渡辺曜と大学生活を送りたい   作:チカソー

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やすらぎの時代がくれば

何度目だ?

もう100回からは数えてない

嫌じゃないのか?

これが仕事だから耐えるだけだ

そうやって、これからも繰り返す積もりか?

当然だ。これしか方法を知らない

「っ……!」

「はい、手離れた。ノーカン」

「終わりだ……もうできない……」

「はい。143回ね」

手元の携帯をタップして携帯のストップウォッチ機能を止める渡辺

「伸びないな……」

フローリングの床に倒れ込む

まだ暑さの残る8月、フローリングの冷たさが心地良い

「それだけできれば十分でしょ?」

渡辺が手元の紙に何か書き込むと、それが俺に見えるように差し出してくる

“腕立て(両)124”

“腕立て(左)64”

“腕立て(右)58”

“腹筋143”

「いや、落ち始めてる……」

「これで落ちてるって、今までなにやってきたのさ……」

「部活みたいなもんさ。休もうぜ」

起き上がって冷蔵庫からブラックとカフェオレの缶コーヒーを取り出すと、カフェオレの方を渡辺に投げて寄越す

喉を鳴らしながらカフェオレを呷る渡辺

タンクトップにハーフパンツとかなりの薄着だ

何故こんな事をしているかと言うと。数週間前の話に遡る

高海と渡辺が冷蔵庫を買う時、女だけでは大変だろうと俺も手伝ったのだが、そこそこの大きさの冷蔵庫を背中に担ぎ電気屋からアパートまでの約1kmを徒歩で歩ききった所、渡辺から鍛えていたのかと問い詰められ、筋トレしてたと答えたところ、渡辺に筋トレが趣味だから一緒にやりたいと言われたのだ。こうしてワンルームの部屋に押し入られている

隣の部屋に高海が居るとは言え、少し不用心すぎやしないか

ベッドとパソコンとデスクしかないこの部屋にはちょっと華やかすぎる

「ねー航くん。シャワー借りて良い?」

勘弁してくれ。これ以上俺の心を引っ掻き回すな

「自分の部屋のを使え」

「だって、めんどくさいじゃん……おろ?」

冷水で濡らしたタオルと大判のバスタオルを投げつける

「面倒臭いならそれ使え。で、バスタオル被ってろ。幾ら何でも男の部屋で不用心が過ぎるぞ」

渡辺がニンマリと笑う

あ、これアレが来る奴だ

「航くん」

「なんだよ」

「私はキミのそう言う所、好きだけどちょっと残念かな」

渡辺や高海と出会って約5ヶ月。こういう事をよく言われる

好意を持たれるのは嬉しいが、その、困る。色々な事があるから

なんたって高校を卒業したばかりなのだ。もっと健全なあれこれがある筈だ

「君は、なんだか心に鎧を纏っているようだね」

ぽつりと、しかし確かに聞こえる声量で渡辺が呟く

「は?」

「うーん……鎧って言うのもまた違うかな……あ、そう。制服? なんだか、警察の制服を着ている感じ。真面目で、優しくて、ちょっと隙があって。でも……」

「でも?」

「なんだか、見えない所には武器を隠してるような……んー、よく解らないや」

「そうかい」

じっとりと手のひらを濡らす汗を誤魔化すように、拳を握って爪を立てる

「まあいいや。さ、こっちおいでよ。そんな冷蔵庫の前で突っ立ってないでさ」

ベッドに腰掛けた渡辺がぽんぽんと自分の隣を叩いて笑う

その時だった

聞き覚えのあるピアノの旋律が耳に流れ込む

「あ、ごめん」

どうやら、渡辺の携帯だったらしい

「もしもし、渡辺です。あ、うん。うん。えっ!? 大丈夫? うん、うん。解った。そう言う事ならおいでよ。うん、はい、失礼しまーす……んー……」

困った表情で頭をかく渡辺

「大丈夫か?」

「私はねー。近くまで来てた友達が財布落としちゃったみたいで、探すにも荷物が多いから私達の部屋に置かせてくれないかって」

「ふぅん」

災難な事だ。手伝ってやっても良いが、相手は女の子だろうし、あまり出張っても嫌がられるだろうし、ここは静観しておくか

そんな事より

「渡辺。お前の携帯の着信音、桜内さんの曲なんだな。良いセンスじゃないか」

あまり有名ではないが、俺の大好きなピアニストだ。まさかこんな近くに同好の士が潜んでいるとは

「え? まあ、さっきの電話、その“桜内さん”からだったし」

心臓が止まったような錯覚を覚えた

「え?」

「だから、今の梨子ちゃんから。ファンならサインでも貰えば?」

「ほ、本当に? と言うか、サイン貰えるの?」

「うん。なに? そんなに好きなんだ」

「うん。一番好きなピアニスト。凄いよな、あんな美人で学生でピアノ上手いって」

デスクの引き出しから桜内さんのCDを取り出す

「渡辺。桜内さんいつ来る」

「知らない。30分もしないんじゃない」

「よし。俺はシャワー浴びるから、渡辺は自分の部屋戻ってろ。来たら連絡くれ。あと、俺がサイン貰いに行くっての、伝えといてくれ」

「やだ」

「じゃあ、そこに置いてあるCDにサイン貰ってきてくれ」

「やだ」

「今度メシ奢るから」

「やだ」

「っ……じゃあ、何なら」

「やだ」

「あの」

「やだ」

しまった。俺としたことが桜内さんの事で取り乱した

振り向くと渡辺は俺のベッドの上で布団にくるまって籠城の構えだ

「あの、渡辺」

「やだ」

これは困った。何とかして機嫌を治さないと…………桜内さんのサインがかかっている

とりあえず、渡辺が布団怪獣になっている隣に腰掛ける

女の子。それもとびきりの美人の渡辺と同じベッドに座る機会がこんな形で巡ってきてほしくはなかった

「その、機嫌治してくれよ。別に、渡辺と比べた訳じゃ……」

「渡辺じゃないでしょ。市ヶ谷さん」

これはなんだ。よく解らないが、渡辺さんって呼ばないといけないのか……

「えっと……渡辺さん……?」

布団怪獣から拳が飛んでくる

「痛って!?」

なんなんだ。本当に解らなくなってきた

「私はさっきまで航くんって呼んでたんだよ?」

「あ、そう言う事か。悪いな、曜」

「よろしい……」

もぞもぞと布団から頭だけ出してくる渡辺……もとへ、曜

頭以外は布団を被ったまま、のそりと俺の近くへ這ってくる

「はい」

「は?」

今度は太ももに頭突きする曜

そこそこ鍛えているだけあって思ったよりも痛い

「撫でて」

「はぁ……」

最初から言ってくださいよ……

そんな感じで、半ば強制的に指を通す事になった曜の髪は、想像よりずっと手触りが良かった

水のように指の間を流れる曜の髪

この心地良い香りは、曜の髪の香りだろうか

「曜……その、お前は綺麗だ。だからこそ、気が引ける。俺なんかが手を出して良い人間なのかと」

「私は君が良い」

ほんのりと赤く染まる曜の頬

曜が頭に乗っている俺の手を取る

手の甲に軽くキスをして、頬ずりする

こいつ、本気だ

こうまでされると、もう俺にはなにもできない

今度こそ、ヤバい

もう、逃げられない

俺は、曜を

「曜ちゃん! 梨子ちゃん来たよ! いつまで航くん一人占めしてるつもり!?」

玄関のドアが開け放たれる音

ベッドの上に腰掛けている俺

ベッドの上で少し顔を赤らめながら俺の手に頬ずりする曜

開け放たれている風呂場のドア

密着しそうな俺と曜の距離

「千歌ちゃん!? お取り込み中なら邪魔しない方が……って……」

あ、生桜内さんだ。わあ、美人だなぁ

生桜内って生桜エビみたいだね。語感が

ところで、高海さんはなんで硬直してるんですかね。あ、でも目だけは死んだ魚の目みたいになってら

あと、曜さん。この状況でまだ手を離さないあなたは今なにを考えているんでしょうか

さて、これからどうしようか

8月の昼下がり、蒸し暑い筈なのに凍り付いた俺の部屋は、時間が動き出すまでまだ少しかかりそうだ




僕は操縦を覚えたバイクを使う事になり、曜も僕のバイクの後ろに乗る事で、財布を探す事になった
が、その後、高海と桜内さんは総出で、僕と曜が二人で何をしていたかを探る事になってしまった
次回、曜のレコンギスタ『高坂の決断』
話、わかりたければ見るしかないでしょ
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