、青年の保護者らしき騎士姿の男に駆け寄る。
「何で止めないっ?」
「……すまない。社会科見学のつもりでしばらく放っていたのだ。君には迷惑をかけてしまったな、本当に申し訳ない」
そう頭を下げる男。名前を聞くにメルド・ロギンスというらしい。
「メルド・ロギンス……?」
『ジーティス、それはハイリヒ王国騎士団団長の名です』
いつの間にッ!? と急なアマリアの声に体を跳ねさせたジーティスに騎士服姿の男、メルドは訝し気な目を向ける。
気にしないでくれ、そう苦笑う。
こんな展開になってはしまったが、どうせすぐにあの青年が敗けて男が勝利するだろう。そして、騒動は収束し、自分は依頼達成のためにすぐ動けるようになる。そう予想しながらジーティスが戦闘を見ると、その予想とは全く異なる状況であった。
青年――メルドによるとコウキ・アマノガワというらしい――が剣を振り被ったかと思えば、霞むような速度を以て振り下ろされる。王国最強のメルドですらそう感じる剣速を一介の冒険者が見切れる訳もなく、派手に後ろへと吹き飛ばされる。
地面へと強かに打ち付けられた男二人は、目を回して気絶してしまった。少女の一人が急いで二人の下へと駆けより、治癒魔法らしきもので治癒を始めた。魔法の心得が多少しかないジーティスから見ても立派な魔法だ。これなら大事ないだろう。
青年はその立派な剣を収めたかと思うと、
「よし、もう大丈夫だ。でも、君も少しは自分で何とかしようと努力しないとダメなんじゃないか? 例え敵わなくても、抵抗する意思があればきっと君を成長させてくれる!」
明らかに下に見られている。というか、何で説教と受けなければならないのだ? そう苛立つジーティス。このままでは男として耐えられない。言い返してやろうと口を開いた直後だった。
「そこまでじゃ!!!」
またか、ここは俺に喋らせてはならない決まりでもあるのか? そう気落ちするジーティスの下へ威厳たっぷりな声が聞こえてきた。そして、
「ギルドマスター、既に終わっています」
受付嬢が無情にもツッコミを入れる。
……こんなにも居心地の悪い時間も珍しいものだ。顎鬚をたっぷり生やした細目の老人が無言で頬を染めるのだ。ポッとでも言うかのように。
『……ジーティス、お腹が空きました』
お前はここでそれを言うか、とか。何で幽霊なのにお前は食べるのだ、とか。ツッコミたいことは山ほどあるのだろうが、
「どうしてこうなった……」
取り敢えずこう吐くのだった。
原作を読んでいて思う。ギルドマスターという重要役職であるキャラが一度も喋っていない、と。
……救済してやるか。
決意を新たに、頑張ります。