――聖杯戦争、それは正に悪夢……だった。
この大火災、これは聖杯によるものだ。あの言峰綺礼が万能の願望機に願った、その末の結果。
この結末は予想していなかった。
聖杯の中身がこんなものだったなんて……アイリのなかにはこんなものがあったなんて。
僕は確かに言峰綺礼を殺した……はずだった。確かに心臓を撃ちぬいたはず……だった。
しかし、言峰綺礼は、聖杯の中身<アンリマユ>に汚染され、生き残った。
サーヴァントであるギルガメッシュもアンリマユに耐えぬき、サーヴァントが現世に残ったまま聖杯戦争が終わるという異例の事態になった。
今回の聖杯戦争で生き残ったのは、言峰綺礼、ギルガメッシュ、ウェイバーとかいう子供、そして僕だ。
こんなに生き残りがいるだけでも前代未聞だというのに、その内の1人はサーヴァントだ。
おかしい。何かが。
この大火災では、多くの聖杯に無関係の人が亡くなった。僕は基本的に魔術師らしくなく、魔術ではなく科学に頼って敵を制圧してきた。その中では爆弾でビルまるごと破壊したこともある。だが、いつも一般人だけは巻き込まないようにしてきた。
でも、今回は違う。
何人も、何十人も、何百人も関係のない人が死んだ。
これはおかしいんだ。
焼け野原の中で、僕はせめてもの罪滅ぼしに1人の少年を救った。彼の他には生存者はいなかった。
そして、彼もまた、冥界の住人になりかけていた。
だから、僕は僕の持つ最強の鞘を、彼に埋め込んだ。この鞘には一定条件下で瀕死の状態からでも全快できる機能がある。
また、魔力を流しこむことで人間の自然治癒力を高めることができる。
そして僕の目論んだ通り、彼は現世に戻ってきた。
戻ってきただけで意識は回復していないが、少し安心した。
しかし、彼を救うためといえ、こんなことをしてしまって申し訳なく思う。
この鞘があるということは将来的には彼もまた、この大火災を引き起こした戦争に巻き込まれる可能性があるということだからだ。
折角生き残った命が、数年、あるいは数十年後に同じ要因で散らされてしまうかもしれない。しかし、彼はこうしないと今日すら生きられないだろう。
しょうがなかったんだ……。すまない。
僕は彼を病院に連れていき、看護婦さんに僕の連絡先を教え、その後焼け野原へ戻り、大量の亡骸を弔って回った。
数日が経った。イリヤは何をしているのだろうか。
僕は冬木市にある隠れ家で延々と考え続けていた。
第4次聖杯戦争が終わったということは、次の聖杯はイリヤの中にある。
彼女はもう、僕の手にはない。
イリヤには辛い運命を背負わせてしまった。聖杯の中身を知る前だったとはいえ、非常に悔やまれる。
くそっ……なんであんなことを……
いけない。それを否定するということはアイリの生きてきた生涯を否定することになる。それだけはやめなくては。
アイリはいい妻だった。暗い闇の中で生きてきた僕にとって彼女は太陽だった。
いつも明るく、道を照らしてくれた。
本当にありがとう。
僕は償わなくてはならない。この破壊の罪を。
それが生き残ったものの使命だ。
僕は外へ行き、井戸から水を汲み上げて顔に掛けた。
冷たくて気持ちがいい。
携帯がなった。病院に連れていった彼が目を覚ましたようだ。
僕は急いだ。この大火災から生き残った、唯一の命を、その輝きを確かめに。
病室に駆け込んだ。彼はベッドから身を起こしていた。
「もう、大丈夫なのかい?」
「うん!」
良かった。元気そうだ。安堵で涙が出そうになる。
「おじちゃんが助けてくれたの?」
「あぁ、そうだよ。」
「ぼくのおとうさんとおかあさんはー?」
……口が開かない。なんと伝えればいいのか。
「遠い、遠い国へ行っちゃったんだよ。」
「とおいくに?」
そう、とても遠い国に。
「君、名前はなんていうんだ?」
「ぼく?ぼくのなまえは士郎!」
「そうか、士郎くんっていうのか。」
「うん!」
イリヤより4,5歳ほど年上だろうか。この年の子供は本当に元気がいい。僕の罪が消されてしまいそうなほどに。
「士郎くん、僕の家に来ないかい?」
鞘を埋め込んだ以上、聖杯戦争に巻き込まれることはもはや避けようがないだろう。僕がこんなことをした以上、せめてもの罪滅ぼしに戦って生き延びれるくらいには育てたほうがいい。そう考えて僕は努めて明るく、それでいて冷静に言った。
「おじさんの……?」
「そう、士郎くんのお父さんとお母さんは遠い国に行っちゃったから士郎くんには会えないんだよ。」
その言葉を発した途端、重く辛い悲しみが僕の背中に伸し掛かり、泣きそうになる。いけない。この子の前で泣き顔を見せては。不安にさせてはいけない。
「そう……なんだぁ。」
士郎くんは考えこむように顔を伏せた。やはりダメかな。
「いいよ!」
それから何分か経っただろうか。士郎くんが大きな声で言った。
「本当に、いいのかい?」
「本当にいいよ!」
士郎くんは更に笑顔で明るく、元気な声でそういった。
嬉しかった。まだ神は僕を見捨ててはいないのだろうと、本気で思ってしまった。
アイリや、イリヤと同じような太陽が、また僕の前に照ったのだから。
「そうかぁ……」
不覚にも泣きそうになった。これは先ほどまでの悲しみの感情ではない。
「おじさんのなまえは?」
「僕かい?僕の名前は衛宮切嗣。」
「えみや……きりつぐ」
僕の名前を繰り返す。何度も、何度も。
「じゃあ僕の名前は衛宮士郎だ!」
「そうなるね。」
そして同じように士郎くんは名前を反芻し始めた。
そして更に数日が経った。
今日は士郎くんの退院の日だ。
「士郎くんのお父様ですか?」
病室で、女性の看護師さんにそう聞かれる。嬉しくってついつい、そうです!って言ってしまいそうになるが、そこは我慢。まだ法的には親子ではないのだ。
「親戚の、叔父です。」
これくらいの嘘ならいいだろう。
「あら、叔父様でしたか、申し訳ありません。」
「いえ、いいんです。」
士郎くんのお父さんだと言われたことが嬉しい。
「士郎、病院の方たちにありがとうを言いなさい。」
「うん!分かったよキリツグ!」
士郎くんは頑として僕のことを父とは呼ばなかった。亡くなったご両親に申し訳なく思っているのだろうか。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「あらあら、まぁまぁ……元気でね、士郎くん。」
士郎くんは弾んだ声でうん!と返事をすると、病室の外へ少し小走りで出ていった。
「今まで、本当にありがとうございました。」
「いえいえ。」
看護師さんにそういうと、僕は急いで士郎くんに追いつくために駆け出した。
いくら元気になったとはいえ、少し心配だ。
しばらく走り、病院の受付までいくと、フロアの隅にあるカーペットを敷いている。恐らく子どもたちが時間を潰すために設置されたであろうスペースに彼がいた。そこにはテレビがあり、そこからは元気な声が聞こえる。どうやら朝のアニメを見たかったらしい。テレビの中からはつらつとした女の子たちの声が聞こえる。
僕はそこへ行き、極力邪魔しないように問いかけた。
「士郎くんは、このアニメが好きなのかい?」
「うん!大好き!」
そういう彼の顔からには、あの破壊が本当にあったものなのか、疑問に思ってしまうような笑顔があった。
「えみやさーん!」
隣にあるカウンターから受付のお姉さんが呼ぶ声が聞こえる。行かなくては。
「士郎くん、僕はちょっと行ってくるよ。ここを動かないでね。」
アニメに釘付けになっている士郎くんには言っておく必要はなかったのかもしれないが、もしものことがあっては困る。
「……うん。」
気のない返事が戻ってきた。やはり僕の心配は杞憂に過ぎなかったのかもしれない。それから数分が経ち、僕は会計を済ませて士郎くんのところへ戻っていった。
「行くよ、士郎くん。」
恐らく無駄だと思うが、一応聞いてみた。
「……うん。」
やはり生返事だ。しょうがない。このアニメが終わるまで待つことにした。
アニメは先程始まったばかりらしく、中々終わらなかった。気づけば、僕自身もアニメに見入ってしまっていた。このアニメは中々面白いな……今度ビデオをレンタルしてあげよう。おっと、僕が見るんじゃないぞ……
数十分が経ち、とうとうアニメが終わってしまった。
少し残念だったが、まぁいい。
「士郎くん、行くよ。」
「うん!」
いつものように元気な返事が戻ってきた。
士郎くんは、もう待ちきれないといった風に病院の玄関に走っていった。
そして、やはり僕はそれを追いかける。
もう完全に親子のようだった。
「キリツグは正義の味方なの?」
病院を出てから10分ほど歩いたときだろうか、ふいに士郎くんがそんなことを尋ねてきた。
「……いや僕は正義の味方なんかじゃないよ、どうしてそう思うんだい?」
僕の生きてきた道は決して正義の道ではなかった。悪の中の悪、極悪だった。
「だって、キリツグはぼくをたすけたじゃない?」
違う。それは正義のためなんかじゃない。あの大破壊と、それまで積み上げてきた自分の罪に耐えきれなくなった僕が少しでも楽になろうと行った、只の自己満足だ。
「それは……耐え切れなく成ったんだ。」
「?」
「僕の犯した罪は計り知れないほど大きい。君一人を救ったところで正義の味方なんて、とても名乗れるものではないよ。」
子どもに懺悔しようとしている自分が、たまらなく滑稽に思えた。
「でも、キリツグはぼくをたすけてくれたじゃない?ならぼくにとって、キリツグは正義の味方なんだよ。」
おかしい。僕は若い頃から悪の限りを尽くして生きてきた男だ。それを正義の味方だなんて。父を殺し、仲間を殺し、敵になった者、なりそうな者は全て殺してきた。やはり僕は士郎くんのいう、それではない。
「……やっぱり僕は正義の味方なんかじゃないよ。」
「ぼくがそう思ってればいいの!」
いつもと変わらず元気な声で、無邪気にそう答える士郎くん。あぁ、子どもというものはこんなにも純粋なものであったのか。僕も小さい頃はあんな感じだったのだろうか。
僕は昔のことを思い出そうとしたが、ダメだった。あの日から僕の人生は血と硝煙の臭いでいっぱいだった。士郎くんのようなころは、もうとうに忘れてしまった。
イリヤも彼と同じように明るく、そして無邪気だった。
子どもとは一様にそういうものなのだ。
それから数十分が経ち、ようやく僕の隠れ家に着いた。
「わぁ、おおきなおうち!」
士郎くんが隠れ家を見て開口一番そういった。
たしかにこの家は大きい。隠れ家などという言葉とは似ても似つかわしくないほどに。
敷地は東京ドームがいくらか入るくらいには広く、日本風の家屋もどこかのホテルと見紛うほどに綺麗だ。離れもある。その上隅には立派な倉庫まであるのだ。
どこかの誰かから隠れろよ!といわれそうな隠れ家だが、実は意外とこういう場所が隠れやすかったりする。何故なら、さすがにこんな場所には隠れないだろうという油断を誘うことが出来るからだ。
そして、もし攻めこまれても、魔術師の家は敵の襲撃に備え、常に罠をあちこちに張り巡らせている。それは敷地が広く、家が大きいほど大量にあり、そして威力も高い、その上効果の範囲も広い。
魔術師は自宅にいる時が一番強いのだ。
「はやくいこうよキリツグ!」
士郎くんが家の玄関の前からそう叫んだ。
僕はゆっくり士郎くんに近づいた。
「気に入ってくれたかい?」
「うん!」
良かった。今からこの家に住むのだから気に入ってくれなくては困るところだった。
「じゃあ僕は今から商店街にいって買い物をしてくるけど、一緒に来るかい?」
そんな提案をしたのはもう日が暮れかかったころだった。
そのときにはもう士郎くんはあらかた家の中の探索を終え、疲れてリビングに横になっていた。
「うん!」
近くにある商店街には日ごろ僕が生きている世界とは違う世界の人々がたくさんいた。
学校が終わって遊びに来ているであろう高校生たち。お母さんと一緒の子ども。仕事帰りのサラリーマン。いずれも僕が遠い昔に捨てたものばかりだった。仕事中だったならこんなことに心を動かされることはなかっただろうが、今は違う……
昔を思い出して悲しくなってきた。早く買い物を終わらせて家に帰ろう。
ふと士郎くんの方向を見ると、本屋の店先にあるおもちゃのガチャガチャに心を奪われているようだった。
「それが、欲しいのかい?」
「うん!」
僕はバッグの中にある財布から100円玉を出して士郎くんに渡した。
「買ってくれるの?」
「あぁ。」
「ありがとう!」
士郎くんは眩しい笑顔で僕に答える。ガチャガチャは目当てのものがでなかったりすることもあるが、彼は1回目で欲しい物が手に入ったようで、大喜びをしている。
「いくよ、士郎くん。」
嬉しそうな士郎くんの邪魔をするのは心が痛むが、仕方がない。なにしろ時間がないし、そして後ろに士郎くんを羨ましそうな目で見つめている小さな子どもがいたからだ。
「士郎くん、なに食べたい?」
「ハンバーグ!」
テンプレート的な返答が戻ってきた。子どもはハンバーグが好きでなくてはならないという法律があるようだ。そういえばイリヤもハンバーグが好きだったな。
それから半刻ほどが過ぎ、我が家へ帰ってきた。
士郎くんはリビングでハンバーグ!ハンバーグ!と言いながらテーブルを拭いている。
相当嬉しいようだ。これは手をかけて作らねば。
こねてこねて……
僕は普段料理はしない派だったが、ハンバーグくらいは作れる……はずだ。
こねてこねて……いい感じになった。
あとは焼くだけだ。よし。
「士郎くん、テーブル拭けたかい?」
リビングに向かって聞いてみる。すると弾んだ声ですぐに返答があった。
「拭けた!」
このあとは士郎くんと一緒にハンバーグをおかずにご飯を食べた。
楽しかった。まるでアイリとイリヤがいたころみたいだった。
風呂に入り、寝室へ戻ると僕はいつものようにアイリとイリヤのことを思い返していた。
アイリ……済まない……
全く、ここ数週間の僕はおかしい。以前まではここまで感情にほだされる人間ではなかったはずなのに……
舞弥が死に、アイリを失って、さらにイリヤまでとられ……一気に天涯孤独の身になったってわけだ。なるほど、そう考えると僕が士郎くんにあってから感情が豊かになった理由がわかる。
つまりは、寂しかったのだ。
必要であれば多数のために少数を殺す、そこに感情など入る余地はない、ともすれば殺人鬼と捉えられかねない、この僕がアイリとイリヤに愛を貰い、人恋しさを感じるまでに普通の人間になったのだ。
いや、違う。今でも必要であれば同じようにやれるから、結局はただの寂しい殺人鬼だ。
もしも、最初から聖杯の中身を知っていたなら。
もしも、僕がアインツベルンに婿入りしなかったら。
アイリという悲しい運命を背負ったホムンクルスは誕生しなかっただろう。
僕のこの感情も、なかっただろう。
果たしてこの結末は良かったのだろうか。
そんなことを考えながら僕は夢に落ちていった――
<第1話終了>
本作は私が去年書いた作品です。
続きはもしかしたら書くかもしれません。