Die Zeit heilt alle Wunden《完結》   作:日々あとむ

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第四幕 時間はあらゆる傷を治す 其之一

 

 デミウルゴスはナザリックの第九階層を歩く。至高の四十一人と、限られたNPCたちだけが許された神話の地を。

 本来、デミウルゴスはこの階層を歩いていいような身分ではない。例え第七階層守護者の地位を頂いているのだとしても、それでもデミウルゴスが許された領域は第七階層。この階層を歩いていい身分では、決して無かった。

 しかし、今は非常時。デミウルゴスだけでなく、階層守護者は用がある時は出入りをしていた。

「失礼、シクスス。アルベドはどの御方の御部屋かな?」

 廊下を歩いていたメイドNPCに声をかける。シクススはデミウルゴスに声をかけられると、一礼しながら快く答えてくれた。

「はい、デミウルゴス様。本日のアルベド様はモモンガ様の御部屋にいらっしゃっておいでです」

「ありがとう」

 目的の人物の現在地を聞いたデミウルゴスは、シクススに礼を言って再び歩を進める。

 アルベドは、玉座の間でマスターソースなるものを確認していない時は、必ず御方々の私室へ入り浸っていた。それが許されるのか、と問えばアルベドの答えはぐうの音も出ない正論を返す。

「タブラ・スマラグディナ様がそう設定なされたのよ。私は数多の殿方の部屋を渡り歩く、御方々だけの女であると。だからこうして毎日、御方々の寝室にお邪魔して、匂いをつけているの」

 アルベドは誰彼構わず――御方々全てに体を売り歩く女であれと創造された。事実、彼女には自室というものが用意されていない。であるならば、誰がアルベドを見咎められるであろうか。

 そう告げたアルベドを、昔シャルティアがハンカチを噛み締めて「羨ましいでありんす!」と憤慨していたが、御方々にそうあれと創造されたのだから、仕方がない。受け入れるのみだ。受け入れられないのならば、それは不敬である。

「デミウルゴスです。入室いたします」

 シクススに教えてもらった目的地、モモンガの私室の前に立つとデミウルゴスは扉をノックして声をかける。無論、悲しいことに部屋の主人は不在だ。しかし部屋自体が敬意を示すべき場所なのだから、声をかけることに何の疑問も抱かない。

 返答が無い部屋の中にデミウルゴスは入り、そして真っ直ぐに奥を目指す。目指すべき部屋は主寝室だ。ノックをして、返事を待たずにドアを開ける。

 そして予想通り、キングサイズのベッドがもこりと膨らんでいて、もぞもぞと動いていた。

「アルベド」

 デミウルゴスの言葉に、ぴょこりとアルベドがシーツから顔を覗かせる。当然、アルベドの姿は全裸だ。

「何か用かしら、デミウルゴス」

「ええ。我々がアゼルリシア山脈の方へ気を取られている内に、シモベが一体討伐されました」

「そう……誰?」

「クラウンです。例の、リグリット・ベルスー・カウラウという“蒼の薔薇”の師を捕獲するための準備をしていたはずですが……返り討ちにあったようですね」

 デミウルゴスから受け取った情報に、アルベドは眉を顰めた。

「まったく……“蒼の薔薇”といい、つくづく失態を犯す……。それで、その老婆はどうしたの?」

「現在、捜索中ですが……位置情報だけでいいのなら、おそらく評議国の可能性が高いと姉君はおっしゃっていたよ」

「姉さんが? ……評議国、ドラゴンのいる国ね。逃げるなら法国かと思ったけれど、どういうことかしら?」

「私も人間である以上、逃亡先があるなら法国かと思ったのですが……。少しキナ臭くなってきましたね」

 デミウルゴスの言葉に、アルベドは頷いた。

「そうね。あの“鍍金”女の証言では、“蒼の薔薇”はアダマンタイト級冒険者で、その内の一人イビルアイという女は吸血鬼。そして、リグリットという師の老婆がいる。……あの女は、これ以上の情報を知らなかったと見るべきかしら」

「彼女は優秀ですが、如何せん肝心の手足となる王国がほぼ腐っていますからね。探れる情報には限りがある。“蒼の薔薇”は便利に使っていたようですが、その“蒼の薔薇”に黙秘されると、途端に情報が狭まってしまう。それが彼女の弱点でしょうね。王国内で暮らす内や、帝国の情報を得るだけならば問題は無かったでしょうが……」

「ふん」

 アルベドは鼻を鳴らす。デミウルゴスは苦笑した。コキュートスやアウラと共に手に入れた情報もあるし、思いのほか早く捨てる日が来たようだ。

 アルベドも、そう思ったようだ。

「至高の御方がこの世界にいるのは確実……そうよね?」

「ええ」

「なら、もうあの“鍍金”女は必要無いでしょう。制圧計画は現時点をもって中止。水面下に潜り、至高の御方の情報収集を優先して行動します」

「かしこまりました、アルベド。彼女はこちらで処理をしておきましょう。“八本指”はまだ役に立ちますので、生かしておきたいと思います。教育も行き届いてますし」

「そうしてちょうだい。次は、帝国で活動します。セバスたちを呼び戻して、すぐに情報収集に当たらせてちょうだい」

 アルベドの言葉に、デミウルゴスは頷いて部屋を出た。すぐに〈伝言(メッセージ)〉でセバスたちに連絡を取る。

「――ああ、セバスかい? 王国はもう必要無いから、撤収していいよ。そのまま帝国に向かって、今度は帝都での情報収集に当たってくれるかな? ……ああ、そちらも気にしなくていい。ただ、ちょっとソリュシャンを貸してくれたまえ。なぁに、少し証拠隠滅作業を手伝ってもらうだけさ」

 

        

 

「……本当に、いいのかい?」

 ツアーは久しぶりの本来の装備品……神器級(ゴッズ)アイテムで全身を武装したモモンガに、そう声をかける。

 今まで、モモンガは長らく神器級(ゴッズ)アイテムを装備して出歩かなかった。この異世界の周辺環境において、そこまでのレアアイテムで武装する意味が無かったことと、万が一を考えてツアーのもとへ預けていたのだ。

 だが、それももう終わりだ。モモンガはクラウンから聞かされた情報……シャルティア・ブラッドフォールンの現状を聞き、それを解決するために本来の装備品で身を固めた。

「ああ。必要なのはこれだけだ。他の物は、全てお前に渡しておく」

 ユグドラシル金貨や、今まで装備していたものと、そして様々なマジックアイテム。モモンガはその全てをツアーへと渡す。消耗品も、必要な物だけを手に取って。

「連中の扱いも、全てお前に任せるよ」

 あるマジックアイテムをツアーに投げ渡す。それを受け取ったツアーは、苦虫を噛み潰したような顔をして、モモンガを見た。

「君から聞いた情報だと、正直仲良くなれる気がしないんだけどね」

「だろうな」

 ツアーの言葉にモモンガは頷いた。モモンガも断言出来る。連中と、ツアーは仲良くなんて決してなれないだろう。これは自分の責任の放棄かもしれない。

 だが、きっと…………モモンガが今までの自分を清算できるのは、このタイミングしか無いのだ。

 そんなモモンガを、ツアーは不安そうな顔で見つめていた。苦笑する。

「そんな顔をするなよ。気が向けば、還って来るさ」

「なるべく早くにお願いするよ。私だって、まだ君に恩を返していない。君は私に何かしてやろうとするばかりで、私にはあまり何かをさせてくれなかったからね」

 そんな拗ねた表情に、モモンガは首を傾げざるを得なかった。

「そんなことは無いぞ。お前は十分、俺のために何かしてくれたよ」

「いいや、逆だよモモンガ。私が何かをする以上に、君が私に何かしてくれたことの方が多い。これは等価交換なんかではない。これでは真の友情とは程遠い。私はそこまで恥知らずじゃない」

「…………」

 真の友情。モモンガにとって、苦い記憶しか無い言葉だ。そうかもしれない。

「俺は……俺は、お前に十分救われていたさ、ツアー」

 だから、モモンガははっきりと告げた。ツアーにもたらされた恩は、今まで自分がやって来たことなんかより、余程大きいものだった。ツアーがいなければ、きっとモモンガはここまでしっかり前を歩いていけなかった。

 例えそれが、諦観を前提にしたものだとしても。それでも今もこうして生きていたのは、何も言わず、ただ受け入れてくれたツアーの存在があってこそだ。

 こんな情けない、自分自身でさえ自分に対する愛情が尽きた存在のことを、それでも受け入れていつもと同じように接してくれたツアーがいたから、モモンガは生きていこうと思えた。

 だから。

「俺は、俺の人生を清算しにいかないと。だから……今は、お別れだツアー」

「そう……さよなら、モモンガ。また逢おう。行ってくるといい」

「ああ……また逢おう。さよなら、ツアー。行ってくる」

 ツアーはいつもと同じように、モモンガの旅路を送り出した。それに泣き喚きたいくらい感謝して、すぐに感情を抑制されながらモモンガは評議国を後にした。

 目指すは、ナザリック地下大墳墓が出現したという、トブの大森林近くの草原。その周囲を夢遊病のようにうろつく、皆に忘れられた吸血鬼のいるところだ。

 ……ユグドラシルからこの異世界に辿り着くのは、基本的にプレイヤーが主軸になっているのだと思っていた。だから、プレイヤーが存在しないのなら来れないのでは、と。

 理由は、ギルドは必ずプレイヤーがいたことと、そのプレイヤーが必ず世界級(ワールド)アイテムを所持していたこと。他のプレイヤーが所持していなくとも、一人でも所持していたら同時に転移する。

 だが、本当は違うのかも知れない。ナザリックには、絶対にプレイヤーなんているはずがない。何故なら、あのユグドラシル最後の日、モモンガはナザリックの中にはいなかったのだから。

 しかし、世界級(ワールド)アイテムは別だ。ナザリックの中には、幾つもの世界級(ワールド)アイテムが存在している。ならば転移の主軸になるものは、世界級(ワールド)アイテムに違いない。だとすれば――あの日ユグドラシルに存在していた、ワールドエネミーたちもまた、この異世界に来てしまうのかも知れない。

 ならば、ツアーにはモモンガの持つマジックアイテムは必要だ。ワールドエネミーが襲来してきた時のために、絶対に、ツアーには必要なのだ。

 モモンガには、もう必要が無い。

「…………」

 転移魔法で、トブの大森林付近まで移動する。クラウンの言葉が真実ならば、おそらくナザリックのNPCたちが定期的にシャルティアを監視しているため、モモンガが来たことに気が付いているはずだが――

「――誰も、俺の邪魔をすることは許さない」

 だから、はっきりと、そう呟いた。独り言のようで、けれど独り言じゃない。明確に、誰かに伝えるための言葉を。

 歩を進める。微風で闇色のローブが揺れる。完全武装。モモンガの最強形態。これ以上にない、相応しい姿。そこに、あるべき物を欠けさせて、そして余分を一つだけ。

 歩を進めるのだ。シャルティアを目指して。

「いいか、誰も、俺の邪魔をすることは許さない」

 ツアーにさえ、許しはしなかった。ツアーにさえ許さないのだから、当然、一〇〇年も前の遺物たちに許すなんてあり得ない。絶対に、あり得ない。

 自分の邪魔をすることは、絶対に許さない。

「俺が、これからすることを、邪魔することは、絶対に誰であろうと許さない――!!」

 引き攣るように叫んで、宣言して、さぁいざ行こう。

 罰を受けよ。罪を背負え。報いを受けるがいい。これが『アインズ・ウール・ゴウン』の真実で、所詮自分たちはちっぽけな人間でしかないという事実があるから、それを受け入れるのだ。

 我らが生み出したモノを見るがいい。このおぞましさ。これが『アインズ・ウール・ゴウン』の真実で、自分たちはこんなにも醜いから。

 これが、あの時代に生きていた人間なんだと。

 だから、泣きたいと強く想う。この異世界は綺麗だ。我が友白金よ、お前はかくも美しい。

 

 ――俺も、そんな風に生きたかった。

 

「――待たせたな、シャルティア・ブラッドフォールン」

 辿り着いた場所には、真紅の鎧、奇妙な形の槍。美しい鮮血の戦乙女。それが、定まらない視線で上の空になっている。

「今、お前を正気に戻してやる」

 その時こそ、『アインズ・ウール・ゴウン』は終わりを迎えるのだ。何故なら、とっくの昔にあのギルドは終わってしまっているのだから。

 惨めになりながら先延ばしにしていた終焉を、いざここに告げよう。例え、誰も幸せになれなくても。そんなのはきっと、自分と同じようにただの勘違いに過ぎないだろうから。

 自分が、何も失っていなかったのと同じように。

 

 モモンガは、シャルティアの前に立った。

 

        

 

 ――その日、ナザリックに激震が走った。最初は、ニグレドの悲鳴がアルベドに届いた時から。

『――アルベド!!』

「……どうしたの、姉さん」

 その日も玉座の間でマスターソースを開き、ナザリックの状態を確認し、シャルティアの名前を少し愁いを帯びた瞳で見つめていた時のこと。急な姉からの〈伝言(メッセージ)〉に、アルベドは怪訝な表情を浮かべる。

『……モ、モモンガ様が……』

「え?」

『モモンガ様が、シャルティアのもとへ向かっていらっしゃるわ! シャルティアがいる場所へ、転移魔法で現れたのよ!!』

「――なんですって!?」

 アルベドは叫び、すぐに姉に指示を出す。

「姉さん! モモンガ様にすぐにお声をかけて! シャルティアの件についてと、それとすぐにモモンガ様のもとへ私を含め護衛を向かわせるわ!」

『――ダメよ!』

 だが、アルベドの言葉にニグレドが震える声で絶叫した。

「何が駄目なの!?」

 カッとなって、自分の姉を怒鳴りつける。

「姉さん! モモンガ様こそ、ナザリックに残られた最後の至高の御方なのよ! 今のシャルティアは正気じゃない! その身に危険が生じるのであれば、私たちが身を盾にして守らなければならない! あの御方こそ……私たちが忠義を尽くせる、最後の御方なのに! 姉さん……どうして!?」

 アルベドの言葉に、ニグレドがぼそぼそと告げる。

『モモンガ様が……おっしゃられたのよ』

「え?」

『邪魔をするな――って。御方がこれから行うことを、決して邪魔をするなと。邪魔をする者は、決して許さない――と』

「……何か、お考えがあるのかしら?」

 あの偉大なる至高の御方が、何の考えもなくそのようなことを言うはずがない。ましてや、彼の御方はそもそも、シャルティアの現状をどこで知ったのだろうかという疑問もある。至高の御方は、自分たちでは及びもつかない力と叡智を秘めている。

 だとすれば、自分たちが困り果てたシャルティアの状態異常を解呪する方法を、何か知っているのかもしれない。そして、それを成すには自分一人の方が成功率が高く……自分たちでは足手纏いになるのでは。

「……分かったわ、姉さん。ただ、そのまま繋げておいて。全階層守護者たちと、セバス……プレアデスも集めるから。モモンガ様の身に、傷が付きそうな時は――」

『ええ、分かってるわアルベド。オーレオールにも、準備するように伝えておく』

「お願い、姉さん」

 そして、アルベドはすぐに連絡を入れる。数分と経たずして……件のシャルティアを除く全階層守護者たちと、帝都へと向かっていたはずのセバス、プレアデスが第六階層の闘技場へと集まった。

「姉さん、繋げてちょうだい」

『ええ……』

「それと、デミウルゴス。分かっていると思うけど」

「ええ、分かっております、アルベド。モモンガ様がおっしゃられた以上、モモンガ様にお任せします。しかし――モモンガ様の身に、もしもがあるのなら」

「ええ、その時は邪魔なんて絶対にしないわ。例え、後で叱責され、命を奪われようとも――モモンガ様の命を優先します。シモベとして、当たり前のことよ」

「なら、よろしい」

 そして、アルベドたちはニグレドの力によって映し出されたモモンガとシャルティアを見つめる。

 もっとも――アルベドたちは、モモンガを助けに行く以前の問題に陥るのだが。

 

 何故なら――モモンガは、ナザリックと決別するために、シャルティアの前に現れたのだから。

 

 

 


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