Wild Arms Backward 3 作:あるトカないトカ
サウスファーム発、ミドルアース行きの夜行列車。向かい合う一組の座席ごとにしっかりとした壁で仕切られた一等客室の一室。その居心地はといえば、それはもう快適の一言に尽きる。幅広な座席に張られたクッションの質の良さたるや、きっと丸一日中座りっぱなしでもお尻を痛めることはないだろう。ただし、見事なほどに黒一色で彩られた車窓の眺めには何度目かになる溜息を零した。空と大地の境目すらもわかりはしない。とはいっても、昼発の列車に乗ったところで、どこまでも広がる荒野と空しか見えはしないのだ。黒一色の景色が空色と土色の二色に変わったところで、うんざりするまでの時間に大差あるまい。それに、昼行列車を使うと目的地に着くのが深夜になる。早朝着の夜行列車のほうが、女二人の旅では間違いなく無難だった。早々に飽きた景色から視線を外して、正面を見遣る。向かい側の席に座る端正な顔立ちの少女が、広げた本に視線を落していた。邪魔をするのも悪いと思って、食堂車で買った紅茶に唇を寄せる。
「熱ッ……!」
金属製のカップだから、お茶の熱が飲み口部分まで伝わっていたのだろう。唇に触れる予想外の熱さに思わず漏らしたアタシの声に、少女が驚いた様子でこちらに視線を向ける。
「え? どうしたの、大丈夫?」
「あはは……カップが思ったより熱くて。でも、大丈夫。ジニーも気をつけなよ」
「うん、そうする」
照れ隠し半分で乾いた笑い声を零しながら、改めてカップに唇を触れさせる。熱いことをあらかじめ理解したうえでなら、特に問題ない程度の温度だと思う。その証拠に、目の前の少女――ジニーはわざとらしいくらいに得意げな視線をアタシに向けながら、同じ金属製のカップに淹れられたお茶を飲んでみせたのだから。
「うーん、そろそろ寝ちゃう? 灯り、落とそうか?」
「ん……ジニーはそれ、読まなくていいの? アタシのことは気にしなくていいよ。明るくても眠れるから」
アタシが退屈していることに気づいたのだろう。小首を傾げながらのジニーの問いに首を横に振って応じ、彼女の膝に置かれた本に視線を向けた。
「よくぞ聞いてくれました。見てッ! これを読んで勉強していたの」
両手で持った本の表紙をこちらに向けて、ジニーは得意気に胸を張った。少々古ぼけてはいるが、しっかりとした革張りのハードカバーには”Tips for Novice Drifters (若き渡り鳥たちへの言葉)”と刺繍が施されている。
「一緒に読もうよ。同じ新米渡り鳥なんだし、ね?」
「えー、寝ていいんじゃなかったの?」
本をくるりと反転させて、紙面をこちらに向けるジニー。その満面の笑みに反して、アタシは眉間に皺を寄せながら抗議の声を上げた。こちらの反応なんてまるで気にしていない様子の彼女は、やけに嬉しそうな表情で手招きをしている。軽く額に手を添えてゆっくりと首を横に振りつつ、仕方なしに席を立つ。ジニーの隣に腰を下ろしたなら、すぐさま彼女は肩を寄せて本をアタシの眼前に差し出してきた。確かに、渡り鳥――この荒野を渡る旅人――として生きていくにあたって有用な情報なら、把握していて損はない。それに、ジニーの期待に満ちた眼差しを裏切るわけのも心苦しいから、綴られた文字に視線を走らせる。
「えぇっと……渡り鳥の旅に危険はつきものである。適切な準備と十分な注意を怠るならば、たちまち君の命は荒野の塵と消えるだろう……うぅん」
その後およそ二頁に渡って続くのは、悲惨な目に遭った新米渡り鳥たちのエピソードだった。未開の地を求めた冒険家肌の青年が、迂闊にも強力な魔獣のテリトリーに近づき遺体も確認できぬほどに食い散らかされた、だとか、うまい仕事話に乗せられた少女が、悪辣な渡り鳥たちに乱暴されたあげく売り飛ばされた、だとか。これらの出来事を筆者はどうやって知ったのだろうと首を傾げたくもなるくらいに、バリエーション豊かな悲惨な顛末が目白押しだった。事実か創作かはともかくとして、こういった出来事は実際にいくらでも起こっているのだろう。アタシだって、自分なりに覚悟のうえだ。
だが、ジニーはどうだろう。そう思って彼女の横顔をちらりと盗み見る。その大きな瞳は真剣に文面を追っているようであり、恐怖や不安があるようには見えなかった。ただただ、必要な情報を学び取ろうとしているのだろう。それからしばらく、アタシたちは言葉少なに頁を捲り続けた。
「……そろそろ、寝よっか?」
聞こえた声にはっとして、ジニーに視線を向ける。穏やかに微笑む彼女が静かに本を閉じるのを見て、自分が眠りかけていたのを理解した。口の端から垂れそうになっていたよだれを、慌てて手の甲で拭う。
「ご、ごめん。ジニー。アタシ、寝ちゃってたかも……」
「ううん、気にしないで。もう夜も遅いし。私も眠ろうと思ってたんだ」
幅の広い二人がけの椅子ではあるが、せっかく二人で一室を使っているのだ。それぞれ一つの椅子を占有したほうが眠り心地は良いに決まっている。アタシはあくびを漏らしながら立ち上がり、向かい側の席に腰を下ろした。少々行儀が悪いが、ブーツを脱いで横向きに座る要領で足を伸ばす。ベッドとまでは言えないが、身体を横たえられるなら十分だ。ジニーはといえば、脱いだ上着を窓際のハンガーに丁寧にかけて、ブラウスのリボンを外して衿元を寛げていた。ただ楽な格好になる、というだけの動作なのに、どうにも気品がある気がする。アタシの視線に気づいたのか、ジニーが見下ろしがちに首を傾げた。直後、背中に強い衝撃が走る。前のめりになって倒れてきたジニーの顔は、うまい具合にアタシのお腹に直撃した。
「……ッ!! 痛たたっ……んっ、ジニー、大丈夫?」
「ご、ごめん! お腹、痛くない?」
「ん、へっちゃら」
アタシが椅子に寝転んでいなければ、彼女は顔面を椅子の端で強かに打っていたかもしれない。ならば結果は良好だ。二人それぞれ身体を起こして、辺りを確かめる。列車は動いているようだが、かなり速度が落ちたように思う。急いでブーツを穿き直して室内を見渡したところで、客室内に設置されたスピーカーから声が聞こえた。曰く、現在速度を落として走行中であり、安全のためにそのまま着席していてほしい、とのこと。
「なにか、あったのかな」
「どうかなぁ。まぁ、しばらく待ってみよう。あー、お茶もこぼれちゃってる」
ひとまず、衝撃で床に散らばった本やらカップやらを、二人で片付けることにした。ただ延々と広がる荒野を走る列車であるが、トラブルはつきものであると聞く。よくあるのは、線路上の魔獣をはねてしまうケースだ。衝突の勢いで死亡する程度の魔獣ならばともかく、そうでなければ厄介なことになるのは間違いない。二人して食いつくように外へと視線を向けるが、見えるのはやはり暗闇ばかり。
「やっぱり、気になる。私、見てくる」
「え? ちょ、ちょっと待って。また揺れるかもしれないし、危ないよ!」
「でも、なにかが起こったのは間違いないと思う。待ってて、すぐに戻るからッ!」
「待ってよ、ジニー!」
いそいそと身支度を整えたジニーは、客室の外へと飛び出していく。彼女を引き止めるように伸ばした右手は、なにを掴むこともないままにゆっくりと下ろすしかなかった。両手で意味もなく髪を掻き乱しながらに逡巡する。恐らく、大したことではないはずだ。ジニーもしばらくしたら戻ってくるだろう。そうとわかっているはずなのに、なぜか胸がそわそわする。言葉にできない不安と、妙な期待が頭のどこかに居座っているかのようだ。ブラウスの衿元を正して、スカートの裾を手で払うように整えてから、アタシもまた客室の外へと踏み出した。
「い、いけません、お客様! お席にお戻りくださいッ!」
通路側へと出た途端、大きな声が聞こえた。アタシに向けられたものだという確信もあったから、声が聞こえた背中側へと肩越しに振り返る。年の頃はアタシとあまり変わらないくらいの、若い乗組員の青年が息を切らせてこちらへと駆け寄ってきた。通路の前後にジニーの姿はない。別の車両へと移ったのだろうか。
「現在安全を確認中ですので、どうか落ち着いてお席にてお待ち下さい」
「ごめんなさい! 友達を見つけたらすぐに戻りますから!」
軽く身をかがめながら、彼の脇をすり抜ける要領で通路を走り抜ける。ジニーがどちら側へと行ったのかはわからないが、ひとまず最後尾車両を目指すことにする。二等客室、三等客室と走り抜ける最中に見たのは、突然の揺れに動揺する乗客たちの姿だった。もちろん、中にはのんびりとお茶を飲みながら待っているような、肝の座った人たちもいたのだが。旅客車両としては最後尾にあたる車両にようやくたどり着くと、車両の連結部分にジニーの姿があった。
「よかった。ジニー、大丈夫だった?」
「うん、私は平気。でも、見て……」
ジニーの指差す先こそが、実際の最後尾車両ということになる。貨物車両らしい重厚な鉄扉の手前には、いくつかの金属片が散らばっていた。よく見れば、それが砕かれた錠であるらしいことがわかる。それも、極めて頑丈そうな類のものだ。
「乗務員さんが言ってた。この列車、なにか大切なものを運んでいるんだって。それが、この先にある。でも……」
「列車強盗かもしれない、ってこと?」
ジニーの言葉に続くように、思わずつぶやいた。この状況が普通でないことだけは間違いない。恐らくは、すぐに乗務員に伝えるのが最も無難なのだろう。それがわかっているのに、自分の目で確かめたくて仕方がない。きっとジニーもアタシと同じ気持ちだったのだろう。まっすぐに向けられた彼女の視線を受け止めて、ゆっくりと頷いた。
貨物車両の扉へと歩み寄り、両開き式の左右それぞれの扉にアタシとジニーが片手を添える。タイミングを合わせて、ゆっくりと扉を押し開いた。室内は特にまっくらで、中央に大きな箱があることが辛うじて分かる程度。床板が少々古いのか、二人の足音が室内にやたらと響く。
「窓に板張り――随分厳重ね」
「足元、気をつけなよ」
二人して慎重に箱まで歩み寄ると、ジニーはその場で屈んで箱を調べ始めた。暗くてよくわからないが、箱そのものが荒らされた様子はないように思う。実際に箱に触れて確かめたジニーも同様の感想であるようで、アタシを見上げながらに首を傾げた。
「大丈夫みたい。だったらなぜ……きゃっ!」
不思議そうにジニーがつぶやいた次の瞬間、再び列車が強く揺れる。とっさにジニーの手を取って、しっかりと床を踏みしめることでどうにか転ぶのは免れたが、箱の方は派手にひっくり返ってしまったようだ。軋むような音を立てて、箱の蓋がゆっくりと開かれていく。中からは、青白く輝く柔らかそうな光の粒が漏れ始める。そんな不思議な光景に視線を奪われながらも、アタシは今更になって思い至った。走行中の列車の、しかも最後尾の貨物車両である。錠を壊して侵入した何者かがいたとしたら、もはやこの室内以外には潜む場所がほとんどないのだということに。複数の物音が聞こえたのは、その直後のことだ。
「――ッ!! ジニー、下がって!」
「え? なに……ッ!?」
とっさにジニーの前へと踏み込み、彼女を背中側にかばう位置を取りながら、背中のホルスターからARMを抜く。それとほぼ同時、三人の男たちがそれぞれ異なる方向から姿を見せたかと思えば、箱を囲むようにして向かい合った。奥歯を噛み締めながらに、アタシは最も厄介そうな筋骨隆々とした大男へと銃口を向ける。突如姿を現した三人にアタシを含めた四人、それぞれが銃口を向けあった。
アタシはまだ知らない。
この出会いが、アタシの運命を大きく変えるものになることを――。